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5.



 翌日十四時の異世界検索は、またしても失敗に終わった。ロイドはとりあえず検証を後回しにして、ローザンに研究室の留守番を頼むと、結衣と共に東屋に向かった。
 誘拐されそうになって以来、ロイドの研究室に入り浸っていた結衣は、建物の外に出るのは本当に久しぶりだった。
 庭園の外れの緑のトンネルを抜けると、白い石造りの東屋が見えた。
 ここに来たのは随分昔のような気がして、結衣は何だか懐かしさを覚えた。
 以前と違っているのは、東屋の周りを囲むようにロープが張られ、文字の書いた立て札が立っている事だ。「危険」とか「立ち入り禁止」とか書いてあるのだろう。
 懐かしさと共に記憶が蘇る。
 あの時、自分だけドキドキしているのが悔しくて、ロイドに八つ当たりしたのだ。ロイドはそれを結衣に嫌われているからと思い込んで、ふてくされていた。
 お互い勘違いしていたのが、今となってはおかしくて、結衣は思わずクスリと笑った。
 その様子を訝って、横からロイドが尋ねた。
「何だ?」
「前に、ここから帰る時あなたが、ふてくされてたのを思い出したの」
 結衣が笑って答えると、ロイドは不愉快そうに結衣の額を叩いた。
「余計な事を思い出すな」
 そう言って顔を背けたロイドの表情が、あの時と同じように少しふてくされているのがおかしくて、結衣は益々笑ってしまう。
「笑うな!」
 ロイドはムキになって叫ぶと、再び結衣の額を叩いた。
「だって、おかしいんだもん。ローザンも言ってたけど、あなたって、いつもは自信満々で冷静なのに、時々子供っぽいのよね」
「あいつ、余計な事を……」
 小さく舌打ちして、ロイドは顔をしかめる。そして、結衣の腕を掴んで引き寄せた。腕の中に結衣を捕まえて、メガネを外しながら意地悪な笑みを浮かべる。
「おまえもだ。余計な事ばかり言ってる口は塞いでやる。今日のノルマはまだ果たしてないしな」
 結衣は慌てて、近付いてくるロイドのあごを手で押さえて、顔を背けた。
「ダメ! そんなノルマは後回しよ。地下の探検の方が先決でしょ?」
 途端にロイドは動きを止め、結衣を放すとメガネをかけ直した。
「それもそうだな。地下の方が邪魔が入らなくていい」
「だから、そうじゃなくて……」
 ガックリと肩を落とす結衣の背中を叩くと、ロイドは先に立って歩き始めた。
「ほら、行くぞ」
 結衣は気を取り直して、その後を追う。
 東屋の裏手に回り、ロープを跨いで石段を上がると、表側に空いた穴の側までやって来た。
 以前は余裕がなくて何も見ていなかったが、中を覗くと確かにそんなに深い穴ではない。底には石段を構成していた白い石のブロックがいくつも転がっていた。
 穴の入口は人ひとりが、スッポリ嵌るくらいの大きさで、結衣なら余裕だが、ロイドには少し狭いようだ。ロイドもそれに気付いたらしく、穴の周りの石段を踵で踏み抜き、入口を広げた。
 案外あっけなく石段が崩れたのを見て、返す返すもあの時、ロイドが裏側から上がってきたのは英断だったと感心する。
 ロイドは早速、穴の中に下りた。穴の深さは、丁度ロイドの頭が隠れるくらいだとわかった。結衣も穴の縁に座り、ロイドに手を貸して貰って、穴の中に下りた。
 穴の中には、王宮の方に向かって横穴が穿たれている。
 ロイドは白衣のポケットからペンライトを取り出し、横穴の奥を照らした。少し先で横穴は、垂直な壁に突き当たっていた。
 まさか仮説が見当違いだったのかと、結衣がガッカリしていると、ロイドがライトを少し動かして、突き当たりの壁の下に、穴が続いている事を発見した。
「先がありそうだな。行ってみるか」
「うん」
「足元気をつけろよ」
 ロイドは結衣の手を握り、先に向かってゆっくり進み始めた。
 少し天井の低い横穴を、背の高い二人は身を屈めてゆっくり進む。やがて突き当たりにたどり着き、ロイドがライトで下を照らした。
 壁の下には、更に地下へと続く狭い石段が、暗闇の中に消えていた。
「明らかに人工物だ。おまえの仮説が、いよいよ信憑性を帯びてきたな」
 そう言って振り返ったロイドは、宝物を見つけた少年のように目を輝かせていた。自分もわくわくしてきたが、それ以上にロイドの方が冒険に胸を躍らせているようで、結衣はなんだか楽しくなってきた。
 古い石段はいつ崩落するとも限らない。ロイドは一段ごとに足元を確認しながら慎重に下りていく。
 少し下りたところで石段は終わり、通路は右に折れ曲がっていた。そのまま真っ直ぐ進むと、突き当たりから更に下へ石段が続いていた。
 結衣がロイドの後ろから覗き込むと、石段の終わりが見えていた。床が青白い光に照らされている。
「灯りが点いてる。誰かいるの?」
 結衣が尋ねると、ロイドは石段を下りながら答えた。
「いや、おそらく遺跡だ。遺跡の装置は常に青白く光っている」
「本当? じゃあ、この下に……!」
 ロイドは立ち止まり振り返ると、興奮した結衣の頭をひと撫でした。
「自分の目で確かめろ。行くぞ」
 はやる気持ちを抑えつつ、ロイドの後について、ゆっくりと慎重に石段を進む。そして石段の終わりにたどり着いた。
 下りてきた石段の通路から一歩踏み出すと、そこには青白い光に包まれた、広大な空間が広がっていた。
 結衣は息を飲んで、周りを見渡す。
 天井の高さは二メートルくらいだろうか。ロイドの頭より少し高いくらいだ。広大な空間には不思議な模様の刻まれた直径一メートルくらいの太い円柱が林立し天井を支えている他は、見渡す限り何もない。結衣はまるで海の底の古代神殿にでもいるような、不思議な感覚を覚えた。
 柱の他に唯一あるのは、先ほど下りてきた通路の左側に当たる場所に、青白い光を放つ謎の機械装置だけだ。モーターの回るような、低く静かにうなる音が周りに満ちている。
 謎の機械装置は五十センチほどの高さの、直径二メートルはある大きな円盤状の台座の中心に、広間にあるのと同じくらいの太さの円柱が立っている。
 台座の上には中央の円柱を囲むように、間隔がまちまちな年輪を思わせる同心円の溝が刻まれ、不規則に青白い光が明滅していた。
 中央の柱には迷路のような模様が刻まれ、その迷路をたどるように青白い光が素早く行き来している。
 装置から二メートルくらい間隔を置いて、装置を取り囲むように壁が丸く抉られている。その壁の一部にボタンやレバーの並ぶ操作パネルのような物があった。ロイドは早速そこへ歩み寄る。
「これが遺跡の装置なの?」
 結衣は円柱を眺めながら、ゆっくりとロイドの側まで歩いた。
 ロイドは操作パネルの上や、周りに刻まれた模様を、触らないように指先でなぞりながら、こちらに見向きもしないまま「ああ」と短く答えた。
 よく見ると、壁には一面不思議な模様が刻まれている。文字のようにも見えるが、結衣の知っているクランベールの文字とは違うようだ。
 壁に刻まれた模様を興味深く眺めていると、突然ロイドがこちらを向いて結衣を抱きしめた。
 結衣が驚いて小さな悲鳴を上げたが、ロイドはかまわず興奮したように言う。
「すごいぞ、ユイ! おまえの言った通りだ。この遺跡は、おそらくメイン制御装置だ」
「他の遺跡とは違うの?」
「あぁ。第一、天井が抜けてない」
 ロイドは結衣から離れて、円柱の上の天井を指差した。
 他の遺跡の装置は、目の前にある物より、柱も円盤も一回り小さいという。そして、装置の真上の天井には丸い穴があり、空が見えている。その穴から、時々天に向かって光を放っているのだ。
 当然操作パネルなどないし、壁には文字が刻まれていない。そのため、装置が何なのか分からなかったのだ。
「これ、やっぱり文字なの?」
「古代文字だ。オレにはほとんど分からない。ブラーヌに解読して貰おう。あいつ、まだ家にいるかな。しばらく資料の整理をするとは言っていたが……」
 独り言のようにつぶやきながら、ロイドはポケットを探り通信機を取り出した。片割れをローザンに渡してある黒い方だ。それを眺めて、ロイドは小さく舌打ちした。
「やはり地下じゃ通じないか……。仕方ない。一旦上へ出て、ローザンにブラーヌを足止めして貰おう」
 結衣は少し驚いて、奥の方を指差した。
「先に奥を調べないの? あ、もしかしてブラーヌさんしか古代文字を読めないとか?」
「いや、そうじゃないが。こんな大発見、遺跡が大好きなあいつに、真っ先に知らせてやりたいじゃないか」
 当然の事のように胸を張って言うロイドに、結衣は思わず微笑んだ。
 変わり者だとか、親じゃないとか言ってけなしていたが、ロイドの中でブラーヌは、やはり特別な存在のようだ。
「うん、そうね。きっと、すごく驚くわよ」
 笑顔で答えて、結衣はロイドと共に先ほど下りてきた通路に向かって歩き始めた。
 通路に入る間際、名残惜しそうに遺跡の奥に視線を向ける。すると、装置の光が届かない奥の薄暗がりで、何かが素早く横切るのが見えた。
 結衣は咄嗟に、すでに通路に入っていたロイドの白衣を引っ張った。
「ロイド、何かいる!」
「何? どこだ?」
 ロイドは通路から出てきて、結衣の横に並んだ。結衣は奥の方を見つめたまま指差す。
「そこから三つめの柱の影を何かが横切ったの」
「人か?」
「わかんない」
 二人で黙ったまま、しばらくの間奥の暗がりを凝視していると、件の柱の影から何かがこちらに向かって飛んできた。
 近付くにつれて姿が露わになってきたそれは、手の平ほどもある大きな昆虫だった。
 ブーンと低く響く羽音に恐怖を感じた結衣が、逃れようと横を向いた時、飛んできた昆虫が腕に留まった。
 腕に掴まる昆虫の細い足の感触に、全身総毛立った結衣は、半狂乱で叫びながらロイドにしがみついた。
「いやーっ! でっかい虫ーっ! 取って、取って!」
 ロイドは腕から昆虫を引きはがすと、結衣の背中をポンポン叩いた。
「落ち着け。ロボットだ」
「え?」
 結衣は顔を上げて、ロイドの捕まえた昆虫に視線を移した。
 モゾモゾと動いている六本の足は、確かに金属製だ。丸くて赤い背中は、テントウムシだろうか。地下にいる虫には見えない。
 結衣は納得してロイドから離れると、大きく安堵の息をついた。
「びっくりした。遺跡には謎の装置だけじゃなくて、ロボット虫もいるの?」
 揶揄するように結衣が尋ねると、ロイドは真顔で答えた。
「いや。これは以前オレが殿下に差し上げた物だ」
「え? 昆虫ロボットって、部屋にある奴以外にもあったの?」
「あぁ。いくつか差し上げた。こいつはその内のひとつだ」
「じゃあ、王子様は、やっぱりここに来たのね」
「そのようだな。おまえの仮説は、ほぼ立証されたって事だ」
 それを聞いて結衣は、棚上げにしていた最後の謎の答えを思い付いた。
「ねぇ。もしかして、王子様がジレットに教えるって言った秘密って、この遺跡の事じゃないの?」
 ロイドは昆虫ロボットの腹を探り、スイッチを切るとポケットに収めた。
「目に見えるもので、見たら驚くものだったな。確かにこの遺跡はその通りだが、東屋の下の入口は、おまえが踏み抜くまで塞がれていた。それに、あそこからジレット様を案内するのは、ちょっと酷だぞ」
「そうよねぇ。ドレスを着たお姫様をエスコートする場所じゃないわよね。やっぱり、この奥を調べてみる必要があるわ。もしかしたら別の出入口があるかもしれないし」
「あぁ。さっさとローザンに連絡を取って、この奥を調べてみよう」
「うん」
 結衣は改めて、ロイドと共に先ほど下りてきた石段を急いで引き返した。




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