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5. ケーキを焼きながら朝食の支度をしていると、いつもよりかなり早い時間にランシュがキッチンにやってきた。 結衣は驚いて声をかける。 「どうしたの? 今日は早いのね。眠れなかった?」 何気なく発した言葉に、ランシュはクスクス笑う。 「うん。毎日眠れないよ」 「あ……そうだったわね。つい……」 結衣が苦笑すると、ランシュは少し気まずそうに言った。 「今日はちょっと先生に話があるんだ。それで手伝う事が出来ないから、ごめんね」 「そんなの気にしなくていいのに。ロイドはまだ眠ってると思うわ。私の代わりに叩き起こしてかまわないから」 「それは後が怖いな」 二人で顔を見合わせて、同時にプッと吹き出す。少しの間笑った後、ランシュは握った手を結衣に差し出した。 「ユイ、これ受け取って」 「何?」 結衣の手の平にランシュが乗せたものは、小さくて四角いロボットだった。底面には小さな車輪が三つ付いていて、頭には触覚のようなものが二本生えている。 「プレゼント。ゆうべ突貫で作ったから、こんなものしかできなくて。前に話した脳のないロボットだよ」 「へぇ。この子、何が出来るの?」 「迷路探査。この触覚は立体迷路用のセンサで、底にあるセンサは濃い色の付いた線を辿るように出来てる。紙に線を描いて辿らせるとおもしろいよ」 「うん。後でやってみる」 「ちゃんと見張っててね。時々、あさっての方に走っていくと思うから」 「わかった。ありがとう」 結衣が笑って頷くと、ランシュは満足したように微笑んだ。その達観したような穏やかな笑顔が、結衣の漠然とした不安をかき立てる。 ランシュとロイドは、ゆうべ話し合って仲直りをしたと聞いた。これからも一緒に暮らしていく上での障害はなくなったものだと思い、結衣は安心しきっていた。 わざわざ突貫で作ったロボットを、プレゼントしてくれる理由も気になるので尋ねた。 「どうして突然プレゼントをくれるの?」 ランシュは言いにくそうに言葉を濁す。 「えーと……。オレのプレゼントはなんでもうれしいって言ってくれたから、ユイには色々お世話になってるし……」 嫌な予感がして、結衣はランシュの腕を両手で掴んだ。 「もしかして、出て行こうとしてるの?」 黙って目を逸らすランシュに、結衣は詰め寄る。 「どうして? ロイドとは仲直りしたんでしょ? 私といるのは、そんなに辛いの?」 「違うよ。ユイと一緒にいるのは辛くない」 ランシュはこちらを向いて、即座に否定した。 「そうじゃなくて、オレ、科学技術局に戻らなきゃならないんだ」 「え?」 自分の不安が取り越し苦労だったと気付き、結衣は拍子抜けする。 少し恥ずかしくて、乾いた笑いを漏らした。 「ははっ。なんだ、そうだったの。早く言ってよ」 「ごめんね。言い出せなくて。短い間だったけど、ユイに出会えて、一緒に暮らせて、楽しかったよ。ありがとう」 ロボットである事はごまかせると、ランシュは言っていた。科学技術局に戻れば、すぐに復帰は無理でも、ロイドが付いていれば、何とか計らってもらえるだろう。 ゆうべ、そんな話し合いをしたのかもしれない。 ユイは差し出されたランシュの手を握り返す。けれどまだ、不安は消えずにいた。 名残惜しむかのように、結衣をじっと見つめて、ランシュは握った手を緩く振りながら離そうとしない。 「たまには遊びに来てね」 ランシュは一瞬ためらった後、満面の笑顔で頷いた。 「うん。必ず」 キッパリと言い切って、ランシュは手を離した。 ウソだと直感した。 ランシュは職場復帰するために、科学技術局に戻るわけじゃない。違法なロボットとして、処分されるために戻るのだ。 そう気付いた途端、結衣の目から涙が溢れ出した。 「い……や……」 「どうしたの? ユイ」 ランシュが慌てて、心配そうに顔を覗き込む。涙で滲んだランシュの姿が、今にも消えてしまいそうな気がして、結衣は彼の首に腕を回し抱きしめた。 「ランシュがいなくなるなんてイヤ」 ランシュはうろたえた様子で、結衣の腕をほどこうとする。それを阻止するため、結衣は益々しがみついた。 諦めたランシュは、静かに言う。 「落ち着いて、ユイ。局に戻るだけだよ」 「戻ったら、身体を処分されるんでしょう?」 固まっていた身体の力を抜いて、ランシュはクスリと笑った。 「かなわないなぁ、ユイには。どうしてバレたんだろう」 「私を騙そうなんて、百万年早いのよ」 「じゃあ、ユイが生きている間、オレはユイにウソはつけないね」 ランシュは益々おもしろそうに、クスクス笑う。 「そうよ。もっとずっと生きていて。ロイドに頼んであげるから」 「それでも先生は、義務を果たすよ。そういう人だって、ユイも知ってるでしょう?」 「だってイヤよ。ランシュは生きているのに」 たとえ身体が違法なロボットでも、ランシュには人と同じ心があって、生きている。心の器である機械の身体を、処分するという事は、彼の死を意味する。 ランシュは結衣を、そっと抱きしめ返した。 「時々、不安で堪らなかった。おばあちゃんといた時もそうだけど、ユイと一緒にいると、もっと不安は大きくなった。オレは眠らないから、本当は長い夢をずっと見続けているんじゃないかって。こんな時に不謹慎かもしれないけど、オレ、今すごく幸せだよ。ユイに抱きしめてもらえるなんて。これが夢なら、ホント、覚めないで欲しい」 「夢じゃないわ。私もランシュも、ちゃんとここにいる」 「うん。そうだと信じたい。だからユイ、オレを覚えていて。ずっとじゃなくていいから。時々思い出して。オレがここに生きていたっていう証に」 一際強く抱きしめて、ランシュは腕をほどいた。 止められない。そう悟った結衣も、仕方なく腕をほどく。 ランシュは結衣の頬に手を添え、流れる涙を親指の腹で拭った。けれど拭う端から、涙は止めどなく溢れ出す。 困ったように苦笑して、ランシュは見つめた。 「もう泣かないで。ユイを泣かせた事が知れたら、オレが先生に怒られちゃうよ」 「そしたら私がロイドを怒ってやるわ。だって元々ロイドのせいだもの」 ロイドの立場上、仕方のない事だとしても、ついつい恨み言が口をついて出た。 「先生を悪く思わないであげて。あの人は精一杯譲歩してくれたんだ。自分が寝ている間にオレが逃げ出したなら仕方ないって。オレに一晩の猶予をくれたんだよ」 頑固なロイドが、ランシュのために譲歩したのが意外で、結衣は思わず目を見張る。故意に逃がした事が知れれば、自分もただでは済まないはずだ。 だが、すぐに納得した。 職務に忠実で頑固なロイドが、ルールに背く時は、自分が全責任を負おうとする。 そしてそれは、誰かを守るため。 かつて、王命に背いてまでも、結衣を守ろうとしていた。 ゆうべロイドは、ランシュをランシュだと認めたのだ。 ゆうべ縋るようにして、見捨てないでくれと言ったのは、この事だったのだと分かった。 一番辛いのは、結衣でも、処分されるランシュでもなく、その決断を下さなければならないロイドなのに。 少しでも彼を非難しようとした事が情けなくて、余計に涙が溢れ出した。 「分かってる。ロイドはそういう人よ。私は何があっても、あの人の味方だって約束したから。でも、どうしてランシュは逃げ出さなかったの?」 「逃げ出しても行く当てはないし、もう、ここには近付けない。二度とユイに会えないなら、オレにとっては同じ事だから。先生に迷惑をかけるより、素直に従う方がいいと思ったんだ」 ランシュは元気づけるように、結衣の肩をポンと叩いた。 「ほら、もう泣かないで。最後は笑って送り出してよ。オレはやっと眠れるんだ。ユイの笑顔を思い浮かべながら眠りにつきたいから」 「う……ん……」 頷きながらも、結衣の涙は止まらない。 「ユイ、大好きだったよ」 囁くようにそう言って、ランシュは頬に、優しいさよならのキスを送る。 そしてそのまま背を向けて、振り返ることなく、キッチンを出て行った。 |
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