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6.



 いつの間にか日は沈み、研究室の中はすっかり暗くなっていた。
 ロイドはユイの腕に頭を抱かれ、黙って髪を撫でられていた。ユイの温もりが心を落ち着かせ、細い指先が優しく頭を撫でる度に、次第に苛立ちが静まってくる。
 気持ちが落ち着いてくると、頬に押しつけられた、ささやかな胸の感触が気になって、別の意味で落ち着かなくなってきた。
「おまえ、ホント胸小さいな」
「……え……」
 思わずつぶやくと、ユイは慌てて手を離し一歩下がった。
 ロイドはメガネをかけて、ユイを見上げながら更に言う。
「最初、ゴツッて、肋が当たったぞ。女の胸に抱かれてるような気がしない」
 ユイはムッとした表情で眉を寄せると、ロイドの頭を小突いた。
「悪かったわね!」
 一月で三倍にしてやろうかと提案したら、断られた挙げ句に殴られそうになった。
 半分本気だったのだが――。
 ユイは不愉快そうに、小鳥を呼び寄せる。
「もう! 落ち込んでるのかと思って心配して損した。ロイド、おいで!」
 手の平に飛んできた小鳥を見て、ユイが不思議そうに尋ねた。
「そういえばさっき、私、思い切り襲われてた気がするんだけど、この子どうして、あなたの邪魔しなかったの?」
 どうやら自分が、どんな顔をしていたのか分かっていないらしい。
 ロイドは机に片手で頬杖をつくと、横目でユイを見上げて口の端に笑みを浮かべた。
「おまえが嫌がってるように見えなかったんだろう」
 ユイは焦って否定する。
「そ、そんな事ないわよ」
 ロイドは更に目を細めてユイを見つめた。
「そうか? 放心してる時、艶っぽい表情してたぞ」
 目を見開き、一瞬にして頬を真っ赤に染めて、ユイはクルリと背を向けた。
「お茶、淹れてあげる」
 上ずった声でそう告げると、ユイはスタスタと歩き始めた。
 先ほどはロイドの理性を吹き飛ばすほどの、艶っぽい女の顔をしていたくせに、一変して少女のように照れて恥じらうユイがおかしくて、ロイドは思わずクスクス笑った。
(さっきは、正直やばかったな)
 あのまま欲望に流されて無理矢理奪っても、きっと泣かせてしまうだろう。最初のキスの二の舞を演ずるのは間抜けすぎる。
 ユイのおかげで頭が働くようになったので、まずは今後やるべき事を確認しよう。
 ロイドは机に向かい、ポータブルコンピュータを立ち上げた。そして、今後やるべき事を箇条書きにして、次々に入力していった。
 少ししてユイが戻ってきた。ロイドの机の上に茶を置き、メインコンピュータ前の椅子を引いて、隣に座る。ユイは画面を覗き込んで尋ねた。
「何やってるの?」
 ロイドは手を休めて茶を一口すすり、ユイの方を向いた。
「頭を整理しようと思って、やる事リストを作っている」
「え……こんなにあるの?」
 ユイは身を乗り出して、再び画面を覗き込んだ。
 画面にはびっしり文字が並んでいる。文字の読めないユイには、たくさんあるように見えるのかもしれない。
「細分化して書いてあるだけで、大きく分けたら二つだ。これまでの作業で今後も継続するものと、今後新たに行うものだ。新たに行うものは装置の改造が主だからオレがやるしかないが、継続作業の方はローザンに手伝って貰うつもりだ」
 ユイがクランベールにやって来たのは、広域人物捜索装置の転送機能が誤動作を起こしたためだと思っていたが、どうやら遺跡の装置によるものである可能性が高い。
 その証拠に装置本体から不具合は発見されていないし、かなり調べてもらったが、ローザンのデータ解析結果からも不審な点は見つかっていない。
 データ解析は打ち切って、ローザンには今までロイドが行っていた、捜索隊と機能縮小版マシンの捜索結果の確認をやってもらう事にした。
 それを説明すると、ユイが尋ねた。
「あなたは何するの?」
「正規版装置の改造だ。異世界検索対応に変更する」
 ロイドが平然と答えると、ユイは目を丸くした。
「そんな事できるの?」
「遺跡の同期時に検索かければ、可能な事は実証されている」
「実証?」
 不思議そうに首を傾げるユイに、ロイドはあごをしゃくった。
「おまえだ」
「え?」
「おまえが現れた時の検索結果に、この世界にはありえない位置座標が記録されている。しかも装置はそれをエラーとして処理していない。装置の誤動作はこの部分かな」
 広域人物捜索装置は元々、検索対象範囲がクランベール大陸全土をカバーする範囲に限定されている。それ以外の範囲を指定すればエラーとなり検索は行われない。
 特に範囲指定がない場合、大陸全土が検索対象となり、それ以外の範囲は検索しないので、記録に残る事自体おかしいのだ。
「その誤動作は放置して大丈夫なの?」
「かまわない。異世界対応に当たって、範囲の限定は解除する。問題なのはそれに伴う処理速度の低下だ。範囲が広がれば、それだけ検索に時間がかかる。異世界が検索可能な時間は十秒だ。ソフト、ハード共に高速化が必要になる」
 この世界以外を対象範囲に指定すればいいのではないかとユイが提案した。だが、”以外”という否定条件の指定は、範囲指定なしで全体を検索するよりも時間がかかるものなのだ。
 その理由を説明すると、ユイは眉間にしわを寄せて頭を抱えた。
「なんかよくわからないけど、大変そうな気がする」
 他の事なら鋭い意見を述べたりするのに、自分の分からない機械の事になると、ユイは大変な事のように思うらしい。ロイドは思わずクスリと笑う。
「やる事自体はそれほど大変じゃない。だが悠長に試行錯誤を繰り返しているヒマはない。あさっての二十時までには、できるだけ高速化しておかなければならない。ほとんどぶっつけ本番だか、それまでは異世界を除く全世界を対象にしてテストするしかないな」
 ユイはロイドを見つめて少しの間黙っていたが、突然脈絡のない事を尋ねた。
「ねぇ、王様に何か言われた?」
「いや、労をねぎらっていただいた」
 陛下の言葉と先ほどのユイの言葉を思いだし、奇妙な一致がおかしくて、ロイドはクスクス笑った。
「おまえと同じ事おっしゃってたぞ。おまえなら、きっと成し遂げるだろうって」
 ユイはひとつため息をついて、また黙り込んだ。少し俯いて何かを考えている。そして、俯いたままポツリとつぶやいた。
「このまま何年も王子様が見つからなかったら、私、ジレットと結婚しなきゃならないのかな」
 不安を言い当てられたような気がして、ロイドは内心ギクリとした。それを悟られて、ユイまで不安にさせたくない。
 ロイドは心とは裏腹に、穏やかな表情を湛え、抑揚のない声で言う。
「そうなるだろうな」
 ユイは笑顔を引きつらせた。
「だって女同士よ? できるわけないのに、今度は世継ぎが生まれないって問題になるんじゃないの?」
 ロイドは表情を変えることなく、機械的に言う。
「子供なんかどうとでもなる。禁忌のクローン技術を使えばな。殿下の体細胞と遺伝子情報は科学技術局に保管されている。偽者が現れたりした時の科学捜査のためだ。局長のオレが許可すれば利用は可能だ」
 眉をひそめて一瞬絶句した後、ユイは立ち上がって叫んだ。
「そんなのジレットがかわいそう! ジレットは王子様が好きなのに!」
 ユイはまだ分かっていない。自分の行く末に何が待っているのか。
 ロイドはユイを見上げて、静かに問いかけた。
「他人の事より自分はどうなんだ? この先、もしかしたら一生、耐えられるのか?」
 ユイは少し目を見開いて、そのまま固まった。
 やはり考えていなかったようだ。それを分かった上で、ユイがどう答えるのか聞いてみたくなった。
 呆然と立ち尽くすユイを見つめて、ロイドは淡い笑みを浮かべ再び問う。
「オレと一緒に逃げるか?」
「え?」
「何もかも放り出して、何もかも失ったオレと一緒に」
 ユイは何も答えない。
 しばらくの間、二人で見つめ合ったまま、微動だにせず沈黙が続いた。
 困惑に揺れる瞳を見れば、ユイが迷っている事は分かる。それがロイドの決意を固めた。
 ロイドは目を逸らし、低くくぐもった声で笑った。
「本気にするな。そんな事をしても、のたれ死ぬだけだ。おまえはちゃんとニッポンに帰してやる。最初にそう言っただろう」
「うん……」
 ユイはホッとしたように返事をした。そしてすぐ、思い出したように尋ねた。
「でも、どうやって? 見当がつかないって言ってたじゃない。ついたの?」
「あぁ。遺跡の同期を利用する。おまえのいた場所の座標はわかっているんだ。装置の転送機能を拡張して、逆転送可能にすればいい。同期の最後の一回はおまえを帰すために使う」
 毅然として見上げるロイドに、ユイは身を屈めて詰め寄る。
「でもそれじゃ、それまでに王子様が見つからなかったら?」
「誰に向かって言っている。オレは諦めない。必ず殿下を見つけ出して、おまえをニッポンに帰す」
 ユイを連れて逃げるつもりなど、元々ない。クランベールに逃げる場所などない。
 ロイドが逃げ出せば、残されたローザンは、何も知らなくても追及されるだろう。無理矢理引きずり込んだ挙げ句、そんな迷惑はかけられない。
 ローザンだけでなく、ユイも不幸にしかできない。何もかも失ったロイドは、あまりにも無力だ。
 ユイを守るには、ニッポンに帰すのが一番だ。たとえ二度と会えなくなったとしても。
 黙ってロイドを見つめるユイの頬を涙が伝った。ロイドは少し驚いて尋ねる。
「どうした?」
「なんでもない」
 ユイは小さな声でつぶやいた。
 ユイは何かを察したのかもしれない。恋愛感情にはニブイのに、こんな余計な事には鋭い奴だ。
 ロイドはフッと笑いながら立ち上がり、ユイの頭を抱えるようにして抱き寄せた。
「また、なんでもないのに泣いてるのか」
 そしてユイの頭を撫でながら、優しく諭すように言う。
「心配するな。おまえは必ず守ってやる。前にも言っただろう?」
 ユイはロイドの胸に顔を伏せてしがみついた。
「優しくしないでよ」
「わかった。激しい方がいいんだな?」
「バカ。エロ学者」
 即座に返ってくる、いつも通りのユイの反応に、ロイドは思わずクスクス笑う。
「私、あなたに何もしてあげられない」
「おまえにはエネルギーを貰った。オレはきっと成し遂げられる。おまえの胸は確かに小さいが、すごく温かかった」
「小さくて悪かったわね。他に言う事ないの?」
 他に言う事など、ひとつしかない。
「あ……」
 喉まで出かかった言葉を、ロイドは無理矢理飲み込んだ。
 告げるべきではない。その言葉は、ユイを惑わせてしまう。
「……もう少し太れ」
 ごまかしてつぶやいた後、ロイドはユイをきつく抱きしめた。
 愛してる、愛してる、愛してる……。
 そして飲み込んだ言葉を、胸の奥で何度も繰り返した。




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