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16.斬る覚悟、守る決意



 午後二時の少し前、仕事にキリを付けた和成は、刀を持って道場に向かった。
 午後二時ちょうどに道場に着く。広い道場にはまだ誰もいなかった。
 城内の仕事の都合があるので、全員が同じ時間に集まることはめったにない。二時ちょうどには誰もいないことが多かった。
 少しして紗也がやってきた。道場を見渡して和成に尋ねる。
「ひとりなの?」
「そのうち誰か来ると思いますよ。真剣がご覧になりたいんでしたね」
「うん」
 近付いてくる紗也を和成は手で制した。
「危険ですのでそのままそこでお待ち下さい」
 紗也が立ち止まるのを見届けて刀を抜く。そして紗也の右手に移動し、彼女の前に刀を立てて差し出した。
「どうぞ」
 刃を見つめて紗也が目を細める。
「こんな近くで刀を見たの初めて。きれい……」
「昨日研いだばかりですからね」
 どうしてわざわざ真剣が見たいのか、和成には不思議に思えた。戦の時、紗也が心に受けた衝撃から察するに、刀なんか見たくもないだろう。
 自分の初陣の時はそうだった。戦の後、しばらくは刀を握るのが怖かった。
「持ってみていい?」
「案外、重いですよ。両手でしっかり握って下さい」
 和成は左手で柄の端を握り直す。その手の上を紗也が両手で握った。
「離しますよ」
 声をかけて和成が手を離す。紗也の両腕にズシリと刀の重みがかかった。
「ホントだ。重いね。こんなのよく片手で振り回せるわね」
「片手で振り回す事はあまりないですけどね」
 笑いながら答える和成を、紗也は目を輝かせて見上げる。
「ねぇ。私にもできるかな?」
「何のことですか?」
「ゆうべ話したでしょ? 護衛に関係ある話って。私に剣を教えて欲しいの。和成にまかせっきりじゃなくて、少しは自分で自分の身を守れるようになりたいから」
 和成は無表情のまま、紗也に手を差し出た。
「お渡し下さい。重いでしょう」
 受け取った刀を鞘に収め、厳しい表情で紗也に言う。
「お教えするのはかまいませんが、ひとつお聞きしたい事がございます」
 キョトンと首を傾げる紗也をまっすぐに見つめて、和成は静かに尋ねた。
「あなたは、人を斬る覚悟がおありですか?」
 血まみれの和成の姿を思い出して、紗也は息を飲む。その様子に和成は苦笑した。
「やはり怖いでしょう? 刀は武器です。人を斬るための道具なんですよ」
 紗也なりに反省して導き出した答なのだろうが、深くは考えていなかったのだろうと和成は悟る。そして、やんわりと断った。
「私は、相手を斬らずに自分の身を守る剣というものを存じません。あなたにお教えできるのは人の斬り方になってしまいます。個人的に、あなたには血で汚れてほしくないと思いますし」
 少し余計な事を口走ったような気がして、和成はチラリと紗也の様子を窺う。
 紗也は黙って和成を見つめていた。いつものように反発されるかと思ったが、それもない。今のうちにもう一押ししておく事にする。
「人を斬らなくてすむなら、その方がいいでしょう? あなたの御身は私が責任を持ってお守りいたします。先の戦のような失態は二度と演じる事のないよう肝に銘じておりますので、どうか私におまかせ下さい」
 そう言って和成が頭を下げると、紗也は笑って頷いた。
「わかった。まかせる」
 紗也が和成の言う事を素直に聞いたのは初めてかもしれない。和成がホッとして頭を上げた時、塔矢隊の隊員たちが次々と道場にやってきた。
 皆紗也の姿を見て、一礼をする。
 塔矢隊は前線の要となる部隊なので、それなりに腕の立つ者で編成されている。新兵が配属される事は稀だ。
 和成の後に配属された者はいないので、和成にとっては全員が先輩だった。
 先輩のひとりが通りすがりに声をかけた。
「おまえ、ここにいたのか。総務の部長が捜してたぞ。なんか、会計の情報がどうとか言ってたけど」
「会計?」
 首を傾げる和成の隣で、なぜか紗也が不安げな表情になる。
 次にやってきた先輩も、和成を見て声をかけた。
「和成。塔矢殿が早めに切り上げて戻れってさ」
 途端に紗也がそわそわし始めた。
「あの。和成忙しいみたいだから、私、もう帰るね」
 早口でそう言って、逃げるように道場を出て行く。
 わけがわからず和成が呆然として見送っていると、紗也と入れ替わりに慎平が血相を変えて飛び込んできた。
「和成殿! 大至急電算室にお越し下さい!」



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