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3.秘密の宝物



 夕方になり、会議室には再び皆が一堂に会した。まずは仕切り直しとなった戦略が、先ほどと同じように和成によって説明される。
 戦略の善し悪しについて、紗也は全く分からない。けれど昼に聞いたものとは部隊の配置から進軍の方法から全て変わっている事は分かった。
 今度は室内に妙な空気が流れる事はない。皆も納得しているのだろう。
 説明を終えた和成が席に着く。誰も異を唱える者はいなかった。
 塔矢が懐から無線電話を取り出し操作する。
「暗号化同時通信の番号が変更になった。登録し直してくれ」
 それを聞いて部隊長たちが一斉に懐から電話を取り出した。紗也は無線電話を持っていない。一人だけ置いてきぼりを食らったようで、紗也は焦りながら塔矢の電話を指差した。
「私、それ持ってない」
 塔矢は皆に一斉送信を行い、電話を懐にしまう。そして紗也に笑顔を向けた。
「後ほど和成に届けさせます」
 電話の設定を終えた部隊長たちは、次々に会議室を出て行った。明日は早朝から北方砦へ向けて出立する。部隊長たちは早く家に帰って明日に備えなければならない。紗也も彼らに混ざって会議室を出て行った。
 紗也の護衛官に就任して以来、城内に居室を与えられている和成は早く帰る必要もない。残って会議室の後片付けをしていた。
 そこへ塔矢が歩み寄り、目の前に無線電話を差し出した。和成は怪訝な表情で電話を見つめ、塔矢に視線を移す。
「どうしてさっき渡さなかったのですか?」
「それをお渡しして、ついでに戦の最中はおまえに従うように、よーくお願い申し上げろ」
 塔矢はイタズラっぽく笑って和成の肩を叩いた。



 君主の居室は城の最奥にある。居室の周りはぐるりと生け垣に囲まれている。その周りを更に堀が囲んでいた。居室に行くには堀にかかった唯一の渡り廊下を通るしかない。
 城内はいくつかの区画に分けられ、各区画ごとに安全管理基準が設けられている。
 当然ながら君主居室は特級区画だ。渡り廊下には門があり、昼間は開いているが、認証札を持つ限られた者しか通過できない。夜にはその門も閉じられ、更に限られた者にしかこれを解錠できない。
 護衛官である和成の居室は、この渡り廊下の手前にあった。
 会議室の片付けを終えた和成は、塔矢と別れて中庭に面した廊下を君主居室に向かって進む。廊下には所々に柱が立っているだけで壁がない。そのため中庭や、少し見上げれば空がよく見えた。
 すでに日は落ち、辺りは暗くなっている。和成は外を眺めながら、廊下の端をゆっくりと進む。中天にかかる明るい月が、中庭の木々の葉を銀緑色に染めていた。
 明日は満月だ。和成は立ち止まり、白く眩しい月を見上げて目を細めた。
 少しの間月を眺めた後、和成は視線を廊下の先に戻した。そして自室の前を素通りし、渡り廊下の門をくぐった。
 門の先にも廊下は延々と続いている。君主の居室はとにかく広い。今は紗也がひとり、側仕えの女官数名と暮らしているが、元々は君主の家族が暮らしていた。
 和成はこの広い居室のどこに何があるのかは知らない。謁見の間だけ知っていた。
 あらかじめ連絡しておいたので、謁見の間にたどり着くとすぐに女官が取り次いでくれた。女官に伴われて和成は部屋の中に入る。
 部屋の中央には大きな長方形の机があり、その両脇にはどっしりとした布張りの長椅子が置かれている。向かって左手の椅子に紗也が腰掛けていた。
 紗也に促され、和成は彼女の正面に座る。塔矢から預かった無線電話を手渡し、身を乗り出して画面を覗きながら操作を説明する。そこへ女官が茶を運んできた。
 彼女が茶を置いて下がった後、紗也は部屋の隅に控えていた女官にも席を外すように声をかけた。
 電話の操作説明を終え、紗也に促されて一口茶をすすった和成は早速切り出した。
「紗也様、ひとつお願いがございます」
「何?」
「あなたの御身をお守りするため、戦の間は私の指示に従って頂きたく存じます」
「うん。わかった」
 また何か反発される事を予想していたので、あまりにあっさり承諾されて和成は拍子抜けする。
「あ、ありがとうございます」
 和成が呆けたように礼を述べると、紗也が口を開いた。
「私も和成に訊きたい事があるの」
 紗也の目には好奇の色が浮かんでいる。それが人払いの理由だったのだろう。
「何でしょう?」
 昼間の内緒話でも追及されるのではないかと和成が幾分身構えていると、紗也は思いも寄らない事を尋ねた。
「和成って女官たちに優しいの?」
「は?」
 一瞬頭の中が真っ白になって間抜けな声を上げた和成だったが、すぐに思い至った。
「特に意識して優しくした覚えはございませんが、それって先日お伺いした私の噂話の続きですか?」
「うん」
 紗也は屈託のない笑顔を浮かべ、全く悪びれた様子もなく言う。
「女官たちがみんな、和成は優しいって言うのよ。でも私はいつも怒られてばかりだから優しい和成って見た事ないのよね」
 毎日目にする塔矢の渋い顔が脳裏に浮かび、和成は小さくため息をついた。
「申し訳ありません。それについては毎日塔矢殿から注意を受けているのですが、私が大人げないばかりについ……」
 紗也がおもしろそうに目を輝かせた。
「毎日言われてるの? 塔矢もマメねぇ」
「今後はなるべく優しく接するように努力いたしますので……」
「いい」
 和成が今後の決意を述べようとすると、紗也はそれを途中で遮った。そしてふてくされたように、プイと横を向く。口をとがらせ横目で和成を見上げながら言う。
「努力して優しくしてくれなくていい。今まで通りでいいから。なんか調子狂うし。私、家臣のくせにとか思ってないから」
 この君主は言動も幼く、自覚にも欠ける。けれど家臣に対して変に権威を振りかざしたりはしない。それが皆に可愛がられている理由なのかもしれない。
 和成は思わず笑みを浮かべた。
「かしこまりました。”今まで通り”でいかせて頂きます」
 それを見て紗也が嬉しそうに目を見張る。
「あ、やっぱり……」
 そうつぶやいた後、慌てて両手で口を押さえた。
「何か?」
 首を傾げる和成に、紗也は顔の前で激しく手を振りながら苦笑する。
「なんでもない! 言うと怒るから」
 それは言っているようなものである。和成は瞬時にいつもの不機嫌顔に戻った。
「そうですか。ではおっしゃらなくて結構です。だいたい想像はつきますので」
 そして明日早朝に出立する事を伝えて挨拶を終えると、和成は謁見室を後にした。
 和成と入れ替わるように女官が部屋に戻ってきた。紗也は女官を伴って寝室に移動する。着替えを手伝ってもらいながら、先ほど垣間見た、奇跡のような和成の笑顔を思い出す。無意識に紗也の頬はニマニマと緩んだ。
 女官たちは誰も見た事がないという和成の笑顔を、紗也は何度か見た事がある。その笑顔は無垢な少年のようで、本当にかわいいのだ。
 女官たちは普段の笑わない和成をかわいいと言っているが、自分だけはもっと本当にかわいい和成を知っている。それが紗也の密かな自慢だった。
 そしてその秘密は、自分だけの宝物のような気がして、誰にも内緒にしていた。



 謁見室を辞した和成は、自室を目指して長い廊下を引き返す。渡り廊下の真ん中で立ち止まり、廊下の下にある堀の水面に目を移した。
 水面に映る月がゆらゆらと揺らめきながらキラキラと光を反射させている。廊下の灯りで真下には自分の姿も映っていた。
 実年齢より十は若く見える、紗也が言いかけてやめた”かわいい”容姿を眺めながら、和成はあごを撫でてつぶやいた。
「ヒゲでものばしてみようかな」
 しかし以前、戦が長引いて伸び放題になった時、戦後も面倒でそのままにしておいたら、老若男女を問わず似合わないと不評を買い、塔矢に至っては顔を合わせるたびに何も言わず含み笑いをするので、すっかりイヤになって剃ってしまった、という苦い経験を思い出した。
 和成はガックリ肩を落として大きくため息をつく。
「もう寝よ……」
 そしてそのまま廊下を渡りきって自室に引っ込んだ。




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