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7.



 廊下をせわしげに近付く音が聞こえ、王子の部屋の扉がノックされた。
「殿下、いかがなさいましたか?」
 ラクロット氏が騒ぎを聞きつけてやって来たようだ。
 結衣はロイドから離れ、部屋の扉を開ける。ラクロット氏が心配そうな顔で、再び問いかけた。
「どうかなさいましたか?」
 すると、レフォール王子が浴室から顔を出した。
「あ、ラクロット。ちょうどよかった。髪を乾かすのを手伝ってよ」
「え……殿下……」
 ラクロット氏は目を丸くして、王子と結衣を交互に見つめた。奥から落ち着きを取り戻したロイドが王子とラクロット氏に声をかけた。
「殿下、まずは服をお召しください。お話はその後でお伺いします。ラクロットさん、お願いします」
 ロイドに言われ、ラクロット氏は「かしこまりました」と答え、部屋に入ってきた。
 ラクロット氏が浴室に入るのを見届けて、結衣はロイドと共にリビングへ向かった。
 時間が経つにつれ、混乱した頭が落ち着いてくると、王子が見つかった安堵感よりも、王子の軽い調子が不愉快で、結衣はなんだか苛ついてきた。
 ロイドと並んでソファに座り、苛々しながら問いかける。
「いったい、どういう事?」
「おまえの読みが当たってたって事だろう。詳しい事は、これから伺うとしよう」
 二人は共に黙り込んだ。
 王子の様子を思い出すと、結衣の眉間には自然にしわが刻まれる。
 これだけ長い間、行方をくらまして、皆が心配していた事くらい想像がつくはずだ。あの様子では、誰かに拘束されていたというより、自分で隠れていたとしか思えない。
 なのに、ちっとも反省の色が見えない。そう考えると、苛々を通り越して、腹が立ってきた。
 そこへ浴室の扉が開き、身なりを整えた王子とラクロット氏が姿を現した。ロイドが席を立つのを見て、結衣も席を立つ。
 服を着て髪を束ねた王子は、遙かに堂々としている事を除けば、まるで鏡を見ているように自分と瓜二つだ。
「待たせたね。何から話そうか」
 ラクロット氏を従えて、リビングに入ってきた王子は、相変わらず軽い調子でロイドに向かい、笑顔を見せた。
 その様子に結衣は、とうとう我慢できなくなり、つかつかと歩み寄ると、王子の頬を思い切り叩いた。
「なに笑ってんのよ!」
「ユイ!」
 ロイドが慌てて、後ろから結衣を抱きかかえて、後退させた。
 王子は頬を押さえ、目を見開いたまま、黙って結衣を見つめている。結衣はロイドの制止も気にせず言葉を続けた。
「みんながどれだけ心配したか、わかってんの? あなたの事、あんなに溺愛している王様を心配させて、少しは反省しなさいよ! この、バカ王子!」
「やめろ、ユイ!」
 尚も王子に詰め寄ろうとする結衣を、ロイドは視界を遮るように前に回って押し止めた。そして、顔だけ振り向いて王子に頭を下げる。
「申し訳ありません、殿下。こいつは異世界の人間で、この世界の流儀をわきまえておりません。代わりに私がどのようなお咎めもお受けいたしますので、こいつのご無礼はどうかお許しください」
「何言ってんのよ! どう考えたって、悪いのはこの子じゃない。あなただって……」
「いいから、おまえは黙ってろ!」
 怒鳴りながらロイドは、結衣の両肩を掴んで強く揺すった。その迫力に気圧されて、結衣は押し黙る。
 少しの間、部屋が静まりかえった。
 ロイドは振り返り、改めて王子に頭を下げた。
「本当に申し訳ありません、殿下」
 すると王子はロイドを見つめて、クスクス笑い始めた。結衣は黙って王子を睨みつけた。
 王子はロイドの肩を軽く叩くと、笑顔のまま言う。
「いいよ、ロイド。顔を上げて。ロイドを罰したりはしないよ。もちろん、ユイもね。だって、ユイの言う通り、悪いのは僕だもの。心配かけて、ごめんね」
「寛大なご処置、痛み入ります」
 ロイドはそう言うと、顔を上げた。王子はロイドの顔を見ると、益々おもしろそうにクスクス笑う。
「それにしても、話には聞いていたけど、ロイドって相当ユイの事が気に入ってるんだね。こんなに取り乱したの、初めて見たよ」
 言われてみれば、確かに取り乱していた。だが、話に聞いたって、誰から?
 結衣が眉をひそめて考え込んでいると、ロイドが振り返り、無言のまま睨んだ。言わんとする事は分かっている。結衣は王子を見つめて口を開いた。
「レフォール殿下、叩いた事は謝るわ。あと、暴言を吐いた事も。だけど、私は間違った事を言ったとは思ってないから」
「おまえは!」
 振り返って結衣に詰め寄るロイドの腕を王子が掴んだ。
「いいって」
 そして王子は、笑って結衣に告げた。
「ユイ、安心していいよ。父上には心配かけてないから。父上は全部知ってる。ね、ラクロット」
「は……はぁ……」
 突然、話を振られて、ラクロット氏はしどろもどろに返事をする。――ということは、王子と王とラクロット氏はグルだったという事だろうか。
 最初に王子の失踪を告げたのはラクロット氏だと聞いている。さすがにロイドも厳しい表情でラクロット氏を問い詰めた。
「ラクロットさんも最初から知ってたんですか?」
 ラクロット氏は気まずそうにロイドを見つめて答えた。
「いえ、私が知ったのは、ユイ様が東屋でケガをされた後です。ヒューパック様が殿下を狙った犯行ではないかと言うので、陛下にご報告申し上げたところ、あまり事を荒立てないようにと、真相を伺った次第です」
「立ち話もなんだから、みんな座って話そうよ」
 王子が促して、全員でソファに移動する。王子が上座の一人掛けのソファに座り、その横にラクロット氏は立ったまま控えた。結衣とロイドは先ほどと同じように二人並んで座る。
 皆が注目すると、王子は順を追って、真相を語り始めた。
 結衣がクランベールにやって来た一週間前、王子は東屋の石段を踏み抜き、偶然、地下遺跡を発見した。その後も何度が探検に出かけ、ジレットに見せてあげる約束をしたという。
 誰かに見つかると探検できなくなると思い、東屋の石段を復元しておいて、もっぱら霊廟から出入りしていたらしい。
 そして失踪した当日、午後から王に呼ばれていた事を忘れ、少し遺跡に長居をしすぎた。思い出して王の元に行ったところ、騒ぎになっている事を知ったという。
 ロイドが自作マシンで捜索を行う事を聞いて、王子はイタズラ心が湧いてきた。
「多分すぐに見つかるだろうと思ったけど、ロイドのマシンとかくれんぼしてみたくなったんだ。だから父上にお願いして、僕が王宮内にいる事は黙っててもらったんだよ」
 王もまさか、ここまで事が深刻化するとは思ってもみなかったのだろう。溺愛する息子のお願いに頬を緩める王の姿が目に浮かぶようだ。
 王子は王の承諾を得て、再び地下に潜り、うっかり謎の装置の全遺跡同時作動スイッチを押してしまったのだ。
 時を同じくして、ロイドの人捜しマシンが作動した。そして結衣が現れた。
 遺跡の装置は、ちょうどロイドの研究室の真下に位置するらしい。
 結衣の出現により、事態は王子の思わぬ方向に動き始めた。
「どうして、すぐに出て来なかったのよ」
 結衣が非難するように尋ねると、ロイドがすかさず額を叩いた。
「タメ口きくな」
 結衣は額を押さえ、ムッとした表情でロイドを睨む。王子はおもしろそうにクスクス笑った。
「かまわないよ。ユイは他人のような気がしないし、ロイドと同じ僕の友達だよ。ロイドだってかまわないのに、律儀だよね」
 そして王子は、意味ありげな視線をチラリとロイドに向ける。
「僕は、すぐに出て行こうと思ったんだけどね。父上がユイを気に入っちゃって、どうしてもロイドのお嫁さんにしたかったみたいで、もう少し二人が仲良くなるまで見守りたいって言うから……」
 ロイドは居心地悪そうに、王子と結衣から視線を逸らして、天井を見上げた。
 今思えば、王は溺愛する王子の行方より、ロイドと結衣の結婚の方ばかり気にしていたような気がする。所在を知っていたなら、王子の行方など気にならなくて当然だ。
「今まで、どこにいたの? ずっと遺跡にいたわけじゃないんでしょ?」
 結衣が再び問いかけると、王子は平然と言う。
「遺跡にいた事もあるけど、普通に王宮内にいたよ。二日目は父上の部屋にいたけど、三日目からはユイがロイドの研究室にずっとこもってたから、僕は普通に王宮内のいろんなところにいたよ。ユイとロイドの動きはラクロットが知らせてくれてたしね」
「夜は王様の部屋にいたの?」
「うん。最初の日だけ客室に泊まったんだけど、お風呂にタオルがなくってさ。捜して歩き回ったら、幽霊がいるって騒ぎになっちゃって、二日目からは鍵をかけられて入れなくなったんだよ」
 結衣は思わずため息をつく。
「やっぱり、あなただったのね。厨房の料理を持って行ったのもあなたでしょ」
 結衣が指摘すると、王子はふてくされたような表情で腕を組み、抗議する。
「だって、僕の食事はユイが食べちゃうんだもの。父上がこっそり分けてくれてたけど、全然足りないよ」
 王宮内を探検したときに知ったが、王子はラクロット氏に内緒で、時々厨房で間食していたらしい。確かに食べ盛りの少年には、他人の食事の一部では足りないのだろう。
 王子はイタズラっぽく笑うと結衣を見つめた。
「ユイが頻繁に厨房に出入りするから、僕が行っても怪しまれなくて助かったよ。ロイドがうらやましかったな。毎日おいしそうなお菓子を食べられて」
 そして王子は思い出したように手を打った。
「あ、あれ、おいしかったよ。この部屋に置いてあった紙袋に入ってたお菓子」
 何の事か分からず、結衣は一瞬キョトンとした。――が、すぐに思い出した。
 二日目の朝、厨房で貰ったカップケーキの事だ。夕方、食べようと思ったらなくなっていて、てっきりラクロット氏かロイドに処分されたと思い込んでいた。
「あれ、あなたが食べたの?」
「うん。ユイが外に出た隙に、おもちゃを取りに来て、偶然見つけたんだ」
 結衣はガックリと肩を落とす。
「あれは私じゃなくて、パルメが作ったの。もう。後で食べようと思って、楽しみにしてたのに……」
「そうだったんだ。でも彼女のお菓子も、おいしいよね」
 そう言った後、王子はロイドを見つめてクスクス笑い始めた。
「僕ね、何度も見つかったって思ったんだけど、ロイドったら、いつもは冷静で頭が切れるのに、ユイが絡むと、おもしろいほど判断力が鈍るんだよ。ユイが東屋の石段を壊したとき、後でロイドが調べに来たって言うから、てっきり遺跡が見つかって、僕が隠れていた事がばれるだろうと思ったのに、なんだか陰謀説になっちゃったし。ユイが攫われそうになった後は、僕が異世界に飛ばされた事になって、びっくりしちゃった」
 楽しそうに語る王子の声を聞きながら、ロイドはきまりが悪そうに黙って目を伏せている。
 王子が異世界に飛ばされたかもしれないと分かったとき、ロイドがどれだけ心を痛めていたか、結衣は知っている。あの時のロイドの様子を思えば、笑い事ではない。
「笑わないでよ。ロイドは本当にあなたの事を心配して、悩んでたんだから」
「言うな、ユイ」
 王子を非難する結衣を、ロイドは静かに制する。王子は微笑んでロイドを見つめた。
「ごめんね、ロイド。ロイドが心配してるだろうとは思ったけど、父上とラクロットの話を聞いてると、ロイドのマシンがどこまで進化するのか、ちょっと興味があったんだ」
「いえ、お気遣い無用です」
 そう言ってロイドは軽く頭を下げた。王子は小さく頷いて結衣に視線を移す。
「でも、ユイは目ざといよね。遺跡に気付いたのもユイでしょ? あの時は、今度こそ見つかったと思ったもの」
「あの時?」
 結衣が首を傾げると、王子は身を乗り出して指差した。
「ほら、二人で遺跡に来たとき、帰り際に誰かいるって気付いたじゃない」
「あれ、あなただったの?」
 結衣は呆れて目を丸くする。王子はにっこり笑って頷いた。
「うん。咄嗟にロボットを放ってごまかしたら、あっさり引き下がってくれて助かったよ」
 そして王子はからかうように、ロイドの顔を覗き込んだ。
「もしかして、誰かいると思ったけど、深追いしてユイが危険な目に遭ったら困るから引き下がったの?」
「いえ、そういうわけでは……」
 先ほどから、ずっとからかわれてばかりで、ロイドが借りてきた猫のように小さくなっているのが、なんだかかわいそうになってきた。
 本当なら王子は、明日の朝ロイドのマシンで見つかっていたはずなのだ。ロイドも自分の手で見つけたかっただろう。
 今まで、うまく隠れていたのに、どうしてここにいたのだろう。それが少し腹立たしくて結衣が尋ねると、王子は照れくさそうに笑いながら答えた。
「うっかり間違えちゃったんだ。最近、遺跡には行けないし、ロイドが遺跡と研究室を行き来してて、あんまりうろつけないし。退屈だから読みかけの本を取りに来たんだ。それで、どうせユイは真夜中まで帰って来ないと思って、お風呂も済ませようと思ったら見つかっちゃった。ラクロットにさっき聞いたけど、真夜中は明日だったんだね」
 あまりにも、うっかり過ぎる結末に、結衣は一気に脱力した。
 大きくため息をつく結衣をよそに、王子はさっさと話を切り上げた。
「じゃあ、僕は今日から部屋に戻るから、ユイはロイドのところに泊まってね」
「えぇ?! なんでよ! 王様のところにいればいいじゃない」
 結衣が驚いて反論すると、王子は平然と言い返す。
「だって、見つかるまでって約束だったんだもん。第一、父上はイビキがうるさくて眠れないんだよ」
「じゃあ、なんで私はロイドのところなの? 客室でもいいじゃない」
「ユイは僕なんだよ。僕が客室に泊まるのは変じゃない。かといって、僕の部屋に僕と一緒に泊まったら、後々ばれたとき、僕の側室に決定しちゃうよ」
「どうして側室になるの?」
「正室はジレットだから」
「そうじゃなくて。どうして泊まっただけで側室なのよ」
 結衣がため息と共に問いかけると、王子は意地悪な笑みを浮かべた。
「泊まっただけだなんて、誰も信じてくれないよ。数年後にユイが子供を連れて来て『あの時の子です』って言ったら困るからね」
「そんなの遺伝子を調べればわかるじゃない」
 腕を組んで勝ち誇ったように胸を反らす結衣を、王子は鼻で笑った。
「何言ってんの。遺伝子なんて、いくらでも書き換えられるんだよ。特にユイには僕の遺伝子情報を自由にできるロイドがついてるし。重要なのは、僕と一夜を共にしたかどうかという事実だよ」
「……え……」
 一瞬絶句した後、結衣は気を取り直してロイドに問いかけた。
「本当に、いくらでも書き換えられるの?」
「そういう理由で書き換えるのは違法だけどな」
 科学も進みすぎると、科学捜査より既成事実の方が重要視されるらしい。
「じゃあ、納得したらロイドのとこに行ってね。僕もユイを側室にしてロイドに恨まれたくないんだよ」
 王子は席を立つと、全員を出口へ促した。そして、ラクロット氏に王への報告を頼むと、笑顔で部屋の扉を閉めた。
 廊下に出た途端、ラクロット氏がロイドに頭を下げた。
「ヒューパック様、長い間偽っていて申し訳ありません」
「気にしないでください。ラクロットさんも立場がおありでしょうし」
 ロイドがそう言うと、ラクロット氏はもう一度頭を下げ、王に報告するため、その場を去った。
 ラクロット氏を見送った後、ロイドは結衣をチラリと見た。
「来い」
と短く声をかけ、自分の部屋に向かう。
 突然目の前に湧いてきた現実に、結衣は緊張して足がすくんだ。
 王子が見つかった。――ということは……。
 ついさっきまで、明日の夜だと思い込んでいたのだ。覚悟はしていたが、いざとなると、やはり緊張する。
 自室の扉を開けようとして、結衣が動いていない事に気が付いたロイドは、少し笑って静かに言った。
「身構えるな。オレが見つけたわけじゃないんだ。何もしない」
「……うん」
 結衣が歩き始めると、ロイドがポツリと付け加えた。
「多分……」
「多分?」
 結衣はピタリと歩を止める。
 探るように見つめる結衣に、ロイドは言い訳をする。
「キスはノルマだからな。この限りではない」
 子供のような言い分がおかしくて、結衣はクスリと笑うと、ロイドに駆け寄った。
 そして、二人一緒にロイドの部屋に入った。




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