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8.



 先ほど寝室にやってきたランシュに、ロイドは二つの道を示し、本人に選ばせた。
 ひとつはロボットとして生きる道。もうひとつは人として生きる道だ。
 ロボットとして生きるなら、身体の機能は今のまま、一切手を加えない。そのかわりランシュの作った人格形成プログラムと、絶対命令をインプットする事が条件だ。
 これにより実質的に今までのランシュは消滅し、ランシュと同じ姿形をした全く別のロボットとして生きる事になる。
 そして人として生きるなら、人格形成プログラムと絶対命令はインプットしない。
 かわりに視力、聴力、筋力等の身体機能を、人間並みにデチューンする。そして寿命を設定し、数年に一度人工皮膚の老化メンテを行う。
 ロボットの身体にランシュの記憶と心を持って、それを他人に知られないようにしながら、人と同じように生きる事になる。制限はロボットとして生きるよりも、かなり厳しい。
 話を聞いてランシュは、恐る恐るロイドに問いかけた。
「オレは、人として生きていてもいいんですか?」
「あぁ」
「絶対命令がないのに?」
「そんなものは必要ない。生きる事に焦がれ、誰よりも死を恐れたおまえなら、過ちを犯す事はないと確信している」
 絶対命令の中で、一番優先度が高く重要視されているのは、人に危害を加えてはならないというものだ。
 絶対命令が、なぜ義務づけられているのか。それは心のないロボットには、人の痛みや命の重みが理解できないからだ。
 心を持ち、死を恐れたランシュには、それは充分に分かっている。
 ランシュは人として生きる道を選んだ。
 ロイド自身も腹を括らなければならない。
 これからの方が大変だという事は分かっていたが、ロイドはなぜかホッとして、心の霧が晴れたような気がした。
 未だに涙ぐむユイを気にしながら、ランシュがロイドに問いかけた。
「本当にこれでよかったんですか?」
「今さら何を言っている。おまえが選んだ道だろう」
「でも……」
 ロイドはニヤリと笑い、ランシュの顔を覗き込む。
「なんだ、医療チェックが心配なのか? 医療機器を欺くくらい朝飯前だろう? それとも、そんなことも出来ないようなポンコツなのか?」
「それは心配していません。オレはあなたが心配なんです。もしもオレのことがバレたら、あなたもタダでは済みませんよ」
 不安そうな目で見つめるランシュに、ロイドはフッと笑みを浮かべて頭を撫でた。
「そんな事は承知の上だ。もしもその時は、共に墜ちてやる」
「先生……」
 ランシュの目に涙が滲む。それにつられたのか、ユイも再び涙を浮かべた。
「ロイド……」
「あーっ、もう! いちいち泣くな。どいつもこいつも!」
 ロイドは二人の額を、次々に叩く。そしてランシュの額をもうひとつ叩いた。
「おまえ、さっきもオレのとこで泣いただろう? 体内の水分タンクが空になるぞ」
「食事の時補充したから大丈夫です」
「ったく」
 指先で涙を拭いながら減らず口をたたくランシュを一瞥し、ロイドはユイを問い質した。
「そういえばユイ、どうしてこいつがロボットだと気付いた? 小鳥が攻撃したからか?」
 ユイはエプロンの裾で涙を拭い、鼻をすすりながら答えた。
「確信したのはその時だけど、もっと前から知ってたわ。だってランシュって、鼓動が聞こえないし、息してないんだもの」
 鼓動は、抱きしめられた時に気付いたのだろう。だが呼吸はどうやって気付いたのか、見当も付かない。それを尋ねると、ユイはクスクス笑いながら答えた。
「あなたたちって色々似てるところがあるのよね。ほら、あなたがよくやる耳元でコソコソ話すの、ランシュも時々やるのよ」
 ユイは耳元でコソコソ話されると、背筋がゾクゾクするから苦手だという。だがランシュの時には、なぜかゾクゾクしない。
 ロイドに限らず、他の人でもゾクゾクするのに、どうしてランシュの時には平気なのか、不思議に思い原因を考えた。
 そして、ロイドの時には耳や首筋に息がかかるのに、ランシュの時には声だけ聞こえて息がかからないことに気付いたらしい。
 試しに自分の手を口元に寄せてしゃべってみたが、どうやっても息をかけずにしゃべることは出来なかったという。それで、ランシュが呼吸をしていないことに気付いたのだ。
 ロイドはランシュを睨み、額を叩いた。
「呼吸を忘れる人間があるか!」
 ランシュは額を押さえながら反論する。
「だってオレには必要ないし、あなただって意識して呼吸してないでしょう?」
「それはそうだが、大丈夫なのか? 肺活量の検査もあるぞ」
「フリをするくらいは出来るし、機器の方はごまかせますから」
 ヘラリと笑って、ランシュは事も無げに言う。
「まぁ、今日の検査はいいとして、改良の必要はあるな。おまえ、しばらく人と至近距離での会話は控えろ」
「え? ユイとも?」
 ロイドは思い切り顔をしかめて、ランシュを睨んだ。
「ユイとは今後一切禁止だ」
「えぇ?!」
 不満そうな声を漏らすランシュを引っ張って、ロイドは玄関に向かう。
「さっさと行くぞ。遅刻する」
「行ってらっしゃい」
 背後でユイが、クスクス笑いながら送り出した。




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