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2.



 厨房から戻ると、部屋の掃除は終わっていた。結衣はソファに座ると腕を組み、厨房で聞いた話を思い出してみた。
 厨房では三時のおやつにプリンの材料を確保した。一度作ってみたいと思っていたバケツプリンを、ロイドに食べさせるつもりだ。
 そのついでに、以前ロイドから聞いた料理消失事件の詳細を、パルメに尋ねた。
 ロイドが作ったという調理機械は、いわゆるオーブンレンジのようなもので、使う人間は厨房の中でも限られている。パルメと結衣とオーブン料理担当の調理師二名だ。
 調理機械のある場所は、厨房内の仕切られたエリアで、出入り口はひとつしかなく、出入りする人間は厨房内から丸見えになっている。
 オーブン料理は時間がかかるので、大概の者はタイマーをセットした後、他の事をするためにその場を離れる。しばらくの間、調理機械のエリアが無人になるのはよくある事だ。
 しかし、パルメが言うには、料理が消えるようになって、機械の不調を見に来たロイド以外に、他の人間が出入りした事はないという。
 出来上がったばかりのオーブン料理は、容器共々熱くて、素手では触れない。仮に誰かが持ち去ったとしても、ワゴンに乗せて運ぶしかないので、すぐ目に付いたはずだ。
 食事時以外でワゴンを使うのは結衣だけなので、気づかないわけはないのだ。
 誰かが持ち去ったのではないとすると、他に考えられるのは、遺跡の装置のせいだろうか。
 過去、遺跡の活動期には、物や人が消えたり現れたりしたと聞いた。そう考えると、客室の幽霊もそれが原因かもしれない。
 幽霊がいると言った女の子は、幽霊の姿は見ていない。浴室から点々と付いていた濡れた足跡というのは、見方を変えれば、無数の小さな水たまりという事になる。
 遺跡の活動期のせいで、厨房からは料理が消え、客室には水たまりが現れたという事か。だが、何かがひっかかる。
 結衣は頭を抱えてうなった。
「うーん。頭がごちゃごちゃしてきた」
 紙に書いて整理しようと思い、部屋の中を見回したが、ハタと気づいて、ため息をついた。この部屋の物は勝手に触ってはいけない事になっている。
 先ほどの事でお互い気まずいが、ここはロイドに頼むしかなさそうだ。結衣は立ち上がり、部屋を出ると研究室に向かった。
 研究室の扉を開けると、ロイドとローザンが揃って振り向き、驚いたような表情をした。驚いている理由はそれぞれ違うのだろうが。
 ローザンが心配そうに声をかけた。
「ユイさん、寝てなくて大丈夫なんですか?」
「うん。もう平気。大したことないから」
 結衣は苦笑して答える。元々仮病だ。
 結衣は休憩コーナーの側まで行くと、物言いたげに見つめるロイドに頼んだ。
「ロイド、紙とペン貸して」
 ロイドはプリンタから用紙を数枚抜き取り、机の上のペンを持って結衣の側までやって来た。それを手渡しながら、無表情のまま尋ねる。
「文字の勉強でもするのか?」
「ありがとう」
 受け取った紙とペンを机の上に置き椅子に座ると、結衣はロイドを見上げて言う。
「色々考えてみようと思って。王宮内の怪現象や、王子様の失踪の事や、遺跡の事とか」
 途端にロイドは不愉快そうに顔をしかめた。
「余計な事はするなと言っただろう」
「何もしないわ。考えるだけ。気になる事や知りたい事は、自分で動かず、あなたに訊くから。それならいいでしょ?」
 ロイドは今ひとつ不満げな顔をしながらも、渋々承諾する。
「まぁ、それならいいが……。本当に考えるだけにしとけよ」
「うん」
 結衣は笑って頷くと、ついでに笑顔のままサラリと告げた。
「それと、さっき言った事撤回。大嫌いじゃなくて、大好きだから」
「な、何を言い出すんだ、おまえは!」
 ロイドが目を見開いて、思い切り動揺している。いつもなら額を叩かれるところだろうが、それすらも忘れているようだ。
「あーっ。そういう事だったんですか」
 遠くから様子を窺っていたローザンが、突然大声を上げた。
「何が、そういう事だ」
 ロイドが不愉快そうにローザンに尋ねる。ローザンはわざとらしく大きなため息をついて立ち上がると、出入り口に向かって歩き始めた。
「ユイさんのところから帰って、なんかロイドさんの機嫌が悪いと思ったら、やっぱりケンカしてたんですね。仲良すぎるのも目の毒ですけど、仲悪いのはもっと迷惑ですから、勘弁してくださいよ」
「こら待て。仲良すぎるって事はないだろう。どこへ行く」
 扉の前で立ち止まったローザンは、微笑んで答えた。
「ちょっと医務室に行ってきます。ユイさんに鎮痛剤を処方しますので、三十分くらいで戻りますよ」
 そう言ってローザンは研究室を出て行った。ロイドはローザンを見送ると、気まずそうに結衣を見下ろした。
「おまえが妙な事を言うから、あいつに変な気を使わせたじゃないか」
「妙な事じゃないわよ。本当の事だもの」
 ロイドはひとつ嘆息すると、結衣の前の椅子を引き、横向きに座った。目を合わさないように、そっぽを向いたまま腕を組み、吐き捨てるように言う。
「ったく。とことんオレの言う事を聞かない奴だな」
「言ったじゃない、できないって。嫌いにはなれないわ。でも日本に帰らないとは言わないから安心して」
 結衣の言葉に、ロイドが意外そうな表情で、こちらに視線を向けた。結衣はイタズラっぽい笑みを浮かべ、ロイドを上目遣いに見つめて言う。
「私が日本に帰らないって、駄々捏ねたら困るから、あんな事言ったんでしょ?」
「そんな風に考えていたのか」
 ロイドは相変わらず、意外そうにしている。自分の考えが間違っていたのかと、少し不安になって、結衣は恐る恐る問いかけた。
「……違うの?」
 ロイドは目を逸らすと、俯いてひとつ息をついた。
「いや、それもある」
「他にもあるの?」
 問いかけるとロイドは、結衣を一瞥し、再び目を逸らして観念したように、とつとつと話し始めた。
「おまえはニッポンに帰った方がいい事はわかっている。おまえにはニッポンでの暮らしがあるし、両親や友人も向こうにいて、おまえを心配しているはずだ。元々オレが無理矢理、殿下の身代わりを押しつけたんだ。おまえには、ここにいる義理もない。まさかこんなに長引くとは思っていなかったし、事態がこんなに深刻化するとも思っていなかったから、オレも軽く考えていた。おかげで何度も危険な目に遭わせたし、おまえには悪い事をしたと思っている。だから、なんとしても無事にニッポンに帰そうと決めたんだ。なのに……」
 ロイドはそこで一旦言葉を切ると、更に項垂れた。結衣が黙って待っていると、少しして大きく息をつき、再び話し始めた。
「最初、おまえには嫌われていると思っていた。殿下の身代わりを押しつけられてムッとしていたし、なにより最初のキスがマズかったしな。あの後おまえ、怯えてたし」
「……え……」
 必死で隠していたつもりだったのに、全部ばれていたらしい。
 ロイドは少し上向いて、中空を見つめたまま、しみじみと言う。
「言う事はさっぱり聞かないし、触れば怒って抵抗するし、相当嫌われていると思っていた。なのに嫌いじゃないと言われて、ちょっと調子に乗りすぎた」
 そして結衣の方を向くと、何かが吹っ切れたような清々しい表情を見せた。
「おまえがニッポンに帰ると決めたなら大丈夫だ。それが歯止めになるだろう」
「歯止めって、何の?」
 結衣が首を傾げると、ロイドは気まずそうに顔を背けた。
「オレ自身のだ。おまえをニッポンに帰すと決めたのに、おまえが連れて逃げてとか言うし。まぁそれは、先にオレが余計な事を言ったからだろうが、その上好きだとか言うし。おまえが帰らないって言い出したら、決意が揺らいでしまいそうだったんだ。連れて逃げても、おまえを不幸にしかできないから、そうしないために、あの言葉は歯止めだった」
 うっかり告白が、やはりロイドを追い詰めていたらしい。結衣は首をすくめてポツリと言う。
「ごめん。余計な事言って」
「いい。気にするな。元々オレは歯止めのきかない男だ。こんなに長期間、キス止まりなのは快挙だ」
 平然と言い放つロイドに、結衣の顔は思わず引きつる。
「……え……エロ学者」
『エロガクシャ』
 小鳥の復唱を聞いて、ロイドはすかさず机の向こうから、長い手を伸ばして結衣の額を叩いた。
「だから、音声多重で言うな。その言葉しか教えてないのか」
「そんな事ないわよ。最近は色々しゃべるのよ。結衣ちゃんかわいいとか、ロイド大好きとか」
 その言葉にロイドがピクリと反応する。結衣は慌てて補足した。
「ロイドって、この子の事よ」
「わかってる」
 そう言ってロイドは立ち上がり、結衣の横にやってきた。見上げる結衣の頬に手を添え、身を屈めて顔を覗き込んだ。そして、ニヤリと笑う。
「だが、今度何か言う時は覚悟しろよ。こっちの歯止めは外れかかっているからな」
 そして、結衣の唇に軽く口づけると、元いたコンピュータの前に戻って行った。
 結衣はロイドが触れた唇に指先を当てて、彼の背中を見つめた。自然に頬が緩む。
 せっかくロイドが忙しい時間を割いて、自分のためにマシンを改造してくれたのだ。それを無駄にしないためにも日本には帰ろうと思う。それなら、日本に帰るまでの十五日間、できるだけ楽しく過ごしたい。
 ロイドの言う事を聞いて、彼を嫌いになって、ケンカ別れのような事はしたくなかった。
 あの言葉の真意がわかり、ロイドが結衣を連れて逃げようと思った事もわかった。決定的な言葉を聞いたわけではないが、ロイドの想いの一端に触れて、舞い上がりそうなほど嬉しい。
 それだけで、残り十五日間を楽しく過ごせそうな気がする。
 結衣は思わずにやけてしまう頬を両手で押さえ、机の上の紙に視線を落とすと、ペンを取った。
 すると、研究室の扉がノックされた。珍しくロイドが気づいて返事をすると、扉が開きローザンが様子を窺うように顔をのぞかせた。
「なんだ、おまえか。よそよそしい」
 ローザンは笑顔で頭をかきながら部屋に入ると、後ろ手で扉を閉めた。
「いやぁ、取り込み中だとマズイと思って」
「何を想像している。エロ医者め」
 毒づくロイドに、ローザンはため息をつきながら、結衣の元に歩いてきた。
「あなたに言われたくありませんよ。はい、ユイさん。鎮痛剤です」
 ローザンは笑顔で、白い小さな紙袋を結衣に差し出した。
「ありがとう」
 結衣はそれを受け取り、中を覗いた。ハーブの甘い香りが鼻をつく。この香りはカモミール? 見ると袋の中には丸いキャンディが三つ入っていた。
 結衣が不思議そうにローザンを見上げると、彼は一層微笑んだ。
「ぼくはこれが、案外効くんですよ。特に、ここにね」
 そう言って親指で自分の胸を指した。そして、こっそり結衣に耳打ちする。
「ロイドさんにいじめられた時、服用してください」
 結衣がクスリと笑うと、向こうからロイドが怒鳴った。
「何をコソコソやっている。さっさと仕事に戻れ」
「はいはい。ちょっと話してただけで、そんなにヤキモチ焼かなくても……」
 ローザンはブツクサ言いながら、ロイドの側に戻る。待ち構えていたように、ロイドがローザンの額を叩いた。
「誰がヤキモチ焼いている」
 二人は尚も言い争いながら席に着いて、それぞれの作業に戻った。
 結衣は机の上に視線を戻し、ペンを走らせる。とりあえず今、疑問に思っている事を箇条書きにしてみた。


 王宮内
  ・料理の消失
  ・客室の幽霊
  ・王子の失踪
  ・王子の秘密
  ・私の出現
  ・東屋の石段を壊した犯人
 遺跡
  ・どうやって活動期の間隔、三十年をカウントしているのか
  ・今回、活動期が早まったのはなぜか


 王子の秘密については、さっぱり見当も付かないので、とりあえず置いておく事にする。
 その他の王宮内の事件は、東屋の石段以外、遺跡の活動期のせいだとすれば、説明はつく。だが、どうして王宮内に集中して、物や人が消えたり現れたりしているのかは疑問だ。
 王宮は遺跡から随分と離れている。結衣が知らないだけで、ラフルールの街でも怪現象は起きているのだろうか。これについては、ロイドに確認してみよう。
 東屋の石段の件は、先日の誘拐未遂の黒幕が一枚噛んでいるかもしれない。だとしたら、犯人の特定は無理だろうが、ロイドは何か聞いているだろう。これも後で確かめてみよう。
 問題なのは遺跡の方だ。これはある意味、東屋の石段以外、全てに関わっている。遺跡の謎が解ければ、全ての謎が解けるような気がした。
 遺跡は三十年に一度、活動期を迎えると聞いた。この三十年を遺跡自体は、どうやって把握しているのだろう。遺跡には謎の機械装置があるというから、もしかしたらカウンタのような物が付いているのかもしれない。
 では今回、活動期が早まったのはなぜだろう。カウンタが付いているのなら、早まる理由がわからない。全遺跡のカウンタが同時に誤動作を起こすなどありえないからだ。
 カウンタではなく、何か自然のエネルギーをどこかに蓄積しているのかもしれない。そして、それが満杯になるのに三十年かかり、三十年に一度それを放出しているとすれば、自然現象や天変地異で活動期が早まるかもしれない。過去にも早まった事があるのか、確認してみなければならない。
 だが、そうなると全世界規模の自然現象や天変地異が起きた事になる。遺跡は広大なクランベール大陸の各地に点在しているのだ。結衣が現れた日に、そんな出来事があったのだろうか。
 なんだか何もかも、ロイドに確かめなければならない。
 すでに手詰まりとなってしまった結衣の脳裏に、ふと、ひとつの仮説が閃いた。そして、バラバラだった全てのピースがひとつに繋がる。
(もしかして、遺跡は――)
 この仮説が正しいとすれば、全ての謎に説明がつく。
 すぐにでもロイドに諸々の疑問を確認したいところだが、仕事の邪魔をするわけにはいかない。
 結衣はもどかしい気持ちで、ロイドの休憩時間、昼休みを待つ事にした。




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