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14.真夜中の不審者



 夕方、陽が沈みかけた頃、塔矢は再び和成の部屋を訪れた。
 部屋の外から声をかけたら「開いてます」と普通に返事がする。すっかり動揺から立ち直っているものと思い戸を開けると、薄暗い部屋の中で朝別れた時と同じ椅子に同じように腰掛けている和成が、壁を見つめてぼんやりしていた。
 塔矢は眉をひそめて問いかける。
「おまえ、朝からそのままじゃないだろうな? ちゃんと飯は食ったのか?」
 それを聞いて和成はクスクスと笑った。
「塔矢殿は私の食事の心配ばかりしますね」
 腕を組み戸口にもたれて、塔矢は少し顔をしかめながら指摘する。
「おまえはいつも悩んだらそうやって考え込んだまま食わなくなるじゃないか。とりあえず灯りぐらい点けろ」
「あ、もうそんな時間でしたか」
 今気が付いたかのように窓の外に目をやり、和成は立ち上がって灯りを点けた。
 塔矢は戸口にもたれたまま、刑が確定した事とその内容を告げた。そして心配そうに和成を見つめて問いかける。
「俺はそろそろ家に帰るが、おまえ明日から公務に復帰して大丈夫か? もう一日休むなら、熱出したとか適当に言っておいてやるぞ」
「大丈夫です。ちゃんと食べましたし。働いてる方が余計な事考えなくてすむので、明日は公務に戻ります。でも、私を甘やかすなど、塔矢殿らしくないですね」
 クスリと笑った和成に幾分安堵して塔矢も微笑んだ。
「らしくないか? 俺は元々優しい男だぞ」
「知ってますよ。朝食抜いただけで殴りますけどね」
 二人は顔を見合わせて互いに吹き出す。
「気付かせない方がよかったか?」
 塔矢が静かに尋ねると、和成は首を振った。
「いいえ。想いがもっと大きくなったら、イヤでも自分で気付いたでしょうし、そうなる前にわかってよかったと思います。今ならまだ、捨てる事ができそうですしね」
「一日中そんな事を考えていたのか?」
「はい。他の事したり、考えたりしようとしてもできなかったので、いっそ徹底的に自分の心と向き合ってみることにしました。いつからなのか。どうしてなのか。それについては結局わかりませんでしたが」
 和成は半日かけて初めて紗也に会ってから今までの記憶を辿り直してみた。
 そして、あの時も、その時も、心が揺れたり弾んだりしたのはきっとそういう事だったのだろうと思い当たる事はいくつも見つけた。
 見つけた事をそう思って見つめ直してみると、改めて胸がほんのりと暖かくなる。ぼんやりとしながら、ある意味幸せな一日を過ごせたような気がした。
 塔矢が静かに問いかける。
「結論は出たのか?」
「結論はひとつしかありません。私はこの想いを封印します。今はまだ、きっぱり”捨てる”と言えませんが、いずれそうするつもりです」
「そうか」
 塔矢は頷いて和成の部屋を後にした。



 夜、床に就いた和成は寝台に横になって、窓の外をぼんやりながめていた。空には少し欠けた月が浮かんでいる。
 満月の夜、戦場で見た紗也の泣き顔、手の平や背中に触れた紗也の温もりを思い出す。捨てなければならない想いがこみ上げてきて胸を締め付けた。
 想いに決別するため、声に出して言ってみる。
「好き……でした」
 目頭が熱くなり、手の平で目を覆った。



 ようやくうとうとしかけた時、不審な物音を聞いた気がして和成は目を覚ました。
 時刻はすでに真夜中だ。ゆっくりと身体を起こし、耳を澄まして辺りの様子を窺う。部屋の前の廊下に人の気配を感じた。
 枕元に置いた刀を掴むと、静かに寝台を降りる。足音を忍ばせ戸口に身を寄せ、外の様子を窺った。確かに人の気配がする。
 和成の部屋の少し先には紗也の居室へと続く渡り廊下がある。深夜には門が閉じられ施錠されるとはいえ、不審者の城内進入を見過ごすわけにはいかない。
 和成は静かに鯉口を切り、勢いよく戸を開けて廊下へ駆け出した。
「何者だ?!」
 すると、廊下にいた人物は小さな悲鳴を上げて、両腕で頭を抱えながら壁際へと逃れた。
 見知った姿と声に、和成は慌てて抜きかけた刀を鞘に収める。
「紗也様?!」
 壁に縋りついたまま気まずそうに振り返った紗也を見て、和成はガックリと肩を落とした。
「真夜中に何をなさってるんですか。あやうく不審者と間違えて斬り捨てるところでしたよ」
「和成に訊きたい事があるの。もう寝てた?」
「普通寝てますよ、こんな時間には。お話なら明日あらためてお伺いしますので、今夜はもうお休みください」
 頭を下げた和成に、紗也は深刻な表情で詰め寄る。
「一言ですむから、お願い。今答えて」
 紗也は言い出したら聞かない。ここで押し問答になったら、その方が睡眠時間を削られてしまう。和成は諦めて嘆息した。
「何でしょう?」
 上目遣いに和成を見つめて、不安げに瞳を揺らしながら紗也が尋ねる。
「私のこと、好き?」
 ドクリと鼓動が脈打って、和成は一瞬目を見開いた。頭をもたげた捨てるべき想いを押さえ込み、静かに笑んで答える。
「好きですよ」
 途端に紗也は笑顔と共に安堵のため息をもらした。
「よかったぁ。私、戦の時和成にいっぱい迷惑かけたから嫌われたんじゃないかと思ってたの。塔矢はそんなことないって言ったけど気になって眠れなかったから」
「あなたに迷惑かけられるのは普段から慣れています。今さらそれが原因で嫌いになったりしませんよ。それよりも真夜中に徘徊なさる事の方が問題です」
「ちょっと! 説教ついでに色々失礼なんだけど!」
 むくれてわめく紗也に、和成はクスリと笑う。
「それに、こんな真夜中に押しかけて、思い詰めた顔であんな事訊かれたら、愛の告白かと思ってびっくりするじゃないですか」
 紗也は面くらったように目をぱちくりさせた。
「あ、そっか。そんな風にも聞こえるわね」
 そして、いたずらっぽい目で和成を見上げる。
「そう思っちゃった?」
「思いませんよ。思ってたら好きですなんて即答しません」
「なぁ〜んだ。つまんない。惚れた弱みにつけ込んで色々わがまま聞いてもらおうと思ったのに」
 さも不満げに言われて、和成は思わずため息を漏らした。
「今まで以上にわがままをおっしゃるつもりだったんですか」
「言っても和成は聞いてくれないじゃない」
「あたりまえです。私の任務はあなたの護衛です。わがままを聞くのは業務に含まれておりません」
「じゃあ、護衛に関係あることならいい?」
 一言で済むと言った割りにまだ何か言おうとする紗也を和成はやんわりと制する。
「もう遅いので明日ではダメですか?」
「くわしくは明日話す。今はちょっと見てみたいだけ。それ、真剣よね?」
 相変わらず和成の言う事には聞く耳持たず、紗也は和成の握った刀を指差した。
「そうですけど」
「ちょっと抜いて見せて」
「申し訳ありませんが、城内での抜刀は原則禁止されております。今ここで抜いてお見せする事は致しかねます」
 和成が頭を下げると、紗也はすかさず指摘した。
「さっき抜こうとしてたじゃない」
「不審者に対してはこの限りではありません。あなたは思い切り不審でした」
「もう! 重ね重ね失礼ね!」
 足を踏みならして怒る紗也に、和成は笑いながら提案した。
「どうしても御覧になりたいのでしたら、明日午後二時に道場までご足労願えますか? そこでなら好きなだけ抜いて振り回してかまいませんので」
 午後二時から四時までは、和成が所属する第一部隊、通称塔矢隊の道場使用時間だ。それを聞いてあっさりと機嫌を直した紗也は笑顔になる。
「わかった。二時ね。じゃあ、おやすみ」
 そう言うと、渡り廊下に向かって歩いていった。門の手前で紗也は振り返り、満面の笑みを湛えながら無邪気に残酷な一言を放つ。
「私も和成が好きだからね」
 必死に平静を装って、淡い笑みを刻み和成は答える。
「光栄です」
 手を振る紗也の姿が門の向こうに消え、施錠された音を確かめると、和成も自室に戻った。
 部屋に入り戸を閉めた途端、和成は力が抜けたように戸口でしゃがみ込む。刀で身体をささえるようにして大きくため息をついた。
「……マジ、キツイ。俺の方が眠れなくなったっつーの」
 のろのろと立ち上がり、枕元に刀を戻す。
「告白だなんて思ってませんけどねー」
 投げやりにつぶやきながら、寝台の上に身体を投げ出した。ごろりと横を向き、窓の外に見える傾きかけた月に尋ねる。
「”好きですよ”って、自然に言えたかな……」
 そのまま目を閉じて頭から布団をかぶり眠る努力をした。




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