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第1話 赤い帳 |
1.少女君主と少年護衛官 もうすぐ昼休みの鐘が鳴ろうかという頃、杉森城の中枢、君主執務室へと続く長い廊下に、荒々しい足音が響いた。 整った面に思い切り不機嫌さを露わにして、少年が足早に廊下を進む。足音の主はこの少年だった。見た目は十七八の少年にしか見えないが、彼は今年で二十七歳になる。そしてこの春十八歳になったばかりの少女君主、 先代の急逝により、わずか十三歳で即位した幼い君主は、未だに君主としての自覚に乏しい。 毎日何かしらやらかしては、彼に怒鳴られていた。 彼、 今日の和成はいつにも増して不機嫌だった。紗也がいつもやらかすイタズラや粗相とは桁違いの暴挙に出たからだ。 和成は不機嫌さそのままに、執務室の扉を勢いよく開け放ち怒鳴り込んだ。 「紗也様――っ!」 室内正面奥には、大きな執務机に向かう紗也と、その斜め前の机でそろばんを弾いている君主補佐官の 紗也は和成に一瞥をくれただけで、再び机の上の書類に目を落とした。塔矢はそろばんを弾いていた手を止め、物言いたげに和成を見つめる。いつものことなので、二人とも特に気にした様子は見せない。 和成は塔矢の前を素通りし、紗也の机に両手をついて、頭の上から怒鳴りつけた。 「出陣なさるとは、どういう事ですか! 私は承服いたしかねます」 紗也の暴挙はこれだ。 和成の知る限りでは、一歩も城から出たことがないくせに、明日からの戦に突然出陣すると言い出したのだ。 おまけに護衛の和成にはなんの相談もなく、すでに上層部の了承を取り付けていた。 この奔放な君主と共にあって、一番の負担を強いられるのは和成に違いないにも関わらずだ。 紗也は机から離れるように身を反らし、うるさそうに顔をしかめて和成を見上げた。 「もう、そんな大声出さなくても聞こえるわよ」 横からフゥとため息を漏らしながら、これも恒例となっている小言を塔矢が口にする。 「和成、紗也様を怒鳴りつけるなと何度言えば分かる」 それに同調して、紗也がほくそ笑みながら、椅子にふんぞり返った。 「そうよぉ。いい加減、学習しなさいよね。よそじゃそんな態度、打ち首ものよ」 和成は無言で紗也を睨み、一歩下がってそのまま頭を下げた。 「怒鳴って申し訳ありませんでした」 和成が顔を上げると、塔矢は紗也にも注意を与えた。 「紗也様も、あまり和成を挑発なさいますな」 「はぁい」 塔矢の言葉には素直に返事をする紗也を見て、和成は少しムッとする。紗也が和成の言葉に素直に従った事などないような気がしたからだ。 不満に思いながらも、問題の核心はそこではない。和成は気持ちを切り替えて、紗也に問い質した。 「理由をお聞かせください。どうして出陣なさるのですか?」 紗也は机に両手で頬杖をついて、あっけらかんと言い放つ。 「見聞を広めるためよ」 和成は一瞬絶句して、少し目を見開いた。 「それだけですか?」 「だって私、君主だもの。今あちこちで戦をしている事くらいは知ってるけど、城の中にいたんじゃよく分からないし。戦を知らずに政治は行えないから、実際に見て知っておきたいの」 紗也が政治について学び始めたのは、ごく最近の事だ。先代亡き後、実際に政治を執り行ってきたのは、塔矢を含む先代からの忠臣たちで、紗也はほとんど政治に関わっていない。 この忠臣たちは、皆有能な上に、紗也には激甘だ。困った事に、紗也もそれを熟知している。 もっともらしい紗也の言葉に、彼女が政治に意欲を見せたとでも思ったのだろう。有頂天になって、あっさり丸め込まれたに違いない。 和成に対してはニコリともしない大臣たちの、目尻を下げる様子が容易に想像できる。おまけに敵兵からは鬼のように恐れられている、上官の塔矢までが丸め込まれたとは、腹立たしくて仕方がない。 和成はやり場のない憤りを、少しだけでも元凶にぶつけてやりたくなった。 「お説ごもっともですが、机に向かって三分とじっとしていられないあなたが、政治などとおっしゃっても説得力に欠けますね」 「失礼ね! 私だって少しは考えてるわよ!」 すかさず紗也が反論したが、和成は相手にしなかった。 そもそも君主が、常に考えていなければならない政治について、少ししか考えてない事が、反論すら説得力のないものにしている。 和成は紗也を無視して、塔矢に問いかけた。 「塔矢殿も今の理由に納得したんですか?」 二人の言い争いはいつもの事と、すでに放置して自分の仕事に没頭していた塔矢は、突然話を振られ、慌てて顔を上げた。 「あ? 俺か? まぁ、全面的に納得したわけじゃないが、一理あると思ってな」 塔矢がそう言うと、紗也は勝ち誇ったように胸を反らした。 「ほぉら、ごらんなさいよ。反対してるのは和成だけよ」 大臣たちはともかく、実際に戦場に赴く部隊長たちは皆、不安に思っているのではないだろうか。 表だって反対していないだけで、決して自分だけではないと和成は確信している。 実の娘同様に紗也を可愛がっている、塔矢にしても同じではないだろうか。 紗也の軽い調子が益々、和成の憤りと不安に拍車をかけた。 だがこれ以上紗也と言い争っていても平行線を辿りそうなので、和成は一旦退く事にした。 「わかりました。塔矢殿がそう言うなら、私も従います」 「ちょっと! どうして塔矢の言う事なら従うのよ!」 即座に紗也が絡んできた。それはお互い様だろうと内心思いながらも、和成は塔矢に目配せした。 「塔矢殿、ちょっといいですか?」 「あぁ」 和成の意を察して、塔矢は席を立つ。和成を前に二人して執務室を出ようとすると、残された紗也が後ろから捨て台詞を吐いた。 「なによ。内緒話なんて、感じわるーい」 咄嗟に顔をしかめて、振り返ろうとした和成の後ろ頭を、塔矢が拳で軽く小突く。そして背中を押してそのまま部屋から押し出した。 扉を閉めると、塔矢は和成を軽く睨んだ。 「紗也様の言動に、いちいち反応するな」 「すみません」 きまりが悪そうに頭をかく和成を見て、塔矢の表情は緩む。 「で、なんだ?」 塔矢が問いかけた途端、和成は表情を険しくして、手の平を塔矢に向け、言葉を制した。 和成が執務室の扉を勢いよく開くと、そこには中腰になって扉に顔を近付け、聞き耳を立てている紗也の姿があった。 冷ややかに見下ろす和成に、紗也は苦笑する。 「あ、ばれてた?」 「盗み聞きなど、君主のなさる事ではございません。仕事にお戻り下さい」 部屋の中を指差す和成に、紗也は食い下がる。 「内緒話なんかするから気になるんじゃないの」 「あなたには関係のない話なだけです」 再び始まった言い争いに、塔矢は呆れてため息をついた。 「やれやれ」 ふと気配を感じて塔矢が振り返ると、茶を運んできたと思われる年若い女官が、声をかける機会を失って困ったように二人の様子を眺めていた。 未だに白熱している二人に、塔矢は声をかける。 「和成、そろそろ切り上げろ。こちらのお嬢さんがお困りだぞ」 二人はピタリと言い争いをやめ、女官に注目した。和成がツカツカと女官に歩み寄る。そしてキョトンとしている彼女に声をかけた。 「ご苦労様です。あなたはこの後、何か用事はありますか?」 「いえ、特に言いつかった用事はございません」 「では紗也様が退屈していらっしゃるので、少しの間お相手をお願いします」 「かしこまりました」 頭を下げる女官に背を向け、和成は塔矢を促した。 「塔矢殿、私の部屋までご足労願います」 「あぁ」 「ちょっと、和成! 何勝手に決めてんのよ!」 わめく紗也には目もくれず、和成は廊下をスタスタと歩いていく。塔矢も少し会釈をして、その後に続いた。 不満げに鼻を鳴らして紗也が振り向くと、茶を乗せた盆を掲げた女官が、ニコニコしながら遠ざかる二人の後ろ姿を見つめていた。 「あなた、私を遠ざけるために利用されたのよ。何嬉しそうにしてるの」 呆れたように紗也が尋ねると、女官は益々嬉しそうに、顔を上気させて答えた。 「和成様とお話が出来て嬉しいのです」 紗也はわざとらしく、大きなため息をつく。 「あなたもなの? あんな怒りんぼのどこがいいのか聞かせてちょうだい」 そう言って紗也は、女官を執務室に招き入れた。 実のところ和成は、城内女官たちの間で、密かに人気者だったのだ。この女官も和成がお気に入りなのだろう。 柔らかそうな明るい栗色の髪に、まつげの長い大きな目、実年齢よりも随分と若く見える整った面立ちは、確かに女官たちの言うように、かわいいかもしれない。 けれど紗也は、少し不思議に思っていた。女官たちの間で笑わない男として有名な和成は、紗也の前では笑わないどころか怒ってばかりいるのだ。それは女官たちも知っているはずなのに。 |
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