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3.



 胸の奥にため込んでいた様々な想い、これまで考えてきた色々な事、ロイドはユイにそれを話した。
 最初はユイに嫌われていると思っていた事。軽い気持ちで殿下の身代わりを押しつけ、危険な目に遭わせて、すまなく思っている事。だから、なんとしても無事にニッポンに帰そうと思った事。
 ユイは黙って耳を傾けている。
 ユイの考えを聞いて、何かが吹っ切れたような気がした。ロイドはユイの方を向いて、宣言する。
「おまえがニッポンに帰ると決めたなら大丈夫だ。それが歯止めになるだろう」
 ユイは不思議そうに首を傾げる。
「歯止めって、何の?」
 少し気まずくて、ロイドは顔を背けた。
「オレ自身のだ」
 ユイをニッポンに帰すと決めたのに、高まっていくユイの想いを目の当たりにすると、決意が揺らぎそうになる。連れて逃げても不幸にしかできないから、あの言葉は歯止めだった。
 それを打ち明けると、ユイは申し訳なさそうに、首をすくめた。
「ごめん。余計な事言って」
「いい。気にするな。元々オレは歯止めのきかない男だ。こんなに長期間、キス止まりなのは快挙だ」
 ロイドの言葉に、ユイは顔を引きつらせてつぶやく。
「……え……エロ学者」
『エロガクシャ』
 ユイの肩で小鳥が復唱した。ロイドはすかさず、ユイの額を叩く。
「だから、音声多重で言うな。その言葉しか教えてないのか」
「そんな事ないわよ。最近は色々しゃべるのよ。ユイちゃんかわいいとか、ロイド大好きとか」
 ”ロイド”が小鳥の名前だとは分かっていても、思わず身体がピクリと反応した。ユイは慌てて補足する。
「ロイドって、この子の事よ」
「わかってる」
 そう言ってロイドは立ち上がり、ユイの横に移動した。見上げるユイの頬に手を添え、身を屈めて顔を覗き込んだ。そしてニヤリと笑う。
「だが、今度何か言う時は覚悟しろよ。こっちの歯止めは外れかかっているからな」
 そして、ユイの唇に軽く口づけると、元いたコンピュータの前に戻った。
 胸の奥にため込んでいたものを吐き出して、随分と心が軽くなった。
 時間がない事に変わりはない。不安も焦りも消えたわけではない。状況は何ひとつ変わっていないのに、心は妙に清々しい。
 きっと自らの手で、ユイを不幸にしてしまう心配がなくなったからだろう。
 考えていた事は全て話した。けれど一番言いたい事は、言っていない。ニブイユイは、これだけ言っても全く気付いていないかもしれない。それを思うと少し切ない気もするが、ニッポンに帰るなら知らないままの方がいいだろう。
 残り十五日間、ユイと共に同じ時を過ごし、時々抱きしめて口づける事ができるなら、それでいい。
 欲を言えば、身も心もユイの全てを、手に入れたいと思う。けれど、一度全てを手にしたなら、きっと、もっと欲しくなる。そして、二度と手放したくなくなる。そんな気がした。
 席について少しした時、研究室の扉がノックされた。ロイドが返事をして席を立つと、扉が開き、ローザンが様子を窺うように顔を覗かせた。
「なんだ、おまえか。よそよそしい」
 ローザンは笑顔で頭をかきながら部屋に入ると、後ろ手で扉を閉めた。
「いやぁ、取り込み中だとマズイと思って」
「何を想像している。エロ医者め」
 毒づくロイドに、ローザンはため息をつきながら、ユイの元に歩いて行った。
「あなたに言われたくありませんよ。はい、ユイさん。鎮痛剤です」
 ローザンは笑顔で、白い小さな紙袋をユイに差し出した。ユイは礼を言って、それを受け取り、中を覗く。
 不思議そうに見上げるユイに、ローザンは笑いながら何やらコソコソと耳打ちする。ユイはそれを聞いてクスリと笑った。
 なんとなく、おもしろくない。
 軽く苛ついて、ロイドは大声でローザンを呼んだ。
「何をコソコソやっている。さっさと仕事に戻れ」
「はいはい。ちょっと話してただけで、そんなにヤキモチ焼かなくても……」
 面倒くさそうにブツブツ言いながら、ローザンはこちらにやって来た。ロイドはすかさず額を叩く。
「誰がヤキモチ焼いている」
「違うんですか?」
 イタズラっぽい表情で見上げるローザンの額を、ロイドは再び叩いた。
「うるさい」
 ローザンはクスクス笑いながら席に着いた。
 ロイドも席に着き、チラリとユイに視線を向ける。ロイドが渡した紙に、ユイは何やら書き込んでいた。時々ペンの頭を唇に当て、考え込んでいる。
 ユイがどんなおもしろい推理を展開するのか、少し楽しみにしながら、ロイドはいつもの仕事に戻った。




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