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4.



「おまえ、ベル=グラーヴを手にかけてはいないんだろう?」
 ユイの淹れてくれた茶をひとつ、ランシュに差し出しながら、ロイドは問いかけた。
 今朝のランシュの含みのある言い方が気になったので、仕事の合間に調べてみたのだ。
 ベル=グラーヴの死因は肺炎だった。
 ランシュは受け取った茶を、ひざの上に乗せた。両手でカップを包み、俯いてそれを見つめる。
「直接手を下してはないけど、オレが見殺しにしたようなものです」
 ベル=グラーヴは、亡くなる二週間ほど前に風邪をひいた。最初は軽い咳と微熱だけだったという。かなりな高齢なので、ランシュは病院に行く事を勧めたらしい。
 だがベルは、薬を飲んで少し休めば治るから、と断った。ところが三日経っても熱は下がらず、咳も益々酷くなる。
 それでもベルは、頑なに病院に行く事を拒んだ。
「今思えば、おばあちゃんはオレを守ろうとしてくれてたんでしょう。オレが病院や役所に近付かないようにしていたのを知ってたから」
 歩行が困難なベルを気遣って、ランシュはいつも、ベルが外出する時には付き添っていた。
 けれど病院や役所に行く時だけ、いつも理由を付けて途中までしかついて行かなかったらしい。
 日に日に衰弱していったベルは、風邪から肺炎を誘発し、死に至った。
「おばあちゃんはオレの主でした。オレに絶対命令がない事を知らないから”命令だ”って言われれば、従うしかありません。そう自分に言い聞かせて、保身のために”少し休めば治る”という言葉に甘えただけです。オレに絶対命令があったなら、自分の身よりも、命令よりも、おばあちゃんの命の方が、優先順位は高いはずなのに」
 一層俯いたランシュの目から、水滴がこぼれ落ち、カップを握る手の甲を濡らした。
 ロイドは少し目を見張る。
「驚いたな。おまえは涙も流すのか」
 ランシュは俯いたままつぶやく。
「そんなの当たり前でしょう。悲しい時に泣けないなんて、余計に悲しくなるじゃないですか」
 ベルはランシュがロボットである事を、始めから知っていた。ランシュはベルに、主に捨てられたセクサロイドだと告げていたらしい。
 人でないなら、カードが使えない事の言い訳が立つからだ。
 ベルのカードを勝手に使ったのは、ユイの店に来た時だけだという。カードに細工をしたのではなく、無線通信で認証装置のプログラムに干渉し、ごまかしていたようだ。
 高熱で思考力の低下していたベルは、ランシュが毎日ユイのお菓子を持って来ても、大して疑問に思っていなかったらしい。
 涙が止まり、ランシュは一口茶を含む。
 落ち着いたところを見計らって、ロイドは一番知りたかった事を尋ねた。
「おまえは復讐なんか考えてないだろう? オレに復讐してやると言ったのは、死亡する一ヶ月前のランシュだ。おまえにはあの頃のランシュの記憶はないだろう」
 ランシュは少し小首を傾げ、口元に笑みを浮かべる。
「バレましたか。あなたが復讐しに来たのかと訊いたから、利用させてもらいました」
「なぜ、そんな事を……」
「オレは、ユイと家族のように一緒に暮らしたかったんです」
 ロイドは愕然とする。
 このロボットには、科学技術局で暮らしていたランシュの記憶しかない。生まれた時から局内で生活し、外出許可が下りてからも、パーツ屋か本屋にしか行かなかったランシュは、家族がどんなものか知らない。
 街で家族の姿を、目にする事はあったかもしれない。だが常に監視のついていたランシュは、それに憧れるほどの接触はしていないはずだ。
 元々無表情で何を考えているかは分からなかったが、一番長く一緒にいたロイドには、そんな様子は微塵も見せていなかった。
 家族に対する憧れは、このロボット独自の感情だ。
 ロイドの動揺を感知したのか、ランシュはクスリと笑う。
「ウソじゃありませんよ。推測ですが、オレが復讐を宣言したのは、あなたに生涯をかけた研究を途中で奪われたからでしょう? けれどそれは、こうして実現しているわけですし、今さら無意味なものです」
 ランシュは自分の手を見つめ、遠い目をした。
「意外に思うかもしれませんが、オレの死に顔は、幸せそうに笑ってたんですよ。この手をしっかりと握って。夢を実現できたから満足してたんだと思います」
 ランシュはこのロボットに、メモを残して絶命していた。
 自分の遺体を処分し、誰にも見つからないように局を出る事。そして病院と官庁街には近付かない事。
 ランシュの記憶を持つロボットは、局内の施設やセキュリティは熟知している。
 ロボットの能力でセキュリティをかいくぐり、局内にある実験動物の処理施設で遺体を処分し、難なく科学技術局を抜け出した。
 そして街角にうずくまっているところを、ベル=グラーヴに拾われたらしい。
「一番やりたかった事は、知らない間に実現してしまってるし、オレは目標を見失っていました。他にもやりたい事は色々あったはずなんですが、もう明日死ぬかもしれないってわけじゃなし、って思ったら、どうでもいい事のように思えました」
 ランシュはひと息ついて、茶を一口すすり、再び口を開く。
「オレは最初、おばあちゃんを”マスター”って呼んでたんですけど”おばあちゃん”って呼んでくれって言われました。”あんたはあたしの孫だから”って。おばあちゃんはオレをロボットだと知りながら、本当の孫のように扱ってくれたんです。必死になって研究に没頭しなくても、おばあちゃんと一緒に普通に生活しているだけで毎日楽しかった。そんな家族との普通の生活が一番楽しくて幸せな事だって、おばあちゃんがオレに教えてくれたんです。だからおばあちゃんを失った後、もう一度家族が欲しくなったんです」
 このロボットが起動してから二年間の内に、経験した事や考えた事も記憶データとして蓄積される。それも合わせて感情が作られているとしても、経験のないランシュ自身が、家族との生活を楽しいとか幸せだとか感じるかどうか、計算するのは難しいような気がする。
 にわかに信じ難い事だが、このロボットには生前のランシュとは違う、独自の感情が芽生えているのかもしれない。
 言い換えれば、それは”心”だ。
 心があるという事は、生きているという事。今朝ランシュが言っていた事を、ロイドも否定はしない。
 けれどそれを、科学技術局の幹部局員たちに、どうやって納得させればいいのか、ロイドには分からなかった。
 黙り込んだロイドに、ランシュは静かに声をかけた。
「先生、話はこれで終わりじゃないんでしょう?」
「あぁ」
 力なく頷いた後、ロイドは意を決して、ランシュを真っ直ぐ見つめた。
「オレはランシュの安否を知っている以上、局に通知する義務がある。同時にランシュの作った違法なロボットがここにあるという事もだ。局に引き渡せば、おまえは間違いなく、機能停止処分になる。最悪、解体されるだろう」
 ランシュはフッと笑い、目を伏せた。
「あなたはやはり冷酷な人だ。オレに……ランシュに、改めてもう一度死ねと言うんですね」
 ロイドは感情を押し殺し、ランシュに最後通牒(さいごつうちょう)を突きつける。
「ランシュの作ったロボットが、超高性能な事は周知の事実だ。だからどんなに厳重に閉じ込めておいても、オレが寝ている隙にうまく逃げ出してしまう事は充分考えられる。誰も不審に思わないだろう。オレは明日の朝、局に連絡する。おまえはそれまで好きにしろ」
「わかりました」
 無表情で返事をして、ランシュは席を立った。ロイドがカップを受け取ると、ランシュは黙って部屋を出て行った。



 すっかり冷め切った茶を一気に飲み干し、ロイドは廊下に出た。ランシュの姿はすでにない。
 トレーを持って一階に下りると、そこにもランシュはいなかった。部屋に戻ったのだろう。
 ランシュが出て行くとしても、皆が寝静まった真夜中だろう。
 ロイドはキッチンへ向かう。
 明日の準備を終えたばかりのユイが、笑顔で振り向いた。
「話、終わったの?」
「あぁ」
 トレーを受け取りながら、ユイはニコニコ笑う。
「風呂を済ませたら、おまえの話を聞こう」
 ロイドがそう言うと、手早くカップを洗い終えたユイは、笑いながら告げた。
「私の話は、もう終わったようなものよ」
「は?」
「ランシュと話をして欲しかったの。なんかケンカしてるみたいに見えたから」
「そうだったのか」
 ロイドは苦笑しながら、ユイの頭を撫でる。するとユイは、興味深そうに上目遣いで見上げた。
「で、仲直りできた?」
「あぁ」
「よかった」
 ユイはホッとしたように笑った。
 明日になれば、ランシュはもういないかもしれない。そして二度と会えないのかもしれない。
 嬉しそうな笑顔に胸が痛くなり、ロイドはおもむろにユイを抱きしめた。
「ユイ、もしもオレが間違った選択をしたとしても、おまえだけは見捨てないでいてくれるか?」
 ユイはロイドの背中に腕を回し、強く抱きしめ返す。
「当たり前じゃない。世界中の人が、あなたを非難しても、私はずっとあなたの味方よ」
 ユイの優しさと温もりに胸が熱くなり、ロイドはしばらくの間、ユイをきつく抱きしめた。




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