前へ 目次へ 次へ




 研究室に入ると、ローザンが歩み寄って来た。科学技術局から連絡があったという。
 元々副局長から顔を出せとうるさく言われていたが、殿下の件でそれどころではなくなったので、しばらく行けないと言っておいた。ところが、とうとう手空きになる局員が出てきたらしい。
 研究者が手空きになる事自体が問題だと思うが、仕方がないので明日にでも顔を出して、喝を入れてやる事にする。
 するとローザンは、ブラーヌが半年ぶりに帰っているので、家にも寄ってきたらどうかと言ってきた。
 ブラーヌは放って置いたら、自分の面倒すら自分で見ない。変死体にでもなっていたら厄介なので、こちらも様子を見に行く事にした。
 話を終えて、ロイドもユイもローザンも、それぞれ午前中と同じ場所へ向かった。
 広域人物捜索装置の裏に回ろうとしたロイドを、メインコンピュータの前に座ったローザンが呼び止めた。
「ロイドさん、時々出てくるウィンドウなんですけど、出ないようにできませんか? ちょっと、うっとうしいんですよね」
 ロイドは足を止めて、ローザンを振り返る。
「うっとうしいって、日に一、二回のもんだろ?」
 ロイドが問いかけると、ローザンは思い切り顔をしかめた。
「えーっ? そんなもんじゃありませんよ。間隔にはムラがあるんですけど、何度も出ますよ。数えてないので正確には分かりませんが、日に十回以上は出てます。今も、ちょっと話してる間に三つも出てますし」
「そんなに出てるのか?」
 ロイドは足早に歩み寄ると、コンピュータの画面を覗き込んだ。
 確かに画面の真ん中に、小さなウィンドウが三つ、重なるように表示されている。ロイドがそれを、一つずつ確認しながら閉じていくのを、横でローザンが読み上げた。
「ジスクール……ベイシュヴェル……ラグランジュ……。なんですか? この地名……」
「探知機を設置した遺跡だ。他に、カノン、ディケム、ロングヴィル、ラフルールにも設置している。三年前から、時空の歪みを観測してるんだ」
 ロイドは遺跡調査に同行している内に、謎の装置が作動した時、微妙な時空の歪みが生じる事を発見した。約三十年に一度、全遺跡の装置の活動が活発になる時期がある事は、すでに考古学者の間では知られている。
 時空の歪みと装置作動の規則性を探る事で、新たに作ろうとしている、時空移動装置に応用できるのではないかと考えたのだ。
 ローザンが不思議そうに尋ねた。
「時空移動装置って、何に使うんですか?」
「他の世界に行けたら、おもしろいと思わないか?」
 ローザンは微妙な表情で首を傾げながら、顔を引きつらせる。いつの間にかローザンの後ろにやって来ていたユイも、苦笑に顔を歪めた。
 こういう反応は、見慣れている。ロイドは画面に向き直り、新たなウインドゥを開いた。
 そこには棒グラフが表示され、左から三分の一辺りから、急に棒の長さが長くなっている。
「なるほど、十日前から多くなってるな」
 そう言ってロイドが表示を切り替えていると、後ろからユイが尋ねた。
「あなた、自分でそこに座ってる時に気付かなかったの?」
「通知が来るのはいつもの事だし、他に気をとられてて気にしてなかった」
 表示は折れ線グラフに変わり、途中から全ての線が急角度で上向いている。
「……全遺跡から頻繁に来てるな」
 ロイドは画面を見つめたまま、腕を組んだ。
「妙だな。過去データからすると、遺跡の活動期はもう少し先のはずだ」
「十日前っていうと、レフォール殿下が行方知れずになった日ですよね」
 ローザンの指摘に、ロイドは再び表示を切り替えた。
「時間は……午後二時十分にラフルールから。それ以降増えている」
「午後二時って、もしかして……」
 ユイがおずおずと口を挟んだ。ロイドは振り返り彼女を見つめる。
「おまえが現れた頃だ」
 ローザンもユイを振り返った。二人に見つめられ、ユイは所在なげに目を泳がせる。
 ロイドはおもむろに隣の席につくと、机の上に置かれたポータブルコンピュータを操作し始めた。
 先ほど確認した探知機のデータを、メインコンピュータからコピーする。データのコピーが終了すると、ロイドはポータブルコンピュータの電源を落とし、折りたたんで立ち上がった。
「遺跡の事は、あいつに訊いた方が早い。ちょっと家に行ってくる」
 ケーブルを引き抜き、ポータブルコンピュータを小脇に抱えると、ロイドは足早に出入口に向かう。途中で振り返り、ユイを指差してローザンに告げた。
「ローザン、そいつが勝手にうろつかないように見張っててくれ。頼んだぞ」
「はい」
 ローザンの返事を聞くと、ロイドは研究室を出て行った。
 遺跡の装置が頻繁に稼働しているという事は、活動期に入っているのかもしれない。ユイが現れた時から活動期に入ったとすると、広域人物捜索装置の誤動作と何か関連があるのか。
 とりあえず遺跡の事について、ブラーヌに訊いてみる事にしよう。
 そんな事を考えながら研究室を出て少し歩いたところで、ロイドは忘れ物に気付き慌てて引き返した。
 バタバタと研究室に駆け込むと、入り口正面に当たる定位置で、ユイが驚いたように振り向いた。
 ロイドはユイに駆け寄ると、バージョンアップした通信機を手渡した。以前のものに比べ、通信エリアを拡大し、ユイが勝手にうろついても居場所が分かるように、発信器機能も付けてある。
 以前渡した通信機をローザンに渡すように伝えて、ロイドは再び慌ただしく研究室を後にした。



 王宮の正門にたどり着いたロイドは、守衛所の脇から自転車を引っ張り出した。
 正門脇に立つ衛視に挨拶をして、クランベール国民の証である識別カードを認証装置にかざすと、ゆっくりと門が開いた。
 王宮の外に出たロイドは、ポケットから小さく折りたたまれた袋を出して、ポータブルコンピュータを入れると、肩に担いだ。すぐに自転車にまたがり、坂道を勢いよく下り始める。
 坂道の多いラフルールの街で、自転車に乗る者はあまりいない。比較的道の平坦な商店街や港の辺り以外で、自転車に乗っても、かえって疲れるからだ。
 特に王宮は、ラフルールでは一番標高の高い場所にあるため、通いの使用人たちも、みんな徒歩で通っている。そして王宮にやって来る貴族たちは、みんな馬車でやって来る。
 だがロイドの自転車は、坂道仕様になっていた。
 時々、王宮と科学技術局を行き来するため、ロイドが改良を加えたのだ。
 車輪の駆動エネルギーをバッテリに蓄積し、上り坂でスイッチを入れると車輪の駆動を補助してくれる仕組みになっている。これで上り坂も楽に進める。
 しばらく王宮前の広い馬車通りを下り、自宅に向かって横道に逸れた時、貴族の馬車が王宮に向かって上っていくのとすれ違った。
 ロイドは何の気なしに、振り返り馬車を見た。馬車の後ろについた紋章は、セギュール侯爵のものだった。
 狭い路地に入ったので、人とぶつからないように、ロイドは少し速度を落として進んだ。やがて自宅前に着くと、ロイドは家の前に自転車を止め、中に入った。
 室内は昼間にも拘わらず、廃屋のように薄暗い。
 ブラーヌは旅に出ると、各地の遺跡とその周辺の古代住居跡から、人足を雇って荷車でガラクタを持ち帰る。そしてそれを家の中や周りに、ところ狭しと並べるので、帰る度に生活空間が狭くなっていく。
 ロイドはガラクタをよけながら進み、奥の扉を開いた。
 入って左手のソファにブラーヌが座り、テーブルの上に広げたガラクタのひとつを手に、虫眼鏡で眺めている。ロイドが入ってきた事には気付いているはずだが、こちらに目をくれようともしない。
 ロイドは右手にあるダイニングテーブルの上に、肩に担いでいたポータブルコンピュータを袋ごと置いた。
「また、たくさん持って帰ったのか。その内寝るところがなくなるぞ」
 ロイドが声をかけても、ブラーヌは虫眼鏡の奥を眺める事に熱中している。そのまま顔も上げずに答えた。
「一通り調べたら、文化局の資料室に持って行くから大丈夫だ」
「それ、半年前にも聞いたが、一向に減ってない気がする」
「そうだったかな」
 そう言った後ブラーヌは、ふと何かを思い出したらしく、手にしたガラクタと虫眼鏡をテーブルの上に置いた。そして自分の横に置いてあるリュックサックの中を、ゴソゴソと探り始めた。
「ロイド、おまえに土産があったんだ」
「土産?」
 ロイドは訝しげに片眉を上げた。今までブラーヌが遺跡調査から帰った時、土産なんかくれた事はない。一体何をくれるつもりなのか、ロイドは側まで行って覗き込んだ。
 ひとしきりリュックサックの中を探ったブラーヌが、中から取り出した物をロイドに差し出した。
「ほら、これだ。おまえが好きそうなものだろう」
 ブラーヌの寄越したものは、長方形の板のようなもので、角に小さいぬいぐるみがぶら下がっている。二つ折りになっていて、開くと液晶画面と手前には小さなボタンがたくさん並んでいた。文字のようなものが書かれているが、クランベールの文字ではない。
 確かにロイドが好きそうなもの、機械のようだ。ふと、ユイが言っていたケータイを思い出した。
「どうしたんだ? これ」
「昨日、ベイシュヴェルの遺跡で拾った。どう見ても古代のものじゃないし、おまえなら何か分かるかと思って持って帰ったんだ」
「オレもこんなものは初めて見た。何か知ってるかもしれない奴が王宮にいるから、借りていいか?」
「やるよ。オレには必要ない」
 ブラーヌは、さも興味なさそうに手を振った。
 ロイドは謎の機械をポケットにしまい、自分の用件を伝えるために、ポータブルコンピュータを取りに行った。
 戻ってくるとブラーヌが、再びリュックサックから探り出したものを差し出した。
「なんだ、その芽が伸びたタマネギと、いつのものか分からない怪しいブロックベーコンは」
 ロイドが眉をひそめて尋ねると、ブラーヌはニヤリと笑った。
「これもおまえにやろう。昨日食って何ともなかったから、怪しくはないぞ」
 ロイドは怪しい食材を渋々受け取り、代わりにポータブルコンピュータをブラーヌに渡す。
「ったく。昼メシ食ってないのか」
「そろそろ食おうと思ってたら、おまえが帰ってきた」
 食材を持ってキッチンに向かいながら、ロイドはブラーヌを指差した。
「オレはおまえのメシを作りに来たんじゃないんだぞ。訊きたい事があるんだ。それを持って側に立ってろ」
 キッチンに入った途端、流し台の上に置かれた卵の山を見て、ロイドは不覚にもたじろいで半歩下がった。
「まさか、この卵半年前のものじゃないだろうな」
 ロイドが尋ねると、ブラーヌは不愉快そうに反論した。
「そんな訳ないだろう。出かける前に生ものは処分する事にしている。帰ってきた時、家が異臭に包まれていたら、すぐにまた出かけたくなるからな。それは昨日、帰り道で買ってきたものだ。今うちにある中じゃ一番新鮮だぞ」
「なんで生ものなんか買うんだ。料理するどころか、食う事すら忘れるくせに」
「おまえは料理が得意なくせに知らないのか。卵は生のままだと一ヶ月近く長持ちする、生ものの中じゃダントツの保存食なんだぞ。葉野菜なんか三日でダメになるから、思い出した時には、もう食えなくなってる」
 大真面目に力説するブラーヌに、ロイドは大きくため息をつく。卵を一ヶ月近くも保存した事はない。
「……さすがに怪しくなるまで放置する奴は、食材の真の消費期限に詳しいな」
 手の込んだものを作るのは面倒なので、タマネギとベーコンを細かく刻んで、オムレツにする事にした。
 料理をしながらロイドは、ブラーヌにコンピュータを操作してもらい、遺跡の事を訊いた。ブラーヌはロイドのデータを見て、確信を得たらしい。
 ブラーヌが調査に行っていたベイシュヴェルの遺跡は、普段滅多に光らない。ところが、このところ一日に何度も光るので、妙だと思っていたという。
 ブラーヌが言うには、ロイドのデータから見て、遺跡の装置が活動期に入っていると見て間違いないそうだ。
 本来ならあと二、三年先だが、なぜ早まったのかまでは分からないという。
 遺跡の装置は三十年に一度、三十日間稼働が活発になる。普段の十〜二十倍の頻度で装置が稼働し、光を放つ。
 装置が稼働する間隔は、各遺跡ごとに一定となっているが、各々の遺跡の稼働間隔はそれぞれ違う。だが、時々周期的に稼働時間が一致して、全遺跡が一斉に光る時がある。
 その時は時空の歪みが最大となり、遺跡は異世界への通路を開く。
 過去、遺跡の活動期には、よく物が消えたり、現れたりしたという。人が現れたりするのは稀だが、何例かあるらしい。
 出来上がったオムレツの乗った皿とコンピュータを交換し、ロイドはポケットの中からブラーヌに貰った謎の機械を取り出した。
「こいつも異世界から来たのかな」
「そうかもしれないな」
 二人でキッチンを出ると、ブラーヌはダイニングテーブルに皿を置いて腰掛けた。ロイドはその前にポータブルコンピュータを置き、キッチンに引き返した。
 後片付けを終えてロイドが部屋に戻ると、ブラーヌは黙々とオムレツを食べていた。
 ロイドはポータブルコンピュータを袋に入れながら愚痴る。
「それにしても、遺跡が異世界に通じてるなんて、初めて聞いたぞ。知ってたんなら、なんで教えてくれないんだ」
「おまえが訊かないからじゃないか。遺跡に興味なんてないくせに」
「遺跡には興味ないが、遺跡の装置には興味があるんだ」
「そうだったな。今度から教えてやろう」
 オムレツを食べ続けていたブラーヌが、不意に顔を上げてロイドを見つめた。
「おまえも異世界から来たのかもしれないな」
「オレが?」
「おまえを拾った時は、ちょうど遺跡の活動期だった。ラフルールの遺跡が派手に光った後に、おまえを拾ったんだ」
「そうか」
 ロイドは特に驚きもしなかった。元々ブラーヌに拾われた頃の事は、あまり記憶にない。ましてやそれ以前の事など、さっぱり覚えていないのだ。
 ロイドは袋を肩に担いで、出口へ向かった。取っ手に手をかけ、振り返って尋ねる。
「今度はどこに行くんだ?」
 ブラーヌは再びオムレツを食べながら答えた。
「まだ決めてない」
「いつまで、ここにいるんだ?」
「しばらくは資料の整理がある。一週間くらいはいるかな」
「そうか。オレは今、忙しいんだ。ひとりでも、ちゃんと食えよ」
「あぁ。死にそうになる前には食う事にしよう」
「ったく」
 ロイドはため息と共に、扉を開けて部屋を出た。
 家を出て自転車にまたがった時、ポケットの中の通信機が鳴った。音からして、ローザンに渡してある方だ。
 ロイドが応答ボタンを押すと、ローザンの必死な声が聞こえてきた。
「ロイドさん! ユイさんの居場所を確認する方法を教えてください!」
「はぁ? 何の事だ?」
「ユイさんの通信機に発信器がついてるんですよね? その信号を読み取る方法です!」
 イヤな予感に背筋が凍るような思いがした。ロイドは片手でハンドルを握り、駆動補助のスイッチを入れて、自転車をこぎ始めた。
「何があった?!」
 自転車をこぎながら尋ねると、ローザンは泣きそうな声で答えた。
「ユイさんが、怪しい奴に連れ去られたかもしれないんです!」
 最近はおとなしくいう事を聞くようになったと思って油断した。
 ローザンの話によると、セギュール侯爵の使いの者が、殿下に内密の話があると言って、ユイを研究室から連れ出したらしい。行きがけに見た、あの馬車がそうかもしれない。
 一通りローザンから事情を聞くと、ロイドは通信機をポケットに収め、全力で自転車を走らせた。




前へ 目次へ 次へ



Copyright (c) 2009 - CurrentYear yamaokaya All rights reserved.