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5.開戦



 中央司令所の中は活気に満ちていた。それほど広くもない空間に多くの人間がひしめいているからかもしれない。
 三列に並んだ机には電算機の端末が据え置かれ、その前に座った兵士たちが互いに言葉を交わしながら情報の入力を行っている。
 入り口正面の壁際には黒い金網の箱に入った大きな電算機が鎮座している。戦略の要となる戦略主機だ。そしてその横の机には中央司令所を統括する情報処理部隊長がいた。
 情報処理部隊は二つの班に分かれている。ひとつは戦場に散って敵の情報を収集する斥候班。もうひとつは中央司令所で斥候の情報を集約し、戦場にいる実働部隊に提供する情報処理班だ。
 斥候班は戦闘には参加しないものの、戦場にいるので刀を携行し着物の下には鎖帷子を着用している。だが中央司令所にいる兵士たちは皆軽装だった。
 袂のない着物に股引をはいて膝下には脚絆を巻いた軍装束に、防具は鉢金と胸当てだけである。刀や槍などの武器は壁に備えられた置き場に並べられていて、携行しているものは護衛官の和成だけだ。
 もっとも、本陣の中央にある司令所の兵士たちが、武器を手に戦う事があるとすれば、それは本陣陥落寸前の劣勢に他ならない。杉森軍はこれまで、そんな状況に陥った事は一度もなかった。
 いつもは女の子らしい華やかな色合いの着物を着ている紗也も、今日は兵士たちと同じ地味な鶯色の軍装束に身を包み、長い髪は後ろに束ねている。そして額に巻いた鉢金と両腕には、自軍の印をつけていた。
 そのせいか司令所にいる兵士たちは、和成と一緒にいる紗也が、誰だか気付いていないようだった。
 和成は皆に声をかけて紗也を紹介する。
「今回は総大将として紗也様がお越しです。開戦の合図は紗也様に発して頂きます」
 それを聞いて司令所中の兵士たちが、バタバタと慌てて立ち上がり、紗也に頭を下げた。同時に紗也も驚いて和成に尋ねる。
「私、総大将なの?」
 和成は呆れたように嘆息した。
「君主なんですから当然じゃないですか。開戦まで少しの間、そちらにお掛けになってお待ちください」
 和成に勧められた椅子に座り、紗也は珍しそうに部屋の中を見回す。兵士たちは再び自分の仕事に戻っていった。
 ざわつく部屋の中は言葉が飛び交い、電算機を操作するカタカタという音が鳴り響く。右手の壁際にある大きな液晶画面には、表示された地図の上に青い大小の円が散在していた。昨日会議室で目にした戦略図と同じだ。
 そこへ次々に大小の赤い円と数字が表示されていく。
 紗也には何もかもが物珍しく、そしてなんだか分からなかった。
 和成は紗也の横に立ち、真剣な表情で画面を見つめている。少し離れたところから、兵士のひとりが大声で叫んだ。
「敵将情報来ました! 総大将、五十嵐久蔵です! その他、反映します!」
 画面にひときわ大きな赤い円が現れた。そして画面上の赤い円の横にバラバラと敵将の名前が表示されていく。それを見ながら和成がつぶやいた。
「前線に狩谷雅秀、山西数馬、で大将が久蔵って事は、主力部隊に間違いないようですが、兵の数が少なくないですか?」
 誰にともなく問いかけた時、横から紗也が手を上げて叫んだ。
「しつもーん!」
 和成は画面から紗也に目を移す。
「なんでしょう」
「こんな風に敵の情報がこっちに分かってるって事は、うちの情報も敵に知られてるって事?」
 和成は笑って答えた。
「あぁ、うちはいつも全開ですよ」
 それを聞いて紗也はきょとんと首を傾げる。
「隠さなくていいの?」
「うちには隠して温存する手駒はありませんからね。部隊長たちはいつも全員参加です。昨日持久戦は無理だと言ったのはそういう事なんですよ。戦が長引いて皆が疲れてしまっては、次の戦で不利になりますからね。一般兵の数は多少増減しますが」
 紗也はこれまで戦について深く考えた事はなかった。毎日のように秋津島のどこかで戦が繰り広げられている事は承知している。けれど杉森国内はいたって平和に思える。
 それというのも、国内まで敵に攻め込まれたとか、部隊が壊滅的被害を受けたとか、一度も耳にした事がないからだ。たまに聞くのは塔矢の勝ち戦自慢。
 和成は大した事ではないように笑っているが、杉森のように人も財も限られた小国が、大国相手に一度も負けた事がないというのはすごい事ではないだろうか。
 そしてそれが、塔矢の言うように和成の立てた戦略のおかげだとしたら――。
「和成って本当に天才軍師だったのね」
 紗也が尊敬の眼差しで見つめると、和成の笑顔はいつもの不機嫌顔に戻った。
「天才ではないと昨日も申し上げましたでしょう」
 吐き捨てるようにそう言って、和成はぷいと顔を背けた。
 褒めたつもりが、なぜ機嫌を損ねたのか紗也には分からない。少し不服に思い、口をとがらせた紗也に、隣にいた兵士がこっそりと告げた。
「照れてるだけですよ。和成殿と塔矢殿がいるから、うちが負け知らずなのは本当ですからね」
「やっぱりそうなんだ」
 読みが当たっていた事にすっかり気をよくして、紗也はクスリと笑った。
 そんな隣でのやり取りなど眼中にない和成の頭は、すでに戦に向けられていた。
「やはり兵の数が少ないのが気になります。背後や側面からの奇襲の可能性はないですか?」
 和成の問いに隊長が答える。
「私もその点は気になったので、かなり広範囲に渡って、背後、側面共に調べさせました。ですが、敵は一兵たりとも見当たらなかったそうです」
「そうですか」
 和成はフッと息をついて苦笑した。
「つまり、うちごときに主力部隊が全力で当たるまでもないって事ですね」
 そして、不意に不敵の笑みを浮かべる。
「そのナメた態度、思い切り後悔させてやりましょう」
「はい!」
 和成の言葉に兵士たちが一斉に返事をした。その直後、司令所内はにわかに慌ただしくなる。和成と隊長がそれぞれ指示を出し、兵士たちはそれをてきぱきとこなしていった。
 前線の部隊長たちに最新の戦況が伝えられ、作戦の再確認を終えると、和成は紗也を誘導して通信機の前に立った。番号を合わせて紗也に言う。
「簡単な挨拶と戦を始める合図をお願いします」
 紗也は頷き、和成が電源を入れるのを待ってしゃべり始めた。
「総大将の紗也です。今日は初めて出陣しました。和成に怒られるので私は前線に行けないけど、中央司令所から応援しています。それじゃあ、今から戦を始めましょう。みんな、頑張ってね」
 中央司令所は一斉にクスクス笑いに包まれた。和成はガックリと肩を落として、電源を切りながら言う。
「その緊張感のないご挨拶、なんとかなりませんか?」
「えぇーっ? 緊張してなきゃいけないのーっ?」
 不服を訴える紗也に、和成は真顔で諭す。
「戦場で緊張感のない者は真っ先に命を落としますよ。ここは戦場なんです。少しは緊張感をお持ち下さい」
 紗也は黙って和成を見上げながら、ゆっくりと頬を膨らませた。
 すでに戦は始まった。ここでへそを曲げられて、どこかに飛び出して行かれでもしたら面倒な事になる。和成は一息嘆息し、少しおだててみた。
「まぁ、緊張感はありませんでしたが、先ほどのご挨拶で皆の気持ちはほぐれたでしょう」
 紗也の表情が幾分和らいだ事に安堵しつつ、和成は意地悪な笑みを浮かべて顔をのぞき込んだ。
「ほぐれすぎて力が抜けてなければいいですけどね」
「もう! 一言多い!」
 再び眉を寄せた紗也は、和成の腕を叩いた。
 とりあえず機嫌が直ったようなので、二人並んで席に着く。和成は紗也に膝を向けると、改めてお願いする事にした。
「紗也様、私がゆうべお願いした事は覚えておいでですか?」
「うん。戦場では和成のいう事を聞けばいいのよね?」
「はい。三つだけ絶対に守って頂きたい事がございます」
「何?」
「一つ目は何があろうと私の指示がない限り戦が終わるまでこの砦からお出にならないで下さい。二つ目は昨日お渡しした電話の電源は決して切らないで下さい。三つ目はできる限り司令所で私の隣にいらしてください」
「できる限りでいいのよね?」
 紗也が言葉尻を捉えて含みのある言い方をする。和成はすかさず釘を刺した。
「退屈だという理由で徘徊なさるのはダメですよ」
「そんな事しないわよ」
 紗也は口をとがらせて否定するが、じっとしているのが苦手な彼女の事だから当てにはならない気がする。
 ふと思い出したように紗也が尋ねてきた。
「ねぇ。戦の最中に和成の指示で砦を出るとしたら、どういう時?」
「それは砦の中まで敵に攻め込まれた時です。現時点でその心配はありませんが、絶対にないとは言い切れません。だから私の目が届く場所にいらして頂かなければ困るんです」
「そっかぁ。そういう事ね」
 紗也は他人事のように軽く頷いている。その様子を見て、途端に和成の胸中は不安で一杯になった。両手を膝につき、深々と頭を下げて懇願する。
「どうか、これだけはお心に留め置いて下さい。あなたのお命はあなただけのものではございません。お命を危険に晒されるような軽率な行いだけはどうぞお控え下さい」
 いつもは頭ごなしに小言を言う和成が、平身低頭している姿に紗也は呆気にとられた。
「どうしちゃったの?」
 和成はさらに頭を下げて、叫ぶように言い募る。
「お願いします!」
 大きな声に驚いて、ざわついていた司令所内が一瞬にして静まりかえった。兵士たちが和成と紗也に注目する。視線に耐えきれず、紗也はなだめるように和成の肩を叩いた。
「わかったから、顔を上げて」
 和成は顔を上げて紗也を見据える。無邪気な笑みを浮かべて、幼い君主は和成を見つめ返した。
 わかったと言いながら、この方は本質を何もわかっていない。それを悟ると和成の不安は益々募る。
 だが今は戦に集中しなければ。塔矢が言ったように戦に勝つ事が紗也を守る事になるのだ。
 兵士のひとりがおずおずと和成に声をかけてきた。
「あの、和成殿。秋月隊、塔矢隊、敵と接触した模様です」
 和成は不安を頭の隅に追いやって返事をする。
「了解しました」
 そして静かな笑みを湛えて紗也に言う。
「紗也様、画面の戦況図をご覧ください。わからない事はなんなりとご質問下されば、私がお答えいたします」
「う、うん……」
 いつになく穏やかな和成に面くらいつつも、紗也は言われた通り画面に視線を移した。




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