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終章




 夜になり、ロイドはいつもより早めに家に帰った。ランシュが戻って来たことで、科学技術局内は大騒ぎになり、ロイド自身もそれに追われていたが、他の局員たちも仕事が手に着かず、局内の仕事が停滞してしまったのだ。
 明日になれば副局長に尻を叩かれて、仕事は回り始めるだろうが、騒ぎそのものはしばらく収まりそうにない。
 玄関の扉を開けると、ユイがいつものように笑顔で出迎えた。挨拶のキスを交わした後、ロイドが一人な事に気付いて、不安そうに尋ねる。
「ランシュは?」
「検査が長引いてる。先に帰ってくれと言われた」
「変なとこでも見つかったの?」
「いや、その前に事情説明や問診が長引いたんだ。検査の方は、あいつなら大丈夫だろう」
「よかった。じゃあ、帰ってくるのね」
「あぁ」
 ロイドが頷くと、ユイはホッとしたように微笑んだ。
 ランシュとはこの二年間の経緯について、口裏を合わせてある。今後のことを考えると、ユイにも話しておいた方がいいだろう。
 科学技術局に戻ることを知って心配していたところを見ると、ランシュが違法なロボットであることは知っているようだ。
 いう事を聞かないランシュが、黙っていたかどうかは疑問なので尋ねた。
「おまえ、どこまで知っている?」
 ユイは気まずそうに、上目遣いで見つめて白状する。
「えーと……ランシュの事なら、大体……」
 そして慌てて補足した。
「ランシュを怒らないでね。私が、ついつい色々訊いちゃったから」
「そんな事はしないし、する資格もない。オレはすでに犯罪者だ」
 ランシュが違法なロボットだと知りながら容認し、虚偽の報告を行っている。科学技術局に知られれば、間違いなく裁かれ、重い罰が科せられるだろう。
 ロイドはユイを抱き寄せ、髪をなでた。
「おまえを共犯者にしてしまったな」
「平気よ。私もあなたと一緒なら、どこまでも共に墜ちるから」
 にっこりと微笑むユイを促して、リビングのソファに移動する。
 ロイドはランシュと口裏を合わせた、二年間の経緯をユイに話した。
 ランシュは二年前、意識が朦朧とした状態で、誰かに拾われ遺伝子治療を受けた。
 その者がなぜ、そんな事をしたのか不明だが、大方自分の研究成果を実証してみたかったのだろう。科学者なら、よくある動機だ。ランシュは好都合な実験体だったのだ。
 術後目覚めたランシュは、病室に閉じ込められ、食事も小さな窓から差し入れられるだけで、誰とも顔を合わせていない。時々、医療ロボットがやって来て、検査が行われた。
 そして充分快復した頃、視界を塞がれたまま連れ出され、ベル=グラーヴに引き取られた。ランシュはそのまま、二年間をベルと共に暮らす。
 ベルはランシュを治療した者の知人だと言うだけで、詳しくは教えてくれなかった。
 ベルが亡くなった後、その病院に連れ戻されるのを恐れたランシュは、家を逃げ出した。そしてベルが生前よく通っていたお菓子屋に、救いを求めて訪れ、そこが偶然ロイドの家だったのだ。
 だが成功したと思われる実験結果を、なぜすぐに公表しなかったのか。
 それは違法と思われる技術を用いて行われた実験で、もしもランシュの容態が急変した場合、自分の身が危ないからだろう。ベルに監視させていたところ、公表に踏み切る前に、ランシュが逃げ出したのだ。
「よくできたシナリオだろう?」
 ランシュが世話になった故人に、片棒を担がせるのは申し訳ないが、死人に口なしだ。ベルが追及されて、ボロが出る心配はない。
「おばあちゃんもランシュのためなら許してくれるわよ。でもどうして二年間も科学技術局に連絡しなかったのかって言われなかった?」
「言われた。だが、あいつは免職になってるからな。戻ったら監禁されるだけだから、それがイヤで連絡しなかった事にした」
 ユイは途端に表情を曇らせる。
「やっぱり、局に戻っちゃうの?」
「いや、ここから通うことになる」
 ランシュはもう分別のない子供ではないし、いつ命が尽きるか分からない実験体でもない。
 それを局内に閉じ込めるのは、人道上問題がある。そこを諭して、しばらくはロイドの監視下に置き、問題がなければ復職させる事になった。
「局としても、あいつの頭脳が民間にさらわれるのは痛いからな。満場一致で承認されたぞ」
「よかった。でもまた昼間は私ひとりになっちゃうのね」
 ホッとしたように微笑みながら、ユイはフッと寂しそうな表情を見せた。それがロイドにとっては、少しおもしろくない。
 ランシュは告白してふられたと言っていたが、気になったので尋ねてみた。
「おい、あいつが好きなのか?」
「え?」
 面食らったように目をしばたたいたユイは、すぐにイタズラっぽく笑って答えた。
「好きよ。先生と違って、ランシュは優しくて親切で、よく気が利くし」
 その表情は明らかにロイドをからかっている。ロイドはユイを抱き寄せ、ニヤリと笑った。
「聞き捨てならないな。罰として今度こそ気絶させてやるから覚悟しろよ」
 てっきりいつものように真っ赤になってうろたえると思ったら、ユイはペロリと舌を出した。
「残念でした。しばらくお預けよ」
「なぜだ?」
 首を傾げるロイドに、はにかんだような表情でユイは告げた。
「おなかに赤ちゃんがいるの」
 ロイドは思わず眉をひそめる。ユイは以前、食べ過ぎの胸焼けを妊娠と勘違いして、ロイドをぬか喜びさせた事があるのだ。
「今度は本当なのか?」
「うん。ずっと生理が止まってて気になってたんだけど、ランシュやソータが来てごたごたしてたから、今日やっと病院に行って調べてもらったの」
「そうか」
 ロイドはユイをギュッと抱きしめる。ユイも同じように抱きしめ返した。
 耳元でユイが嬉しそうに囁く。
「あなた、来年にはお父さんになるのよ」
「あぁ。なんか不思議な感じだな。家族が増えるって」
 ユイが勘違いした時に夢見た、家族との情景が脳裏に蘇り、嬉しさがこみ上げてくる。ただ以前と違うのは、そこに子供たちと一緒に笑う、ランシュの姿がある事だ。
 自然に頬が緩み、ロイドはユイの耳元で囁き返した。
「そういう事なら仕方ない。そのかわり毎日、思う存分キスしてやるからな」
 ユイはくすぐったそうに首をすくめ、クスクスと笑う。
「二年前もお預けになった時、同じ事言ったわね」
「余計な事を思い出すな」
 一度顔を上げて、ユイの額を叩く。視線が交わり、少しの間真顔で見つめ合った。
「あの頃とは違うぞ。二年前よりも、もっとおまえを愛してる」
「うん」
 ゆっくりと顔を近付けると、ユイは少し上向いて目を閉じた。
「だからオレ以外の男を好きだと言うな」
 一瞬クスリと笑ったユイの唇に、ロイドは口づける。そして宣言通りに思う存分口づけた後、身体を離した。
「もうひとり家族が増えるぞ」
 唐突に宣言すると、ユイは目を輝かせた。
「それって、もしかして……」
「あぁ。ランシュをオレの養子にする」
「きゃあ。もう、あなたって最高の犯罪者ね!」
 ユイは飛び上がって喜び、ロイドの首に抱きついた。
 自分が最高呼ばわりされるのは嬉しいが、犯罪者として最高という意味なら、なんだか複雑な気分だ。
 ランシュは一応カードを持っているが、結婚前のユイと同じように特別に発行されたカードで、住民情報も名前と年齢、連絡先だけという曖昧なものだ。
 そのため住民としての権利も、色々と制限されている。ロイドの養子になる事で、初めて人としての全ての権利を得る事が出来るのだ。
「じゃあ、ランシュは来年お兄ちゃんになるのね」
「あいつには、ママに対して変な気を起こさないように、しっかり躾けないとな」
 二人して顔を見合わせて笑った。
 ランシュが憧れて欲した、家族の居場所がここになる。
 ロイドが、ユイと結婚するまで知らなかった小さな幸せ。
 家に帰れば、家族が温かく出迎えてくれる。そんな何気ない幸せの瞬間を、今後ランシュにも味わってもらいたいとロイドは思った。
 その時、玄関が開き、ランシュが帰ってきた。
 ロイドはユイと共に、笑顔を向けて出迎える。
「おかえり」
 ランシュは少しの間戸惑ったようにロイドとユイを見つめたが、やがて嬉しそうに笑って答えた。
「ただいま」



(完)

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