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4.



「キャーッ! マカロン、外に出ちゃダメーッ!」
 ソータを連れて家に帰り玄関を開けた途端、ユイのわめき声が出迎えた。
 呆気にとられたロイドの元に、ユイが駆け寄ってきてしゃがみ込んだ。見ると、足元に円盤状のロボットがいて、目玉のような四つの赤いランプを点滅させていた。
 上部についたスイッチを切って、ユイはロボットを抱えて立ち上がった。
 そのロボットは、ロイドがランシュに作らせていた、床掃除ロボットだ。
 フライパンから柄を取ってひっくり返したような大きさと形状で、底面にはセンサと自在に動く車輪がついている。
 狭い隙間にも入れるように、厚みはフライパンの半分くらいと、かなり薄い。センサでキャッチしたゴミや埃を、底面に取り付けられたブラシを回転させてかき集め吸引する。
 人工知能を搭載しているので、使用するごとに部屋の形状やゴミのたまりやすい場所をデータとして蓄積し、以降の作業を効率的に行うようになる。
「もう出来たのか」
 ロイドが尋ねると、ユイは苦笑した。
「うん。さっき出来たばかりで、試運転をしてたの」
「マカロンって何だ?」
「この子の名前。マカロンに似てるでしょ?」
 言われてみれば、巨大マカロンに見えなくもない。
 クリームパイやシュークリームなど、カスタードクリームを作った時、余った卵白でユイが作るマカロンはロイドも気に入っている。
 口に入れるとフワフワととろける甘さが、ユイの唇を彷彿とさせる。
 名前登録機能は仕様になかったはずだか、ランシュがオプションで追加したのだろう。
 ロイドは今さらながら、ユイに挨拶をする。
「ただいま」
「おかえり」
 キスをしようとすると、ユイは気まずそうに顔を背けた。
「何だ?」
「だって、ソータが見てるし」
 振り返ると、ソータがニヤニヤしながら、こちらを見ていた。
「いやぁ、オレの事はおかまいなく」
 ソータの言葉を受けて、ロイドはユイに向き直る。
「ああ言ってる」
「私はかまうの!」
 そう吐き捨ててユイは、ロボットを抱えたまま、リビングの奥へ歩いていった。
 毎日、ランシュの前では嫌がらないのに、なぜソータの前ではダメなのか、ロイドにはよく分からなかった。
 このところ忙しくて挨拶の時しかキスもしていなかったので、少し不満に思いつつも、ロイドはユイに続いて、ソータと共に家に入った。
 リビングの奥でユイからロボットを受け取ったランシュは、こちらを向いてロイドに挨拶をした。ロイドはランシュとソータにそれぞれを紹介する。二人は笑顔で握手を交わし、揃ってソファに腰を下ろした。
 ソータには帰る道すがら、ある程度ランシュの事は話しておいた。初対面で質問するであろうランシュの経歴や出身については、科学技術局の内部事情に関わるため、本人も答える事が出来ないので、訊かないように言ってある。
 ソータはニッポンの学校で、機械工学分野の研究をしているらしい。ランシュが機械工学の天才児だと言われていた事を話すと、興味を示していた。
 ロイドの作ったマシンにも興味を示していたが、今はランシュの作ったマカロンが気になるようで、色々と質問を繰り出していた。
 元々研究一筋で人付き合いの得意でないランシュは、最初こそ戸惑っていたが、人懐こいソータに自然と打ち解けていった。
 なかなかいい傾向じゃないかと、ロイドは密かに悦に入る。
 話を聞いていると、マカロンには音声認識機能も追加されているようだ。
 元々は人工知能搭載なので、放っておいても、勝手に掃除をしてくれる。だがマカロンは小鳥ロボットと同じように、名前を登録した主の命令を聞くようになっている。
 ロイドの仕様では強制的に動かそうと思えば、リモコンを使用する事になっていた。ユイにも分かりやすいように、そんなに複雑なリモコンではない。
 しかし音声で命令できる方が、確かにユイにとっては簡単だろう。作るのはそっちの方が面倒なのだが。
 茶を運んできたユイがロイドの隣に座り、二人の様子に目を細めた。
「あら、随分仲良くなったのね」
 するとソータは、ひやかすような笑みを浮かべて、ユイに言い返した。
「そっちの二人ほどじゃないよ。な? ランシュ」
「あ、うん」
 突然同意を求められて、ランシュは目をパチクリさせる。いつもは落ち着き払っているランシュの、こういう素の表情はロイドにとっては、やけに珍しかった。
「こんなラブラブ夫婦と一緒に住んでて、胸焼けしねぇ?」
 ソータの問いかけに、ランシュは不思議そうに、少し首を傾げる。
「ラブラブ? 確かに仲良しだけど、普通だと思うよ」
「普通じゃねーだろ。目の前で平気でキスしようとするし」
「キスって、挨拶の、でしょ?」
 キョトンとするランシュに、ソータは絶句して大きくため息をついた。
「クランベールって、こういうとこ、オウベイ(欧米)かって思うよな」
 ランシュはまだ不思議そうな顔で、ソータに尋ねた。
「ソータはユイにキスしないの?」
 ソータは大げさにのけぞって答える。
「しねーよ、そんな事! 想像しただけで鳥肌立った」
「私だって絶対イヤよ」
 ユイもすかさず同調する。ユイにまで否定されて、ランシュは益々わけがわからないという表情で、さらに追及する。
「なんで?」
「ニッポンじゃ、挨拶でキスはしないんだよ。たとえ唇じゃなくても、親密な関係にある男女がプライベートな空間でしかしないの。普通、人前ではしないし、自分の親兄弟とキスなんてありえねーし」
「ふーん。そういう習慣なんだ」
 ランシュはやっと納得して頷いた。ロイドも胸中で密かに頷く。
 ランシュの前ではよくて、ソータの前ではダメな理由がやっと分かった。
 人前ではキスをしないという、同じ習慣を持つソータの前でキスをするのは、ユイにとって恥ずかしい事なのだろう。
 少しの間四人で雑談をした後、ユイは明日の準備のために席を立った。ユイとランシュは、すでに風呂を済ませたという。ソータに勧めたら、明日も仕事があるロイドが先に入るようにと、譲ってくれた。
 ロイドが風呂から出ると、ソータとランシュはまた二人で話し込んでいた。どうやら二人は気が合うようだ。
 ユイはすでに寝室に引き上げたらしい。ソータが風呂に向かい、ロイドもランシュもそれぞれ部屋に引き上げる。ソータは滞在中、ユイの部屋に寝泊まりする事になった。
 ロイドが寝室に入ると、ユイはいつものように背中を向けて、ベッドに入っていた。
 まだ眠ってはいないだろうと思いつつも、そっと隣に潜り込む。すると案の定、ユイはこちらを向いた。ロイドは微笑んでユイを抱き寄せる。
 ほんの数日、忙しくて顔を合わせる時間がほとんどなかっただけなのに、こんな風にユイを抱きしめるのは久しぶりの気がする。
 ロイドの腕の中で、ユイは嬉しそうに告げた。
「ランシュがソータと仲良くなって安心しちゃった」
「あぁ、そうだな」
 確かにそれも、思いの外うまくいった。このままロイドの思惑通り、復讐など忘れてくれればいいと思う。
 久しぶりにユイの温もりを感じながら、先ほど挨拶さえお預けにされたキスを仕切り直したくなった。
 ロイドはユイに、グッと顔を近付けて囁いた。
「プライベートな空間でならいいんだろう?」
 ユイの返事を待たずに、もう一言囁く。
「ユイ、愛してる」
 そして久しぶりに、ユイの唇を存分に堪能した。ユイは明日も早起きをしなければならない。頭では理解しているのだが――。
「ヤバイ。止まらなくなった」
「えぇ?!」
 ロイドがユイの上に覆い被さったと同時に、部屋の外からソータの大声が響き渡った。
「ねーちゃーん。ちょっと来てーっ! シャワーの止め方、わかんねーっ!」
 少しの間互いに硬直して見つめ合った後、ロイドは顔をしかめてボソリとつぶやいた。
「あいつ、わざとじゃないだろうな」
 ユイはクスリと笑い、ロイドの下から這い出す。
「はーい。今、行くーっ」
 大声で返事をしながら、ユイは寝室を出て行った。
 一人残されたロイドは、ゴロリと横になって、寂しく布団を抱きしめながら、闇の中で舌打ちした。




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