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4.北方砦の友



 翌朝早朝、和成は紗也と共に後方支援部隊に同行して、沖見国との国境にある北方砦に向かった。今回はこの砦が本陣となる。
 塔矢たち実働部隊は一足先に前線へ向かっていた。
 狭い国土を徒歩で縦断し、林を抜けて砦に到着すると、北方砦警備部隊が出迎えてくれた。
 皆は挨拶を交わしながら砦の部隊と共にそれぞれの配置についていく。砦の兵士のひとりが笑顔で和成に歩み寄り、親しげに肩を組んだ。
「久しぶりだな、和成」
「あぁ」
 和成も少し表情を緩めて応える。横から紗也が不思議そうに尋ねた。
「誰?」
 和成は側の男を紗也に紹介する。
「紗也様、これは私の同期の友人です」
「え……紗也様……って、城主?」
 男は途端にうろたえて和成から離れると姿勢を正した。
「平井右近(ひらいうこん)と申します。本日は本陣の警護を担当しております」
 深々と頭を下げる右近に、紗也は笑顔を向けた。
「和成の友達なのね。今日はよろしく」
 そう言って紗也は、目に好奇の色を湛えたまま和成に尋ねる。
「ねぇ、和成。砦の中を見てきていい?」
 やはり紗也は物見遊山気分のように見受けられる。これから戦が始まるというのに、露程も緊張感がない。
 だが戦場でへそを曲げられて、いつものようにわがまま放題に振る舞われては勝てる戦も勝てなくなる。戦そのものに関して、和成は負けるような気がしていなかった。紗也がおとなしく本陣にいてくれさえすれば。
 のどまで出かかった小言を飲み込んで、和成は静かに答えた。
「あまり時間がありません。少しだけになりますが右近に案内させましょう」
「いい。みんな忙しいんでしょう? ひとりで大丈夫だから」
 紗也は言い出したら聞かない。和成はここもひとつ息をついて譲歩した。
「では、十分以内にお戻り下さい。それと、砦の外には決してお出にならないように」
「うん、わかった」
 笑顔で手を振って紗也は駆け出して行った。和成は大きくため息をつく。その横で紗也を見送りながら右近もホッと息をついた。
「びっくりしたぁ。俺、紗也様を間近で見たの初めてだよ。気さくな方だな」
「まぁ、それがいいところでもあり悪いところでもあるけどな」
 淡々と答える和成の肩に、右近は腕を回す。
「いいなぁ、おまえ。あんなかわいい方の側仕えだなんて。俺のとこなんかヤローばっかりでむさくるしいのなんの」
 右近の常駐している、今回本陣となった北方砦は国境の山の中にある。まわりに民家も何もないので、砦内の雑務は全て兵士が行っていた。貧乏な杉森国は人を雇う余裕などないのだ。女性兵士自体少ないので、長期駐留を余儀なくされる砦には、男ばかりが赴任していた。
 それは和成も知っているが、紗也の側仕えをうらやましがられるのは納得できない。
「見てくれはともかく、かわいいなんて考えた事もない。なにしろ出会い頭にケンカして以来五年間、毎日怒鳴らなかった日がないくらいだし」
「おまえ、城主を毎日怒鳴っているのか? よくクビにならないな」
「今日はまだ怒鳴ってない」
「そういう問題じゃないだろう」
 呆れたようにため息をつく右近と共に、和成も大きくため息をつく。
「わかってる。毎日塔矢殿に注意は受けてるし、俺も反省はしてるんだ。だが実際、あの方のお側にお仕えしてみれば、おまえも俺の気苦労がわかるはずだ」
 そして和成は顔を上げて、自分の鼻先を指差した。
「ほら、気苦労で老け込んだだろう?」
「全然。むしろ若返ってる気がするぞ」
 間髪入れずに否定され、和成はガックリと項垂れる。
「おまえまでそんな事言うのか」
「”おまえまで”って何だ? おもしろそうな話だな」
 何かを察したように目を輝かせる右近から目を逸らして、和成は素っ気なく答える。
「おまえには絶対話さない」
 童顔を女官たちからからかわれている事など話して、右近にまでからかわれたくない。
「なんだよ。気になるじゃないか」
 右近がじゃれついた時、和成の懐で無線電話が鳴った。まとわりつく右近を片手で制して和成は電話に出る。相手は塔矢だった。
『前線の布陣が整った。いつでも出られるぞ』
「わかりました。斥候の報告を待って作戦を開始します。それまでは敵の動向に注意しつつそのまま待機して下さい」
『どのくらいだ?』
「三十分以内には」
『わかった』
 電話を懐にしまった和成は、中央司令所に向かって歩き始める。右近もその側をついてきた。
 砦の中心に独立して建てられた建物が中央司令所だ。戦のない時は城との連絡を担っている。
 右近が軽い調子で話しかけた。
「なぁ、戦が終わったらさ、一緒にどっか遊びに行かね?」
「”戦が終わったら”とか言ってると命を落とすらしいぞ」
「おまえ、命落とすような気がしてる?」
「全然」
「だよな」
 二人で顔を見合わせて笑う。
 いつもの戦なら本当にそんな気はしない。だが今回は紗也がいる。和成の胸にはずっと一抹の不安がわだかまっていた。
「で、どこに行きたいんだ?」
 和成が尋ねると右近は満面の笑みで答えた。
「どこでもいいけど、女がいるところ」
 和成は目を逸らして、大きくため息をつく。
「そういうところ、俺は遠慮したい。女はうんざりだ」
 それを聞いて右近は大げさにのけぞった。
「何? おまえ、うんざりするほど女を満喫してんの?」
「そういう意味じゃない」
 右近は再び目を輝かせて和成にじゃれついた。
「あぁ? それってさっきの話に関係あるんだろ? 教えろよ」
「絶っ対、教えない」
「いいじゃないか。さわりのとこだけでも」
「うるせーな。いいからさっさと配置につけよ」
 右近を無理矢理引きはがした時、視界の隅に紗也の姿が映った。厩舎の側で中にいる馬を珍しそうに眺めている。普段は城の中に閉じこもっているので、生きた動物を目にするのは珍しいのだろう。
 和成は紗也の背中に声をかけた。
「紗也様、じきに開戦です。中央司令所においで下さい」
 紗也は振り向いて和成に駆け寄ってきた。
「それって和成のいる所よね? 一緒に行く」
 紗也が側まで来ると、和成は右近を片手で追い払った。
「ほら、おまえもさっさと仕事しろ。仕事」
「しょうがない。また連絡する」
 諦めたようにそう言って、右近は紗也に頭を下げ、その場を立ち去った。和成と共に歩きながら紗也が尋ねた。
「ずっと一緒にいたの? 仲がいいのね」
「まぁ、滅多に会えない数少ない同期ですからね」
 少しして紗也が思い出したようにクスリと笑った。和成は不思議そうに紗也を窺う。紗也は嬉しそうに笑顔を向けた。
「和成のタメ口、初めて聞いちゃった」
 素の自分を見られたのがなんだか照れくさくて、和成はプイと横を向いた。
「私も友人にはタメ口ですよ」
 少しうろたえたようにボソリとつぶやく和成を見て、紗也の心は高揚する。これもきっと女官たちの知らない和成なんだ。そう思うと、またひとつ秘密の宝物が増えたような気がして嬉しくなった。




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