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11.終戦



 洗面所の壁にもたれて、右近は呆れたように和成をながめている。
「戦場で呑気にヒゲ剃るやつぁ初めて見たぜ」
「しょうがないだろ。紗也様のご命令とあらば」
「おまえいつもそんな命令まで聞いてんの?」
「聞くわけないだろ。そんなわがまま」
 吐き捨てるように言いながら、和成は顔を拭いた手ぬぐいと剃刀を右近に返した。
 それを受け取りながら、右近は不思議そうに問いかける。
「だったらなんで今日に限って……」
 言いかけたところでピンと来た右近は、自分で答えた。
「あぁ。今日に限ってだからか」
「そういう事だ。俺は今、あの空よりも心が広くなってるんだ」
 空を指差して和成は笑う。
「おまえも何かお願いがあったらきいてやるぞ。もっともここでできる事に限られるけどな」
「そうだな……」
 右近は空を見上げて少し考えた。そして和成に視線を戻してニヤリと笑う。
「だったら、アレ教えてくれよ」
「アレ?」
「ほら、昨日俺には絶対教えないって言ってた話」
「あぁ、アレか」
 和成は腕を組んで、しばし逡巡する。
「塔矢殿は大笑いしたからなぁ。おまえも笑うかもな」
 そう前置きして、女官たちの間で言われている和成の噂話を教えた。
 右近は笑わなかった。冷めた目で和成を見つめる。
「それってモテモテ自慢?」
「なんでだよ。塔矢殿もそんな事言ってたけど、からかわれてるだけだろ?」
「キャーッ和成様かわいーっとか言われてんのか。うらやましいこった」
「あーっもう。やっぱ、おまえに話すんじゃなかった」
 ふてくされてそっぽを向いた和成の顔を覗き込んで、右近は更にからかう。
「それで、女にうんざりするほどつまみ食いしちゃったわけ?」
「食ってねーよ! 裏で言われてるって聞いただけで、面と向かって何か言われた事はないし。第一女官に手を付けたら城に居辛いだろ?」
「まあな。それにおまえ、野の花にいくら騒がれても高嶺の花しか見てないもんな」
 ニヤリと意味ありげに笑う右近を、和成は不思議そうに見つめる。
「なんだ、それ? 俺の理想が高すぎるって事?」
 右近は呆れたように小さくため息をもらした。
「自覚がないのか」
「何の?」
「紗也様だよ」
「あぁ」
 ようやく納得したように、和成は頷く。
「確かに紗也様は君主としての自覚に乏しい。けど、何の関係があるんだ?」
 まるっきり見当違いな和成の言葉に、右近はガックリと項垂れた。
「おまえ、頭切れるくせにこういう事にぶいよな」
 未だに不思議そうな顔をして右近を見つめていた和成が、突然電話を取り出して時間を確認した。
「やべ、あと二十分しかない。朝飯食わなきゃ」
「なんかさ、おまえ見てると、ヒゲ剃ったり飯食ったり、極刑かもしれない奴には思えないんだけど」
 呆れたように言う右近に、和成は真顔で返す。
「塔矢隊じゃ朝飯抜いたら塔矢殿にげんこつ食らうんだ。処刑前にげんこつまで食らいたくない」
 そう言って和成は右近に背を向けた。走り去ろうとする和成を右近が呼び止める。
「和成」
 和成が振り返ると、右近が手ぬぐいを投げてよこした。
「それ、貸しとくよ。まだ、いることあるだろ? 確実に俺のとこに戻って来るように名前書いといたから、城まで持って帰っていいぞ」
「あぁ。借りとく」
 和成は笑って手ぬぐいを懐にしまい、食堂に向かって駆け出した。



 十分で朝食を済ませた和成は、再び紗也の部屋を訪れた。
 紗也は食事を終え、身支度も整えて待っていた。顔のむくみもわかりにくくなっている。もう泣いていなかったのだろう。
「ちゃんと剃ってまいりました」
 和成があごをなでてみせると、紗也は小さく笑って言った。
「うん。そっちの方がいい」
 笑顔が戻ったことにホッと安堵しながら、和成は尋ねた。
「午前中は司令所で待機することになります。膳を下げてくるまで、こちらでお待ちになりますか? それとも先に司令所に行かれますか?」
「司令所に行く」
 紗也の返事を意外に思いつつも、和成は彼女を伴って司令所へ向かう。そして情報処理部隊長に紗也を託し、膳を下げるためすぐに司令所を出て行った。
 和成が立ち去った事を確認すると、紗也は司令所の皆に頭を下げた。
「きのうは心配をかけてごめんなさい」
 座っていた兵士たちはあわてて立ち上がり、司令所中がどよめく。
「紗也様、どうかお顔をお上げ下さい。我々に頭を下げて頂くなど滅相もございません」
 隊長がそう言うと、紗也は顔を上げて訴えた。
「みんなにお願いがあるの。和成を助けて! 私が悪いんだし、私が動けば簡単なのに和成は私情で動いちゃダメだって許してくれないの。だから。よく知らないけど会議とか裁判とかで和成は悪くないってみんなに証言して欲しいの。お願い」
 紗也の必死な様子に、隊長は一瞬面くらって瞠目した。しかしすぐに目を細めて静かに答える。
「紗也様。我々は元より和成殿の刑が意にそぐわぬものであれば異議を申し立てる所存にございます。和成殿の処遇に関しては精一杯尽力いたしますので、どうかご安心下さい」
「ありがとう」
 紗也が微笑んで頷いたところに和成が戻ってきた。司令所の皆が黙って和成に注目する。
 全員が立ち上がってこちらを見ているその異様な光景に、和成は怪訝な表情を浮かべて隊長に尋ねた。
「何かあったんですか?」
 隊長は常にないほどニコニコとしながら答える。
「紗也様に御挨拶を賜っておりました」
「挨拶?」
 益々訝しげな表情で、和成は紗也を見つめた。紗也は笑って和成を見つめ返す。
 そこへ兵士のひとりが声を上げた。
「前線部隊と斥候から伝令です!」
 司令所中が先ほどとは別の緊張感に包まれる。和成はそちらへ視線を移した。
「敵軍完全に撤退した模様です。十時を以て全部隊砦へと帰還するそうです」
 司令所中がワッと笑顔でわき返る。和成は通信機に向かい、伝令の内容を砦中に伝えた。
 司令所の外からも歓声が聞こえてきた。




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