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4.



 王宮の正門にたどり着いたロイドは、識別カードをかざしながら衛視に尋ねた。
 セギュール侯爵の馬車は確かに王宮にやってきたが、正門からは出て行っていないという。
 衛視の他に、数名の警備隊員も正門にいた。ローザンがラクロット氏に連絡したのだろう。
 だが王宮の出入口は、正門の他に三ヶ所ある。馬車に乗って出て行ったどうかも分からない。
 王宮の敷地は果てしなく広い。騒ぎになる前に出て行ったら分からないし、騒ぎが収まるまでどこかに潜んでいる可能性もある。
 ロイドは門が開くと、自転車に乗ったまま、建物に向かって走り出した。
 走り出した途端、ポケットの中の通信機が鳴った。この音はユイだ。
 ロイドは自転車を急停止させ、通信機の応答ボタンを押す。
「ユイ! どこにいる?」
 返事はない。話が出来る状況ではないということか。
 焦る気持ちのまま、ロイドは再び自転車をこぎ始めた。
 うっかりユイの名を呼んだ事を聞かれなかっただろうか、と少し気になったが、それどころではない。
 本当はユイの居場所が確定するまで、王宮の出入口をすべて閉鎖してしまいたい。
 だがロイドには、衛視や警備隊に命令する権限はない。元より、たとえ王室でも、確たる証拠もなく、名のある貴族の馬車の中を改めたり、足止めしたりする事は困難なのだ。
 こんな時には、犯罪を未然に防ぐ事より、体裁を守る事に重きを置く、上流社会に辟易する。
 ユイの通信機の発信信号を読み取るブログラムは、メインコンピュータの中にある。
 まさか渡したその日に信号を読み取る必要が発生するとは思わなかったので、ローザンのパスワードではアクセスできないエリアに保存されていた。
 いくら緊急時とはいえ、ロイドのパスワードをローザンに教えるわけにはいかない。
 ロイドのパスワードは、研究室のメインコンピュータのみならず、リモートで接続された科学技術局にある、ホストコンピュータの全データにアクセスが可能なのだ。
 ローザンがそれを利用して悪事を働くわけがない事は分かっていても、パスワードを教えた事実が発覚すれば、ロイドは局長職を追われるだけでは済まない。
 王宮の正面入口で自転車を降り、長い廊下を駆け抜けて、ロイドは研究室に駆け込んだ。
「ロイドさん!」
 ロイドの姿を認めたローザンが、不安そうな表情で駆け寄ってきた。
 やり場のない怒りが沸々と湧いてきて、ロイドはいきなりローザンを殴りつけた。
 小柄なローザンは、あっけなく床に倒れた。その白衣の襟元を両手で掴んで引き立て、ロイドは怒鳴る。
「あいつを見張ってろと言ったはずだ! なぜ行かせた!」
 ローザンは目を伏せて、力なくつぶやく。
「すみません……」
 ロイドはローザンから手を離し、メインコンピュータに駆け寄った。
 急いでプログラムを起動し、ユイの居場所を確認する。
 画面に研究室を中心にした距離を示す同心円と、ユイの位置を示す赤い点が表示された。
 距離からして、まだ王宮の敷地内にいるようだ。それもかなり近い。
 王宮の見取り図を重ね合わせる。居場所が判明した。
 振り返るとローザンが、すぐ側まで来ていた。
「ユイは馬車置き場にいる。ラクロットさんは?」
「警備隊の詰め所にいます」
「すぐに連絡してくれ。警備隊に馬車の通路を塞ぐように。それと、建物内部から馬車置き場に通じる通路に待機するように。オレに考えがある。ユイの……殿下の身の安全を確保する方が先決だ。オレが合図するまで動かないように伝えてくれ」
「わかりました」
 ローザンが電話に歩み寄るのを横目に見て、ロイドは研究室から駆け出した。
 貴賓室へ続く廊下の途中から、狭い通路に入り、馬車置き場へ向かう。出口が見えると、ロイドは足音を立てないように、静かに歩を進めた。
 背後で大勢の足音が聞こえ、すぐに静まった。警備隊が到着したようだ。
 出口の壁際に寄って、そっと外を窺うと、見知らぬ男がこちらに背を向け、馬車の入口に立っていた。その向こうにユイの姿が見える。
 ユイを無理矢理、馬車に乗せようとしているようだ。セギュール侯爵の姿は見えない。
 男がこちらに気付いていないのは好都合だ。
 ロイドはポケットのピルケースから、拡声器のマイクロマシンをつまんで口に放り込む。
 耳栓をして出口に立つと、ユイが気付いた。
「ロイド!」
 大声で名を呼ばれ焦ったが、どういうわけか男は気にかけていない。
 これ以上騒がれてはまずいので、ロイドは指を一本立てて、口に当ててみせた。ユイは小さく頷く。続いて両手で耳を覆ってみせた。ユイは男から手を離し、耳を塞いだ。
 それを確認し、ロイドは足音を忍ばせて、素早く男の後ろに近付いた。
 男の耳元に顔を近付け、一声かける。
「わ」
 囁いただけの声が、喉のマイクロマシンによって大声に変換され、男は文字通り飛び上がって振り向いた。
 本番はこれからだ。
 ユイを連れ去ろうとした事への、個人的な恨みも込めて、ロイドはにっこり微笑むと、思い切り大声で叫んだ。
「こっちだ――――っ!」
 あまりの轟音に、耳栓をしている自分自身も、結構うるさい。ユイも顔をしかめている。
 無防備だった男は、たまらず目を固く閉じて、耳を塞いだ。
 ロイドはすかさず、その腕を逆手に取ると、背中の後ろでひねりあげた。
 こいつには、もう少し痛い目に遭ってもらう。
 ロイドは笑顔のまま大声で、自己紹介に始まり、他愛もない事を男の耳元で話し続けた。
 少しの間そうしていると、通路の奥から、待機していた警備隊が現れた。ロイドが男の身柄を引き渡すと、警備隊は再び王宮の中に引き上げていった。
 それを見送りながらロイドは、自分の首にリモコンを当てて、ボタンを押した。
 ユイが先ほどの大声を不思議そうに尋ねるので、拡声器のマイクロマシンについて説明した。
 あれほど研究室から出ないように、身辺には気を配るように言っておいたのに、ユイはいう事を聞かなかった。
 言ってやりたい事は山ほどあったのに、ユイの無事を確認できた事で、もう、どうでもよくなった。
「大丈夫か?」
 静かに問いかけると、ユイは気まずそうに返事をした。
「うん……」
「行くぞ」
「待って」
 ロイドが背を向けようとした時、ユイはひざから力が抜けたように、その場に崩れ落ちそうになった。ロイドは慌てて駆け寄り、抱き止めた。
「ケガでもしたのか?」
 ユイの身体が、小刻みに震え始める。そして、見上げる黒い瞳から涙が溢れた。
 ユイはロイドの胸に顔をすりつけて、しがみつくと、掠れた声でつぶやいた。
「……怖かった……」
 ロイドはユイの震える身体を、しっかり抱きしめると、項垂れて詫びた。
「悪かった。側にいろと言っておきながら、オレの方が側を離れた」
 ユイの性格を考えると、不用意に側を離れるべきではなかったのだ。これほど怖い目に遭わせてしまった事は、自分にも非がある。
 しがみついたままで、ユイは首を振る。
「あなたは悪くない。勝手に研究室を出た私が悪いの。ローザンも引き止めてくれたのに。ごめんなさい。もう勝手な事しないから」
 そう言ってユイは、更にしがみついてきた。
 ユイの方からしがみついてきた事も、これほど素直に反省して謝った事も初めてで、ロイドは嬉しくなり、思わずクスリと笑いを漏らした。
「素直にいう事を聞くおまえなんて、薄気味悪いぞ」
 頭を撫でながらそう言うと、ユイは不服そうにつぶやいた。
「ひどい」
 その様子がおかしくて、ロイドは益々クスクス笑った。
 しばらくの間ユイを抱きしめて、なだめるように頭を撫で続けた。
 次第にユイの涙も震えも収まってきたので、ロイドは手を止めて尋ねる。
「落ち着いたか?」
「うん……」
 ユイは答えて、俯いたままゆっくりと身体を離した。
「戻ろう」
 そう言ってロイドが通路に足を向けると、ユイが地面にしゃがみ込んだ。
「待って、ロイドが……」
「オレが?」
 何を言っているのか怪訝に思い振り返ると、ユイは両手の平に乗せた小鳥ロボットを差し出した。
 受け取った小鳥は、完全に機能を停止している。よく見ると羽の付け根が折れていた。地面に叩きつけられでもしたのだろう。
 ユイはロイドを見上げて、再び涙ぐむ。
 小鳥が命令を聞かなかったというのだ。状況を訊くと、ユイを連れ去ろうとする男の邪魔をして、叩き落とされたらしい。絶対命令が働いて、主人のユイを危険から守ろうとしていたのだ。
 それで合点がいった。ユイが小鳥の名を呼んでいたので、あの男は”ロイド”を小鳥の事だと思っていたのだ。大声で呼ばれたのに、男が反応しなかったわけだ。
「直せる?」
 上目遣いに見つめて、ユイが尋ねる。ロイドは口の端を上げて、額を叩いた。
「誰に向かって言っている。オレが作ったんだ。メモリがやられてなけりゃ、元通りになる」
「よかったぁ」
 ユイは心底安心したように、息をついた。
 メモリはおそらく大丈夫だろう。小鳥は強い衝撃を受けると、メモリを保護するために、体内の電流を遮断する仕組みになっている。機能を停止しているのは、そのためだ。
 壊れた小鳥に涙ぐむほど、可愛がってくれているのが嬉しくて、ロイドは目を細めた。
 小鳥をポケットに収めた時、ブラーヌから貰った謎の機械を思い出した。
 反対側のポケットを探り、それをユイに差し出す。
「おまえ、これが何かわかるか?」
 ユイは見た途端に、ロイドの予想通りに答えた。
「ケータイ?」
「やはり、そうか」
 手に取り少し眺めた後、ユイの目の色が変わった。どうやらニッポンのものらしい。
 ロイドはブラーヌから聞いた遺跡の活動期の事や、異世界に通じている事を話した。
 ユイが攫われそうになったという事は、殿下の行方不明について、誘拐の線は、ほぼ消えたと考えていい。身代金の要求も犯行声明もなかったので、元々可能性は薄かったのだが。
 代わりに遺跡が活動期に入っていたせいで、考えたくもなかった最悪のケースが浮上してきた。
 殿下は異世界に飛ばされてしまったかもしれない。
 遺跡の稼働データを、調べてみる必要がある。
 ロイドはそれをユイに説明し、共に研究室に向かった。
 研究室に向かいながら、ユイを救出するまでの経緯を話した。そしてユイから、あの男に連れ出された時の状況を聞いた。
 ローザンは最後まで、ユイが研究室を出る事に難色を示していたという。なのにユイが、困っているあの男への情にほだされて、無理を通して出てきたらしい。
 第三者の前で、ユイは殿下だ。ローザンがそれ以上、強硬な態度に出られなかった事は頷ける。
 ユイの身を案じるあまりに取り乱して、ローザンを叱責した事を、ロイドは酷く悔やんだ。



 研究室に戻ると、ローザンがホッとしたような表情で、笑いながらユイに駆け寄ってきた。
 頭を下げて礼を言うユイに、ローザンは恐縮している。本当に人のいい奴だ。
 先ほどの事で少し気まずいが、諸々の事を急いで陛下に報告する必要がある。ここはローザンに頼むしかない。ロイドは二人の話に割って入った。
「悪いがローザン、大至急調べて貰いたい事がある。十日前からこっちで全遺跡の稼働間隔と、その最小公倍数だ。あと、できれば各遺跡の平均稼働時間も」
「はい。さっき見てたデータでいいんですよね?」
 ローザンはいつもの穏和な笑顔で、真っ直ぐ見つめて言う。やはり気まずくて、ロイドは目を逸らした。
「あぁ。オレは陛下のところへ行ってくる。それでまた、ユイを頼んでいいか?」
「はい。今度こそ、安心して任せてください」
 ローザンは快く引き受けてくれた。ロイドは益々気まずくて俯いた。
「すまない。……さっきは悪かった」
 絞り出すようにそれだけ言って、ロイドは研究室を後にした。



 陛下に報告を済ませて研究室に戻ると、ユイもローザンも定位置に戻っていた。
 陛下のお召しを伝えると、なぜかユイは目が合った途端に、真っ赤になって俯いた。熱でもあるのかと額に触れようとすると、慌てて身を引く。
 そして意味不明なうわごとを言った。
「なんでもないの。ちょっとエロい事を考えて、恥ずかしくなっただけだから」
「は?」
 何の冗談かと、ロイドは身を屈めてニヤリと笑い、冗談で返す。
「考えるだけじゃなくて、体験したくなったら、いつでも協力してやるぞ」
「えええぇぇ――っ?!」
 ユイは益々顔を赤くし、思い切りのけぞって叫んだ。反応もいつもと違う。
 ロイドは額を叩いて、さっさと陛下の元へ行くように促した。
 ユイを見送り、ロイドは首を傾げながらローザンに尋ねた。
「なんか、あいつ変じゃないか?」
「そうですか?」
 ローザンは意味ありげにクスクス笑いながら、とぼけている。この表情は、絶対何かを知っているはずだ。
 だがローザンは滅茶苦茶、口が固い。言わないと約束した事や、自分がそう決めた事は、絶対に言わない。訊いたところで、教えてはくれないだろう。
 ロイドは問い質す事を諦めて、ローザンの側に歩み寄った。
 ローザンは席を立って、一枚の紙をロイドに渡した。
「さっき頼まれた事の結果です。今日はこれで帰ってもいいですか?」
 時計を見ると十七時を過ぎていた。
「あぁ。助かった。後は自分でやる。残業させて悪かったな」
「いえ、ほんの十分くらいですし」
 笑いながら挨拶をして、ローザンは研究室を出て行った。
 無関係な事を手伝ってもらっているので、ローザンには時間外勤務はさせないようにしている。
 研究者でもある彼は、やりたい事がたくさんあるのだ。きっとこの後も、医務室の奥にしばらくはいるのだろう。
 遺跡が異世界に通じる事が分かって、ユイをニッポンに帰す方法は目星が付いた。
 後は、殿下の捜索も含めて、マシンの改造だけだ。それにはローザンの調査結果が重要になる。
 ロイドはローザンの渡した紙に目を落とす。
 各遺跡の稼働間隔がそれぞれ書かれ、その下に最小公倍数と同期時の平均稼働時間が書かれていた。
 その数字を見て、ロイドは愕然とする。
 最小公倍数は三十時間で、一日より長い。そして同期時の平均稼働時間は、最短で十秒。
 その下にローザンの但し書きがあった。
”多少の誤差はありますが、一秒以内です。十秒より短い事はありません。直近の同期は明日の十四時です”
 ロイドは計算機を叩いて、同期の取れる回数を計算した。明日の十四時も含めて、あと十七回。
 活動期終了まで二十日もあると、悠長に構えている場合ではなかった。
 もしも、その間に殿下が見つからなかったら、ユイは――?
 目の前が真っ暗になったような気がして、ロイドは呆然と立ち尽くした。




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