目次へ |
9.月下の儀式 しばらくして泣きやんだ紗也を宿舎の部屋に案内し、和成は司令所に戻った。深夜の司令所は光熱費節減のため、不要な灯りや電算機の端末は消されている。薄暗い室内には数名の兵士が待機していた。 和成は自分が当直を申し出て、彼らを全員休ませた。他に誰もいなくなった部屋で、ひとつだけ電源が入っている端末の前に座る。 その画面を見るともなしに眺めながら、長かった今日の出来事を反芻した。記憶を辿っていくと、最後に紗也の泣き顔が思い浮かぶ。胸の痛みまで蘇った。 和成が紗也の泣き顔を見たのは初めてだった。紗也は毎日和成に怒鳴られてもケロリとしている。 少しは反省すればいいのにと、いつも苛ついていたが、泣かれるのは辛いと気付いた。 どれほど時が経ったのか、扉の開く音がして和成は視線を上げる。入り口から若い兵士が和成に歩み寄ってきた。 「和成殿。私が替わりますのでお休みになって下さい」 側まで来た彼は、穏やかな笑みを浮かべて和成を見下ろしている。見上げれば首が疲れそうなほど背が高い。体つきは随分華奢だ。 戦闘には参加しない情報処理部隊の兵士も、身体の鍛練は行っている。彼はまだ入隊して間もない兵士なのかもしれない。 よく見ると、その顔に和成は見覚えがあった。 「君は合戦中隣にいた?」 和成が尋ねると彼は嬉しそうに目を細めた。 「覚えていて下さいましたか? 「初めてだったなら、君の方が緊張してて疲れてるだろ? 私の事は気にしなくていいから休んでていいよ」 和成はやんわりと拒否する。だが慎平は引き下がらなかった。 「ですが、和成殿も色々あってお疲れでしょう? 少し休まれた方が……」 「確かに色々あったけどね。だから眠れないんだ」 和成がそう言って苦笑すると、慎平は背中を丸めてしゅんとなった。 「すみません」 大きな慎平が背中を丸めている姿は、落胆ぶりも倍増して見える。和成は思わずクスリと笑った。 「じゃあ、少し話そう。座って」 「はい」 和成が勧めた目の前に椅子に、慎平は嬉しそうに笑って腰をおろした。先ほど慎平が口にした事が、社交辞令にしても気になって、和成は尋ねた。 「どうして私の隣にいたのが光栄なの?」 慎平は照れくさそうに頭をかく。 「恥ずかしながら、私は剣よりも電算機の方が得意でして……」 慎平は家が刀鍛冶をしている関係で、親から半強制的に軍に放り込まれた。ところが子どもの頃から刀よりも電算機に興味を示していたため、剣の腕はさっぱりなのだ。 身体が大きい割りに体力も腕力も平均以下で、実戦では即戦力になれない。そのため本人の希望もあって、情報処理部隊へ配属となった。 とはいえ、電算機だけというのも軍人として情けない。身体を使う事は苦手でも、頭を使うことなら、少しは軍に貢献できるかもしれない。そう思って和成が立てた過去の戦略を参考に、軍略を学んでいるのだ。 「軍師になりたいんだ?」 「ゆくゆくは和成殿のお手伝いが出来るようになれればと思っています。だから和成殿が采配を振る姿を隣で拝見できるのは光栄なんです」 「それは頼もしいな」 楽しそうに将来を語る慎平を、眩しげに見つめて和成は目を細めた。慎平は目を輝かせたまま和成に尋ねる。 「和成殿は軍師になってどのくらい経つんですか?」 「三年ぐらいかな? 私は元々塔矢隊の一兵士だったんだよ」 「では、以前は他の方が軍師を?」 「いや、軍師はいなかった。部隊長が策を出し合って協議してたんだ」 和成は塔矢の命令で、勉強のためだと言われ戦略を練っていた。それを塔矢が軍議で提示し、立て続けに採用されて戦を優位に導いた。 何度かそんな事が続くと、さすがに他の部隊長たちも塔矢が考えたものではないだろうと感付いた。 そして、いっそそいつを軍師にしてしまえという事になり、和成が軍師に任命されたのだ。 「ちょっと笑えるだろ?」 言われた通りに慎平はちょっと笑う。 「でもそれって結果的にはよかったですよね」 「まぁね。部隊長方は考えるより動く方が得意な方々ばかりで策を練るのも苦痛だったみたいだし、私も刀振るよりこっちの方が性に合ってるしね。こんなに返り血浴びたのは本当に久しぶりだよ」 和成は笑いながら血の付いた着物をつまんで見せた。それを見て慎平は辛そうに眉を寄せて俯く。 着物から手を離し、笑顔を消して和成は静かに諭した。 「ごめん。君はまだ自分の目で血を見た事がないんだったね。情報処理班や軍師が血を見る事はあまりないけど、軍人として戦場にいるなら、人を斬る覚悟だけはしておいた方がいいよ。でないと君は生き残れないから」 慎平は俯いたまま、絞り出すように言う。 「実際、その時になってみないと本当のところはわかりませんが、そういう覚悟はしているつもりです。私がつらいのは血を見たからではありません」 一旦言葉を切って、慎平はチラリと和成を見た。そして再び俯き、意を決したように続けた。 「今回、紗也様の身が危険に晒されたという事で和成殿が処罰されると聞きました。ですが、私には和成殿に落ち度があったとは思えません。失礼ながら私は隣でお二人のやりとりを全て見聞きしておりました。あの時、紗也様は”お手洗いに行く”とおっしゃいました。和成殿は塔矢殿に”目を離した”と言われましたが、女性のお手洗いについて行けるわけはありません。むしろあれだけ真摯にお願いされたにもかかわらず砦を出て行かれた紗也様の行いの方が軽率だったと……」 「それ以上言うな」 慎平の言葉を遮り、和成は厳しい目で彼を見据えた。 「我々臣民が君主を批判するべきではない」 「すみません」 肩を落として小さくなった慎平を見て、和成は表情を緩める。 「まぁ、毎日紗也様を怒鳴りつけては塔矢殿に小言を言われてる私が言っても説得力ないか。君が私を心配してくれる気持ちは嬉しいよ。ありがとう」 そう言って和成は席を立った。見上げる慎平から目を逸らし、ポツリとつぶやく。 「君が軍師になってくれるなら、私も安心して逝けるかな」 「そんな……」 悲痛な面持ちで見つめる慎平を、和成は笑顔でごまかす。 「顔洗いに行くだけだよ。血が付いたままだったの忘れてた。少しの間、ここ頼んでいいかな」 「はい……」 まだ不安そうな顔をしている慎平を残し、和成は司令所から出て行った。 外に出ると雲一つない夜空に、天頂から少し西に傾きかけた月が、あたりを明るく照らしていた。 真夜中の砦内は静まりかえっている。物見櫓と外壁の周りには夜警の兵士がいるが、庭を出歩いている者はいない。誰もいない中庭は昼間よりも広く感じられた。 和成は中庭の真ん中で、月を見上げて立ち止まる。少しの間月を見つめた後、そのまま目を閉じた。 これは和成が戦場で行う夜の儀式だ。血に汚れた自分を月の光が清めてくれるような気がするからだ。もちろん気休めでしかない事は重々承知している。 少しして目を開いた和成は、宿舎前の洗面所へ向かった。顔と前髪についた血を洗い流し、懐に手を入れようとして手ぬぐいを捨ててきた事を思い出した。 着物で拭こうにも袖口も胸元も血まみれで役に立たない。放っておけば乾くだろうと諦めた時、後ろから手ぬぐいが差し出された。 「ほら」 振り向くと右近が立っていた。 「すまない」 礼を言って手ぬぐいを受け取る。それで顔を拭きながら和成は尋ねた。 「まだ起きてたのか。見回り?」 「あぁ、さっきまでな。もう寝るとこ」 「そっか。警備は夜警があるもんな」 和成が手ぬぐいを返すと、右近は血まみれの着物を指差した。 「着替えも貸そうか? おまえまた月見てたし」 和成は血まみれの着物をつまんでながめながら少し考える。そして苦笑と共に断った。 「これは、いいや。たぶん明日には城に帰るし、借りても返しに来れないだろうし」 「そうか」 右近は微笑んで頷いた。そして思い出したように言う。 「そういえば、嘆願書の署名がまわってたぞ」 「何の? 俺のとこには来てないけど」 「ばーか。おまえの減刑を願う嘆願書だよ」 和成は少しの間目を丸くして絶句した後、笑いながら尋ねた。 「そりゃ俺のとこには来ないか。おまえ署名したの?」 「おう! 一番でかい字で書いといたからな」 「でかけりゃ威力があるってわけでもないだろ」 胸を張って答える右近に、和成は呆れて嘆息する。そして右近から目を逸らし、口の端で笑った。 「そうやってみんなが心配してくれるのはありがたいけど、やっぱ極刑だろうな。国を潰しかけたわけだし」 「おまえが”国外退去”とかありえないよな。内情知りすぎてるし」 「そうだな。打ち首か、よくて切腹かな」 突然、右近が明るく提案した。 「なぁ、終身刑ってのどうだ? 一生座敷牢で戦略練らされんの」 「却下。俺が国を潰す策を巧妙に練って提示したらどうすんだよ」 右近はたじろいで一歩退く。 「確かに。おまえならそういう事本気でできそうだ」 「やらねーよ。ばか」 右近を小突いた後、和成は腕を組んで考え込んだ。 「でも、切腹だったら困るな。俺やり方をよく知らないんだ。おまえ知ってる?」 「俺に聞くなよ」 右近が不愉快そうに顔をしかめる。教えてはもらえそうにない。 「まぁ、その時は塔矢殿に聞くか。そう言えば塔矢殿は?」 「前線にとんぼ返りしたらしいぞ」 「忙しい人だな。俺を殴りにわざわざ帰って来たのかな?」 「かもな」 二人で顔を見合わせて笑う。少しして右近は、おもむろに和成を抱きしめた。和成の肩に頭をのせて問いかける。 「また、会えるよな」 「どうだろうな」 和成が淡々と答えると、右近は涙声で再び問いかけた。 「会えるよな?」 和成は少し笑みを浮かべ、見え透いたウソをつく。 「あぁ。約束したもんな。一緒に遊びに行くって」 「おう! 一緒に飲みに行こうぜ」 顔を伏せたまま精一杯明るく答える右近に、和成はクスリと笑って尋ねた。 「女のいるとこか?」 右近は益々和成にしがみつきながら掠れた声でつぶやく。 「おまえがいればいい」 右近の涙が肩を濡らした。和成は声を殺して泣いている右近の背中を優しく叩きながら空を仰いだ。 見上げる夜空には明るい満月が皓々と輝いている。 自分が死んだ時、どうかこの友がこんな風に泣かずにすみますようにと月に願った。 |
目次へ |
Copyright (c) 2012 - CurrentYear yamaokaya All rights reserved.