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2.護衛官の不安と軍師の下策



 紗也が形式上治めている事になっている杉森国は、大海に浮かぶ秋津島の中心にあり、島の中でも一番小さな国だ。四方を好戦的な大国に囲まれ、常に侵攻の危機にさらされている。
 小さな杉森国には特に目立った産業も資源もなく、お世辞にも裕福とは言えない。けれど島の中心という要衝に国を構えているため、これまでも何度となく戦をしかけられていた。
 このところ北に国境を接する沖見国が不穏な動きを見せていたが、数日前北方砦の物見から、沖見が進軍を開始したとの報告が入った。明日には前線に到達すると見込んで防衛戦を張る事になった。
 杉森の戦は常と言っていいほど防衛戦だ。貧乏な杉森国は、人も金も無駄に浪費する戦を、自ら仕掛ける事は決してないからだ。



「なんだ? 紗也様には聞かれたくない話なんだろう?」
 和成の部屋で出された茶を一口すすって、塔矢が促した。
 机を挟んで向かい側に座った和成は、目の前にある湯呑みの中をぼんやりと見つめながら俯いている。和成はそのままポツリとつぶやいた。
「私は、紗也様を戦場で守り抜く自信がありません」
「えらく弱気だな。どうしてそう思う?」
 一瞬ためらった後、和成は紗也の護衛官に就任して以来、常に思っていた事を話し始めた。
「私はあの方にナメられているからです」
 塔矢の言う事は素直に聞くのに、紗也が和成の言う事に素直に従った試しはない。
 元々君主が家臣の言う事に従う必要はないとはいえ、耳を傾けるどころか真っ向から反発する。
 和成が紗也に言う事の大半は、彼女の君主にあるまじき言動に対する注意しかないというのに。
 話を聞いて塔矢は、笑いながら答えた。
「俺の方がおやじだからだろう」
「ですが、あの方からご覧になれば、私も充分おやじだと思いますが」
「そういえば、おまえの方が九才も年上だったか」
 食い下がる和成にチラリと視線を送り、塔矢はクスリと笑った。
「……にしては、かわいいおやじだな」
 途端に和成は、両手で頬を押さえて激しく動揺する。
「かわいいとか言わないで下さい! 塔矢殿もあの噂を聞いたんですか?」
「何の話だ?」
 興味深そうに問い返す塔矢に、しまったと思いながらも、和成は視線を逸らして渋々白状した。
「紗也様からお伺いしました。私が女官たちの間で、かわいいと言われているそうです」
 案の定、塔矢は吹き出した。
「モテモテじゃないか」
「違います! おもしろがられているだけです。やはり、この童顔のせいで紗也様にナメられているんでしょうか」
 益々うろたえる和成を見つめながら、塔矢は意味ありげに穏やかな笑みを浮かべる。そして、やんわりと和成の意見を否定した。
「紗也様はおまえをナメているわけではないと思うぞ」
「そう……でしょうか?」
「あくまで私見だがな」
 未だ半信半疑の和成は、眉をひそめて塔矢を見つめた。少し待ってみたが、塔矢はそれ以上語るつもりはないらしい。和成は諦めて、もう一度塔矢に尋ねた、
「塔矢殿はどうして紗也様の出陣を承諾したんですか?」
「さっき言った通りだ。あの方は君主だ。ご本人のおっしゃる通り、何も知らないままでいいわけはないだろう」
「そうですけど、まるで物見遊山にでも行くような軽い調子が不安で……」
 なおも繰り言を続ける和成の鼻先に、塔矢は人差し指を突きつけた。
「紗也様のお考えがどうであれ、あの方をお守りするのがおまえの仕事だ。死ぬ気でお守りしろ。泣き言を言うな」
「すみません」
 ピシャリと一蹴され、和成は愚痴を飲み込み塔矢を見つめる。塔矢もそれを見つめ返し、更に一言、低い声で付け加えた。
「死んでも守り抜け」
 塔矢の真剣な眼差しが、和成を信頼し紗也の命を預けている事を物語っている。それを悟って和成は、覚悟と決意を固めしっかりと頷いた。
「はい」
 塔矢は表情を緩め頷き返すと、一気に茶を飲み干し席を立った。
「二時から軍議だ。それまでに策を練っとけよ」
「え? 私がですか?」
 驚いたように問いかける和成に、塔矢は眉をひそめる。
「当たり前だろう。おまえ軍師じゃないか」
「そうですけど、今回は紗也様の護衛の任が……」
「そんなもん兼任に決まっているだろう。おまえの他に誰がやると言うんだ。他にいないだろう。うちは万年人手不足なんだぞ」
 確かに和成が軍師になる前は、軍師がいなかった。そして未だに他の軍師はいない。ということは、戦略を練り戦況を見守りながら、紗也の身も守らなければならない。
 肩の上にずっしりと重い荷物を載せられたような気がした。
 思わず漏れそうになるため息をこらえて、和成は肩を落としながら返事をした。
「……わかりました。やります」



 予定通り二時に軍議は始まった。城内大会議室に前線部隊統括の塔矢と各部隊長、軍師の和成が一堂に会し、そして今回は紗也も参加していた。
 初めて参加する軍議は、紗也にとっては何もかも珍しく新鮮で興味深い。けれど自分が参加しているという意識は低かった。
 なにしろまわりは大人の男性ばかりで、飛び交う軍事用語は意味のわからないものも多く、内容の半分も理解できているかどうか怪しい。
 やがて和成による戦略の説明が始まった。
 室内正面中央には巨大な液晶画面が設置され、そこに戦略図が表示されている。それを指し示しながら和成が、部隊の配置や作戦を説明していく。
 そして説明を終えた和成が席に着くと、室内に奇妙な空気が流れた。
 部隊長たちは皆一様に、困惑した表情で顔を見合わせている。塔矢は苦虫をかみつぶしたような顔で、和成を睨んでいる。和成はそれらから視線を逸らし、居心地が悪そうにしている。
 ひとりだけ意味の分からない紗也は、キョロキョロと視線をさまよわせた。
 奇妙な空気を打ち払うかのように、塔矢が口を開いた。
「和成。なんだ、その守り一辺倒な布陣は」
 すると部隊長のひとりが、塔矢をなだめるように和成を弁護した。
「まぁ、今回は紗也様もいらっしゃることですし、守りが堅いのはいい事ではないですか」
 だが塔矢は引き下がらない。
「確かに、これだけ守りが堅ければ少々の事では崩されないだろう。だが守っているだけでは敵は退いてはくれぬぞ。持久戦にしたいのか」
 塔矢の言葉が部隊長たちの困惑を代弁していた。弁護に回っていた者も口をつぐむ。
 和成が相変わらず押し黙っていると、塔矢が軍議を仕切った。
「和成、おまえも最良の策だとは思っていないだろう。もう一度練り直せ」
 塔矢の提案により、和成には一時の猶予が与えられ、夕方にもう一度軍議を開くこととなった。
 部隊長たちが解散すると、会議室には塔矢、和成、紗也の三人だけが残された。
 あまり初歩的な事を訊くのも気が引けるので、ずっと黙っていた紗也がいつもの面子になった途端、抱えていた疑問を塔矢に投げかけた。
「どうして持久戦になるといけないの?」
「戦が長引くからですよ。紗也様もそれはお嫌でしょう?」
「うん。長引くと人がたくさん死ぬから?」
「そうですね。それが一番よくない事です」
 紗也のつたない意見にも、塔矢は静かに頷いて認めてくれる。それに気をよくして、紗也はもうひとつの疑問を口にした。
「ねぇ、どうして和成が軍師なの?」
 自分の名前が呼ばれ、和成は俯いていた顔を少し上げ、紗也に視線を送る。紗也はおかまいなしに続けた。
「軍師って戦略を決める人でしょ? さっきいた人たちの中じゃ、和成は一番若そうだったし、塔矢みたいにもっと経験豊富な人がやる方がいいんじゃないの?」
「これは手厳しい事をおっしゃる」
 そう言って塔矢は、声を上げて笑った。意見を否定されたわけではないが、なんとなく小馬鹿にされたようで、紗也は少し頬を膨らませた。
「何がおかしいの?」
「失礼しました。軍事についてよくご存じでない紗也様の疑問はごもっともです。ですが、うちのような小国がこれまで何度となく敵国を退けてこられたのは、和成の戦略のおかげと言っても過言ではございません。彼は皆も認める天才軍師なんですよ」
「え……?」
 紗也の目が驚きと共に大きく見開かれ、和成を見つめる。和成は視線を逸らしつぶやいた。
「天才じゃありませんよ。買いかぶりすぎです」
 珍しいものでも見るように、紗也は和成を凝視する。塔矢は壁の時計にチラリと目をやって紗也に声をかけた。
「紗也様、そろそろ作法の時間ではありませんか?」
 言われて紗也も時計を見ながら立ち上がった。
「あ、本当だ。遅れたら女官長に叱られちゃう」
 バタバタと慌ただしく会議室を出て行く紗也を見送り、塔矢は席を立った。そして項垂れた和成の側に行き、ポンと肩を叩き隣に腰掛けた。
「どうした、天才軍師。らしくないな」
 和成は横目で塔矢を見やりながら顔をしかめた。
「からかわないでください。本当は三流軍師だと思ってるくせに」
「思ってないさ。だからどうしてあんな策を提示したのか不思議に思っている」
 塔矢から視線を外し再び俯いた和成は、肩を落として話し始めた。
「私もあの策は三流だと思っています。けれど紗也様をお守りすることを最優先に考えると、どこも守りが手薄な気がして、結果あんな布陣になりました」
「そんなことだろうと思った。だが三流だと分かっていながら、なぜ提示したんだ」
「皆が紗也様をお守りすることを重視して賛同するなら、それでもいいかと……。無責任ですよね。今でも重責で混乱しています。紗也様をお守りすることがこんなにも重い事だと、私は初めて気付いたんです。今さらながら」
 ますます項垂れた和成の背中を、塔矢は強く叩いた。
「甘えんな、おやじなんだろう。うちのような小国は兵も兵糧も限られている。持久戦になったらひとたまりもない事は、おまえも分かっているはずだ。とりあえず紗也様の事は棚に上げて考えろ。戦に勝つ事が紗也様の身を守る事にもつながる」
「わかりました。そうします」
 機械的に答える和成を、塔矢はまじまじと見つめる。
「本当に分かったのか?」
「はい」
 真顔で返事をするものの、和成の表情から心の内は計りかねた。今ひとつ納得できずに、塔矢は探るように見つめる。
 塔矢が何を気に病んでいるのか分からず、和成はキョトンと首を傾げた。
 結局は和成の言葉を信じることにして、塔矢は席を立った。
「今度三流の策を提示したら、軍師はクビだからな。一兵卒に戻ってもらうぞ」
 人を斬る事が嫌いな和成には、それが一番のお灸になると塔矢は思っていた。
「肝に銘じます」
 和成はクスリと笑って頷いた。




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