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4.



 王宮の使用人ではないようだ。身なりはきちんとしている。だが、貴族のようではない。王子に用があるとは何者なのだろう。
 結衣がこっそり品定めをしていると、青年は結衣を王子と認めたらしく、軽く頭を下げて挨拶をした。
「申し遅れました。私はセギュール侯爵の使いの者です。侯爵より、レフォール殿下に内密のお話しがあるとの事で、お迎えに上がるよう仰せつかって参りました」
 言葉遣いは自分より遙かに丁寧だ。しかし、この青年と共に行っていいものかどうかは、ためらわれた。
「少し、待って」
 結衣はそう言うと、部屋の奥にいるローザンに歩み寄った。
 青年に聞こえないように小声で話しかける。だが、彼が聞き耳を立てているだろう事は考慮に入れて、王子のフリは怠らない。
「セギュール侯爵って、知ってる? 叔父さんの一派?」
「何度かお会いした事はあります。中立派だったと思いますが」
 ローザンの言葉に結衣は腕を組んで考えた。
「そっか、じゃあ一緒に行っても大丈夫かな」
 結衣がつぶやくと、ローザンは焦って反対する。
「ダメですよ。ここから出ないように言われてるじゃないですか」
「だって、ボクが病気でも忙しいわけでもない事は、彼にばれてるんだよ。理由もなく貴族の申し出を断れないよ」
 ローザンはため息と共に立ち上がった。
「わかりました。ぼくが話してみます。せめてラクロットさんに確認を取らないと」
 そう言ってローザンは青年の元に歩いていった。結衣もその後に続く。
 ローザンは笑顔で青年に話しかけた。
「お待たせして申し訳ありません。私は王宮医師のローザン=セグラと申します。現在レフォール殿下の御身をお預かりしている者です。ですが、私の一存でお引き渡しするわけにはまいりません。殿下のお付きの者に確認を取りますので、もう少しお待ちいただけますか?」
 青年は慌ててローザンを引き止めた。
「困ります。私はレフォール殿下ご本人に用件を告げるように言われてるんです。本来なら、あなたに知られてしまった事自体、まずいんです。これ以上他の方に知られるのはご容赦願います。今ならお一人のはずだからと言われて来たのに……」
 青年は困惑した表情でローザンを見つめた。
 どうやら、ロイドが出かけたのを見計らってやって来たようだ。よほど、人に知られたくない話なんだろうか。
「そう言われましても……」
 ローザンも困って、頭をかいた。
「侯爵は今どちらに?」
 結衣が尋ねると、青年は途端に表情を明るくした。
「陛下と謁見の後、今は貴賓室でご休憩中です」
「貴賓室なら平気だよね。この人も困ってるみたいだし」
 結衣の意見に、それでもローザンは渋い顔をする。
「しかし……」
「王宮の中だし、大丈夫だよ。ね?」
 そう言って結衣はポケットの通信機を指し示した。ローザンは結衣のポケットにチラリと視線を送ると、渋々了承した。
「わかりました。殿下をよろしくお願いします」
と言うと、青年に頭を下げた。
「かしこまりました」
と答え、青年もローザンに頭を下げると、三人はそろって廊下へ出た。
 結衣が肩の小鳥を預けると、ローザンは心配そうな顔をして、二人を見送った。
 しばらく青年の後について廊下を進んでいると、青年が後ろを振り返った。結衣もつられて視線を追う。廊下にはもう、ローザンの姿はなかった。
 青年は再び正面を向くと、貴賓室に向かって廊下を進む。そして途中から、広い廊下をはずれて、狭い通路に入っていった。その先は、王宮の裏手にある馬車置き場に続いている。
 結衣は慌てて青年に声をかけた。
「貴賓室はそっちじゃないよ」
 青年は歩を休めることなく、少し振り返り平然と言う。
「存じております。侯爵は裏の馬車でお待ちです」
 結衣は立ち止まって表情を硬くした。
「騙したの?」
 青年も立ち止まり、振り返ると薄い笑みを浮かべる。
「ああでも言わないと、あの方は納得しなかったでしょう?」
 ローザンは納得などしていなかった。結衣本人に対してなら、断固反対しただろう。だが、”王子”に対して、あれ以上強硬な態度を取れなかっただけなのだ。
 騙されたのは、ローザンではなく自分だ。自分の甘さに腹が立って、結衣は踵を返した。
「帰る。平気で騙すような人の話は聞けない」
 青年は慌てて追いすがると、結衣の腕を掴んだ。
「お待ちください!」
 無理矢理引き止められ、結衣はムッとして青年を睨んだ。青年の方は、掴んだ結衣の腕を見つめて、驚いたような表情をしている。おそらく、男の腕とは思えないあまりの細さに驚いたのだろう。
 しまった、と思ったが、平静を装いつつ、あくまで威厳を持って、静かに言い放つ。
「手を離せ。ボクを誰だと思っている」
 こんな時、王子の権威は絶大だ。
 青年はハッとして、結衣の腕を離すと、その場にひざをついた。拝むように両手を組んで結衣を見上げる。
「ご無礼をお許しください。ウソをついた事はお詫び申し上げます。ですが、お願いです。私と共においでください。殿下と侯爵が接触した事を知られた上に、お話しすら叶わなかったとなると、私がお咎めを受けてしまいます」
 泣きそうな顔で見上げる青年に、結衣は嘆息する。お咎め怖さに手段を選んでいられなかったという事か。
「……今度騙したら、許さないからね」
 結衣がそう言うと、青年はパッと表情を明るくして、床につくほど頭を下げて礼を述べ、先に立って歩き始めた。
 しばらく通路を進んで、王宮裏の馬車置き場に出た。
 青年は正面に停めてある馬車に歩み寄り、扉をノックした後開いて、結衣を招いた。
「どうぞ、こちらへ」
 結衣は馬車の扉の前で、踏み台に片足をかけ、中を覗いた。薄暗い車内をクルリと見回す。しかし、中には誰もいない。
「誰もいないよ」
 結衣が眉をひそめて振り返ると、青年が下卑た笑みを浮かべていた。
「いいから、さっさと乗れよ」
 そう言って結衣の背中を乱暴に突き飛ばした。小さく悲鳴を上げて、結衣は馬車の中に両手をついた。
 再び騙された事に怒りがこみ上げ、身体を反転させると、青年の腹を蹴りつける。
 距離があったため、大したダメージは与えられなかったが、青年が一瞬ひるんだ隙に結衣は馬車の外に出た。そのまま逃げようとしたが、青年が体勢を立て直して行く手を阻んだ。
 腹を撫でながら、青年は結衣に毒づく。
「……やりやがったな」
「今度騙したら、許さないと言ったはずだ」
 結衣が言い返すと、青年は鼻で笑った。
「騙される方が間抜けなんだよ。噂通りのバカ王子だな」
 そう言って今度は、結衣の胸を突き飛ばした。
 踏み台に足を取られ、結衣は馬車の中に尻餅をつく。ふと見ると、青年が目を見開いて硬直していた。
「やけに細いと思ったら……。おまえ、女か?」
 いつもベストを着ているので、小さい胸を隠すには充分だが、さすがに触られては、ばれてしまう。黙って睨んでいると、青年は忌々しそうに舌打ちした。
「替え玉か……。謀ったな」
「騙される方が間抜けなんでしょ?」
 結衣が不敵に笑うと、青年は顔を歪めて睨みつけた。そして何かを考えながら、結衣から視線を逸らした。
 その隙に結衣はこっそり通信機のボタンを押す。ついでにこっそり馬車から出ようと、じりじり移動していると、青年が気付いて、両手を広げ馬車の入口を塞いだ。
「逃がすかよ。オレは王子を連れて行けば、それでいいんだ。これだけそっくりなら、しばらくは、ばれないだろう。おまえはそのまま替え玉やってな」
「私がすぐにばらすわよ」
 それを聞いて青年は、思い切りバカにしたように嘲笑う。
「どうやって? 口で言ったって誰も信じるもんか。私は女ですって脱いで見せるのか? やれるもんなら、やってみな」
 青年の嘲笑にムカついて、結衣は立ち上がると、彼の腕を強引に押し退け、立ち去ろうとした。
「どいて! 帰るんだから!」
 青年は一瞬呆気にとられて結衣を見つめたが、慌てて腕を掴んだ。
「バカか、おまえ。逃がさないって言っただろ? 痛い目見たくなかったら、おとなしくいう事聞け」
「あなたこそ、バカじゃないの? どうして、あなたのいう事を聞かなきゃならないのよ!」
「は?」
 結衣の切り返しに、青年は目を丸くして一瞬絶句する。
「だ、だから! 痛い目に遭いたくなかったら、だ!」
「だから、どうして私が痛い目に遭わなきゃならないのよ!」
「え……、どうしてって……」
 青年は再び絶句して考え込んだ。――が、少しして、ハタと気付きわめいた。
「えーい! うるせぇ! つべこべ言わずに、とっとと来やがれ!」
 そう言って結衣を強引に馬車に押し込もうとした。
「放してよ!」
 結衣は抵抗して青年の身体を押し戻す。しばらくの間揉み合っていると、二人の間を黄色い影が通り過ぎた。二人同時にその影を目で追う。それはローザンに預けてきた小鳥だった。結衣は思わず小鳥を呼んだ。
「ロイド!」
「何?!」
 青年は学者のロイドが来たと勘違いしたのか、慌てて周りを見回した。しかし、結衣の視線が小鳥を追っているのを見て、舌打ちした。
「ったく、紛らわしい名前つけやがって。ほら、来い!」
「いやっ!」
 再び二人が揉み合い始めると、小鳥は青年の目の前で、視界を遮るように羽ばたいた。
 青年は片手で結衣を掴んだまま、小鳥を追い払おうと手を振る。しかし、小鳥はそれを避けて、頭の後ろに回り込んだりしながら、青年の邪魔を繰り返した。
 今にもはたき落とされそうな気がして、結衣は小鳥に命令した。
「ロイド、ローザンを呼んできて」
 しかし、小鳥は返事をするだけで、青年の邪魔を止めようとしない。
「いいから、ロイド! お願い、ローザンを呼んできて!」
 結衣がいくら叫んでも、小鳥は返事をするだけで、命令を聞かない。そして、とうとう青年の腕が命中し、小鳥は地面に叩きつけられた。
「ロイド!」
 結衣が小鳥に駆け寄ろうとするのを、青年が引き止めた。
「おっと、邪魔者はいなくなったんだ。さっさと行こうぜ」
 おどけたように笑う青年を結衣は睨みつける。
「なんて事するのよ!」
 怒鳴った後、ふと青年の後ろに目を向けると、さっき出てきた通路の出口に、学者のロイドが立っていた。
「ロイド!」
 結衣が思わず名を呼ぶと、青年は小鳥のロイドと勘違いし、苛々したように怒鳴った。
「いつまでも、うるせぇぞ」
 ロイドは指を一本立てて、口に当ててみせる。結衣は小さく頷いた。続いて両手で耳を覆ってみせた。耳を塞げという事だろうか。
 結衣は青年から手を離すと、両手の人差し指を両耳にそれぞれ突っ込んだ。
 突然の結衣の奇行を、青年は訝しげにまじまじと見つめる。
「何の真似だ?」
 その隙に、こっそり青年の後ろまで来ていたロイドが、いきなり青年の耳元で囁いた。
「わ」
 見た目は囁いたように見えたが、あまりの大きな声に、青年は文字通り飛び上がって振り向いた。
 青年と目が合うと、ロイドはにっこりと微笑み、今度は思い切り大声で叫んだ。
「こっちだ――――っ!」
 耳を塞いでいても、頭が割れそうなほどの轟音に、青年は硬く目を閉じ、両手で耳を塞ぐ。
 ロイドはすかさず、その腕を逆手に取ると、背中の後ろでひねりあげた。そして、人懐こい笑顔を湛え、青年の耳元で自己紹介を始めた。
「はじめまして。私はレフォール殿下の友人代表、ロイド=ヒューパックと申します」
 青年は堪らず、わめき声を上げる。
「いて――っ! しかも、うるせえぇぇっ!」
 ロイドは尚も笑顔のまま、他愛のない事を大声で話し続ける。とんでもない嫌がらせだ。
 ロイドが嫌がらせを続けていると、通路の出口から、バラバラと王宮の警備隊が現れた。ロイドの手から青年の身柄を引き受けると、再びバラバラと王宮の中に帰って行った。
 それを見送りながら、ロイドは耳栓を外し、自分の首にリモコンを当ててボタンを押した。
 耳を塞いでいた手を外し、結衣はロイドに尋ねた。
「さっきの大声、何?」
「おまえが毎朝飲んでるマイクロマシンの姉妹品で拡声器だ。演説用にどうかと思ったんだか、音量調節に難があるため、実用化に至っていない」
 ロイドの声は普通に戻っていた。今度のマシンも今日初めて役に立ったようだ。
 ロイドは静かに結衣を見つめると、短く問いかけた。
「大丈夫か?」
「うん……」
 なんとなく、きまりが悪い。またしても、ロイドのいう事を聞かず、迷惑をかけてしまった。
「行くぞ」
「待って」
 背を向けようとしたロイドを追おうとして、結衣は突然ひざから力が抜けるのを感じた。
 ロイドは慌てて駆け寄ると、結衣を抱き止めた。
 ロイドの顔を見た途端安心したのか、今頃になって攫われそうになった恐怖が、全身を震わせる。
「ケガでもしたのか?」
 優しい問いかけに、勝手に涙が溢れ出す。
 結衣はロイドの胸に顔をすりつけて、しがみつくと、掠れた声でつぶやいた。
「……怖かった……」
 ロイドは結衣の震える身体を、しっかり抱きしめると、項垂れて詫びた。
「悪かった。側にいろと言っておきながら、オレの方が側を離れた」
 結衣は首を横に振る。
「あなたは悪くない。勝手に研究室を出た私が悪いの。ローザンも引き止めてくれたのに。ごめんなさい。もう勝手な事しないから」
 そう言って、さらにしがみつく結衣の頭を優しく撫でながら、ロイドはクスリと笑った。
「素直にいう事を聞くおまえなんて、薄気味悪いぞ」
「ひどい」
 結衣の不服そうな声に、ロイドは益々おもしろそうにクスクス笑う。
 ロイドはそのまま、結衣の涙と震えが収まるまで、優しく頭を撫で続けた。




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