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第2話 Do While |
1. 大皿に山盛りになったシュークリームをペロリと平らげて、ロイドはいつものように仕事に出かけた。 結衣とランシュはいつもより遅い朝食を摂り、それぞれ掃除を始める。今日は店が休みなので、それほど慌てる事もない。結衣はいつもより余裕を持って、二階の掃除と洗濯を片付けた。 作業を終えて一階へ下りると、すでに掃除を終えたランシュが、リビングのソファに座って、ロイドがテーブルに置きっぱなしにしていた機械工学の科学雑誌を読んでいた。 科学技術局を辞めて、機械から遠ざかっていたようだが、今も興味は尽きてはいないようだ。 結衣は少し離れて隣に座り、テーブルの上の小鳥を取って電源を入れた。手の平に乗せた小鳥の頭を撫でながら、ゆうべの事を思い出す。 ランシュの助言に従って、結衣はロイドの好きなお菓子を作った。自分がロイドを元気づける手立ては、それしかないと思ったからだ。ところがロイドは、それを拒絶した。 寝る直前だったからかもしれないが、唯一の手段を拒否され、結衣は目の前が真っ暗になったような気がした。 直接手助けする事も、話を聞く事も出来ない。他に自分がロイドに与える事が出来るものは、もう自分自身しかない。そう思った途端、知らず知らずに口走っていた。 一瞬驚いたけれど、それでもロイドは嬉しそうに笑って応えてくれた。 今朝、目覚めた時、目にした穏やかな表情が、いつものロイドに戻ったような気がして、少し嬉しかった。そう思ったのも束の間、再び拒絶された。 頑固なロイドは、たとえ誰にもばれなくても、決してルールを破る事はない。だからこそ、国王をはじめとする人々の信頼を得ているのだろう。 分かっていても、自分だけは例外になりたい。 それがロイドの得ている信頼を揺るがす、わがままだとしても。 フゥとため息をついて、小鳥を肩に留まらせる。横からランシュが、声をかけた。 「どうしたの、ユイ? 元気ないね。先生とケンカでもしたの?」 心配そうに見つめるランシュに、結衣は笑顔を作って答える。 「なんでもないの。ちょっと自己嫌悪。ほら、今日寝坊しちゃったし」 「そう。でも気にしなくていいんじゃない? 毎朝早いんだし、今日は休みだし」 「うん。ありがとう」 会話が途切れ視線を外すと、結衣の頭の中は、再び同じ事にグルグルと囚われ始める。 少ししてランシュが、沈黙を破って立ち上がった。 「出かけよう、ユイ」 結衣は驚いて、ランシュを見上げる。 「え? どこへ?」 ランシュは笑顔で、結衣の手を取り立ち上がらせた。 「どこでも。ユイの行きたいところ。だって、やっぱり元気ないもん。気分転換に。ね?」 確かにランシュの言う通り、こうして家でぼんやりしていても、気持ちが沈むばかりだ。 結衣は返事をして、改めてランシュの姿を見つめた。 着の身着のままやって来たランシュは荷物を何も持っておらず、靴以外、全身ロイドの借り物に身を包んでいる。 ロイドより背が低く華奢なランシュは、シャツの袖もズボンの裾も折り曲げて、明らかにサイズが合っていない。 「じゃあ、買い物に行こうか。ランシュの服を買いに行こう」 結衣が笑顔で提案すると、ランシュは困惑した表情を見せた。 「え……いいよ、オレのは。ユイの欲しい物買いなよ」 「私がランシュの服を買いたいの。だってロイドの服じゃ大きすぎるでしょ?」 「そうだけど、小さいよりは問題ないし」 「もう、遠慮しないで。いつも色々手伝ってもらってるから、その対価よ。その代わり明日からもしっかり手伝ってもらうわね」 ランシュはやっと、遠慮がちに頷いた。 「わかった。しっかり働くよ。力仕事とか、何でも言って」 ランシュに笑顔を返し、結衣は肩の小鳥を手の平に乗せて見つめた。 「ロイド。出かけてくるから少し留守番しててね」 小鳥がピッと返事をするのを待って、電源を切る。 ランシュが不思議そうに問いかけた。 「その小鳥、先生の名前つけたの?」 結衣は苦笑して答える。 「うん。背中に登録用のボタンがあるんだけど、うっかりしてて、ロイドの名前を呼びながら、背中を触っちゃったのよ」 名前の登録は、一回しか出来ないので、訂正出来ないのだ。 テーブルの上に小鳥を置いて二階へ上がり、急いで支度をすると、結衣はランシュと一緒にラフルールの商店街に向かった。 男の子の服を一緒に買いに行くのは初めてだ。ロイドは滅多に服を買わない上に、いつの間にか自分で買って来ている。 いつも白衣を羽織っているせいか、普段の服装にはあまり頓着しないらしい。それでも格好良く見えるのは、惚れた欲目だろうか。 男性用のショップを巡るのも初めてなので、結衣はちょっとワクワクしていた。 ランシュと一緒に二、三の店を回り、彼の服を一通り買いそろえる。 若くてスマートでかわいい容姿をしているので、流行りのおしゃれな服を選ぶのかと思ったら、ランシュの好みもロイドと同じで、流行り廃りのないシンプルな物だった。 学者たちは、おしゃれにあまり興味がないのだろうか。 買い物を終えると、正午を少し過ぎていた。今日は外で昼食を摂る事にする。 ランシュが穴場の店を知っているというので、二人で商店街の表通りを外れて裏路地へ入った。 ランシュは身を隠さなければならない。飲食店も多く軒を連ねる表通りは、科学技術局から職員たちが昼食に出てくる事もあるからだろう。 ランシュの案内してくれた店は、裏通りの民家の間にあった。入口にプレートがぶら下げられているだけで、知らなければ見過ごしてしまうほど、周りの民家と同化している。 ランシュもベル=グラーヴに教わったらしい。 扉を開けて中に入ると、意外と明るい店内には、すでに数名の客が入っていた。 席について注文を終えると、結衣はランシュに尋ねた。 「他に何か欲しい物はない?」 ランシュは目を見張って両手を振る。 「いや、もう充分だよ。オレの給料そんなに高くないでしょ?」 「大丈夫よ。服は私のプレゼント。連れ出してくれたお礼よ。おかげで元気になったから」 「でも……」 「心配しないで。私もそれくらいの稼ぎはあるのよ。ね、ランシュは初給料で何を買いたい?」 有無を言わせぬ結衣の口調にランシュは諦めたのか、苦笑してためらいがちに答えた。 「オレもプレゼントしたいな」 結衣の知っている限り、ランシュには身内と呼べる人はいない。ロイドとは、それほど仲良さそうには見えない。師弟以上の関係ではなさそうだ。 だとしたら、一体誰にプレゼントしたいのか。ランシュの照れくさそうな表情が、結衣の興味をかき立てた。 思わずテーブルにひじをついて、身を乗り出す。 「誰に?」 「え……」 好奇心丸出しで詰め寄る結衣に、ランシュはたじろぎながら背筋を伸ばして身を退く。 「好きな人?」 「あ……うん」 「ラフルールにいるの?」 「うん」 「どんな人? かわいい?」 「かわいいよ。年上だけど……」 たたみかけるように質問すると、ランシュはポツポツと白状した。 告白よりも先にキスをするエロ学者や、大きな胸は男のロマンだとか言う弟や、結衣の周りはエロい男ばかりだ。 はにかんだようなランシュの初々しさが新鮮で、微笑ましくて、自然にテンションが上がる。 「告白したの?」 「いや、それは……」 「間違っても、告白より先にキスしちゃダメよ」 「へ?」 真剣な顔で諭す結衣に、ランシュは目を丸くする。こういう反応もかわいい。 結衣は渋い顔をしながら腕を組んで、本当はロイドしか知らないのに、経験豊富なお姉さんぶって偉そうに言う。 「大人の女は段取りにうるさいの。そういう段取りを間違えるエロ学者がいたのよ」 途端にランシュは吹き出した。 「でもユイは、それでも受け入れたんだよね」 うっかりエロ学者と言ってしまい、ロイドの事だとあっさりばれてしまったようだ。 少しきまりが悪くて、結衣は目を泳がせる。すると今度は、ランシュが尋ねてきた。 「ユイは何が欲しい? 大人の女の人ってどんな物が欲しいのか、オレ、よく分からないんだ。教えてよ」 「うーん。無難なところだと花束かな? 花をもらって嫌がる人はいないと思う。でも他の物だと人によって違うわよ。大人でもぬいぐるみや人形が大好きな人もいるし、指輪やネックレスはつけないからいらないって人もいるし」 「それじゃ参考にならないよ。ユイは何をもらったら嬉しいの?」 結衣は少し困って絶句する。実のところ、ロイドからプレゼントをもらった事がないのだ。 ロイドからもらった物は、結婚指輪と小鳥ロボットだけだ。小鳥ロボットはロイドのマシンが迷惑をかけたお詫びとしてもらった物で、結婚指輪に至っては、日本の儀式「指輪の交換」がなければ、もらえなかったかもしれない。 バレンタインデーには毎年、激甘チョコレートケーキをあげるが、ホワイトデーにお返しがあった事はない。そもそもクランベールに、そんなイベントはないのだから仕方ない。 お返しの催促をするのも浅ましいので黙っている。ロイドはその日のチョコレートケーキの意味すら知らないだろう。 元々結衣としては、バレンタインデーに好きな人に手作りのチョコレートケーキをあげるという、長年の夢が叶ったので満足しているのだ。 プレゼントをもらった事がないので、ここは想像で答えるしかない。 結衣は悟られないように、余裕っぽい笑顔を浮かべて答えた。 「私は好きな人からのプレゼントなら、何でも嬉しいわよ」 多分、ロイドが何かをくれるなら、本当にそうだろうと思う。なにしろ初プレゼントなのだから。 てっきりまた、参考にならないと言われるかと思ったが、意外にもランシュは、結衣の大雑把な答えに「ふーん」と言って頷いただけだった。 少しして、ランシュが首を傾げながら、イタズラっぽい表情で問いかけた。 「ユイは、オレの事好き?」 「好きよ」 色々手伝ってくれたり、落ち込んでいるのを心配してくれたり、恋愛相談まで受けるほど慕われて、嫌いになれるわけがない。 相談されたというより、自分が無理矢理聞き出した事などすっかり棚に上げて、結衣は機嫌良く即答した。 ランシュは無邪気なかわいい笑顔で、嬉しそうに言う。 「じゃあ、オレのプレゼントは何でも嬉しいんだね」 「そうね」 結衣もつられて、笑顔で頷いた。 |
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