前へ 目次へ 次へ
5.



 ロイドが仕事に出かけた後、結衣は洗濯のため二階へ向かった。
 今日から掃除はマカロンがやってくれる事になっている。とりあえず調整も兼ねて、ランシュの監督の下、一階の掃除をさせる事にした。
 蒼太は眠そうな顔で、マカロンの邪魔にならないように、ソファの上に足を上げて、その様子を眺めていた。
 洗濯機をセットして一階に戻ってみると、マカロンはすでにリビングの掃除を終えて、ダイニングに移動していた。
 昨日、試運転をした時にも思ったが、マカロンは案外動きが速い。
 ランシュは少し離れたところに立って、マカロンの様子を真剣な表情で眺めていた。
 一方蒼太は対照的にトロンとした目で、ぼんやりとマカロンの動きを追っている。
「マカロンの調子はどう?」
 結衣が尋ねると、ランシュはマカロンを見つめたまま答えた。
「問題ないよ。後で二階もやらせるから、ユイはお菓子を作ってていいよ」
「うん。ありがとう。でも、この子、階段から落ちたりしない?」
「大丈夫。ちゃんとセンサで自分の動ける場所は感知してるから。それに今日のところは、念のためオレが見てるし」
 突然蒼太の大あくびが聞こえ、結衣は眉を寄せてそちらに目を向ける。
「もう。夜更かしするから眠いのよ。何時まで起きてたの?」
「二時前かな? だって十時に消灯って、小中学生の林間学校じゃあるまいし。そんな時間に眠れねーって」
「ロイドは毎日真夜中に帰っても、朝はきっちり起きるわよ。あんたの気合いが足りないのよ」
 隣でランシュが、マカロンを見つめたままクスクス笑った。
 蒼太は少し顔をしかめた後、ふと思い出したように問いかけた。
「そういえば、朝洗面所で鉢合わせした時、ロイドさんに睨まれた気がするんだけど、オレ、何かしたっけ? 姉ちゃん、聞いてない?」
 おそらく、ゆうべ邪魔された事だろうと、結衣はピンと来た。けれどそれを蒼太に言うわけにはいかないので、とぼけておく。
「さぁ? あんたのイビキがうるさかったんじゃない?」
 途端に蒼太は焦り出す。結衣が過去に何度も指摘しているので、自分のイビキがうるさい事は蒼太も把握している。
「げ! そっちの部屋まで聞こえた?」
「私は眠ってたから知らない」
「ランシュは? 聞こえた?」
「オレは聞いてないよ」
 ランシュの部屋は蒼太が寝ている結衣の部屋からは、一番離れている。たとえ起きていても、多分、聞こえないだろう。
 結衣たちの寝室は、蒼太の部屋の斜め前だが、ロイドもあれから程なく眠ってしまったので、聞いていないはずだ。
 ゆうべ結衣が部屋に戻った時、ロイドは布団の端を抱きしめて、背中を向けていた。
 声をかけると「もう寝た」と、ふてくされたような声で返事をする。相変わらず時々子供っぽい。
 結衣は布団に潜り込んで、背中からロイドを抱きしめた。
「愛してるから、機嫌を直して」
「……別に、不機嫌じゃない」
 その声は、明らかに不機嫌だ。結衣は抱きしめる腕に、少し力を込める。
「ウソ」
「ウソじゃない」
 ロイドは結衣の腕をほどいて振り向いた。そして、結衣を抱き寄せ頭を撫でる。
「本当だ。邪魔が入ってよかったんだ。おまえは明日も早起きしなければならないんだろう? もう寝よう」
「うん」
 結衣は頷いて目を閉じた。
 本当はランシュの事を相談したり、もう少し話がしたかった。けれど、ロイドも毎日遅くまで働いているので、久しぶりにゆっくり休ませてあげたいと思った。
 そしてそのまま、二人とも眠ってしまったのだ。蒼太が眠りについた二時以降は、二人とも熟睡していて、イビキなんか聞いているわけがない。
「ロイドさんに謝った方がいいかなぁ」
 軽い気持ちで言った言葉を、蒼太がやけに気にしているので、結衣はフォローする事にした。
「大丈夫よ。ロイド、このところ毎日遅くまで働いてるから、疲れて熟睡してたはずよ。あの人目が悪いから、睨んでるように見えただけなんじゃないの?」
「そうかな? だったらいいけど」
 蒼太は一応納得したらしく、ホッと息をついた。
 それにしても夜中の二時まで、一人で何をしていたのだろうと思う。結衣の部屋にテレビはないし、クランベールではそんな時間には放送自体ないのだ。
 ちょっと気になったので訊いてみる。蒼太は平然と答えた。
「ゲーム。ちょっとのめり込んでた」
「ゲーム機持ってきたの?」
「うん。ランシュがいる事知らなかったから、ロイドさんも姉ちゃんも仕事だし、昼間ヒマになると思って」
「もっと有意義なヒマ潰ししなさいよ」
 結衣が呆れたように言うと、てっきり反論すると思った蒼太が項垂れた。
「オレも考えが甘かったなって、ちょっと後悔した。バッテリが切れちゃってさ。充電、無理?」
「無理なんじゃない? 外国だし。っていうか、異世界だし」
「だよなー」
 蒼太がガックリ肩を落としてため息をつくと、結衣の横から、掃除を終えたマカロンを抱えて、ランシュが興味深そうに尋ねた。
「ゲーム機って何?」
 蒼太は顔を上げて、問い返す。
「え? クランベールにはないの? コンピュータゲーム専用の機械だよ」
「コンピュータゲームはあるけど、専用の機械はないよ。どんなもの?」
 機械と聞いて、ランシュの興味が更に引きつけられたらしい。
「そいつの調整が終わったら見せてやるよ」
 そう言った後、蒼太は名案を思い付いたように目を輝かせた。
「そうだ。ランシュにクランベール仕様に改造してもらえばいいんだ」
 安易な発想に、結衣は眉をひそめる。
「そんな事したらメーカーの修理保証が受けられなくなるんじゃないの?」
「ACアダプタだけで事足りるから大丈夫だよ」
「まぁ、あんたがいいんなら、いいけど」
 結衣がため息をつくと、再び横からランシュが口を挟んだ。
「エーシーアダプタって何?」
 アルファベットの略語はランシュにはわからない。どんなものなのか説明すれば、多分分かるのだろうが、結衣には電源プラグとしか答えられない。
 炊飯器や掃除機とは違う、あの黒い箱の中には、結衣の知らない機械部品が色々詰まっているような気がする。
 結衣が答えられずにいると、蒼太が代わりに軽く答えた。
「電力の変換器だよ。交流から直流に変える」
「あぁ」
 結衣にはすでに意味が分からないのに、ランシュには分かったらしく、大きく頷いた。
 二人は更に意味の分からない話を始めたので、結衣はキッチンに逃げ込んだ。
 今日の追加ケーキは、クリームパイに決めていた。
 本物のマカロンを知らないというランシュのために、卵白が欲しかったのだ。カスタードクリームを作ると卵白が余るので、クリームパイはちょうどいい。
 ゆうべの内に作っておいたパイ生地を型に広げて、オーブンに入れる。その間にカスタードクリームを作った。
 クリームを冷ましている間に、洗濯物を干しに二階へと上がる。ランシュもマカロンを連れて上がってきた。
 結衣が一階に下りて、出来上がったクリームパイを店に運び戻ってくると、二階から蒼太とランシュが揃って下りてきた。二人でゲーム機改造計画を話している。
 結衣は壁の時計に目を向けた。もうすぐ開店時間だ。
 マカロンは低温で焼くので、他のケーキやクッキーに比べて時間がかかる。焼くというより水分を飛ばすという感じなのだ。
 閉店後に改めて作る事にして、卵白を冷蔵庫に片付けた。
 リビングではランシュと蒼太が、額を付き合わせるようにして、ACアダプタを眺め回している。ランシュにとっては、日本の機械は珍しいのだろう。
 いつにも増して楽しそうなランシュの様子に目を細めて、結衣は店に向かった。




前へ 目次へ 次へ


Copyright (c) 2010 - CurrentYear yamaokaya All rights reserved.