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5.



 ロイドはフラフラと移動し、いつものように自分の机の上だけを残して、部屋の灯りを消した。
 そしてメインコンピュータ横の自分の席に着き、ぼんやりと考え始めた。
 やらなければならない事は山ほどある。考えなければならない事も。
 一番簡単な事は、ユイをニッポンに帰す事だ。
 ユイのいた場所の座標は分かっている。マシンの転送機能を拡張して、逆転送可能にするだけでいい。改良自体、難しくもない。
 だが、ユイを帰す事は、殿下が見つかるまで出来ない。
 もしも殿下が、本当に異世界に飛ばされたのだとしたら、殿下を捜す事の出来る時間は、遺跡の活動期が終わるまでの二十日間のうち、たったの百七十秒だ。
 そしてその時間は、三十時間ごとに十秒ずつ減っていく。
 次の同期がとれる明日の十四時までに、マシンの改造が終わるとは思えない。改造しなければならない箇所はたくさんあるのだ。
 そして最後の一回はユイのために使うとすれば、残る時間は百五十秒。
 それを使い切っても殿下が見つからなかった場合、ロイドは苦渋の決断を迫られる事になる。
 最後の十秒で、ユイをニッポンに帰すか、殿下の捜索を続行するか。
 優先するべきは、殿下の捜索だと分かっている。
 だが今回の活動期が終われば、次の活動期まで三十年間、遺跡の装置を利用してユイを帰す事は出来なくなる。
 ロイドの考えている時空移動装置が完成すれば、三十年も待たなくていいかもしれない。けれど、それも遺跡の装置の仕組みが分からない限り、あまり当てにはならない。
 最後の十秒で殿下が見つかればまだいい。ユイは殿下の身代わりを解任されるからだ。
 しかし殿下が見つからなかった場合、この先三十年身代わりを続けさせる事になるだろう。
 今のような付け焼き刃の身代わりでは済まない。
 三十年のうちには、ジレット嬢との結婚や、国王への即位がある。そしてあの、ひとくせもふたくせもある貴族たちと渡り合い、殿下の立場を守り抜かなければならない。
 そんな重責と、ユイ自身が望むはずのない人生を強いる事になる。
 陛下やラクロット氏は助力してくれるだろう。だがロイド自身は、側にいてやれないかもしれない。
 三十年先まで殿下の捜索が出来なくなったら、捜索責任者としてロイドは何らかの責任を取らされるだろう。
 全ては自分の手腕にかかっている。
「ユイ……」
 ロイドは額に手を当て、項垂れた。
 こんな事を考えている場合ではない。時間がないのだ。すぐにでも作業に取りかかるべきだと分かっている。なのに何から手を付けていいのか、判断できない。
 焦った気持ちを落ち着かせるために、ロイドは今出来る事をやろうと考えた。
 ポケットから機能を停止した小鳥ロボットを取り出す。動かない小鳥を撫でながら、ロイドは目を細めた。
「偉かったな。よくユイを守ってくれた」
 小鳥の腹を探り羽毛に覆われた表皮をめくると、軽くて硬い樹脂製のボディが露わになった。
 脇腹の辺りにあるフタを、先の細いドライバーで開け、中からメモリチップを取り出す。
 机の隅に置いてあったテスト用のボードに、取り出したメモリをセットし、エラーチェックを行った。思った通り、エラーは検出されなかった。
 ロイドは机の引き出しから予備のボディを取り出し、メモリチップを挿入した。
 飛行機能を備えたロボットは、テスト中によく墜落して破損するので、あらかじめ予備のボディを何体か用意してある。
 特にこの小鳥ロボットは、これまでの昆虫ロボットに比べて、人工知能も運動性能も大幅に向上させてある。
 そのため、これまでのセンサボードでは、飛行速度にボードの処理判断速度が追いつかず、高速飛行中に天井や壁に激突して何度か大破した。
 そんな経緯があるので、メモリの保護対策については万全なのだ。人がたたき落としたくらいでは、完全に破壊する事は出来ない。
 めくった表皮を元に戻して、腹にある電源を入れてみる。小鳥は目を開き、ロイドを見つめて首を傾げた。
 新しいボディは充電が必要だ。ロイドは小鳥を手の中に握ったまま、再び中空を見つめてぼんやりした。頭は再び、ユイの行く末を思う。
 どうすればユイを守る事が出来るだろう。
 百五十秒以内に、殿下を見つける事が出来れば問題ない。だが殿下を見つけられなかった時、どうすればいい?
 いっそのこと、全てを放り出して、ユイを連れて逃げようか。
 そうすればロイドは、ユイ以外の全てを失う。信頼も、職も、居場所も、生活の糧も。識別カードから足が付くので、買い物すら出来ない。そんな自分に、ユイを守れるとは思えない。
 時間が足りない。自分の身体が、眠らなくても食べなくても、動けるのならいいのに。
「ローザンは?」
 突然声をかけられ、ロイドはハッとして声のした方を向いた。
 すでに日は傾き始め、窓から差し込む夕日が、薄暗い室内をオレンジ色に染めている。その中に、陛下の元から戻って来たユイが、顔を半分オレンジ色に染めて立っていた。
「あぁ、今日はもう帰った」
 ロイドは小鳥を握った手をユイに差し出し、手の平を広げた。
「復活したぞ」
 ユイは少し驚いたように目を見張り、嬉しそうな笑顔を見せた。
「もう直ったの?」
「あぁ。予備のボディにメモリだけ移した。動作確認だ。呼んでみろ」
 ユイは小鳥に向かって手を差し伸べると、名前を呼んだ。
「ロイド、おいで」
 小鳥はピッと返事をして飛び立つと、ユイの手の平に着地した。
「よかった。さっきはありがとう」
 ユイは小鳥を両手で包み込んで頬を寄せた。
「今度はこちらに来させてみろ」
 ロイドの声にユイは顔を上げ、こちらを指差し小鳥に命令する。
「ロイド、エロ学者のところへ行って」
 小鳥は返事をして飛び立ち、伸ばしたロイドの手に留まった。
 ロイドは小鳥を見つめて、小さくため息をつく。
「この情報だけメモリから削除してやればよかったな」
 ユイはクスリと笑うと、笑顔で駆け寄ってきた。
「ロイド!」
 てっきり自分に礼を言って飛びついてくるものと期待していたら、ユイは両手で小鳥を受け取り、嬉しそうに頭を撫でている。
「なんだ、そっちか」
 ついつい不満を漏らすと、ユイは軽く礼を述べた。
「あ、さっきは助けてくれてありがとう」
 小鳥を可愛がってくれているのは嬉しいが、小鳥よりも自分の扱いが軽いのは、なんだか不愉快だ。
「オレは、ついでか」
 吐き捨てるようにそう言って、ロイドは顔を背けた。するとユイは、おもしろそうにクスクス笑い始めた。
「何がおかしい」
 睨み上げながらすごんで見せても、ユイはよけいに笑い出す。益々不愉快になって、ロイドは顔をしかめた。
 ひとしきり笑った後、ユイが声をかけてきた。
「ねぇ」
「何だ」
 半分ケンカ腰に返事をすると、ユイは苦笑して尋ねた。
「こんな薄暗いところで何してたの?」
 途端に現実に引き戻されて、自然に口調が暗くなる。
「別に……。そいつを直した後、ぼんやり考えてた」
「何を?」
「どうして一日は、二十四時間しかないんだろうと」
「は?」
 ユイは訝しげに眉をひそめる。ロイドは少し俯いて、ローザンの調査結果や時間がない事を話した。
 話している内に不安や焦りが再び湧き出して、ロイドは俯いたまま額に手を当てた。
「考えなきゃならない事や、やらなきゃならない事が山積しているのに、何から手をつけたらいいのか、頭が働かない」
 少しの間黙っていたユイが、明るい声で話しかけてきた。
「じゃあ、頭が働くように甘いもの食べる? 明日、さっきのお礼も兼ねてケーキを作ってあげる。何がいい?」
 ユイが精一杯励ましてくれているのが分かる。ロイドは顔を上げ、少し笑みを浮かべて答えた。
「今朝の奴」
 ユイは嬉しそうににっこり笑う。最近はよく笑いかけてくれるようになった。
「わかった。シュークリーム二十個ね。とりあえず今は、甘いお茶を淹れてあげる」
「なるほど」
 確かに名案だ。
 ロイドは立ち去ろうとしたユイの手首を掴んで引き寄せた。バランスを崩したユイは、フラつきながら二、三歩後ずさり、そのままロイドのひざの上に尻餅をついた。
「ちょっと、何なの!」
 わめきながら立ち上がろうとするユイを、ロイドは片手で捕まえて、もう片方の手でメガネを外しながら顔を覗き込んだ。
「確かに、エネルギーの補給は必要だ」
「何、メガネ外してるの! だから、ゲロ甘茶を淹れてあげるって言ってるでしょ?」
 ロイドはメガネを机の上に置くと、もがくユイを両腕で抱きすくめた。
「そんなものより、おまえの唇の方が何倍も甘い」
 ユイが顔を引きつらせた一瞬の隙を突いて、ロイドは素早く口づけた。
 唇の甘さと腕の中の温もりに、ほんの少し気持ちが和らいだ気がした。
 少しの間、ユイの唇を味わうと、ロイドは顔を離してニッと笑った。
「エネルギー充填、百二十パーセントだ」
 ユイは少し頬を染めて、ロイドの身体を突き放すと、軽く睨んだ。
「バカ……! 人が来たらどうするのよ」
「おまえが言ってた、殿下との禁断の恋か?」
 今朝ユイが言っていた戯れ言を思い出して、ロイドは声を上げて笑った。そして目を伏せ、投げやりに言う。
「それで投獄されるなら、その方がいい」
「ロイド?」
 探るように見つめるユイを、ロイドは荒々しく抱きしめた。
「無能な学者として投獄されるより、遙かにマシだ」
 そう言ってロイドは、再び口づけた。
 現実を忘れたくて、頭の芯を痺れさせるユイの唇の魔力に縋る。
 いつになく激しい口づけに、ユイが抵抗して顔を背けた。
「……やっ……!」
「まだだ」
 ロイドは逃すまいと、頭に手を添え、更にきつく抱きしめた。
 不安も、焦りも、ユイの行く末も、全てに目を背け、夢中でユイの唇に溺れる。
 ユイは次第に抵抗を止め、全身から力が抜けていった。
 しばらくして唇を解放した時、ユイはすっかり放心して、小さく甘い吐息を漏らした。
 上気してうっとりした表情を浮かべ、艶を帯びてうるんだ瞳を見た途端、更なる欲求が湧いてきて、ロイドはユイの耳元で囁いた。
「感じたのか?」
 ハッとして我に返ったユイは、思い切りロイドを突き放した。
「違うわよ!」
 真っ赤になって頬を膨らませるユイがかわいくて、ロイドはクスクス笑う。
「キスで放心するほど感じてるようじゃ、先が思いやられるな」
「だから違うってば! 先って何よ!」
 ムキになってわめくユイの耳元で、ロイドは再び囁いた。
「知りたければ教えてやる。今からオレの部屋に行くか?」
 一瞬絶句した後、ユイは叫んだ。
「行かないって前に言ったでしょ? この、エロ学者!」
『エロガクシャ』
 別の場所から聞こえたユイの声に驚いて、二人同時にそちらを向くと、机の上で小鳥がロイドのメガネをつつきながら、首を傾げていた。
 ロイドは目を細くして、ユイを見つめると額を叩いた。
「音声多重で言うな」
 ホッと息をついて、ユイはロイドのひざから立ち上がった。
 ロイドはメガネもかけず、そのまま少し俯いて、ぼやけた床をぼんやり見つめる。
 突然、ユイの細い腕が、ロイドの頭をそっと抱きかかえた。
「エネルギー充填、百二十パーセントなんでしょ? あなたの超優秀な頭脳を存分に働かせて。あなたなら絶対できるから」
 ユイの言葉とその身の温かさにホッとして、ロイドはユイの手をそっと握ると、静かに返事をした。
「あぁ……」




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