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2. ローザンが研究室にやって来て、いつもの日常が始まった。 ロイドは入口横の工具置き場から、大きなスパナとドライバーを手に取り、メインコンピュータの前に座るローザンの元へ行った。 彼に指示を与えた後、広域人物捜索装置の裏に回る。そして基盤が取り付けてある部分を塞いでいる、側面の六角ボルトを外し始めた。 ユイは感心な事に、ロイドが忠告した翌日から、いう事を聞いて研究室にいる。 今日も窓辺に置かれた椅子に座り、ひざの上に絵本を広げた。時々厨房にお菓子を作りに行く以外は、そこが彼女の定位置となっていた。 先ほどのやり取りから、ロイドの想いに感付かれたかと思ったが、ユイの様子はいつもと変わりない。十日も経てば大体分かってきたが、ユイはかなりニブイ。 嫌いじゃないと言われて見方を変えてから、分かった事もある。 ロイドが触ると激しく抵抗したり、真っ赤になって怒ったりするのは、照れくさいからのようだ。 その証拠に、そんな時のユイはいつもドキドキしている。 あの夜になぜ泣いたのかは不明だが、最近はキスをしても、怯えたり突き飛ばしたりはしなくなった。積極的に応えてくれたりはしないが、メガネを外して顔を近づけると、観念したように目を閉じて受け入れてくれる。 すぐ顔に出るユイは分かりやすい。自分に対して少なからず好意を抱いていると思うのは、自惚れではないはずだ。 だがこちらの好意は、微塵も伝わっていないのが、なんだか虚しい。 (どうしてキスするの? って、おまえが好きだからに決まってるだろう!) 最初は好奇心だった事など、すっかり棚に上げてロイドは憤る。 反面、少しホッとしたりもしていた。 今はまだ、広域人物捜索装置の誤動作の原因が分かっていない。そのため、ユイをニッポンに帰す方法も、ニッポンから呼び寄せる方法も、見当がつかない。 帰す方法が分かれば、ユイはニッポンに帰ってしまう。そして、こちらに呼び寄せる方法が分からない限り、二度とこちらにはやって来ない。 束の間の出会いなら、深入りしない方がいい。別れが辛くなるだけだ。自分はともかく、ユイに辛い思いをさせたくはない。 ユイがロイドの気持ちに気付かないままなら、別れの時、彼女の傷も浅くて済むだろう。 すでにロイドは、レフォール殿下さえ見つかれば、ユイを帰す方法など分からないままでいい、と思う事が時々あった。 装置から取り出した基盤を床に置き、ロイドはその側に座り込んだ。 ドライバーを手に基盤の上に並ぶ、コンデンサ、集積回路、メモリチップ、バッテリボックス等、配線や回路、ネジのゆるみなどの確認をしていると、ユイが呼んだ。 「ロイド、お客さんだよ」 ロイドが立ち上がって入口を見ると、厨房の女の子パルメが立っていた。 側まで行って話を聞くと、調理機械の様子がおかしいので調べて欲しいと言う。それは料理長の提案で、ロイドが作ったものだ。 ロイドは振り返り、自分がいない間にユイが勝手にうろつかないように釘を刺して、パルメと共に厨房に向かった。 パルメの話では、調理機械の中から、出来上がった料理が忽然と姿を消すという。転送機能でもついているのかと問われたが、そんなものはついていない。 一応、機械の調子を点検し、どこもおかしくない事を確認した。 帰り際にパルメは、礼にと、ユイが作り方を教えたというお菓子を持たせてくれた。 好きなだけ持って行っていいと言われたが、本当に好きなだけ貰うとなくなってしまいそうなので、ユイとローザンの分だけ貰う事にした。 研究室に戻り、お菓子の入った紙袋を差し出すと、ユイが嬉しそうに笑いながら駆け寄ってきた。ユイは甘いお菓子を作るのが得意だが、食べる方も好きらしい。 ユイが声をかけると、ローザンも嬉しそうな顔をして、こちらにやって来た。こいつも人の事は言えない。結構甘いもの好きだ。 特に取り決めがあったわけではないが、ユイが研究室に常駐するようになって、茶を淹れるのはユイの仕事になってしまった。 他にする事がなくてヒマだからと、彼女が進んで淹れてくれる。 ユイの作るお菓子は美味い。そして茶を淹れるのも上手い。 ユイはニッポンで、オーエルという仕事をしているらしい。仕事の内容は事務処理や電話応対だが、上司に来客があった時は、茶を淹れて接客しなければならないという。 だから自然に上手くなるのだと言っていた。 ユイが淹れた茶を飲みながら、ロイドはパルメから聞いた怪現象の話をした。 ローザンは誰かが内緒で動物を飼っているのではないかと言ったが、消えた料理は動物の食べるようなものではないし、量が多すぎる。 するとユイは、殿下が王宮内に隠れていて、こっそり料理を食べているのではないかと推理した。 ローザンの意見よりは、信憑性がある。だが、王宮内は真っ先に捜索隊が隈無く捜索していて、同時に王宮外もロイドのマシンが捜索している。殿下の隠れる場所などないのだ。 それを説明すると、ユイは不服そうに頬を膨らませた。 料理消失の謎は解けないまま、休憩時間は終わり、そのまま午前中は過ぎ去った。 午後になり、三人が研究室に顔を揃え、午前と同じ場所に陣取った直後、扉がノックされた。 ラクロット氏が顔を出し、ユイにジレット嬢の来客を告げる。 ユイは絵本を置いて席を立った。 「最近よくお見えになるな」 ロイドが顔を上げてつぶやくと、ユイは楽しそうに答えた。 「うん。退屈だから、どんどん遊びに来てって頼んだの。ジレットって、かわいいし、やっぱ女同士でおしゃべりするのって楽しいのよね」 ユイは未だに殿下としての自覚に欠けている。研究室に閉じこもっていて退屈なのは分かるが、外部の人間と頻繁に接触するのはまずい。特にジレット嬢は殿下にとって特別な方だ。 ロイドは真顔でユイを見つめた。 「おまえが頼んだのか?」 「うん。いけなかった?」 ユイは全く悪びれた様子もなく、キョトンとして問い返す。 「……あまり不必要に親しくしすぎない方がいい。おまえは殿下なんだ」 ロイドが諭すと、ユイは不服そうに反論した。 「わかってるけど、婚約者と親しくして何が悪いの?」 「婚約者だからだ」 「意味わかんない! 説明して!」 とうとうユイは、苛々したように叫んだ。説明すると長くなる。ロイドは大きくため息をついて俯いた。 「後で話す。とりあえず行ってこい」 ユイは黙ってその場を離れ、入口で待つラクロット氏と共に、研究室を出て行った。 小一時間ほどして、ラクロット氏から連絡が入った。陛下に急用を仰せつかったので、ユイを迎えに来て欲しいという。 ロイドは研究室の留守番をローザンに頼んで、貴賓室に向かった。 廊下で待っていると貴賓室の扉が開き、ジレット嬢とその侍女に続いて、ユイとラクロット氏が出て来た。 ロイドはジレット嬢に軽く会釈して見送った。 すぐにラクロット氏がロイドに一言告げると、足早に陛下の執務室に向かう。みんなを見送った後、ユイはロイドの元に歩み寄った。 ユイはロイドがわざわざ迎えに来た事を大袈裟だと言ったが、貴賓室の辺りは殿下の政敵である貴族たちが出入りしている。 先日の東屋の事件を鑑みても、誰が敵か味方か判別できないユイが、ひとりでうろつくのは物騒なのだ。 ついこの間、穴に落とされそうになったのに、ユイは緊張感がなさ過ぎる。 少しは緊張しろと注意すると、ユイはムッとしてロイドを睨みながら告げた。 「会うのは週に一回くらいにしようって、ジレットに言っといたわ」 「そうか」 少しホッとした。意味が分からないと怒っていたが、ちゃんという事を聞いてくれたようだ。 ユイはイタズラっぽい笑みを浮かべて、ロイドを上目遣いに見上げながら続けた。 「あなたが、ヤキモチ焼くからって」 ユイの言葉に、ロイドは思い切り目を見開いた。 「なっ……! 何て事を言うんだ、おまえは!」 思わずユイの額を強く叩く。 「誰が女相手にヤキモチなんか焼くか! オレが心配してるのは、そんな浮ついた理由じゃない!」 またしても、うっかり余計な事を言ってしまった。男が相手なら、ヤキモチを焼くみたいじゃないか。 ユイは驚いたように目を丸くして、額を押さえながら訂正した。 「ウソよ。文字の勉強が忙しいからって、本当はそう言ったの。あなたがこんなにうろたえるなんて珍しいわね」 やはり、というか、ユイは全く気付いていないようだ。ロイドは少しユイを睨み、背を向けて歩き始めた。 「行くぞ。歩きながら話す」 後を追ってきたユイが隣に並ぶと、ロイドは話し始めた。 ユイとジレット嬢が頻繁に会っていると、殿下の結婚が近いのではないかと勘繰られかねない。そんな噂が立てば、今は沈静化している王位継承問題が表面化してくるだろう。 ユイは十代のお二人に結婚なんて早いと言うが、王族や貴族は早婚だ。実際に陛下も、二十歳でご結婚なさった。 随分前からジレット嬢が殿下の婚約者に内定している事は、貴族たちの間では周知の事実だ。充分に、退屈している貴族たちの、噂の種になる。 話している内に研究室にたどり着いた。扉の前で立ち止まると、ロイドは振り返って釘を刺す。 「とにかく、もうすでに噂になってるかもしれない。身辺には気を配れよ」 「わかった」 ユイはため息をついて返事をした。 ウソでからかわれたので、ロイドは仕返しを思い付いた。 「後で文字の学習教材を持ってきてやる。自分で言ったからには、やってもらわないとな」 ニヤリと笑ってそう言うと、ユイは即座に反撃してきた。 「いいわよ。そのかわりケーキ作れなくなるけど、いいの?」 ロイドは表情を崩すことなく言い返す。 「オレは一向にかまわない。甘いものは街で買ってくればいいわけだし。おまえの方が文字の勉強だけしている事に耐えられるならな」 ユイは息を飲んで絶句した。 どういうわけか、ユイは文字を覚える事を嫌がっている。 勉強する事が嫌いなのかもしれない。それとも、さっさとニッポンに帰りたいと思っているのだろうか。そうだとしたら、少し複雑な気分だ。 ユイが悔しそうにわめいた。 「もう! くやしーっ! こんな事なら、ヤキモチだって言っとけばよかった」 冗談じゃない! ロイドはすかさず額を叩いた。 「ふざけるな。それじゃ、まるでオレが……」 再び余計な事を口走りそうになり、ロイドは慌てて口をつぐむ。 (まるでオレが、おまえに惚れてるみたいじゃないか。そんな事ジレット様に言われてたまるか) 実際にそうでも、ユイ本人は気付いてないのに、他の人間が知っているのはおもしろくない。 不思議そうに見つめるユイから顔を背け、ロイドはそのまま研究室に入って行った。 |
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