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第3話 Resume Next |
1. 科学技術局の局長室でロイドは、朝から何度目か分からない、大きなため息を吐き出した。 机に両肘をついて、項垂れた頭を両手で支えながら、腕の間に置かれた書類を見るともなしにぼんやりと眺め続ける。 突然目の前に書類の束が差し出され、ギクリとして顔を上げると、冷ややかに見下ろす副局長フェティと目が合った。 彼女は表情を崩すことなく、書類を机の上に置いた。 「先ほどから何度も声はかけました。今日上がってきた申請書類です」 「あぁ、すまない」 ロイドは気のない返事をして、書類を受け取る。ペンを取り書類に目を通そうとして、ふと顔を上げると、てっきり立ち去ったものと思ったフェティが、まだ見下ろしていた。 「どうした?」 「いえ。体調を崩していらっしゃるのかと思って」 「いや、大丈夫だ」 「顔色が優れません。あなたに倒れられると皆が困ります。急ぎの仕事は、ほぼ片がついていますので、今日は早めに上がってください」 いつも今日の仕事は今日中に片付けろとうるさいフェティが、早く帰れというのが珍しくて、ロイドは思わず彼女を見つめた。 いや、元々フェティは、いざという時は、いつもロイドを気遣ってくれる。 ランシュが違法なロボットを作ろうとしていた時もそうだ。 止めようとしないランシュを、ロイドは最後まで説得に当たろうとしていた。それを知ったフェティは、ロイドの立場まで危うくなると判断し、ランシュの免職を促したのだ。 設計図は完成しようとしていた。それだけで、充分違法なのだ。説得しようとしていたとしても、他の者に知られれば、知っていながら見逃した事になってしまうだろう。 フェティが早期に判断してくれたおかげで、ロイドは職を追われる事を免れた。 そのせいでフェティは、ロイド以上にランシュの恨みを買う事になったのだが――。 ロイドはフェティを見上げて、少し笑みを浮かべた。 「わかった。そうする。すまない、フェティ。恩に着る」 「そう思われるのでしたら、体調管理には気をつけてください」 涼しい顔でそう告げて、フェティは局長室を出て行った。 書類に視線を落としたものの、今朝のランシュとのやり取りを思い出し、再び気が重くなる。 ロイドの気が塞いでいるのは、体調不良のせいではない。確かに疲れは溜まっているが、倒れるほどのものでもない。 これから自分が下さなければならない決断を思うと、気が重くなるのだ。 今朝、ランシュがロボットである事が発覚した。 熱湯をかぶって火傷を負ったはずのランシュの腕は、何事もなかったかのように、元通りになっていた。 「おまえは、何なんだ?」 すっかり動揺して尋ねるロイドに、ランシュは薄い笑みを浮かべて、静かに答える。 「ランシュ=バージュです。正確には、ランシュ=バージュの記憶をコピーした、ヒューマノイド・ロボットです」 その言葉に、ロイドは目の前が真っ暗になったような気がした。 このロボットは、ランシュ本人が設計製造したものだろう。そして自分の記憶をコピーしたのだ。 人の記憶を他の人やロボットなどに、コピーする事は法律で禁じられている。 記憶には本人しか知り得ない情報が多く含まれる。それを他人が知っていては、個人の特定が出来なくなるからだ。 ロイドは思わず、ランシュの両肩を強く掴んだ。 「それは違法だって、分かってるだろう!」 「乱暴しないでください」 ランシュはロイドの腕を掴んで肩から外し、ゆっくりと捻り上げた。 「ツッ!」 あまりの力に、ロイドが声を漏らすと、ランシュは腕を掴んだ手を離した。そして片手で、ロイドの首を素早く掴む。 「オレにはダメージセンサが搭載されているんです。あなたと同じように、強く掴まれれば痛いし、お湯をかぶれば熱いんですよ。傷つけば血も出ます。だって、ケガしても痛くも痒くもないし血も出ない、なんて人間はいませんよね」 首を掴んだランシュの手が、じわじわと締め付けてくる。両手でその手を外そうとするが、以前のランシュからは考えられないほどの力でビクともしない。 「オレの身体は人間そっくりに作られてるんですよ。当然ながら絶対命令なんてインプットされていません。だから気をつけてください。痛い事されたら、うっかりあなたを傷つけてしまうかもしれませんよ。今のオレは二年前と違って、あなたの首を片手でへし折る事だって出来るんですから」 息が苦しくなり、ロイドは顔を歪める。その様子を見て、ランシュはフッと目を細め、手を離した。 ロイドは首を押さえ、激しく咳き込む。しばらく咳き込んだ後、ロイドはランシュに尋ねた。 「おまえ、まさか……オレの家に来るために、邪魔になったベル=グラーヴを手にかけたんじゃないだろうな?」 ランシュが家にやってきた事と、ベル=グラーヴが亡くなった事が、あまりにタイミングよすぎて、ふと不安に駆られた。 ランシュは薄笑いを浮かべたまま、含みのある言い方をする。 「さぁ、どうでしょう? 非力な老人の息の根を止める事くらい、オレにとっては造作もない事ですけどね」 真偽のほどは定かではない。ランシュの表情から、それは読み取れない。 ロボットのランシュは、相手に悟られないように感情を殺す事など、それこそ造作もない事だろう。 逆にこちらの心の動揺は、丸見えに違いない。 ダメージセンサの他にも、高性能なセンサ類を搭載しているであろうランシュは、心拍数、呼吸数、体温、発汗、瞳の動きなどから、相手の心理状態がある程度把握できる。 おそらく聴覚、視覚も人並み以上だ。それでこの二年間、誰にも見つからず、身を隠す事が出来たのだろう。 ロイドはひと息ついて、もう一つ気になっていた事を尋ねた。 「ランシュはどうなった?」 「肉体の事ですか? それなら二年前に滅びました。もっともオレには死んだという意識はありませんけどね。目が覚めたら、身体がロボットになってて、数ヶ月経ってたって感覚です」 「おまえはランシュじゃない。ランシュの亡霊だ」 ロイドが冷たく言い放つと、ランシュは少し悲しそうに笑った。 「命は肉体に宿るものだと、あなたは考えているんですね。でもオレは、心に宿るものだと思っています」 そう言ってランシュは、胸の上で両手を重ね、目を伏せた。 「オレの心はここにあるって、ユイが教えてくれました。だからオレの命もここにあります。オレは身体を乗り継いで、生き続けているんです」 幸せそうに微笑むランシュを見ながら、ロイドは最後に耳にした彼の言葉を思い出す。 ―― 先生……オレ、死にたくない……死ぬのが怖いよ…… ―― その思いが、このロボットを作り上げた。 ランシュが二つの法を犯してまでも、このロボットに執着したのは、科学者としての純粋な探求心ではなく、ましてやロイドに対する反抗心でもない。 ただ単純に、命を長らえたかっただけ。 皮肉な事にロボットのランシュは、無表情でどこか冷めていた人間のランシュより、感情も豊かでよっぽど人間らしい。 ランシュがその才能を、存分に発揮する姿を見てみたいと思っていた。それを彼の死後、こんな形で目にする事になろうとは――。 ロイドは力が抜けたように、床にひざをついて項垂れた。目頭が熱くなり、メガネを外して手で覆う。 頭の上から、ランシュが静かに問いかけた。 「どうして泣くんですか? オレは生きているのに」 ロイドは力なく反論する。 「おまえは、ランシュじゃない……」 「オレはランシュです」 このロボットは数ヶ月間の記憶を、受け継いでいないと言った。 だから、知らない。 死に直面したランシュの、激しい恐怖と焦りを。 ランシュにそっくりなその顔で、幸せそうに微笑んだロボットが、哀れでならなかった。 |
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