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6. 真夜中のテラスで、結衣は手すりに縋って街の外の遺跡を見つめていた。 眼下に広がるラフルールの街は、人々も寝静まっているせいか、家々の明かりも街灯も疎らで、以前よりも薄暗い。 ロイドの報告を受けた王が、クランベール全土に遺跡が活動期に入っている事を告げた。そのため、現在遺跡の周りは立ち入り禁止になっている。 活動期にラフルールの遺跡は一時間置きに光を発する。そして三日置きに二十時とその翌々日の深夜二時に、同期を迎えて一際派手に光る事が知られ、街の人々はそれを見物するのを楽しみにしていた。 そこで、町中からでも遺跡の光がよく見えるように、現在は街灯が普段の三分の一しか灯っていない。 しばらくの間結衣は、やわらかな夜風に髪を遊ばせながら、ぼんやりとラフルールの遺跡の方角を眺めていた。 日本では真夏の一番蒸し暑い季節だったが、クランベールは随分過ごしやすい。ちょうど梅雨に入る前の一番爽やかな頃の気候に似ていた。 クランベールは一年を通して、ずっとこんな感じだという。寒暖の差がほとんどないらしい。快適なのはいいが、四季がないのは少し退屈かもしれないと結衣は思った。 やがて時が来て、結衣の見つめるラフルールの遺跡が光を放ち、すぐに消えた。何度見ても不思議な光景だ。 次に光るのは一時間先だが、結衣はそのまま手すりに縋って、ぼんやり外を眺め続けた。 「ユイ」 突然背後から名前を呼ばれ、結衣は笑顔で振り返る。仕事を終えたロイドが部屋に戻ってきたのだ。 彼はテラスに出ると、真っ直ぐ結衣の元にやって来る。結衣も歩み寄ると、互いに抱きしめ合った。 ロイドは早速メガネを外すと、宣言通り思う存分キスをする。 これがあの日以来、毎夜の恒例行事となっていた。 エロ学者のくせに、キス以上の行為に及ぶ事はなかった。頑固なロイドは、王子が見つかったらという約束を頑なに守るつもりらしい。そしてそれは、彼が王子の捜索を諦めていないという証だ。 地下の探検からすでに十日が経っていた。依然として王子は見つかっていない。 王宮地下の遺跡には、予想通り別の出入口が存在した。遺跡の奥にあるその出入口は、霊廟にある棺の中に通じていた。 ロイドが王に報告し尋ねたところ、王は遺跡の事も霊廟の抜け道も、先代から聞かされてはいなかったらしい。先代も知っていたかどうか不明だ。 ローザンが足止めし、ロイドの連絡を受けたブラーヌが、翌日から地下遺跡の調査にやってきた。 あと少し連絡が遅れていれば、ブラーヌは旅に出てしまうところだったというので、奥を調べる前にローザンに連絡して正解だったと言える。 ブラーヌは調査にやってきてから、ずっと地下遺跡内にいる。王が客室を用意してくれたが、いつでも好きなように調査がしたいという理由で、寝袋を持ち込んで遺跡内に寝泊まりしている。 言い聞かせておいても時間を忘れて没頭するので、食事と同期の時には、ロイドが連れ出しに行っていた。 調査中のブラーヌは、他の事には上の空なので、結衣も正体を明かさず王子として接している。 結衣はブラーヌと、ほとんど話した事はないが、彼は外見から変わり者の匂いを漂わせていた。 白髪交じりの赤茶色の髪はいつもボサボサで、顔には無精ひげを生やしている。ロイドと同じくらい長身だが、ロイドよりかなり痩せていた。 いつも着古したヨレヨレのシャツと作業着のようなズボンの上に、作業着のような上着を羽織り、年季の入ったトレッキングシューズを履いている。他の服を着ているのを見た事がない。 同期時に研究室に連れてこられ、所在なげにボーッと立ち尽くしている姿は、枯れ木が立っているようだ。 明るい茶色の瞳は、いつもトロンと眠そうで、どこを見ているんだか、ぼんやりしている。ところが遺跡の事を語り始めると、見違えるほど輝き始める。そんなところは、ロイドとよく似ていると結衣は思った。 ブラーヌの調査の結果、地下遺跡の装置は、やはり全遺跡のメイン制御装置である事が判明した。 これでいつでも活動期を引き起こす事ができると思ったら、そんなに都合よくは行かないようだ。 機械には疎いブラーヌが、ロイドと協力して装置を調べた結果、操作パネルには様々な機能が集約されている事がわかった。 全遺跡同時作動スイッチと各遺跡の個別作動停止スイッチに三十年と三十日を数えるカウンタ、そして各遺跡ごとのエネルギー残量を示す計器が備えられていた。 何が稼働エネルギーになっているのかは、もう少し詳しく調べてみなければ分からない。だが、計器の示す残量はあとわずかとなっている。 ロイドが計測したところ、同期後に急激に残量が減る事が分かった。彼の見解では、遺跡は三十年かけて何らかのエネルギーを蓄積し、活動期にそれを放出している。今回、三年早まったせいで、三十日間丸々活動できるか怪しいらしい。 三十年という期間は、百パーセントのエネルギーを溜めるには余裕を持たせているはずだが、二十七年で百パーセントかどうかは微妙だという。 機械とはそういうものらしい。必要な性能より、限界値は多めに作られているのだ。 制限速度が百キロと法律で定められていても、百キロ位下のスピードしか出ない車はないのと同じ事のようだ。 残量と同期時に使用されるエネルギー量を元にロイドが計算した結果、活動期は一日短くなる可能性があるという。 ということは、同期が起こる回数は残り三回。最後の一回は結衣が日本に帰るために使われるので、異世界を検索できるのは、あと二回だ。 人捜しマシンは全世界の検索にかかる時間が、一秒を切るまでに処理の高速化が成功していた。同期の十秒間は、ほとんど異世界の検索に使われている。 終了サインは出るようになったが、王子を見つける事はできていない。 ロイドは検索条件を変更しながら、検索を繰り返していた。 内心は焦って苛ついているに違いない。けれどロイドは、普段と変わりない様子で、ブラーヌの世話を焼いたり、結衣のケーキを食べながらローザンと談笑したりしている。 地下遺跡の発見はロイドの負担を増やしただけで、王子の捜索には何のメリットもない。結衣は余計な事をしてしまったようで、ロイドに申し訳なく思っていた。 毎夜キスを堪能した後も、ロイドは結衣を抱きしめたまま放さない。そして少しの間、他愛のない話をした後、それぞれの部屋に戻る。 刻一刻と終わりの日が近付くにつれて結衣は、部屋に戻りひとりになった時の寂しさが、次第に大きくなってきた。 ここ二、三日は必ず涙が溢れ出す。 少しでも長くロイドと一緒にいたい。もっとロイドと話がしたい。もっとロイドと触れ合いたい。そして何より、ロイドと別れたくない。 でもそれを口に出せば、またロイドを追い詰めてしまう。彼が平然としているように見えるのは、きっと歯止めのせいだろう。 本当のところ結衣は、ロイドが求めるなら応じる覚悟はとっくに出来ていた。 このまま日本に帰って、二度とロイドに会えなくなったとしても、彼以上に誰かを好きになれるとは思えなかったからだ。 その内、しびれを切らした親や親戚の薦めで見合いでもして、特に嫌いじゃなければ妥協して結婚し、それなりに幸せな家庭でも築くのだろう。妙にリアルにそんな事を考えていた。 だとしたら、せめて「初めて」は、自分が心底好きになった人に捧げたい。 「ロイド……」 ソファに座って、静かに泣きじゃくる結衣のひざに、小鳥が舞い降りてピッと返事をした。 結衣は泣き止み、小鳥を見つめた。 「あなたとも、もうすぐお別れね」 『ユイチャン、カワイイ』 慰めてくれているような気がして、結衣は小鳥を手の平に乗せて頭を撫でた。 小鳥は、日本にはあり得ないクランベールの科学技術で作られている。連れて帰るわけにはいかない。 結衣は小鳥のくちばしにキスをして電源を切ると、隅の机の上に置いた。そして、部屋の灯りを消し、寝室に向かった。 翌朝、結衣は三時のケーキの材料を厨房で確保した後、研究室に入った。 今日は二十時に同期が起きるので、ローザンはそれに合わせて昼前頃にならないとやって来ない。研究室にはロイドがひとりでいた。 挨拶を交わした後、結衣は給湯コーナーに向かう。 時間的に余裕もないので、結衣はロイドの邪魔をしないように、休憩時間以外はなるべく話しかけないようにしていた。 だが、少し前から気になって仕方のない事が、頭の中で日増しに膨らみ、どうしても訊いてみたくなった。 お茶の時間には少し早いが、そのためにお茶を淹れる事にした。 お茶を運んで声をかけると、ロイドが壁の時計を眺めながらやって来た。 「今日は少し早いな」 「うん。ちょっと気になる事があって……」 二人は机を挟んで、向かい合わせの席に着いた。 「なんだ?」 ロイドがいつもの激甘茶をすすりながら尋ねる。結衣は身を乗り出して問いかけた。 「あの人捜しマシンって、毎回、王宮内も検索してるの?」 結衣の仮説で立証されたのは、遺跡に関する事だけだ。他の事は推測の域を出ていない。特に王子の行方については、一番当てにならない。 これだけ何度も、異世界まで捜しているのに、見つからないのはおかしい。 以前ロイドは一笑に付したが、王子は王宮内にいるような気がしてならない。 あの時ロイドは、王宮内は捜索隊が地下の霊廟に至るまで隈無く捜索し、王宮外はロイドのマシンが捜していると言った。 ロイドのマシンは王宮外しか捜索できないのではないか? もしもその時、王子が地下遺跡にいたのなら、捜索の網から漏れているのだ。 だがロイドの答えは、結衣の期待を大きく裏切る。 「あの時は確かに検索範囲に限定があったから、王宮外しか捜索していなかったが、今は限定解除されている。全域検索対象だ」 「じゃあ、どうして私のいた場所の座標が記録に残っているの?」 「おまえの座標は、王宮内でも王宮外でもないからだ。転送したのはオレのマシンじゃないし」 「そっか……」 結衣はガックリ肩を落として、大きくため息をついた。 「じゃあ、もしかして毎回、私がヒットしてるの?」 「いや。検索はしているが、王宮内の検索結果は無視するようにプログラムしてある」 「どうして? それじゃ検索していないのと同じじゃない」 ロイドは渋い表情をする。 「転送機能オンにしたら、ヒットするたびに転送確認が入って、検索が中断されるんだ。毎回おまえがヒットして中断してたら、十秒以内に終わらない。そのためだ。だが確かに盲点ではあるな。転送なしで検索だけ、してみる価値はある」 「今から?」 結衣が嬉々として尋ねると、ロイドは首を振った。 「今は無理だ。それを試すには内蔵プログラムの変更と、基盤への焼き付けが必要になる。大した変更じゃないが、もしもバグってデグレードしたら、今夜の異世界検索に支障がある。明日の朝、試してみよう」 「うん……」 結衣は俯いて自分のカップを手に取った。 思い切りガッカリしたのが顔に出ていたようで、ロイドがクスリと笑って身を乗り出すと、結衣の頭を撫でた。 「おまえは、やっぱりおもしろい。かなりニブイ奴だと思っていたが、案外鋭いな」 「それって褒めてるの? けなしてるの?」 結衣が口をとがらせると、ロイドはクスクス笑いながら立ち上がった。 「もちろん、褒めてる」 そしてカップを持って流しへ向かう途中、結衣の横で立ち止まり、独り言のようにつぶいた。 「明日の朝、殿下が見つかったら、夜が楽しみだな」 「……え……」 ドキリとして結衣が見上げると、ロイドは意味ありげな笑みを浮かべ、横目で結衣を見下ろしていた。そして更に独り言のように言う。 「あぁ、今夜見つかるかもしれないな。どっちにしろ楽しみだ」 結衣が絶句して引きつり笑いを浮かべると、ロイドはおもしろそうに笑いながらその場を立ち去った。 結局その夜の異世界検索で、王子は見つからなかった。 いろんな意味でガッカリしたのと同時にホッとしたような、そして残りあと一回となった焦りと、様々な感情が結衣の胸の中を去来した。 だが、まだ王子捜索に関しては落胆していない。今夜、異世界で見つからなかった事が、返って王子が王宮内にいる事を示しているようで、明日の朝が待ち遠しく思えた。 夜に異世界検索のあった日は、ロイドも結衣と共に部屋に引き上げる。 それぞれ自分の部屋を通り抜け、そのままテラスへ直行するのだ。 王子の部屋に戻った結衣は、部屋の灯りを点け、いつも通りまっすぐテラスに向かおうとする途中、ふと立ち止まった。 浴室に灯りが点いているのだ。 不審に思い、そっと扉を開く。脱衣所には誰もいない。 その時、浴場に続く奥の扉の向こうから、ピチャピチャと水に濡れた足音が、近付いて来るのが聞こえ、結衣はギクリとして硬直した。 まさか、客室の幽霊は本物だったのだろうか。そんな事を考えている隙に足音はすぐそこまでやって来た。磨りガラスに、ぼんやりと人影が見える。 幽霊ではなく人だと思った瞬間、結衣は人騒がせな犯人を捕まえてやろうと思い、脱衣所に駆け込むと奥の扉を一気に開いた。 目の前に現れたのは鏡? 驚きに見開かれた黒い瞳。多分自分も同じ表情をしている。だが長い黒髪は水に濡れて、滴を滴らせている。 服を着ていないその身体は、自分より少し筋肉質だ。いくらなんでも、ここまで胸は真っ平らじゃない。 結衣の視線は更に下がる。 そして自分とは明らかに違うものを目にした途端、目の前の鏡像がそこを両手で素早く覆い隠した。 結衣は慌てて視線を上げる。 少しの間見つめ合った後、二人は同時に悲鳴を上げた。 「キャアァァ――――ッ!」 「うわぁぁ――――っ!」 二人分の悲鳴を聞きつけて、ロイドがテラスから駆け込んで来た。 「ユイ! どうした?!」 脱衣所から飛び出した結衣は、リビングにロイドの姿を見つけ大声で呼んだ。 「ロイド!」 ロイドは結衣の姿を認めると、駆け寄って抱きしめた。 「おまえ、また鍵が開いてたぞ。何があった?」 結衣はロイドにしがみついたまま、黙って浴室の中を指差した。 ロイドは不思議そうに結衣を見つめた後、浴室に顔を向けた。ロイドの目が一気に見開かれる。 「殿下……?」 やはりレフォール王子だったのだ。 結衣は恐る恐る浴室の方を向いた。 腰にタオルを巻いた王子が、照れくさそうに笑いながら首をすくめた。 「見つかっちゃったね」 |
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