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6.疎外感と焦燥感



 戦況はなにやら有利に進んでいるようだ。そのくらいしか紗也にはわからない。
 始めは物珍しさから、何もかもに興味を引かれていた。だが絶えず飛び交う言葉の大半は紗也にとって意味不明で、司令所内が活気に満ちているほど自分だけ蚊帳の外に置かれているような気分だった。
 総大将ってこんなものなのだろうか。何かする事はないのか。そう思った紗也は和成に尋ねてみた。
「私は何かしなくていいの?」
「あなたは健在であられるだけで皆の力になっております」
 そう言って和成は優しく微笑んだ。
 意味がわからない。
 滅多に見る事のなかった和成の笑顔を今日は何度も目にしている。そしてもうすぐ夜になるのに、今日はまだ怒鳴られていない。
 優しい和成を初めて見た様な気がするが、どういう訳かちっとも嬉しくない。
 紗也は退屈よりも疎外感を覚え、息苦しさを感じた。
 少しだけ司令所の外に出たい。戦況が有利な状態なら、ほんの少し席を外すくらいは許されるだろう。
 そう思った紗也は席を立った。和成が焦ったように声をかける。
「紗也様、どちらへ?」
 腫れ物に触る様なその扱いにムッとして、紗也はぶっきらぼうに答える。
「お手洗い」
「あ、失礼しました。どうぞ」
 紗也は怒ったように早足で司令所の外へと出て行った。和成はその姿を見送ると再び画面の方へ向き直った。



(おかしい。あまりに遅すぎる)
 和成が気付いた時にはすでに三十分以上が経過していた。紗也が司令所を出たまま戻ってこないのだ。気付いてから何度か電話をかけてみたが通じない。
 あれほどお願いをしたのにどうして電源を切っているのだろうと苛つく。無情に流れる不通の音声を聞きながら、ふと思い至った。
(もしかして電波の届かない場所に?)
 嫌な予感と共に和成の鼓動は早くなる。慌てて電算機の端末を操作し、紗也の電話の位置を追跡した。画面の地図上に位置情報の履歴が表示される。
 背中に冷水を浴びせられた様な気がした。
 最後に確認された場所は、砦の外にある林を抜ける街道だった。時間は七分前。
 急いで追い付けるかどうか微妙な時間だ。紗也の足ではそれほど遠くに行っていないとは思われるが。
 和成は椅子を蹴って立ち上がり、通信機に駆け寄った。回線を同時通信に合わせて叫ぶ。
「全部隊長に告ぐ! 直ちに昨日廃案となった守りの陣形に移行して下さい!」
 司令所内がざわついた。隊長が困惑した表情で和成に尋ねる。
「和成殿、いったい何が……」
 和成が口を開き描けた時、最前線の里村秋月(さとむらあきづき)から返答が来た。
『秋月です。我が隊は交戦中です。直ちに移行は困難です』
『和成ーっ! 何だ今のは!』
 塔矢からも怒号が飛んできた。和成は機械的に答える。
「今言った通りです。本陣の守りを固めます。直ちに移行して下さい」
 塔矢は苛々したように声を荒げた。
『秋月は交戦中だと聞いただろう?! おまけにかなり後退しなけりゃならない。勢いづいた敵に追撃されたらどうする?!』
 抑揚のない声で和成は繰り返す。
「それでも移行して下さい。こんな議論をしている暇はないんです」
『犠牲が出てもいいのか?!』
「やむを得ません」
 和成が冷淡に言い放つと、塔矢は黙り込んだ。少しして静かに問いかける。
『何があった?』
 和成は机に手を付いて項垂れた。肩が、声が震える。
「紗也様が……。私が目を離した隙に砦の外に出て行方がわからなくなりました。電話を追跡しましたが、紗也様のものは軍用ではないので電波が弱く、不通になっています」
『ちっ! よもや砦から出ることはあるまいと思ったのが(あだ)になったか』
 塔矢が苦々しげにつぶやいた。見えているわけでもないのに和成は頭を下げた。
「お願いします! 本陣の守りを固めて下さい! 今ならまだ、紗也様も砦付近にいらっしゃるはずです。全責任は私が負います!」
『少し落ち着け。二時間だ。その間守ってやる。時間内になんとかしろ。秋月に援護は出せるか?』
「待って下さい。今……」
 少し冷静さを取り戻した和成は、隣の端末を素早く操作して塔矢と全部隊長に新しい布陣図を送信した。
「移動が少なくてすむ様に少し変更しました。こうすると秋月隊の左にいる茂典隊が手空きになるので援護に向かわせて下さい。私はすぐに砦を出て紗也様の捜索に向かいます」
『わかった。紗也様の身柄を確保したらすぐに連絡しろ。攻めるより守る方が消耗するからな。なるべく短くしたい』
「了解しました」
 通信を終えた和成は、行き違いで紗也が戻ったら塔矢と自分に知らせるよう皆に告げた。そして机に立て掛けておいた自分の刀を腰に差すと司令所を駆け出していった。
 塔矢隊の一般兵だった頃からの習慣で、和成は戦のたびに毎回自分の刀を持って来る。だが軍師になってからは司令所から出る事もないので、使ったことが一度もなかった。
 これから血を見ることになるかもしれないと思うと少し憂鬱になる。それが敵の血か自分の血かはわからないけれど、紗也の血だけは見たくないと思った。



 司令所の外には夕闇がせまっていた。
 馬は全部出払っている。そのため徒歩で捜索しなければならない。和成は門へ向かってひた走る。門の手前では右近が待ち構えていた。
 情報処理部隊長から砦の警備隊長経由で右近に話が伝わっている。警備部隊で紗也の容姿をはっきりと判別できるのは、間近で話をした右近だけだ。
 入れ違いで紗也が帰ってきた時のために、右近を見張りに立てて、和成は門を駆け抜けていった。



 砦を出て少し行くと街道は紗也の消息が跡絶えた林の中へと入っていく。林の中はすでに漆黒の闇に包まれていた。
 街道はかなり先まで一本道だ。時間的にもそろそろ追いつけるだろう。外の世界が何もかも珍しい紗也が、道を外れて山の中に迷い込んでいない事を願うばかりだ。
 和成は時々紗也の名を呼んだり電話をかけたりしながら街道を進んだ。
 電話は相変わらず不通のままだ。
 すでに日は落ちた。山の中には夜行性の危険な獣もいる。
 このあたりに敵の部隊は確認されていないが、単独で行動している斥候や兵士がいないとは限らない。
 戦場を渡り歩いて、兵士の骸から金目のものを奪う不心得者も出没していると聞く。
 獣に襲われるのも悲惨だが、もしも敵の手に落ちたら――。
 紗也の事を君主だと思う者はいないだろう。先代君主が身罷られた事と紗也が君主になった事は、対外的には極秘となっている。
 だが身なりから杉森軍の者である事はわかる。敵に捕らえられた女兵士が、尋問の末どんな辱めを受けるか、想像に難くない。
 募る不安と共によくない考えばかりが、和成の頭の中を去来した。
 せめて額と腕に巻いた自軍の印を外していてくれたら。そんな都合のいい事を願ってみた。
 紗也の姿を見つけられないまま、しばらく林の中を進むと、行く手で突然林が途切れた。街道はそこで大きく右に折れ曲がっている。
 空には顔を出したばかりの大きな月が見えた。
 月明かりに照らされた白い街道に人影がある。ちょうど曲がり角のあたりにひとりの敵兵がいた。
 部隊からはぐれたのだろうか。まだ若い新兵のようだ。
 和成の気配に気付く様子もなく、刀に手をかけて前方の何かを注視している。敵兵が足音を忍ばせてゆっくりと前進し始めた。
 嫌な予感が和成の全身を駆け巡る。敵兵が刃を向ける相手は、自分たち杉森軍の者だ。
 和成が街道の先を見渡せる場所に移動するのと、敵兵が刀を抜いて上段に構えるのとが同時だった。
 月光に刃がきらめく。
 その狙いの先には街道脇の林を覗き込んでいる紗也の後ろ姿があった。
「紗也様!」
 叫ぶと同時に和成は駆け出した。声と足音に敵兵はようやく和成の存在に気付いたらしい。周りが見えていないと言う事は、やはり新兵なのだろう。
 一瞬立ち止まって和成を振り返った敵兵は、すぐに向き直り、紗也へ向かって駆け出した。
 自分の方に気を逸らせようとしたつもりが、紗也の方が討ち取りやすいと判断したのか、単に混乱しているだけなのか、思いも寄らない敵兵の行動に和成は焦った。
「紗也様ぁ――――っ!」
 刀を抜き放ち、和成は紗也に向かって全力で走った。




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