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7.



 身支度を整えて、ランシュと共に階下へ降りる。ダイニングへの扉を開くと、ユイがわざとらしいほどの笑顔で挨拶をした。
 ユイには科学技術局へ戻る事を告げたと、ランシュが言っていた。この表情は、何かを察しているのかも知れない。
 ロイドは素知らぬフリをして、挨拶を返し食卓に着く。ランシュも席に着くと、ユイが作った朝食を囲んで、いつも通りの食事風景が展開された。
 だがいつもはユイとランシュが他愛もない雑談をしているのに、今日は誰ひとりとして言葉を発する者がいない。
 重苦しい空気の中、それぞれが黙々と食事をする。
 皆が食事を終えるのを見計らって、ロイドは席を立った。ランシュも続いて席を立つ。
 いつもはユイと一緒に後片付けを手伝う彼も、リビングに向かうロイドの後に黙ってついて来た。
 いつもと違うランシュの行動に、ユイは何も言わず、食卓の上の食器をまとめてトレーに乗せると、キッチンへ姿を消した。
 それを見届けてロイドは、リビングの壁際に置かれた電話の前に立つ。
 副局長のフェティは家が近いのもあって、いつも早く出勤している。今頃の時間は、すでに自分の研究室にいるはずだ。
 科学技術局への発信ボタンを押そうとした時、ふと視界の端に人影がよぎった。
 見ると、てっきり洗い物をしていると思っていたユイが、リビングの隅に立っていた。
 これからのやり取りをユイに聞かれて、邪魔をされては面倒だ。
 ロイドは手を止め、ユイに言う。
「ユイ、悪いが……」
「邪魔しないから」
 席を外してもらおうと思ったら、話し終わる前にユイが拒否した。
 一歩も退かないという強い意志を孕んだ目で、ロイドを真っ直ぐに見つめる。
「見届けたいの」
「何を……」
 科学技術局の事情を、部外者のユイに知られるのはマズイ。ロイドがあくまで、とぼけていると、思いも寄らない事をユイは口にした。
「私、知ってるの。ランシュがロボットだって事」
 思わず横にいたランシュを睨む。ランシュが口を開きかけた時、それを遮るようにユイは言葉を続けた。
「ランシュから聞いたんじゃないわ。私が自分で気付いたの。ランシュは否定しなかっただけよ」
 ユイは色恋沙汰には激ニブだが、他の事には驚くほど鋭い。
 小鳥がランシュを攻撃した事で、気付いたのかも知れない。
 ――という事は、昨日の朝、小鳥の調子がおかしいと言ったのは、ランシュから聞いたと思わせないように、ロイドに気付かせようとしたのだろう。
 まんまと誘導されたという事か。
「それについては後で聞く」
「お願い。ここにいさせて」
 縋るような目で見つめられ、ロイドはひとつ息をつく。
「わかった」
 気を取り直して、ランシュに忠告する。
「おまえは余計な事をしゃべるなよ」
「わかりました」
 ランシュが頷くのを確認して、ユイにも忠告する。
「ユイ、おまえもだ」
「うん」
 ロイドのいう事を聞かない二人だが、今回ばかりは聞いてもらわないと困る。二人に念を押し、ロイドは改めて発信ボタンを押した。
 数回のコールの後、科学技術局に繋がった。フェティに繋いでもらい、程なく画面に彼女の顔が映し出された。
 フェティは挨拶と共に、ロイドに尋ねる。
「おはようございます。本日はお休みになりますか?」
 昨日、体調不良で早めに帰ったので、休みの連絡だと思ったらしい。
「いや、体調はもう回復した。報告したい事があるんだ」
「何でしょう?」
「ランシュ=バージュが見つかった」
 フェティの表情が少し曇る。伏し目がちに問いかけた。
「そうですか。今は警察に?」
 遺体が発見されたと思ったのだろう。ランシュを知る者は、彼が今も生きているとは思えないからだ。
「いや、ここにいる」
「え?」
 呆然とするフェティの前に、ロイドと入れ替わりにランシュが立った。ランシュの横から眺めていると、フェティの目が益々見開かれる。
「本当に、ランシュなの?」
 ランシュはフワリと微笑んで挨拶をした。
「はい。お久しぶりです、副局長」
「いったい、どうやって……」
 フェティもロイドと同じ疑問を持ったらしい。
「えーと、それは……」
 ランシュは困ったように口ごもりながら、ロイドを見つめた。
 ロイドは横から顔を出し、フェティに説明する。
「詳細は不明だが、モグリの医者かバイオ科学者に、遺伝子治療を受けたらしい」
「そんなこと……」
 眉をひそめるフェティに、ロイドはピシャリと断言する。
「それしか考えられない。だが本人は当時の記憶が欠落している。瀕死の状態で、意識が混濁していたんだろう。誰に助けられたのかは不明だ」
「そうですか……」
 フェティは一応、納得したようだ。チラリと部屋の隅に視線を送ると、ユイが目も口も大きく開けて、間抜けな顔でこちらを見ていた。
 ここで騒がれては元も子もないので「黙ってろ」と目で制する。ユイは両手で口を押さえて、コクコクと頷いた。
 ロイドは再びフェティに視線を戻して、指示を出す。
「後で連れて行く。幹部たちに知らせておいてくれ。詳しい事はその時話す。医療チェックの手配も頼む」
「わかりました」
 機械的に返事をした後、フェティの視線はランシュに注がれる。ガラス玉のように澄んだ青い瞳に、みるみる涙が滲む。
 フェティは片手で口元を覆いながらつぶやいた。
「よかった……。よく無事で……」
 ランシュは静かに答える。
「後でお伺いします」
「えぇ、待ってるわ」
 互いに頷きあって、二人は電話を切った。
 電話を終えたランシュが、もの言いたげにロイドを見上げた。その時、部屋の隅からユイが声を上げた。
「ランシュ!」
 ユイは目に涙を浮かべながら、笑顔で駆け寄ってきた。そして隣にいるロイドを無視して、思い切りランシュに抱きつく。
「え……ちょっと、ユイ……」
 うろたえながらランシュは、顔色を窺うようにロイドを見上げた。
 ロイドは少し眉を寄せて、顔を背ける。そしてボソリとつぶやいた。
「……今だけは、許す」
 ランシュに抱きついたまま、ユイは涙声でつぶやいた。
「よかった。ランシュがいなくならなくて」
「心配かけてごめんね。先生のおかげだよ」
「うん」
 ユイはランシュから離れて涙を拭うと、ロイドに小さい笑顔を向けた。
「ロイド、ありがとう」
 ロイドは腕を組んでそっぽを向いたまま、ぶっきらぼうに答える。
「別に。ランシュが選んだ道だ」




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