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第1話 Run

1.



 ロイドの姿を認めたランシュは、フワリと微笑んだ。その笑顔はユイが言っていた通り、あどけない少年のものだ。記憶にある、急速に老化が進む前のランシュの姿だ。
 言葉をなくして見つめるロイドに、ランシュは笑顔のまま口を開いた。
「お久しぶりです、ロイド=ヒューパック先生。二年ぶりですね」
 動揺を隠せないまま、ロイドはやっとの思いで言葉を絞り出す。
「おまえ……ランシュ、なのか?」
「えぇ」
 ランシュは一層目を細めて頷いた。
「ロイド、ベルの事、やっぱり知ってる人だったの?」
 ロイドがハッとして首を巡らせると、ユイが不思議そうにランシュとロイドを見つめていた。
「こいつはベルじゃない。ランシュ=バージュだ」
「え? だって、カード……」
 ユイの瞳が困惑に揺れる。他人のカードが使えない事は、異世界人のユイも知っているからだ。
 ランシュは全く悪びれた様子もなく、平然とユイに笑顔を向ける。
「ごめんね、ユイ。あれ、おばあちゃんのカードなんだ。騙すつもりはなかったんだけど、オレのカード使えないからさ」
「余計な事は、しゃべるな!」
 ロイドが厳しく制すると、ランシュは口をつぐみ、おどけたように肩をすくめて見せた。
「奥で話そう」
 ロイドはランシュの腕を掴み、店の奥へ向かう。奥の扉を開けて家の中に入ろうとすると、後ろからユイがついてきた。
「じゃあ、お茶淹れるわね」
 振り返ったロイドは、それを冷たく拒絶する。
「いい。かまうな。というより、悪いが席を外してくれ」
 ユイは立ち止まる。笑顔が消えて、表情を硬くした。
「局の話?」
「あぁ」
 ロイドが短く答えると、ユイは淡く微笑んだ。
「じゃあ、私は店にいるから、終わったら声かけてね。私もあなたに話があるの」
「わかった。すまない」
 ロイドはランシュと共に家に入ると、扉を閉じた。
 機密だらけの科学技術局内の事を外部に漏らせば、守秘義務違反で罪に問われる。ユイもそれは承知していた。
 ロイドは科学技術局の局長という立場にある。とはいえ局内の事が全件ロイドに一任されているわけではない。重要な決定事項はロイドを含めた数名の幹部局員が、協議の上で決定する事になっていた。
 ロイドはリビングのソファにランシュを座らせ、自分もその斜め前に座る。
 訊きたい事は山ほどある。何から訊いたらいいのか迷って、ロイドが黙っていると、ランシュがクスクス笑い始めた。
「ユイって、あなたの奥さんですよね? 奥さんにも局の事は秘密なんですね。さすが局長。守秘義務も徹底していらっしゃる。じゃあ、オレの事も話してないんだ」
「当たり前だろう」
 ランシュは存在自体が、科学技術局のトップシークレットだ。
 二十年前、科学技術局の人工子宮から、ランシュは生まれた。
 当時、科学技術局のバイオ科学者だった彼の母親クロワゼ=バージュが、自らの卵母細胞と事故死した夫の体細胞から、助手を欺き、法に背いてランシュを作った。
 それが発覚したのは、ランシュが産声を上げた後だった。
 ヒトクローンの作成は前陛下の勅命により、二十七年前から法律で禁止されている。
 さすがに生まれたものを殺すわけにはいかないので、ランシュは生まれた時から科学技術局の監視下に置かれ、局内で生活していた。
 ランシュの母は今も服役中で、一生牢から出られない。科学者が科学に関する法を犯すと、一般人よりも遙かに罪が重いのだ。
 当時のロイドはまだ子供だったので、事件には関与していないが、国の科学のトップ機関での不祥事が、世間を騒がせたのは覚えている。
 対外的にランシュは、生後間もなく死亡した事になっている。ランシュが生きている事が知られれば、彼がいつまでも好奇の目に晒されるばかりか、科学技術局の不祥事がいつまでも人の記憶から薄れる事がないからだ。
 分別のない子供を外に出して、自身の事や局内の事を外部に漏らされては困るので、ランシュは子供の頃、科学技術局の外へ出る事を禁じられていた。
 外出と、外部と接触する可能性のある見学コース、面会エリア、各研究室への出入りは制限されていたが、それ以外の局内は自由に動けた。
 もっとも、各研究室の出入りは、局員たちもそれぞれ制限されているので、ランシュだけ特別というわけではない。本人も生まれた時からその環境になれているせいか、特に疑問にも思っていなかったようだ。
 外出禁止のランシュは、学校にも行っていない。局員が交替で勉強を見ていた。
 入局して間もない頃、ロイドもランシュの教育担当になったことがある。機械工学に興味を持ったランシュは、ロイドになついていた。
 その頃の名残で、ランシュは今でもロイドを”先生”と呼ぶ。
 ランシュは知能が高く、知識欲も旺盛で、十六歳の時その天才的な頭脳が認められ、ロイドの助手として科学技術局の局員となった。
 局員となる事で責任と守秘義務が課せられ、外出も認められるようになったが、常に監視はついていた。
 二年前に入院中のランシュの監視は緩かったようだが、どうやって監視の目を逃れて失踪できたのかは謎だ。
 病院を抜け出したランシュは、科学技術局に戻っている。局内随所に設置された、監視カメラに映像が残っていた。
 そこまでは足取りが掴めているが、その後局から出て行った経緯が不明だ。
 動くのもままならない状態だったランシュが、いつ、どうやって、局から抜け出したのかわからない。
 それも気になるが、今、目の前にいるランシュの姿の方が、ロイドには驚異だった。
 老人のようにやつれていた面影が、全く見られないどころか、すっかり若返っている。
 二十年前の未完成なクローン技術のせいで、ランシュの身体は十代半ばから老化を始めていた。そして二年前には、わずか数ヶ月で急速に老化が進み、動くのもままならない状態だったのだ。
「どうやって老化を止めたんだ?」
 ロイドが尋ねると、ランシュはしれっとして答えた。
「身体を入れ替えたんですよ。細胞のひとつひとつ、全部ね」
「ふざけるな。そんな事……」
「出来るわけないって?」
 ロイドの言葉を遮って、ランシュは小馬鹿にしたように笑う。
「あなたがそんな事言うんですか。科学者が最初から出来るわけないって考えるなって言ったのは、あなたですよね」
 ロイドは言葉を飲み込み、ランシュを睨む。
 全身の細胞に遺伝子治療を行う事が出来る科学者や医者がいる事を、ロイドは把握していない。
 ランシュは表情を緩め、イタズラっぽく笑った。
「詳しくは、ナイショです」
 もしも可能だとしても、公開されていない技術で行ったとなれば、それを行った者は罪に問われるだろう。ランシュが恩人のそいつを売るわけがない。
 ロイドは軽く息を吐き、質問を変えた。
「ここへは何しに来た?」
「え?」
 ランシュは意外そうに目を見張る。
「十日ばかり通っていたそうじゃないか」
「お菓子を買いに来ていただけですよ。ベルおばあちゃんがユイのお菓子を気に入っていたから」
「カードに細工してまでか?」
「だって、オレのカードを使ったら居場所がばれて、局に連れ戻されるでしょう? もう彼女に返しましたけどね」
「そのカードを調べれば、細工の跡はわかる。そこからおまえにたどり着くだろう」
 ロイドがそう言うと、ランシュは不敵な笑みを浮かべた。
「わかりませんよ。そんなヘマはしない」
 自信満々で断言するランシュに、ロイドは再び絶句する。少ししてロイドは口を開いた。
「……オレに復讐しに来たのか?」
「復讐?」
 ランシュはキョトンと首を傾げた。
 二年前、ロイドを睨んでいた、怒りに満ちた目を思い出す。
「オレに復讐してやると言っただろう」
 二年前、ランシュが最後に行った開発が元で、彼は科学技術局の局員を免職された。
 ロイドの制止を振り切り強行しようとした開発は、法に抵触するものだったのだ。それが副局長の目に留まり、ロイドは局長として、やむなくランシュを免職にするしかなかった。
 結果的にランシュが心血注いでいた夢を、ロイドは途中で奪ってしまった事になるのだ。
 ランシュは少し遠くを見るような目で考えた後、静かにつぶやいた。
「復讐か……。そうですね。そんな感情、この二年間ですっかり忘れていました」
 ロイドを見つめてニッコリ微笑んだ後、ランシュの表情は一変する。その瞳には、二年前と同じ憎悪がみなぎっていた。
「思い出させてくれて、ありがとうございます」




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