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8.失態の代償



 砦には十分くらいで到着した。門の前で馬を止め紗也を降ろす。そこへ右近が駆け寄ってきた。右近は血まみれの和成を見て派手に驚く。
「何? おまえどっかやられたの?!」
「いや、ただの返り血」
 和成が平然として返すと、右近は安堵のため息をついた。
「なんだ。驚かすなよ。めずらしいな」
「で、戦況は?」
「あぁ。なんか敵の総大将が撤退したらしい。詳しい状況は司令所で聞いてくれ。前線の部隊はそのまま待機してるけど、塔矢殿が帰ってくるって聞いたから、おまえ覚悟しといた方がいいぞ」
 そう言って右近は、拳を頬に当てて見せた。和成は目を伏せて頷く。
「あぁ、わかってる」
 突然右近は和成の肩を抱いて無理矢理紗也に背を向けさせた。そして耳元に小声で尋ねる。
「ところで和成。もしかして役得?」
「何が?」
 訝しげに眉をひそめる和成に、右近は楽しそうに語る。
「一緒に馬に乗ってさ、紗也様を……」
 右近が何を勘繰っているのか判明するに従って、和成は徐々に赤面した。
「背中からぎゅっと……」
 そう言いながら肩を引き寄せた右近の腕を振りほどいて和成は叫ぶ。
「してねーし!」
 右近はおもしろそうに指摘した。
「じゃあ、なんで背中にべっとり血が付いてるんだよ」
「あれは不可抗力」
「じゃあ、なんでおまえ赤くなってんの?」
「これは返り血」
 涼しい顔で否定する和成を、右近はニヤニヤしながら黙って見つめる。和成の後ろから紗也が覗き込んできた。
「さっきの和成? 何わめいてるの?」
「なんでもございません。右近が戯れ言を申すものですから」
「変わり身早すぎんだろ」
 呆れたように和成を一瞥した後、右近は紗也に向かって姿勢を正した。
「紗也様、私はそろそろ自分の持ち場に戻ります。和成の事、よろしくお願いします」
 深々と頭を下げた右近は二人に背を向ける。
「右近、門の見張り助かった。礼を言う」
 和成が声をかけると、右近は軽く手を上げてそのまま立ち去った。
 紗也はキョトンとして右近の後ろ姿を見つめ続ける。何をお願いされたのか、よくわからなかったのだ。



 和成は馬を引いたまま、紗也と共に司令所に向かった。一刻も早く紗也の無事を皆に知らせたかったからだ。
 二人が司令所に顔を出すと、兵士たちが皆安堵の笑顔を浮かべて出迎えてくれた。口々に紗也の無事を喜び、怪我はないかと気遣ってくれる。
 皆に心配をかけた事は紗也にもわかっていた。和成の後ろに隠れるようにして様子を窺っていたが、案外暖かく迎えられた事にホッとして、紗也は気まずそうに笑いながら小さく会釈した。
 そしてここでも、血まみれの和成の姿に皆が騒然となる。負傷したのかと大騒ぎする兵士たちに和成は笑って答えた。
「いや、どこも怪我してないから。全部返り血です。それより戦況を」
 隊長がそれに答える。
「ただいまの状況ですが、敵全軍撤退しましたので前線部隊は念のため明日まで待機しているところです」
「そうですか。経過を手短にお願いします」
「はい。守りに転じて後退する秋月隊を、交戦中だった山西数馬が追撃してきました」
 和成が苦笑する。
「やはり、山西数馬は追ってきましたか。優勢だった敵が突然後退したら誘い込まれてるとか思わないんですかね? 私なら追いませんよ」
「ええ。実際には誘い込んだ訳ではないんですが、これが功を奏しまして攻めに転じた時、側面から援護に当たっていた茂典隊と塔矢隊で挟撃し、塔矢殿が山西数馬に一騎打ちを申し出ました」
「一騎打ちとは無茶をなさる。で、討ち取ったんですか?」
「残念ながら。しかし、深手を負わせました。これにより敵の士気が一気に下がりまして全軍撤退となりました」
「わかりました。皆も交代で休んで下さい」
 和成の声を合図に兵士たちの一部が宿舎に引き上げていく。それを横目に見ながら、和成はため息をついた。
「討ち取り損ねたとなると、塔矢殿はさぞかしご機嫌ななめでしょうね」
「心中お察しします」
 そう言って隊長も目を伏せた。
 和成が戦況報告を受けている間、紗也は彼の後ろに隠れるようにして立っていた。話を終えた和成が振り向いた。
「紗也様。今日は砦に一泊することになります。すぐお部屋にご案内いたしますが、私は馬を返してまいりますので、こちらで少しの間お待ちいただけますか?」
「私も一緒に行く」
 すがるような目で紗也は和成を見た。皆に心配をかけたので居心地が悪いのだろう。それを悟って和成は承諾した。
「では、一緒にまいりましょう」
 入り口に繋いでおいた馬を連れて、二人は厩舎へ向かった。



 馬を戻し、宿舎に向かっていると、向こうから怒気を孕んだ声が呼び止めた。
「和成!」
 声の主は塔矢だ。和成は側にいた紗也をその場にとどまらせ、自分は三歩前へ出て歯を食いしばる。
 塔矢は大股で歩み寄ると、目を閉じた和成の頬を平手で思い切り打った。打たれた頬がみるみる赤く腫れ上がる。
 項垂れた和成の胸倉を掴んで引き寄せると、塔矢は至近距離で怒鳴りつけた。
「おまえの仕事は何だ?!」
 消え入りそうな声で和成は答える。
「紗也様の護衛です」
「このような失態、断じて許されるものではないぞ! わかっているのか?! おまえは国を潰しかけたんだぞ!」
「いかなる厳罰も甘んじて受ける所存です」
「それは俺の決める事ではない! 追って沙汰があるはずだ。覚悟しとけ!」
 突き飛ばすようにして和成から手を離し、塔矢は背を向けた。立ち去ろうとする塔矢に和成は尋ねた。
「……塔矢殿、犠牲者は……」
 塔矢は立ち止まり、背を向けたまま答える。
「ない! 俺が兵を無駄死にさせるか! かすり傷は何人かいるがな」
「ありがとうございます」
 ホッと安堵の息をつき、和成は深々と頭を下げた。
「おまえの為じゃない」
 そう言って塔矢は、振り向きもせず立ち去った。
 和成は俯いたまま、打たれた頬に手を当てる。熱を持ってヒリヒリと痛んだ。
 しばらくそのまま立ち尽くしていると、突然胸の鼓動がドクリと跳ねた。背中に紗也が縋り付いて来たのだ。
「紗也様? いかがなさいました?」
 振り向こうにも紗也は背中にしがみついて離れない。仕方なく首を巡らせて肩越しに問いかけた。
「どこかお体の具合でも……」
 言いかけた言葉を、和成は途中で飲み込む。微かな嗚咽が漏れ聞こえてきた。
「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい」
 嗚咽混じりに小さな声が何度も繰り返す。
 和成は自分の足元に視線を落とした。
「あなたが謝る必要はございません」
 苦い思いが胸に広がる。こんな事なら司令所に待たせておくべきだったと後悔した。
「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい」
 和成の背中にしがみついて、身体を震わせながら紗也は呪文のように繰り返す。
「……泣かないで下さい……」
 自分の失態で紗也が泣いているのかと思うと、和成の胸は痛んだ。




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