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2.



 結局ランシュは服の他には何も買わず、結衣と一緒に夕食の買い物を手伝って家に帰った。
 買ってきた物を冷蔵庫に入れていて、味噌が残りわずかになっている事に気付いた。
 クランベールに味噌はない。
 結衣は一通り荷物を片付けた後、欲しい物リストと共に、実家へ手紙を書いた。リビングの隅に置いてある、物品専用の時空移動装置に手紙を入れて実家へ転送する。
 時空移動装置ミニは、人捜しマシンをそのまま小さくしたような形をしている。底辺の直径は五十センチくらい、高さは一メートルくらいで、天辺は丸いドーム状になったガラスの筒だ。頭頂部には転送確認の赤いランプもついている。
 大きさ的には人間の子供くらいは入れそうだが、人は転送できない。
 機械が苦手な結衣でも簡単に操作できるように、機能はかなり限定されている。ボタンひとつで転送できるように、転送できる物も決まっているのだ。
 一時間後、母からの返事が届いた。今夜八時に味噌が届く。
 味噌の調達が終わり、結衣はケーキを作り始めた。
 毎週定休日には、ロイドのためだけにケーキを作る。今日のケーキは、ロイド用にミルクチョコレートを増量した、濃厚ガトーショコラにした。
 ランシュは街から帰ると、結衣の薦めで早速買ってきた服に着替え、朝と同じようにソファに座って、時々結衣の様子を眺めながら、雑誌を読んでいた。
 結衣がケーキを作り始めると、側に来てそれを眺める。
 何がおもしろいのか尋ねたら、どうやってお菓子が出来るのか興味があると言った。
「オレも今度作ってみていい? 上手くできるようになったら、ユイの手助けにもなるし」
 ランシュの提案に、結衣は微笑む。
「うん。ありがとう」
 ケーキ作りは案外、腕力を使うのだ。
「ランシュがコツを覚えたら、メレンゲとか全卵のホイップとか頼んじゃおうかな」
「それって、力仕事だよね?」
「あ、バレちゃった?」
 二人は顔を見合わせて笑った。
 ガトーショコラが焼き上がった頃、ロイドから連絡が入った。今日も帰りが遅くなるので、夕食はいらないという。
 結衣はガトーショコラにチラリと視線を送る。
 また食べてもらえないのかもしれない。そう思うと、少し気持ちが沈んだ。
 明日は店があるので、そんなに遅くまで起きてはいられない。
 結局その夜、結衣が起きている内に、ロイドは帰ってこなかった。
 翌日早朝、食卓の上に置かれたままの、手付かずのガトーショコラを見て、結衣は大きなため息をついた。



 甘い香りに鼻腔をくすぐられ、ロイドは目を覚ました。いつもならユイが声をかけるまで、ゴロゴロしているところだが、今日は目的がある。
 ロイドはベッドから出て身支度を整えると自室へ向かった。部屋の隅にいくつか置いてある、箱の中身を確認する。
 床に広げておいたら掃除が出来ないとユイが文句を言うので、それぞれのマシンごとに箱に入れて積み重ねてある。箱の中にはマシンを構成する部品と、設計図が入っていた。
 ほとんど手付かずの箱を選んで、ランシュの部屋へ向かう。
 ゆうべ遅くなると連絡をした時、ユイから少し話を聞いた。ランシュの服を買うために、二人で街に出たらしい。
 ロイド自身忙しくて、ユイと話をする時間すらろくにないのに、そんな楽しそうな事をさせてたまるかと思う。
 なにしろこのところ科学技術局は、複数の研究室から次々に研究成果の完了申請が上がってきている。ロイドはその確認と承認に追われて、自分の研究課題にも手をつけられない状況だった。
 おまけに承認された成果物が公表されると、その関連分野の企業や雑誌社、国の関連機関から、取材や問い合わせが殺到し、その対応もしなければならない。
 取材の対応は副局長に大半はまかせているものの、しばらくは休みも取れそうになかった。
 そんな状態なので、家にいてランシュを見張っている事が出来ない。これ以上ユイがランシュと親しくなりすぎないように、ランシュに仕事を与える事にしたのだ。
 とはいえ、ユイにも出来る事は、ユイが手伝って、益々仲良くなりかねない。
 ユイには出来ないけれど、ランシュには出来る事。つまり機械いじりだ。
 今は部外者となったランシュに局の仕事をさせるわけにはいかないので、ロイドが趣味で作ろうとしている物を、代わりに作ってもらう事にした。
 部屋の外から声をかけたが返事がない。中を覗くと、ランシュの姿はなかった。すでに一階に下りているようだ。ロイドは箱と鞄を持って、一階へ下りた。
 リビングにもダイニングにも、ランシュの姿は見えない。トイレにでも行ったのかと思っていると、奥のキッチンからユイとランシュの声が聞こえてきた。
 怪訝に思い覗くと、朝食の支度をするユイの側で、ランシュが泡立て器でボウルの中身をかき混ぜていた。どうやらお菓子作りを手伝っているようだ。
 ロイドは途端に不愉快になる。まったく油断も隙もあったもんじゃない。さっさと仕事を与えてしまおう。
 ユイがランシュの持つボウルを覗いた拍子に、ロイドがいる事に気付いた。それに続いてランシュも、こちらに視線を向けた。
 ユイは少し驚いたように、目を見張って声をかける。
「おはよう。今日は早いのね。朝ご飯、もう少し待ってくれる?」
「あぁ。ランシュ、ちょっと来い」
 ランシュはボウルの中をチラリと覗いて、ユイに尋ねた。
「ユイ。これ、どうしよう?」
「また後でいいわ。そこに置いといて」
 ユイに言われた通りボウルを置いて、ランシュはキッチンを出てきた。
 二人でリビングに行き、ロイドはランシュに持っていた箱を突き出す。
「お菓子はユイに任せて、おまえはこれを作ってろ」
「何ですか? これ」
 箱を受け取り中を覗きながら、ランシュは怪訝な表情で尋ねた。
「オレが作ろうとしていたマシンだ。ユイが店に出ている間、おまえヒマだろう。人間、ヒマをもてあましていると、ろくでもない事しか考えないからな」
 ロイドが不敵な笑みを浮かべると、ランシュはフッと笑った。
「なるほど。オレの気を紛らわせようという作戦ですか。いいですよ。機械いじりは二年ぶりだから、リハビリがてら、やらせてもらいます。ところで、これ何なんですか?」
「それは出来上がってからのお楽しみだ。その方が作りがいがあるだろう。その中に設計図も工具も入っている。おまえの得意なロボットだ。ユイの手助けにもなるから張り切って作れ」
 ちょっとイヤミと恨みも込めて、ロイドはランシュの背中をバシバシ叩いた。
 ちょうどそこへ、ユイが出来上がった朝食を食卓に運びながら、二人に声をかけた。
 ロイドは食卓について、テーブルの隅にユイの作ったケーキが置いてある事に、初めて気付いた。おそらく、ゆうべ作ったのだろう。定休日にはいつも、何か作ってくれていた。
 ランシュの事と仕事の忙しさに手一杯で、ユイの気遣いに気付いてやれなかった事に罪悪感を覚える。
 ロイドは食事を摂りながら、何気ない調子で告げた。
「ユイ。それ、包んでくれ。持って行って間食にする」
 一瞬、何の事か分からない様子で、ユイはキョトンとした。そしてロイドの視線を辿り、ケーキの事だと分かったらしく、嬉しそうに笑って頷いた。
「うん」
 食事を終え、ロイドは鞄を持って玄関へ向かう。しばらくは毎日帰りが遅くなるので、夕食が必要な時に連絡をする事をユイに告げた。
 挨拶のキスをして出かけようとすると、ユイが思い出したように手を打った。
「そうだ。ゆうべソータから手紙が来たの。三日後から夏休みになるから、こっちに遊びに来たいんだって。人捜しマシンの申請、お願い」
「わかった」
 返事をして玄関を出たと同時に、ロイドの気持ちは一気に高揚する。
(そうか、ソータだ!)
 どうやら、こちらに風が向いてきたようだ。
 ロイドは少しウキウキした気分で、科学技術局へ向かった。




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