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12.目覚め



 前線部隊の帰還と共に、午後には全部隊が、砦の警備部隊を残して城下へ凱旋した。城に戻った和成は、塔矢から処遇が確定するまでの謹慎を命じられた。
 丸二日眠っていない和成は、さすがにその夜は何も考えず泥のように眠った。
 翌朝、いつもより少し遅れて目覚めた和成は、慌てて飛び起きた。しかし仕事に出なくていい事を思い出し、再び寝台の上に身体を倒す。
 昼間に自室で一人きりの時を過ごすのは、久しぶりだ。あとどれだけ時間があるのかわからないが、このままぼんやりしているのももったいない。
 処刑される前に読みかけの本を読み切ってしまおうと、寝台から起き上がった。
 顔を洗い身支度を調えて机の前に座る。本を開こうとした時、机の端に置かれている右近から借りた手ぬぐいが目に入った。
 何気なく広げてみて思わず吹き出す。手ぬぐいの三分の一にでかでかと右近の名前が書かれていた。筆を取り、名前の横に一言言葉を書き添えて手ぬぐいをたたむ。
 今度こそ本を開こうとして、久しぶりに人を斬ったことを思い出した。
 刀が痛んでいる。もう刀を使う事もないのだろうが、痛んだままなのは気になった。それが遺品として親の元に届けられるのもおもしろくない。
 時計に目をやる。今の時間なら道場には誰もいないだろう。
 和成は立ち上がり、枕元に置いてある刀を掴んで、道場脇の研磨場へと向かった。
 城内中庭の一角には、城勤めの軍人用に剣や武術の鍛錬を行うための道場がある。
 使用時間は部隊ごとに割り当てられているが、城内官吏の始業時間に当たる九時から十時までの間は、利用者がほとんどいない。皆、城内で他の仕事に就いているからだ。
 和成が道場脇の研磨場に着いた時、案の定誰もいなかった。早速袖をまくり、砥石に向かって痛んだ刀を研ぎ始める。
 少しして研ぎ終わった刀を陽にかざしてみた。水が滴るその刃は陽光を反射してキラキラと美しく輝く。その反射光を見つめて目を細めていると懐の電話が鳴った。
 電話口から不機嫌そうな塔矢の声が聞こえる。
『おまえ、謹慎中だろう。どこをうろついてるんだ』
「すみません。刀を研いでました」
 塔矢の声が少し和らいだ。
『まだかかるのか?』
「いえ、もう終わりました」
『すぐに戻れ。話がある』
「わかりました」
 電話を終えた和成は、急いで刃に柄を取り付け鞘に収めると、足早に自室へ向かった。部屋の前には大量の書類を抱えた塔矢が待ち構えていた。
 和成は部屋の鍵を開けて塔矢を中へ招き入れる。部屋に入った塔矢は勝手知ったる様子で、机の上にドサリと書類を置き椅子に腰掛けた。塔矢に茶をいれて差し出すと、和成もその正面に座る。
 茶をすすりながら塔矢が問いかけた。
「朝飯は食ったか?」
「あ……今日はちょっと……」
 起きるのがいつもより遅れた上に、ぼんやりしていてすっかり忘れていた。げんこつが来るかと和成はビクついたが、塔矢は眉間にしわを寄せて睨んだだけだった。
「食えといつも言ってるだろう。朝飯抜いたら力は出ないし、頭は働かない。その証拠におまえは今、ろくでもない事しか考えていないはずだ」
「確かにそうかもしれません。でも、話というのは私の処遇についてですよね」
 塔矢は腕を組んで首肯する。和成は遠慮がちに尋ねた。
「あの、恥ずかしながら私は切腹の作法についてよく知りません。教えていただけませんか?」
 塔矢は和成を見据えて問い返す。
「おまえ切腹するのか?」
「違うんですか? じゃあ、打ち首でしたら私の刀で斬ってもらう事はできませんか? 今研いできたばかりなので切れ味は抜群なんですけど」
 和成が笑顔で尋ねると、塔矢は呆れたようにため息をついた。
「楽しそうに言うなよ。おまえそんなに死にたいのか」
「死にたいわけではありません。未だに実感が湧かないのは事実ですけど、紗也様を危険にさらしたという事は極刑なんですよね?」
 和成が上目遣いで探るように見つめる。塔矢も和成を見つめ返しニッと笑った。
「喜べ。極刑はなしだ」
 和成の目が驚愕に見開かれる。おまけに口も半開きのまま時が止まったかの様に固まった。塔矢が目を細くしながら冷めた調子で指摘する。
「口、開いてるぞ」
 その声に弾かれたように、和成は身を乗り出して問い質した。
「どうして、そういう事になったんですか?」
「情報処理部隊隊長と隊員による、おまえの紗也様に対する仕事ぶりの証言と、ある隊員による、おまえが”目を離した”経緯についての証言。事件発生後のおまえの対応。それからこれだ」
 そう言って塔矢は、傍らに置いた書類の山を叩いた。
「我が軍、全部隊、全兵士の署名入り嘆願書だ」
 和成は再び目を見張る。
「全……員……ですか?」
「俺のも入ってるぞ」
 少し微笑んだ後、塔矢は思い出したように書類を二、三枚めくると、その一枚を和成の前に突き出した。
「おまえの友人だろう」
 そこには紙の真ん中に右近の名前だけがでかでかと書かれていた。
「紙丸一枚使いやがって。ふざけんなって言っとけ」
 渋い顔をする塔矢に、和成は少し声を出して笑った。
「もしかしてあの夜、塔矢殿が前線にとんぼ返りしたのは署名を集めるためだったのですか?」
「あぁ。おまえを殴った後、司令所に行ったら隊長に泣きつかれてな」
 塔矢は情報処理部隊長から、和成がいなくなると困るからなんとかしてくれと、署名用紙を渡された。そして事の詳細を聞いたのだ。
 急な作戦変更で前線の兵士には戸惑っている者も少なくない。それは今後、和成への不信感となり、前線の結束が乱れる元となる。
 そうなれば今まで不敗を続けてきた杉森軍も、乱れた結束の隙を突かれ敗れる可能性は大いにある。
 和成への信頼を取り戻すためにも、真相を知らせる必要があると前線部隊統括主任である塔矢は判断した。
 戦が終われば全部隊全兵士が集まる機会もめったにない。幸い戦況は停戦状態だったので、真相を知らせると共に署名用紙を回覧したのだ。
「あの時は、てっきり拳で殴られると思ってました」
「そうしたかったんだが、俺がグーで殴ったらおまえ吹っ飛ぶだろうが。そしたら後ろにいた紗也様が巻き添いになるだろう。運がよかったな。紗也様に感謝しろ」
 塔矢は案外冷静だったようだ。和成は首をすくめてクスリと笑う。すると塔矢はニヤリと笑いながら、身を乗り出して和成の顔を指差した。
「それに、その”かわいい”顔が歪んだら俺が女官たちに恨まれる」
「それはよけいな心配です」
 和成は顔をしかめてふてくされたように横を向いた。
「戦には勝利したし、紗也様もご無事だったという結果も鑑みて、おまえの極刑はなしと決定した。ただし、全くの不問というわけじゃないぞ。最終的な刑罰は紗也様に一任という事になった」
「紗也様に?」
 塔矢は眉をひそめて唇に指を一本あてがうと「ここだけの話にしとけよ」と前置きして話し始めた。
「単刀直入に言うぞ。誰が一番悪いかって紗也様だろう。俺も最初はおまえが”目を離した”って言うから、てっきり戦に気を取られて紗也様が抜け出した事に気付いてなかったと思ってたんだ。おまえの隣にいたっていう兵士が、おまえは”目を離した”んじゃないって涙ながらに訴えてたぞ。だが、紗也様が悪いとわかっていても我々にはあの方を裁いたり罰したりはできない。おまえに罰を与えるという役目を担うことで紗也様がご自身の立場を理解し、ご自分の言動の重みを理解していただくことが目的だ。それをあの方がつらいと思うならそれはそれであの方に対する罰にもなるしな。おまえがどんな罰を食らうかは紗也様次第だ。そこは覚悟しとけ」
 塔矢から視線を外し、和成は目を伏せた。
「私が塔矢殿に殴られた後から翌朝まで、紗也様は私の身を案じてずっと泣いていらっしゃったようです。充分反省なさっているとは思います」
 そして、俯いたまま自嘲気味に笑う。
「私は再三に渡って紗也様に砦の外には出ないようにお願いしました。けれど聞き届けてはいただけなかったようです。ようするに私の言葉などあの方にとっては取るに足らないものなのでしょう。塔矢殿は以前否定しましたが、やはりナメられているとしか思えません。まぁ、いい年してあの方と同じ目線でけんかしているようじゃ、ナメられて当然な気もしますが」
 塔矢はおもしろそうに笑う。
「お? 少しは大人になったか?」
「笑い事じゃありませんよ。本当にナメられてるんですから。事あるごとに”かわいい”とか言われるし、男とか女とか思った事ないって抱きついたりするんですよ。注意してください」
 意味ありげな笑みを浮かべて、塔矢は静かに問いかけた。
「紗也様に抱きつかれてドキドキしたか?」
 少しうろたえて、和成の顔がかすかに赤くなる。
「そりゃあ……するでしょう? 普通。女に抱きつかれたら」
「そうか? ドキドキしない女もいるはずだぞ」
 和成の反応を探るように見つめながら、塔矢は更に尋ねた。
「たとえば、顔を見たくもないほど大嫌いな女とか。自分と血のつながった身内とか。おまえ母親に抱きつかれてドキドキするか?」
「したら、自分で自分が気持ち悪いですね」
「そうだろう? つまりドキドキしない女も確かにいるって事だ。違いがわかるか?」
「え? 謎々ですか?」
 笑って見つめる塔矢を和成は訝しげに見つめ返す。塔矢は笑顔のまま、突然話題を変えた。
「そういえばおまえ、戦場で紗也様と、もしも知り合いが敵だったらって話をしたそうだな」
「はい。しました」
 塔矢がニヤリと意地悪な笑みを浮かべる。
「俺だったらソッコー斬るって?」
 和成はあわてて背筋をのばすと、手の平を塔矢に向けた。
「たとえばの話ですよ。私ごときに斬られる塔矢殿じゃないでしょう?」
「あたりまえだ」
 しれっとして答えた後、塔矢は真顔で和成を見据える。
「だが、どうして紗也様は斬れない? 俺より楽勝だろう?」
「それは……わかりません」
 あの時感じた不快感を思いだし、和成はうろたえた。
「女だからか?」
 和成は身の回りにいる紗也以外の女を思い浮かべる。君主側仕えの女官や城内女性官吏。だが彼女たちが紗也に害をなす敵ならば、ためらいもなく斬れる気がした。
「違うと思います」
「なら、どうしてだ?」
 矢継ぎ早に問いつめられても、和成には紗也が斬れない理由がわからない。紗也が敵だと想像しただけで、嫌な気分が胸に広がるばかりだ。
 黙り込んだ和成を見て塔矢はため息をもらした。
「自分の感情なのになぜわからないんだ。自覚がないのか、単に忠誠心が高いのか、それは俺にもわからないが、一応忠告しておくぞ。紗也様に対して特別な想いを抱いているなら、その想いは捨てろ。あの方は君主でおまえはその家臣にすぎない」
 和成は顔を上げて、不思議そうに塔矢を見つめる。
「それは心得ておりますが、特別な想いというのはいったい?」
 塔矢は呆れて再び大きなため息をついた。
「おまえ、わざととぼけてるんじゃないだろうな? 平たく言えば紗也様に惚れるなということだ」
 塔矢の言葉に和成は目を見開いた。突然心臓を直に掴まれ、鼓動が止まったような気がして、とっさに着物の胸元をつかみ息を飲む。
 その様子を塔矢は冷めた目で見つめながらつぶやいた。
「アタリか」
 紗也に出会ってからこれまでの出来事や想いが、頭の中をめまぐるしく駆け巡り、すっかり混乱してしまった和成は、頭をかかえて意味不明な言葉をつぶやく。
「え……? 俺……もしかして……あれ? ……そうだったのか? ……えぇ?」
「こら、落ち着け」
 塔矢が大声で呼びかけた。
 その声にビクリと反応して正気を取り戻した和成は、右近の言った”自覚”の意味を悟る。同時にそれを塔矢に知られてしまった事が、どうしようもなく恥ずかしくなり俯いてみるみる顔を赤くした。
 塔矢は額に手を当て、ため息まじりに言う。
「やれやれ、頭は切れるのにどうもおまえは人の心を推し量るのは不得手のようだな。自分の心すらわからないというのは重症だぞ」
「右近にも同じ様な事を言われました」
「おまえが自分で気付くまで黙っていようと思ったが、この調子じゃ俺が棺桶に片足突っ込んでも気付きそうにないし、それじゃ紗也様が気の毒なんで教えてやろう」
 和成は少し顔を上げて塔矢を見た。
「紗也様はおまえをナメてるんじゃなくて、誰よりも信頼していると思うぞ」
「えぇ?」
 思いも寄らない塔矢の見解に、和成は思いきり疑わし気な顔をする。
「納得いかないか? 紗也様はおまえにしか反発しないし、わがままは言わない。他の者には遠慮があるからだ」
「それは私をナメているからじゃないんですか?」
「違うな。紗也様が遠慮するのは他の者が紗也様に遠慮しているからだ。おまえは遠慮がないだろう。平気で怒鳴りつけるし、聞けないわがままは容赦なく拒否する。身分や肩書きに弱い俺のようなじじい共には到底マネできない」
「なんか単に私が無礼なお子ちゃまだと言われてる様な気がするんですが」
「その通りだ。だが、君主として持ち上げてチヤホヤしてくれる大人たちよりも、本音の見えるおまえの方が紗也様には信頼できる相手なんだろう」
「そう……ですかぁ?」
 まだ納得のいかない表情をしている和成に、塔矢はたたみかけるように続ける。
「紗也様はおまえ以外の者には抱きつくどころか指一本触れた事がないはずだぞ」
「そうなんですか? 私はてっきり誰にでも子どもみたいに抱きつくのかと思ってました」
「男とか女とか思っていないっていうのは、おまえが性別を気にせず甘えられる相手だという意味じゃないのか? それほど信頼されているということだ」
 俯いて考え込む和成にチラリと視線をくれて、塔矢は一息つくと静かに問いかけた。
「それとも、男として見て欲しいのか?」
 和成の身体がピクリと震えた。そして俯いたまま遠くを見るような目で答える。
「白状してしまえば、自覚する前はそう思ってた様な気がします。紗也様の私に対する警戒心のなさに苛立っていましたから。でも、自覚した今は男だと思われてないことが救いの様な気がします。私が変な期待をしないで済みますから」
「そうだな。想いを捨てろと言われても難しいとは思うが、せっかく信頼されてるんだ。それを裏切るようなマネだけはするなよ」
 そう言って塔矢は立ち上がり、署名の束を和成に差し出した。和成も立ち上がり、それを受け取る。
「これは記念におまえが持っとけ。今回は極刑なしとなったが二度目があるとは思うなよ。そのための戒めだ」
「わかりました。肝に銘じます」
「おまえの謹慎は今日までだ。各部署から刑が確定するまで待てないと苦情が殺到してな。明日からは公務に復帰しろ。大体おまえは元々俺の部下なのに、みんな勝手に使いすぎる」
 ブツブツ言いながら部屋を出ようとする塔矢を和成は呼び止めた。
「塔矢殿。ひとつ聞きたいことがあります」
「なんだ?」
 振り返った塔矢に、和成はおずおずと問いかけた。
「あの……私はわかりやすい奴ですか? 私が紗也様を想っている事を右近は多分感付いています。誰にでもわかってしまうのなら紗也様にもばれてしまうのではと……」
 塔矢は笑って断言する。
「安心しろ。おまえは非常にわかりにくい。俺も”敵だとしても紗也様を斬れない”と言うのを聞くまでわからなかった。右近はふざけてる割におそろしく勘のいい奴だな。そいつにはしっかり釘を刺しとけ」
「わかりました」
 ホッとしながら返事をした後、和成はさらに尋ねた。
「もうひとつ聞いてもいいですか?」
「なんだ。ひとつじゃなかったのか?」
「さっきの謎々の答えです」
 塔矢は呆れたようにため息をつく。
「わからないのか?」
「わかりません」
 真顔で見つめてくる和成は本当にわかっていないようだ。塔矢はイタズラっぽく笑って和成の肩を叩いた。
「それは宿題だ。自分で考えろ」
「えぇ?」
 和成が不服そうに顔をしかめたが、塔矢は相手にしない。
「おまえ休みの日にも城に引きこもって本か電算機しか相手にしないから人の心がわからないんだ。もっと外に出て人とつき合え。ただし今日は城から出るなよ。まだ謹慎中だしな。今日はろくでもない事ばかり考えて疲れた頭を一日ゆっくり休ませろ。昼飯はちゃんと食えよ」
 一気にまくし立てて塔矢はさっさと和成の部屋を出ていった。
 塔矢を見送った後、部屋の戸を閉めた和成は、先ほどと同じ椅子に座り机の上に上半身を投げ出した。そのまま片腕を枕にして横を向く。そして目の前にある署名の束を意味もなくパラパラとめくってみた。
 しばらくして身体を起こすと、机に立てかけてあった刀を手に取った。鍔を目の高さまで持ち上げ親指で鯉口を切る。のぞいた刃を少しだけながめて、再び指先で元に戻す。
 これを意味もなく何度も繰り返した後、机の上に刀を置いて頭をくしゃくしゃとかきむしった。
「あーっもう! ゆっくりなんてできねー! 謎々の答えはわかんねーし!」
 そして、再び机の上に上半身を投げ出し、組んだ腕の上に顎をのせた。切なげに眉根を寄せてポツリとつぶやく。
「なんで、紗也様なんだよ」
 しばらく机の上に突っ伏していると腹が鳴った。顔を上げて時計を見ると昼休みが終わろうという時間だ。
 昼食まで抜いたら、今度こそ塔矢のげんこつを食らうかもしれない。
 和成はのろのろと立ち上がり、部屋を出て食堂へと向かった。




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