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6. 夜になり、夕食と風呂を済ませると、ランシュは二階に引き上げた。 すでに十時半を過ぎていたが、ロイドはまだ帰ってこない。昨日早めに帰ったしわ寄せが来たのかもしれない。 明日は店の定休日なので、結衣も早く寝る必要はない。とはいえ、毎朝早起きをしているので、そんなに遅くまでは起きていられない。 可能な限りロイドの帰りを待っていようと思い、後片付けと風呂を済ませた後、本を取りに二階へ上がった。 階段を上がって廊下に出ると、バルコニーへ通じる扉が開いているのに気付いた。 洗濯物を取り込んだ時、閉め忘れたのかと思い近付くと、ランシュの姿が見えた。 バルコニーの真ん中で、ひざをかかえて座り込み、ぼんやりと夜空を眺めている。 結衣が声をかけると、ランシュは少し振り返って見ただけで、再び夜空に視線を戻した。 結衣は隣に行って座る。ランシュは気にも留めず、空を眺め続けていた。 「今日は星がきれいね」 「うん」 「何してるの? 考え事?」 「……おばあちゃん、お孫さんに会えたのかなぁって考えてた」 「お孫さんがいたの?」 「うん。随分前に事故で亡くなったんだって。オレと同い年くらいだったらしい」 「そう……」 ランシュを保護していたベル=グラーヴは、ランシュに亡くなった孫の姿を重ねていたのかもしれない。 「最期に、やっと孫に会えるって言ってたから、会えたならいいなぁって……」 空を見つめたまま、ランシュは少し寂しげに微笑む。 死後の魂の交流など、誰も確認した者はいない。最先端科学の間近にいたランシュが、そんな夢物語のような事を口にするのが意外だった。 「ランシュって、あんまり学者さんっぽくないわね」 つい口に出して言うと、ランシュはやっとこちらを向いた。 「そう?」 「うん。学者さんって死後の世界なんか、夢のような事ってバカにしそうじゃない?」 結衣の言葉に、ランシュはおもしろそうにクスクス笑う。 「一般の人の方が、よっぽど現実主義だと思うよ。だって科学者は夢のような事ばかり考えてるもの」 キョトンと首を傾げる結衣に、ランシュは言葉を続ける。 「遠くの街に住む人とリアルタイムで話をしたり、空を飛んだりって、ずっと昔には夢のような事だったよね? 今の世界に当たり前のように存在するいろんな物は、昔の科学者が見ていた夢の結晶なんだよ」 言われてみれば、その通りかもしれない。一般の人は「夢のような事」と切り捨ててしまうけれど、そこで終わらせないのが科学者なのだろう。 何につけても「おもしろい」が基準になっているロイドのマシンは、まさに夢の結晶そのもののような気がする。 そう思うと、自然に顔がほころんだ。 「確かに、ロイドのマシンってそんな感じ。ランシュはおもしろい物って作った事ある?」 「考えてる間って、自分では全部おもしろいんだけどね。そうだなぁ……」 そう言って宙を見つめ考え込んだランシュは、これまで見た事がないほどワクワクしている子供のようだ。 「脳のないロボットって、おもしろいと思わない?」 不意に目を輝かせて、ランシュが話を振ってきた。おもしろいかどうかより、結衣にはそれがどういう物なのかピンと来ない。 「脳って、人工知能の事?」 「そこまで精巧じゃなくても、プログラムを記憶したり制御したりするプロセッサを内蔵していないロボットだよ」 「え? それで、どうやって動くの?」 待ってましたとばかりに、ランシュはニッコリ笑って、得意げに説明を始める。こんなところは我が子自慢をする時のロイドにそっくりだ。師弟は似てしまうものらしい。 「人間で言うと、脊髄反射みたいなものだよ」 「熱いポットをうっかり触って、アチッってやつ?」 「そう。あれって脳の指令を介さず身体が動いてるよね。つまりセンサと伝達回路だけで動かす事は可能なんだ。プログラムを介さないから判断も動きも速いしね。けど、プログラムを介さないから、必ずしもこちらの都合よく動いてはくれないんだけど。そこがまた、おもしろいんだよね。昔は色々作ったなぁ」 昔といっても、ほんの数年前だろう。彼の人生はこれからの方が長いのだから。 それでも懐かしそうに遠い目をするランシュの横顔には、人生の終わりを迎えた人が楽しかった過去を振り返っているような趣があった。 「最近は作ってないの?」 結衣が問いかけると、ランシュは視線を逸らし、再びひざをかかえて身体を縮めた。 「うん。科学技術局を辞めて二年以上、何も。おばあちゃんと一緒にいた頃は、色々家事を手伝ったりしてたから、あまりヒマもなかったのはあるけどね。局にいた頃は、明日命が尽きても後悔しないように、思い付いた事は今の内にやっておかなくちゃって必死になってた。やりたい事いっぱいあったはずなのに、一番やりたい事を途中で奪われて絶望してたはずなのに、おばあちゃんといると、そんな事すっかり忘れてたよ。おばあちゃんが亡くなって初めて分かった。オレが本当に一番やりたかった事」 ランシュは生まれた時からひとりだったと本人が言っていた。どういう事情でそうなのかは知らない。けれどベル=グラーヴとの生活は、彼が初めて感じた家族の温もりだったのだろう。 結衣は何も言えず、ひざの上に置いた自分の手に視線を落とす。するとランシュが、 「ごめん、少しだけ……」 そう言って、結衣に抱きついてきた。 「時々、怖くてたまらない。目が覚めたら全部夢で、オレはベッドの上で死にかけているんじゃないかって。身体を全部入れ替えて生き長らえたけど、今のオレの気持ち、オレの心は、本当にオレのものなのか分からなくなる。オレの心はどこにあるのか教えてよ、ユイ」 縋るように抱きしめて肩の上で不安を吐露するランシュを、結衣は突き放す事ができなかった。 二年前に入院中のランシュは動ける状態ではなかったと、ロイドの会話から漏れ聞いた。どんな重病だったのかは知らないが、きっと眠るたびに怖かったに違いない。 何らかの方法で元気な身体を手に入れ、今、ランシュは生きている。 そしてその方法は、今朝結衣が、バカバカしいと首を振った結論に、どうやら間違いなさそうだ。 こうして身体を密着させて抱きしめられているのに、ロイドの時には感じるものをランシュの時には感じない。 多分それは違法だから、ランシュは身を隠さなくてはならなくて、それでロイドは結衣に何も言えないのだろう。 結衣は少し微笑んで、ランシュの胸に手を当てる。 「ランシュの心は、ここにあるでしょ? 夢を見るのは科学者の本能かもしれないけど、私を夢の住人にしないでよ」 「うん。そうだね。ありがとう、ユイ」 そう言ってランシュは、安心したようにクスリと笑った。 すっかり夜も更けた頃、ロイドは自宅へ戻った。玄関を入ると灯りは点いているものの、ユイの姿はなかった。 食事はいらないと連絡したが、ダイニングテーブルの上には、山盛りのシュークリームがフードをかぶせて置いてあった。 灯りを点けたまま寝たわけではないと思うので、二階で何かしているのだろう。ロイドは荷物を置きに二階へ上がった。 階段を上がり廊下に出ると、バルコニーへ続く扉が開いているのに気付いた。 ユイは外で何をしているのかと、不思議に思いながら扉へ向かう。数歩歩いた時人影が見え、ギクリとして足を止めた。 バルコニーの真ん中で、座ったユイをランシュが抱きしめている。 ユイの肩越しに目が合うと、ランシュはニヤリと笑った。 カッとなったロイドは、急いで歩み寄ろうとする。それを制するようにランシュは冷たい笑みを浮かべたまま背中に回した手で、どこから取り出したのか、鈍く光る刃をユイのうなじにあてがって見せた。 ロイドは息を飲んで、その場に立ち止まる。 すると気配を感じたのか、ユイが振り返った。 「ロイド? 帰ったの?」 それと共にランシュは、何食わぬ顔でユイから離れる。ユイは立ち上がって、こちらにやって来た。 「おかえり。お疲れさま」 「あぁ。だだいま」 ユイの笑顔にホッとしながら、ランシュを睨む。ランシュは余裕の笑みを浮かべ、 「おかえりなさい、先生。オレ、先に休みますね」 と言って、横をすり抜けて行った。 ランシュが部屋に入るのを見届けて、ロイドは自室に荷物を置き、風呂へ向かった。 風呂を出て一階を覗くと、灯りが消えている。ユイも寝室に引き上げたのだろう。 寝室に入ると、ユイが満面の笑顔で目の前に大きな皿を突き出した。皿の上には先ほど一階で見た、山盛りシュークリームが乗っている。 「寝る前に、こんなには食えないぞ」 「だったらひとつだけでも食べて。きっと元気になるから」 ゆうべロイドが不安を抱えていた事を、ユイは気遣っているのだろう。だが、先ほどのランシュの事に、心が動揺していて、そんな気分ではなかった。 「悪いが、今はいい。明日にする」 「そう……」 ユイはガッカリしたように肩を落とした。とぼとぼと隅のテーブルに向かい、皿を置いて俯く。あまりに気落ちした様子に罪悪感を覚えて、ロイドはユイに歩み寄った。 「ユイ」 肩に手をかけようとした時、ユイが俯いたままつぶやいた。 「じゃあ、抱いて」 「何?」 驚いて思わず、手も足もその場で止まる。ユイの方から求めてきたのは、初めてだったからだ。 ユイはハッとしたように顔を上げて、こちらを向いた。目が合うと、一気に頬を赤らめて、途端に焦りだす。 「あ、あの、私、今……」 「確かに聞いたぞ」 直前の思い詰めた様子は気がかりだが、今はただ、ユイの要求が嬉しくて、ロイドはユイをきつく抱きしめた。 「違うの、私……」 「今さら訂正は聞かない。おまえにはお仕置きが必要だしな」 「何のお仕置き?」 抵抗していたユイが、ピタリと暴れるのを止めて不思議そうに見つめる。相変わらず無自覚の鈍さに、本気でお仕置きしてやりたくなった。 ロイドはムッとして、額を叩く。 「オレ以外の男に抱きしめられたりするな」 「見てたの?」 「あぁ。心臓が止まるかと思った」 あの刃物を見た時には、本気でそう思った。なのにユイは呑気に笑う。 「大げさね。ランシュは私の事、お母さんのように思ってるだけよ」 「そうだとしても、あいつは男だ」 「それって、ヤキモチ?」 「う……」 からかうように見上げるユイを見て、名案を思い付いた。 緊張感に欠けるし、格好悪いが、ヤキモチなら堂々とユイに忠告ができる。堂々と二人の邪魔ができる。 ロイドは開き直って、ユイに忠告した。 「あぁ、ヤキモチだ。あいつに気を許しすぎるな」 「はいはい」 案の定、ユイは緊張感のない返事をする。それでも全く無防備でいるよりはマシだろう。 気を取り直して、ロイドはユイを抱き上げた。 「よし、早速お仕置きだ。おまえ、明日は休みだったな」 「あなたは仕事でしょう?」 自分から求めておきながら、尚も悪あがきをするユイに、ロイドはニヤリと笑う。 「そんな事は問題にならない。おまえが要求したんだ。気絶するまで可愛がってやるから覚悟しろよ」 「……え……」 そのままユイをベッドに横たえ、ロイドは覆い被さるようにして口づけた。 ひとまずユイに忠告を与える事はできたが、不安が全て拭い去れたわけではない。 そんな自分のせいで、ユイも何か思い詰めているらしい事はわかる。 だが今は、ユイの求めるままに、ユイに溺れて、それを忘れていたかった。 |
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