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3. あっさり許可は下りた。先生が言った通り、二人きりで話す事は出来ないかららしい。五日後にあの人に会う事が決まった。 特に感慨もない。相変わらずあの人本人には興味がない。母だと言われてもピンと来ない。 ただ、ユイの言った事だけが気になっていた。 あの人のデータを集めようと、記憶の奥底を探ってみる。けれど元々新生児の記憶など、ないに等しい。 やわらかな温もりに包まれて安心している記憶だけ、かろうじて探り出す事が出来た。 人工子宮を満たした羊水の記憶なのだろうか。 いくら探っても、あの人の顔は出て来ない。 男には分からない理由を、あの人のデータ以外から探り出す事は、ランシュにとって困難を極めた。 なにしろランシュは、女を知らない。ユイ以外でプライベートな会話を交わした女性すら、片手で数えるほどしかいないのだ。女の考える事など、見当もつかない。 「女心って、分からないなぁ」 うっかりつぶやいたところを、すかさず先生に突っ込まれた。 「なんだ、いきなり」 ランシュはハッとして、思考回路を一本化する。今は科学技術局で仕事中だった。 コンピュータに向かい、ロイド先生から任された制御用プログラムを作成している真っ最中だったのだ。 作業内容は仕様書を確認しつつ、その通りにプログラムを作成するという、ランシュにとっては単純作業だ。人工知能をフル稼働させるほどの事でもない。 思考と動作制御を分割し、マルチタスクで動いていたのだ。片方では仕事を行い、もう一方でユイの出した課題に取り組んでいた。 ロイド先生が嬉々とした表情でランシュに尋ねる。 「好きな女でも出来たのか?」 何を期待しているのか、センサに頼るまでもなく丸わかりだ。ランシュの関心が他の女に移れば、自分が安心できるからだろう。 ユイを好きな気持ちは変わらない。けれど想いは、恋愛感情から家族に対するそれへと変化してきている。 なにしろこのラブラブ夫婦の間には、毛筋ほども割り込む余地はない。 一度はユイを先生から奪ってやろうと思った事もあった。 全くそんな気はなかったが、復讐をしに来た事になっていたし、愛する人を奪われるなんて、これ以上ない復讐ではないかと考えたからだ。 けれどこの先も一緒に暮らしていく事になるし、データの上では息子になってしまったわけだし、このまま想い続けても不毛だと悟った。 なによりユイが、そんな事は望まないだろう。 こんなところは、合理性を重視する人工知能の計算結果なのかな、と思わなくもない。生身の人間だったら、不毛だと分かっていても想い続けるものなのだろうか。 ユイの他に恋愛経験のないランシュには、これも難解な命題だった。 ランシュは気を取り直して、先生の期待を裏切る。 「違います。ユイの言った事が分からないからです」 「なんだ、まだ考えていたのか。どうせ次の休みには分かる事じゃないか」 途端にどうでもよくなったのか、先生は投げやりに言う。 「そうですけど、気になるんですよ」 「おまえ、今まで彼女の事を気にかけた事はなかっただろう」 「会った事もないし、記憶にもありませんしね。奥まで探っても本当に見つからないんですよ。彼女のデータ」 「だろうな。生まれて三日じゃ」 「え?」 先生がサラリと口にした言葉が、ランシュの心に引っかかった。自分が生まれてすぐに、あの人は収監されたのだと思っていた。 「三日? その三日間、オレはあの人に育てられたんですか?」 「詳しい事はオレも知らない。その頃はまだ部外者だったからな。彼女が逮捕されたのはおまえが生まれた三日後だと聞いている」 ランシュは生まれてから十六年間、科学技術局から出た事がない。当然ながらその三日間も局内にいたのだろう。 ヒトを培養していたのだ。生まれるまでもバレないように気を遣っていたはずだ。泣くのが仕事のような新生児を、局内に隠しておくのは難しい。 元々ランシュは、あの人の夫の身代わりとして作られた。普通に考えれば、急速成長用の培養槽に、すぐにでも移し替えるのが妥当だろう。だが、そうした記録が残っていない。 だから生まれてすぐに、泣き声でバレて彼女が捕まったのだと思っていた。 三日もの間、どうやって赤ん坊を隠し通せたのだろう。彼女に対する疑問が、またひとつ増えた。 考え込むランシュに、先生が渋い顔で忠告した。 「おまえの事だから造作もないだろうが、ホストを探るのはほどほどにしとけよ。足が付いたらヤバイ」 「分かってます」 実のところ、局のホストコンピュータなら、すでに探った後だ。開局からこれまでの研究成果や事件記事、局員の個人情報まで、局内の情報は全てここに収められている。 あの人が起こした事件は、世間を騒がせた大事件だ。記録が残っていないわけがない。ランシュも真っ先に調べた。 もちろん、下っ端局員のランシュにはアクセス権限すらないので、勝手に侵入したのだが。 リスクを冒した割に、ランシュが知っている以上の大した情報は得られなかった。 「女心なら女に訊けばいい。ヒントくらいは得られるかもしれないぞ。フェティにでも訊いてみたらどうだ?」 「副局長に?」 先生はニヤニヤ笑いながら席を立った。何か企んでいる。出入口に向かいながら更に続ける。 「オレはこれからあいつの小言を聞きにいってくる。おまえもくだらない事を訊くなと一緒に怒られたらどうだ」 どうやらこれから局長の仕事をするために、局長室に向かうようだ。企んでいる事が、あまりに子供じみていて呆れる。 「それはあなたの仕事ですから。オレは遠慮しておきます」 「遠慮するな。なんならオレの分までくれてやってもいいぞ」 行くのを渋っているのか、立ち止まって食い下がる先生に、ちょっと意地悪をしてみたくなった。 「オレは副局長に怒られた事ってほとんどありませんよ。ひどく怒られたのは、免職になった時くらいです。副局長って昔から生真面目で厳しい人ですけど、プライベートでは優しくて可愛らしい人ですよ」 「ちょっと待て。なんでおまえがあいつのプライベートを知っている?」 先生が素の副局長を知らない事は承知している。案の定、おもしろいほど動揺した。 先生は仕事の上でしか副局長と接した事がない。けれど局員になる前のランシュは、仕事以外で接する事が多かったのだ。 子どもが相手だからか、副局長も今のように堅い印象はなかった。 先生は眉をひそめて、恐る恐る尋ねる。 「もしかして、あいつも笑う事があるのか?」 「よく笑いますよ。当たり前じゃないですか」 あえて過去形では言わずにおく。 「信じられない!」 とうとう先生は頭を抱えた。 そこへ研究室の扉を勢いよく開け放って、噂の副局長が怒鳴り込んできた。 「局長! いつまで放置なさるつもりですか! 昨日の分もまだ片付いてないでしょう」 「フェティ! おまえは、そんなきれいな顔で、どうしてオレには怒ってばかりなんだ!」 動揺したまま脈絡のない抗議をする先生に、副局長は涼しい顔で返した。 「あなたが怒らせるからです。さっさと仕事を片付けてください」 先生は一瞬絶句して、ブツブツ言いながら、副局長と共に研究室を出て行った。 二人を見送ったランシュは、ひとりクスリと笑う。そして再び思考を分割すると、仕事をしながらあの人の事を考え始めた。 |
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