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2.



 息を飲んで見つめるロイドに、ランシュは表情を緩めると、無邪気な笑顔を向けた。
「とりあえずは様子見という事で、しばらく厄介になります」
「はぁ?」
 思いも寄らないランシュの言葉に、ロイドは思い切り間の抜けた声を漏らす。
 ランシュは気にも留めず、ニコニコ笑いながら言葉を続ける。
「おばあちゃんが亡くなったから、オレ、居場所がなくなったんですよね。それを話したらユイが、しばらくここにいたらどうかって」
 ロイドはすかさず拒否した。
「オレは承知していない! おまえは局に戻れ!」
 意味ありげな薄笑いを浮かべて、ランシュはロイドを見つめる。
「免職になったオレが局に戻ったって、監禁されるだけでしょう? 無理矢理戻したって、また抜け出しますよ。オレを野放しにするより、手元に置いた方が、あなたにとっても都合がいいんじゃないですか?」
「オレがいない昼の間、復讐を企んでるおまえとユイを二人きりにできるか」
 そう言ってロイドが睨むと、ランシュはおもしろそうに声を上げて笑った。
「まだ企んでませんよ。それにしても、あなたにとってユイは相当大切な存在なんですね。いい事聞いちゃったかな」
「ユイを傷つけたら、ただじゃおかない」
 ロイドがすごんで見せても、ランシュは益々クスクス笑う。
「そんな事はしません。オレもユイは気に入ってるんですよ。人妻だって聞いた時には、ちょっとショックだったくらいにはね。まさか、あなたの妻だとは思ってもみませんでしたけど」
 ランシュの言う事を鵜呑みにはできない。だが、彼が生きている事を知ったからには、局長としてロイドは、科学技術局に知らせる義務がある。
 そうしたら、おそらくランシュの言う通り、彼は局内に半ば監禁状態になるだろう。瀕死の状態でさえ抜け出したランシュは、今度は容易に局を抜け出すに違いない。
 局に知らせて心証を悪くした分、ユイへの危害が及ぶ可能性は高くなる。ユイが危険に晒されるくらいなら、彼を手元に置いた方が得策かもしれない。しかし――。
 ランシュを睨んだまま、ロイドがそんな事を考えていると、それを見透かしたようにランシュが釘を刺した。
「オレの事、局に知らせたら、ユイの身の安全は保証しませんよ」
 ロイドは眉間にしわを寄せ、ランシュに念を押す。
「……ユイに危害を加えないと誓えるか?」
「えぇ。それは誓えます。あなたに関しては、この限りではありませんが」
 ひとまずホッと息をついて、ロイドは顔を背けた。
「オレの事はいい。おまえに恨まれている事はわかっているからな」
「それはどうも」
 ランシュはこの二年間、復讐の事を忘れていたようだ。時が経てば、復讐など馬鹿げていると気付いて諦めるかもしれない。
 折を見て科学技術局に報告しなければならないが、しばらくはロイド自身も様子を見る事にした。
 改めてランシュの姿を見つめ、ロイドは不思議に思う。二年前と全く変わらない姿をしているのに、どうして誰にも見つからなかったのだろう。変装でもしていたのだろうか。
 それが気になったので尋ねると、ランシュは笑いながら答えた。
「病院と科学技術局には絶対に近付かないようにしてたし、あまり外出もしませんでしたしね。この辺りは局からは離れてるし、オレは運がいいんですよ」
「うちにいる間は変装しろ。おまえがここにいる事がバレたら、オレも困る」
「そうですね。髪の色を変える事にします」
 とても復讐を企んでいるとは思えないような屈託のない笑顔に、ロイドはひと息ついて席を立った。
「ユイを呼んでくる。わかっているだろうが、余計な事は話すなよ」
「わかってますよ」
 ランシュをリビングに残して、ロイドは店への扉を開いた。見るとユイは、外に出していた看板を片付けたり、店じまいを始めている。
 ロイドが呼ぶと、ユイはこちらを向いて笑顔を見せた。
「話、終わったの? ちょっと待ってね。店、閉めるから」
「もう閉めるのか? まだ二時だぞ」
「だって売り切れちゃったから」
「は? いつもこんなに早く売り切れるのか?」
 これでは売れ残りが自分の口に入る事は永遠にないと、ロイドは愕然とする。
 するとユイは苦笑しながら説明した。
「いつもってわけじゃないの。今日はたまたま予約分があったから」
 基本的に予約は受け付けない事にしているらしい。ひとりで作れる量には限界があるので、誕生日や記念日など、どうしても必要という場合に限り、一日につき先着一名様ワンホールまでで受け付けているという。
 予約が入るとその分店に出す物が減るので、早めに売り切れてしまうらしい。
 店を閉めたユイを伴って、ロイドはリビングに戻った。ランシュは二人の姿を見ると、席を立ってこちらにやってきた。
 ロイドはユイにランシュを紹介する。
「こいつはランシュ=バージュ。昔、オレの助手をしていた奴だ。しばらくうちにいる事になった。おまえの話はそれだったんだろう?」
 ロイドが尋ねると、ユイは頷いて思い出したように目を見開いた。
「あぁ! ランシュ=バージュって、前に入院してるって言ってた人?」
 そういえばユイを初めてラフルールに連れだした時、科学技術局の前でそんな話をしたような気がする。
「そうだ、そのランシュだ」
 ロイドがそう言うと、ユイはランシュを見つめて柔らかく微笑んだ。
「じゃあ、元気になったのね」
「えぇ、すっかり」
 ランシュも答えて、ニッコリ笑う。
「そういうわけだから、オレが留守の間、何か機械の調子が悪くなったら、こいつに直してもらえ」
「本当? 私、機械苦手だから助かるわ。よろしくね、ランシュ」
「はい」
 ユイの差し出した手を、ランシュが握ろうとする。ロイドはさりげなく間に入ってそれを阻止しながら、言葉を続けた。
「理由は話せないが、ランシュは身を隠さなければならない。店を手伝ってもらうのはかまわないが、あまり表には出すな。これから少しばかり変装してもらうが、夕方以降の外出は禁止だ。いいな」
「うん」
「はい」
 ユイとランシュは、同時に笑顔で返事をする。素直に返事はしたものの、この二人はどちらもロイドのいう事を聞かない。
 本当に言う通りにするかどうかは怪しいが、とりあえず信用するしかない。
 ロイドはひとつ嘆息して、ユイに頼んだ。
「オレは局に戻らなければならない。ランシュの髪を染めてやってくれ。色白で目がブルーだから、濃いめの金髪が無難だろう。街で染料を買ってこい」
 ロイドの言葉にユイは嬉しそうに笑った。
「あなたとお揃いね」
「う……」
 言われてみれば、そうだ。
 ロイドは絶句して、少し顔をしかめる。隣でランシュがクスクス笑った。
「……じゃあ、行ってくる」
「いってらっしゃい」
 ユイの肩を軽く叩いて出口に向かう時、ふとユイを見つめるランシュの視線が気になった。ユイの事を気に入っていると言った、ランシュの言葉が脳裏に浮かぶ。
 ロイドはおもむろにユイを抱き寄せメガネを外すと、いつもの挨拶とは違う深い口づけをその唇に刻む。
 驚いたユイが突き放そうとするのと同時に身体を離し、メガネをかけて背を向けた。
「何考えてんのよ!」
 ユイの怒声とランシュの笑い声を背に、ロイドは玄関の扉を閉めて、家を後にした。




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