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2.



 大した火傷じゃなかったからローザンは呼ばないと言い残して、ロイドは仕事に向かった。
 おそらくランシュの腕は、実際に損傷してはいないのだろう。ロイドはランシュがロボットである事を確認したのだ。
 二人でいったい、どんな話をしたのか、結衣には分からない。
 けれど二人の関係が、あまりいい方向に進んだわけではない事は、なんとなく分かった。
 服を着替えてリビングに戻ってきたランシュが、少し塞いでいるからだ。
「ランシュ、火傷は本当に大丈夫なの?」
 ソファに座ってぼんやりするランシュの隣に腰掛けて、結衣は尋ねる。ランシュはこちらを向いて、クスリと笑った。
「相変わらず心配性だね、ユイは。全然平気だよ。二百度くらいは耐えられるから、この皮膚」
「だって、すごく熱そうだったし」
「うん。熱かったよ。センサがついてるから感じるんだ」
「そうなの?」
「だって人間なら、そんなの当たり前でしょ? ロボットだってバレたらやばいしね。ほら、オレって違法だから」
「そうね……」
 思っていた以上にランシュの身体は、見た目だけでなく中身も精巧に作られているらしい。
 これでは、ランシュと少し距離を置いていたロイドが、気付かないのも無理はない。
 再びぼんやりと中空を見つめたランシュに、結衣は単刀直入に問いかけた。
「ねぇ、ロイドと何かあったの?」
 ランシュは少し悲しそうに苦笑して答えた。
「……先生は、オレをランシュだとは認めてくれなかった」
「え……」
「オレはあくまで、ランシュの記憶を持つロボットに過ぎなくて、ランシュの命は二年前に消えたんだって」
 結衣の知らない、人間だった頃のランシュを、ロイドは知っている。そんなに今と違っているのだろうか。それにしては、今まで気付かなかったのも不思議だ。
「そんなに今のランシュは、昔と違うの?」
「違わないと思うけどな。だって記憶は同じだし。ただ、オレには肉体が滅ぶ前の、約五ヶ月間の記憶がないんだ。死ぬ前に何を考えていたのかは分からない。もうすぐ死ぬんだっていう覚悟はあったんだけど。だからどうして、この身体を作ったのか不思議なんだ。免職になって作る事を中断されて、絶望してた。研究室に出入りできなくなったから、実質上部屋に軟禁状態で、どうせもうすぐ死ぬんだしって、自暴自棄になってたはずなんだけどね」
「え? ランシュって科学技術局の中に住んでたの?」
 結衣が問いかけると、ランシュは気まずそうに頭をかいた。
「あ、また余計な事しゃべっちゃったかな」
 そして開き直ったように、ニッコリ笑う。
「ま、いいか。オレ、もう局員じゃないし。ユイはすでに色々知ってるしね。オレ、科学技術局の中で生まれた体細胞クローンだったんだよ」
 あまりにあっさりと重大告白をされ、結衣は言葉を失う。
 ようするにランシュは、科学技術局所有の、実験体のようなものだったのだ。
「でも人のクローンって禁止されてるんじゃないの?」
「うん。局内で違法に作られたんだ。人間だった時も、オレの身体は違法だったんだよ」
 そしてランシュは、出生の経緯と二年前に寿命が尽きた理由を、教えてくれた。
 ランシュは健康管理の名目で、毎月身体の検査を受けていたという。局に戻ってそんな事をされたら、あっさりロボットだとばれてしまうのではないかと思ったが、ロボット故に、それについては、ごまかす方法があるらしい。
 だが免職になったランシュは、局に戻ってもする事がない。おそらく以前のように、部屋に軟禁状態になるのだろう。
 ランシュがポツリとつぶやいた。
「何が違うんだろう。昔のオレの方が、よっぽどロボットみたいだったのにな」
「え? そうなの?」
「そうだと思うよ。人付き合い悪かったし、どうせ長く生きられないからって冷めてたし」
「私には想像できない」
 今のランシュはよく笑う。優しくて親切で、色々と気遣ってくれる。それは今のランシュに心があって、人の気持ちが分かるから、そういう心遣いが出来るのだと思う。
 ロイドはヒューマノイド・ロボットに、感情がないと言っていた。今のランシュと深く付き合っていないロイドには、ランシュが昔のランシュの記憶を頼りに、真似ているだけのように思っているのかもしれない。
 ランシュはまた俯いて、寂しげに言う。
「ユイはオレの心がここにあるって言ったけど、実際のところ、オレにはよく分からないんだ。オレは身体を乗り換えて、生き続けているつもりなんだけど、ロボットに心や命があると思うのは、間違ってるのかな」
「そんな事ないわよ。ランシュには確かに心があるもの。ロイドは今日知ったばかりだから、きっと混乱しているのよ。お互いにもっと話をして、ランシュの事よく見たら、ロイドにも絶対分かるはずよ。あなたたち会話がなさ過ぎるのよ」
 そう言って結衣が背中を叩くと、ランシュは面食らったように目をしばたたいた。
「うん。まぁ、確かに会話はあまりないね」
「でしょ? 昔のしがらみは捨てて話してみれば? それこそ今のランシュが昔のランシュの真似をしているわけじゃないって事の証明になるんじゃないの?」
 ランシュは一瞬絶句して、目を見開いた。
「そっか」
 そして、いつもの屈託のない笑顔を見せる。
「前と違っててもいいんだ。ユイって賢いね」
 ランシュに笑顔が戻り、結衣はホッとして席を立った。
「早起きし過ぎちゃったからケーキ作ったの。食べる?」
「うん。ありがとう」
 二人で食卓に移動して、チョコチップ入りのシフォンケーキを食べ始める。
 おいしそうにケーキを頬張るランシュを見ながら、結衣の中にふと疑問が湧いてきた。
 ロボットのランシュは、飲んだり食べたりする必要はない、と言っていたが――。
 あまりに不躾に凝視していたからか、ランシュが気付き手を休めて問いかけた。
「どうかした?」
「あ、うん。ちょっと気になって……」
 まるで障害のある人に障害の事について尋ねるような後ろめたさを感じて、結衣は曖昧に言葉を濁す。
 するとランシュは、察したようにニッコリ笑って答えた。
「オレの身体の事? いいよ。何でも訊いて。自慢の身体だから」
 そして照れくさそうに付け加える。
「あ、でも、見た目は先生には遠く及ばないから、あんまり自慢できないけど」
 結衣は思わずクスリと笑う。
 確かにランシュは、女の子のように華奢な体つきをしている。やっぱり男の子は、たくましい身体に憧れるものなのだろうか。
「じゃあ、どうして自慢できる体つきにしなかったの? 顔だって、身を隠すなら昔と一緒じゃない方がよかったんじゃない?」
「身体に関しては、サンプルになるのが自分の身体しかなかったんだ。裸になって隅々まで念入りに見せてくれる人っていないよね。リアルにこだわってたから、データだけで作ったら絶対ウソっぽくなると思って」
「そんなにリアルなの?」
「かなりね。産毛の一本一本から指紋まで。全部見せてあげられないのが残念なくらい」
 そう言ってランシュは、イタズラっぽく笑った。
「顔の方はサンプルデータは取ったけど、オレの知ってる限りじゃ決めてなかったんだ。だから憶測だけど、目が覚めた時、別人になってたらビックリするから一緒にしたんじゃないかな。実際、オレも目覚めた時、しばらく頭が働かなかったし、身体をうまく動かせなくて混乱した」
「うーん。確かに、別人になってたら混乱するわね」
 結衣は先ほど気になっていた事を尋ねた。
「ねぇ、食べたものはどうなってるの?」
「分解してエネルギーに変換してる。人間と一緒だよ。排泄はしないけどね」
 言われてみれば、ランシュがトイレに行くところを見た事がない。
「全部分解してるの? 味も分かるのよね?」
「うん。味覚センサを切ったら、何でも食べられるよ。生ゴミ処理機にもなれる。けど、昔の記憶があるからさ、やっぱ人が食べられないものは遠慮したい」
 ランシュは通常、食物の口腔摂取により、エネルギーを補充している。それが出来ない場合は、充電によって賄うらしい。
 いざとなったら何でも食べられるので、そう簡単には死なないと言ったのは、そういう理由なのだ。
 排泄もしないし、汗もかかない。人間のように新陳代謝で、皮膚表面が汚れる事はないので、本来なら、泥や埃をかぶったりして物理的に汚れない限り、お風呂に入る必要もないらしい。
 結衣は感心したようにつぶやく。
「すごいわね、ランシュの身体って。ほとんど人間と変わらないじゃない。っていうか、人間より便利ね」
「うん。だけど、人間ならみんな出来るのに、オレにはどうしても出来ない事が、一つだけあるんだ」
「何?」
 結衣が首を傾げると、ランシュは悲しそうな表情で微笑んだ。
「眠って夢を見る事」
「夢を見ないの?」
「うん。ていうより、オレは眠らないから。夜は省電力モードでスタンバイしてる」
「え? じゃあ、今朝私が部屋を覗いたの、知ってた?」
「うん。晩ご飯食べてなかったから、充電中で動けなかっただけ」
 ランシュは俯いて、ポツリと吐露する。
「せめて夢の中で、ユイと恋人同士になれたらなぁ、って何度も思った」
 そして顔を上げると、慌てて取り繕った。
「ごめんね。もう、そんな事考えないから」
「ううん。気にしないで」
 昨日の今日では、ランシュの気持ちが、まだ吹っ切れていないのも頷ける。気持ちを簡単に切り替えられるわけはない。
 結衣もロイドに「好きになるな」と言われた時、どうしても気持ちを変える事は出来なかった。
 ランシュの感情が、完全に機械によって作り出されたものなら、報われない想いなどすぐに切り捨ててしまえるのではないだろうか。
 それが出来ないという事は、ランシュに心がある事の証明に他ならない。
 ロボットのランシュは、完璧で高性能な身体を持ちながら、心は不完全で不安定な人間そのものなのだ。
 それをロイドに分かって欲しい。
 ランシュの切ない気持ちを思うと、胸が締め付けられるような気がした。




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