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4.



 商店街を外れると、道路はレンガ敷きから石畳へと変わる。道幅も狭くなり、緩やかに蛇行していた。
 小高い丘の上に建つ王宮の前に広がるラフルールの街は、丘の斜面に沿うように拓けているため、平坦な場所は海辺の一部を除いて、ほとんどない。
 ロイドは結衣の手を引いて、商店街から二つめの筋を左へ曲がった。
 狭い路地の両脇には、石造りや土壁の民家が並んでいる。建物の高さは三階建てくらいで、木枠の窓が並んでいた。
 緩やかな坂道を進んで行くと、路地は突き当たりで丁字路になっていた。その角を右に曲がったところで、ロイドは左手の家を指差した。
「そこだ」
 石を積み上げた土台の上に、白壁のこぢんまりした二階建ての家が建っている。入口横にある窓は、木製の雨戸が開きっぱなしで、上の蝶番が片方取れかかって少し傾いていた。
 窓ガラスは元々透明だったはずが、埃と汚れで磨りガラスのようになっている。
 外観も、そこはかとなく廃屋っぽい。
 ロイドは結衣の手を離し、入口前の石でできた階段を上がる。ズボンのポケットから取り出した鍵を差し込んで動きを止めた。
「ん?」と声を漏らし、鍵を引き抜き取っ手を回した。
「開いてる。あいつが帰ってるのか?」
 独り言のようにつぶやいた後、ロイドは結衣を振り返り、扉を開けて中に招き入れた。
 家に入り、昼間にも拘わらず薄暗い室内に目が慣れてくると、結衣は思わず目が点になった。まさに廃屋のようだ。
 入口を入ってすぐの玄関ホールは、人が奥に進めるだけの幅を残して、他はロイド言うところのガラクタ、石版や土器が無造作に並んでいる。
 右手に二階への階段があるが、完全に通路が塞がれていた。
 それを見てロイドが、舌打ちしながらボソリとつぶやく。
「オレはもう帰ってくるなって事か?」
 どうやらロイドの部屋は、二階にあるようだ。
 床は土や砂まみれで、泥の足跡までついている。おまけに壁の隅には、蜘蛛の巣も張っていた。
「触らないようにしろよ。汚れるぞ」
 結衣を振り返って忠告し、ロイドは古代の遺物たちの間を抜けて、奥の部屋への扉を開いた。
 ロイドについて扉をくぐると、そこはリビングダイニングになっていた。
 入口の右手にはソファとローテーブルが置かれ、その向こうには、やはり汚れて磨りガラスのようになった窓から、淡い陽の光が差し込んでいる。ソファの裏側や横にも、古代の遺物が並んでいた。
 そして左手には小さなダイニングテーブルがあり、手前の椅子にブラーヌが座って本をめくっていた。
 二人が入ってきた事に気付いたのか気付いてないのか、本に意識が集中している。
「帰ってたのか。てっきり王宮の地下にいると思ってたぞ」
 ロイドが声をかけても、ブラーヌは顔を上げる事もなく、本を見ながら気のない返事をする。
「あぁ。ちょっと調べたい事があってな」
 以前は王子として挨拶をした事がある。だが初対面として挨拶はするべきだろう。
 結衣は横に立ち、笑顔でブラーヌに挨拶をした。
「初めまして。ユイといいます」
 少し待ったが、ブラーヌはこちらを向こうともしない。
 なんとなく気まずくなりかけた時、ブラーヌの枯れ枝のような腕が動いた。そして本を見つめて無表情のまま、いきなり結衣の尻の肉を掴んだ。
「きゃあ!」と悲鳴を上げて結衣が飛び上がると、ロイドがすかさず結衣の両肩を掴んでブラーヌから引き離した。
「オレのだ。勝手に触るな」
 ロイドがブラーヌの手を叩いて睨む。しかし彼は全く動揺することなく、本をめくっている。
「ふーん。女か。おまえ、女の好みが変わったのか? 前はムチムチボイーンが好きだっただろう」
 いつの間にムチムチボイーンじゃない事を見ていたのだろう。それとも尻を触っただけでわかったのだろうか。
 どうして血が繋がってないのに、エロっぷりまでそっくりなのだろう。結衣はため息と共に目を細くしてロイドを見上げた。
「……そうだったの?」
「どっちかと言えば、そうかな」
「ふーん」
 それで、やたらと太れと言うのだろうか。結衣がもの言いたげに見つめると、ロイドはいきなり抱きしめた。
「だが、おまえは別だ。オレがひと月で三倍にしてやるから心配するな」
「ちょっと……!」
 ブラーヌの目の前で何をする、と思ったら、ブラーヌも同じ事を思ったらしい。相変わらず本から目を離さないものの抗議した。
「おいおい。三倍にするなら二階に行ってくれ」
「だったら、階段にバリケードを築くなよ」
 ロイドが結衣を放して反論するが、ブラーヌは聞き流して思い出したように手を打ち、初めて顔を上げた。
「そうだ、ロイド。ちょうどよかった。腹が減ってたんだ」
 ロイドは大きくため息をついて、頭をかいた。
「ったく。帰ってくるんじゃなかったな。何かあるのか?」
「しばらくいるつもりだから、昨日買ったキャベツとキノコがある」
「なんでそんなもの買ったんだ。即席なものか出前でも取ればいいのに」
「キャベツは生で食えるし、キノコはカビの仲間だから、それ以上腐る事もないかと思って」
「カビの仲間でも、生存競争の上で、他のカビとは仲が悪いんだ。腐る時は腐る」
「そうか。どうも専門外の事は疎くてな」
 結衣は思わず苦笑する。専門の学者じゃなくても、そんな事は知っている。やはりブラーヌは、ただ者じゃない変わり者だ。
 だがそんな事より、どうも話の流れからすると、ロイドが何か食べるものを作ろうとしているようだ。結衣はそっちの方が気になった。
「あなた、料理できるの?」
「こいつが何もしないから、昔からオレが二人分やってる。一応、食えるものは作れるぞ」
 そういえば子供の頃から、二人分の面倒を見ていたと聞いた。
 横からブラーヌが口を挟んだ。
「ロイドのメシはうまいぞ。ただ、リクエストしても二度と同じものを作ってはくれないけどな」
 がぜん興味が湧いてきた。結衣は目を輝かせて、ロイドに詰め寄る。
「私も食べたい!」
 ロイドは眉をひそめた。
「はぁ? 今食ったら昼メシが食えなくなるぞ」
「いい。あなたの料理が食べたいの」
「変わった奴だな。適当なものしか作れないぞ」
「かまわない」
「じゃあ、オレも食っていくか。そこに座ってろ。そいつの相手はしなくていい」
 ロイドはそう言って、テーブルを迂回すると、その奥にある入口の中に入っていった。
 結衣は言われた通り、ブラーヌの向かいの椅子に腰掛けた。
 ブラーヌは再び本に視線を落としている。相手をしなくていいと言われたし、邪魔をしては悪いので、結衣はぼんやりとブラーヌの様子を眺めていた。
 少しして奥の台所から、水音や包丁の音が聞こえてきた。音から察するに、かなり手慣れている。
 ヤバイ! 自分よりはるかに腕がいいかも、と少し焦りを感じる。
 実のところ結衣は、ケーキ以外の料理は、食べられるものが作れるという程度で、決して他人に自慢できるような腕前ではなかった。
 得意料理はサンドイッチ、と答える事にしている。
 結衣が台所の音に気を取られていると、ブラーヌがパタリと本を閉じた。
 結衣を真っ直ぐ見つめて淡く微笑み、静かに話しかけてきた。
「あいつ、甘ったれで困るだろう」
「え?」
 やたらと抱きついたり、眠っている時、無意識に抱き寄せたりするのは、そういう事だろうか。
「あ、まぁ、そういうところもありますね。でも困るってほどでは……」
「そうかね。知らない間に大人になってるもんだなぁ」
 しみじみとそう言って、顔をほころばせるブラーヌは、やはり父親の表情をしている。
 ブラーヌは独り身だと聞いた。女性だったら理解できるが、独身男がどこの誰の子かも分からない子供を、引き取ろうと思う心境が、結衣には理解できない。
 ロイドはブラーヌに抱きしめられた記憶がないと言っていた。という事は、ブラーヌは特別に子供好きというわけでもなさそうだ。
 どうしてロイドを引き取ったのか、気になったので尋ねてみた。
 ブラーヌは笑いながら、あっさりと教えてくれた。
「あいつが、しがみついて離れなかったんだよ」
 二十七年前、ラフルールの南東にある遺跡で、ブラーヌはロイドを拾った。
 当時、遺跡の活動期の事はまだ知られていなかったため、先日の活動期のように、立ち入り禁止などの措置はとられていなかった。時々いつもより派手に光を発する遺跡に、興味を持ったブラーヌは、ラフルールの遺跡へ調査に向かった。
 ちょうどたどり着いた時、遺跡が派手に光り、直後ブラーヌが中に駆け込むと、謎の機械装置の側に、ロイドがひとり、呆然と立ち尽くしていたという。
 ロイドは混乱していたらしく、ブラーヌが話しかけた途端、火がついたように泣き出した。
 年齢的にも幼すぎたので、親の名前も住所も分からず、かろうじて自分の名前だけ教えてくれたらしい。
 子供連れで遺跡の調査を続行するわけにもいかない。ブラーヌはロイドを連れて街へ戻った。
 警察に迷子として届け、帰ろうとすると、ロイドが足にしがみついた。言い聞かせて引きはがそうとすると、泣きわめいて手に負えない。
 困り果てた警察官とブラーヌは、親が見つかるまでという約束で、ブラーヌがロイドを預かる事にした。
 まさか遺跡の装置が異世界に通じているとは思ってもみなかったので、子供が冒険がてら遺跡にやってきて、装置が突然光ったのに驚いて混乱していたものと思い込んでいた。
 そのため親はすぐに見つかると、高をくくっていたが、一向に見つからない。
 迷子ではなく誰かが故意に置き去りにしたのかもしれないと、クランベール全土と果ては周辺諸国にまで問い合わせたが、結局見つからずじまいだった。
 いつまでもブラーヌに預けておくわけにもいかないと、警察が施設に移すため引き取りに来た時には、すでに一ヶ月が経っていた。
「どうやらオレは、あいつの父親に似ていたらしいんだよ。預かった翌日には、オレの事をパパって呼んでいた」
「……え……」
 懐かしそうに目を細めるブラーヌを見つめて、結衣は思わず苦笑する。
 もちろんロイドにも、そういう無邪気な子供時代があった事は、頭の中では理解している。だが、今の俺様ぶりからは、とても想像できない。
 それだけなつかれていて、一ヶ月も一緒にいたら情が移るのも頷けるが、ブラーヌは昔から放浪生活をしていたと聞く。まだ手のかかる小さい子供を引き取るには、厳しかったのではないだろうか。
 ブラーヌ自身それは承知の上で、どうして引き取る気になったのかは、よくわからないと言う。確かにロイドは、警察官の顔を見ただけで、ブラーヌにしがみついて離れなかったようだが。
「当時は魔が差したと思ったね。だけど今思えば、オレも寂しかったのかな。仕方ない事だし、いずれそうなるだろうと思ってたから、平気なつもりだったんだが」
 言っている事の後半部分の意味が分からず、結衣がキョトンとしていると、ブラーヌは照れくさそうに笑って告白した。
「いやぁ、こんな根無し草の変わり者だからね。女房に逃げられたんだよ。あいつを拾う一ヶ月くらい前だったかな。久しぶりに家に帰ったら、ここにサイン済みの離婚届が置かれてて、すでに出て行った後だった。あいつよりは少し大きかったが、息子もいたんだがね。連れて行かれたよ」
「その話、ロイドは?」
「知ってるよ」
 ブラーヌの息子は、見た目も性格も、ロイドとは似ていなかったらしい。おまけにめったに家に帰らないブラーヌには、なついていなかった。
 一方ロイドは、とにかく甘えん坊で、片時もブラーヌの側を離れない。このままでは今後、お互いにやっていけないと判断したブラーヌは、引き取ってすぐに、わずか三歳前後のロイドを突き放した。
「学校に行く年になるまでには、一人に耐えられるようにならないと困るからね。オレはおまえのパパじゃない。おまえの面倒を見る義理はないんだ。おまえには手も足もあるし、しゃべる事も出来る。考える頭だってあるだろう。そんな小さな身体一つ、自分で面倒見られるようになれって言ってやったよ」
 当時からロイドは頑固者だったらしい。「どうしても出来ない事があったら、助けてやる」というブラーヌの言葉に煽られて、意地でも助けを求めなかったようだ。
 その甲斐あって、ブラーヌと遺跡巡りの旅をしている内に、二年もすると大概の事は自分で出来るようになっていた。火も包丁も普通に使い、簡単な料理も作れた。
 そしてその内、時間を忘れて何かに夢中になっているブラーヌの分まで、世話を焼くようになったという。
 冷たく邪険に扱ったりはしなかったが、元々甘えん坊のロイドが、ブラーヌに縋って頼り切ってしまわないように、彼はロイドを抱きしめたりキスをしたりは、極力しないようにしていたらしい。
 それでロイドに、抱きしめられた記憶がないのだろう。
 けれど本人には記憶にない、正式に引き取られるまでの一ヶ月間、ブラーヌはロイドを我が子のように、可愛がっていたに違いない。
 日本人の結衣には馴染みのない、額へのおやすみのキス。ロイドはごく自然に、結衣にくれた。
 あれは親から受けていたからこそ、自然にそうしてしまうのだろう。
 変わり者同士だけど、ちゃんと親子じゃないか、と思うと、なんだか微笑ましかった。
「そうだ。いい事を教えてあげよう」
 ブラーヌは目を見開いてイタズラっぽく笑い、結衣を手招きした。結衣が身を乗り出して顔を近づけると、彼は声を潜めて、ロイドの攻略法を教えてくれた。
「あいつがベソをかいたり、癇癪を起こした時は、頭を撫でてやるといい。途端に機嫌が直るぞ」
「はい」
 返事をしながら結衣は、クスリと笑う。光景が目に浮かぶようだ。
 小さい子供には、服を着たり、靴紐を結んだりするだけでも大変な仕事だ。思うように出来なくて、幼いロイドはベソをかいたり、癇癪を起こしたりしたのだろう。
 けれど頑固者だから、ブラーヌに助けは求めない。手を貸す変わりに、ブラーヌは頭を撫でてやったのだ。
 ブラーヌの無言の励ましと愛情を感じて、ロイドは機嫌を直し、再び頑張れた。
 そしてそれは、どうやら今でも有効だという事実に、結衣は思い当たった。
 以前ロイドは、王子が異世界に飛ばされたかもしれないと思った時、頭が働かないほど気持ちに余裕をなくしていた。その時、結衣が頭を撫でたら、冷静さを取り戻した。
 自分がそうだからなのか、結衣が泣いたり、不安そうにしていると、必ず頭を撫でる。
「なぁーんだ。そういう事だったのね」
 結衣がクスクス笑うと、ブラーヌは少しガッカリしたように言った。
「おや。すでに知っていたのか」
「いいえ。知りませんでした。でも思い当たる事があって……」
「案外、単純な奴だろ?」
「理由が分かってみると、そうですね」
 二人は顔を見合わせて、クスクス笑う。すると奥から、器用に三つの皿を同時に持ったロイドが、怒鳴り込んできた。
「こらぁ! 何をコソコソと、ひとの噂話しながら笑っている! メシが出来たぞ!」
「聞こえてたの?」
 壁を隔てた向こうで、料理の雑音の中、よく聞こえたものだと不思議に思い尋ねると、ロイドは皿を並べながら不愉快そうに答えた。
「聞かなくても分かる。おまえら二人が顔つき会わせてコソコソ話すのは、オレの事に決まっている。他に接点ないだろう」
 ロイドはそれぞれにフォークを配り、結衣の隣に腰掛けた。ブラーヌが皿の中を眺めながらつぶやく。
「今日は一期一会パスタか。キャベツとキノコがうまく化けたな」
 皿の中には、キャベツとキノコのクリームソーススパゲティが、湯気を立てていた。
「一期一会パスタ?」
 結衣が怪訝な表情で尋ねると、ロイドは平然と答える。
「オレが命名した。他に一期一会シチュー、一期一会グラタン、一期一会オムレツ、一期一会ソテーもある」
「何? その一期一会って」
「その辺にあるものを適当に刻んで、その日の気分で適当に調理して、適当に味付けするから、二度と同じものが作れない。一度きりの奇跡の出会いに感謝して味わえよ」
 それでリクエストしても、二度と同じものを作ってくれないのか。謎が解けて、結衣は一気に脱力する。
「じゃあ。感謝して、いただきます」
 一口食べて、思わず目を見張る。
「おーいしー」
 そして思わず、賞賛の言葉が口をついて出た。
「そうか? 適当に作っただけだぞ」
 適当に作ったにしては、やけにうまい。結衣は思いきり敗北感を覚える。料理の腕はロイドの方が、完全にハイレベルだ。
 第一、結衣にはホワイトソースの作り方も分からない。教えを請おうにも、一期一会では無理っぽい。
 結衣の心中をよそに、ロイドはパスタを食べながら、調味料がどれもこれも怪しくなりかけていたとか、余った材料でシチューを作っておいたから後で食べろとか、しきりにブラーヌの世話を焼いていた。
 食事を終えて、ロイドの淹れてくれたお茶を飲み、後片付けを済ませると、結衣とロイドは席を立った。
 二階のロイドの部屋を見てみたい気はするが、バリケードの撤去が大変そうなので、またの機会にしよう。
 ブラーヌは再び本を開いた。
 結衣が挨拶をすると、ブラーヌは顔を上げ、
「そいつを頼むよ」と言って少し笑った。
「おまえに心配されなくても大丈夫だ」
 ロイドは毒づいて扉を開け、結衣を先に促す。そして扉を閉める間際、振り返りブラーヌに声をかけた。
「王宮内にいるなら、たまには研究室に顔を出せ。生存確認しとかないとな」
「あぁ。気が付いたら、そうしよう」
 ブラーヌは本を見つめたまま、軽く手を挙げて答えた。




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