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18.月下の邂逅



 電算室に戻ると、慎平が命令の解析と改造を終えていた。十分に使えると言うので、一気に復旧作業が早くなりそうだ。
 朝までかかると思われた作業は深夜零時前に終了した。
 切り離されていた会計用主機を情報通信網に接続し、主機と端末の双方で情報の呼び出し試験を行う。
 会計情報が無事に全消去前の状態に復旧したことが確認されて、電算室には歓声と拍手がわき起こった。
 深夜零時を過ぎると城の出入りは禁止される。そのため電算部職員は城内の宿泊所へと引き上げた。和成は彼らと別れ、自室へ向かう。
 灯りの消えた誰もいない廊下を歩きながら中庭に目をやると、庭の木々が月明かりを浴びて銀緑色に照り映えていた。今宵の空もよく晴れているらしい。
 廊下の途中にある石段を下りて、中庭に出た和成は空を見上げる。中天にかかる満月より少し欠けた月が、あたりを明るく照らしていた。
 和成は月を見上げたまま、廊下に沿って中庭をゆっくりと歩く。気が付くと自室の前を通り過ぎ、君主の居室を取り囲む堀の前まで来ていた。
 君主居室のある敷地は中庭より一段高くなっている。そして堀の周りは双方とも生垣で囲まれていた。
 生垣の前で立ち止まった和成は、そのまま月を見上げる。
 戦場で血に汚れた自分を清めてくれる様に、紗也への想いも洗い流してくれたらいいのにと願ってみた。目を閉じて月光に身を委ねる。
「あっ! 不審者発見!」
 突然対岸から声が聞こえ、和成は目を開いた。
 見ると、堀を囲む生垣の向こうから紗也が和成を指差して笑っている。和成も少し笑って問いかけた。
「また、真夜中に徘徊なさってるんですか?」
 ペロリと舌を出して、紗也は言い返す。
「残念でした。ここは私の部屋の一部だもん。徘徊してるのは和成の方よ。何してるの?」
「月を見ていました」
「月?」
 紗也はチラリと月に目を向けた後、首を傾げて和成に尋ねた。
「和成は月を見るのが好きなの?」
「はい。戦場で見る月は特にきれいだと思います」
「ふーん。私もこの間見てみればよかったな」
 そう言って夜空を見上げた紗也の横顔を、月の光が青白く照らす。月光を浴びて静かに微笑むその表情は、昼間よりも少し大人びて見え、和成をちょっとだけドキリとさせた。
「紗也様は何をなさってるんですか? 自室の庭とはいえ、こんな時間に」
 問いかけられて、紗也は月から和成に視線を戻す。
「散歩。眠れないときとか、時々夜に庭を歩くの」
 それを聞いた和成は、納得して苦笑をもらした。
「それで時々昼間に執務室で居眠りなさってるんですね」
「ちょっと! 変な納得の仕方しないでよ」
 ムッとした表情でわめく紗也を見て、和成は声を出して笑う。そしてふと思った。
 この光景はまるで自分と紗也の立場のようだ。声は届くし、姿は見える。だが、紗也は一段高い場所にいて、間には決して越えられない堀がある。
 ひとしきり笑った後、未だに不愉快そうな紗也に、和成はなだめるように静かに言う。
「もうお休みになった方がいいですよ」
「うん」
 静かに微笑む和成を見て、あっさり機嫌を直した紗也は嬉しそうに笑った。
 和成の笑顔を見ると、どういうわけか紗也は上機嫌になる。それが和成には不思議に思えた。
「じゃあ、明日ね。おやすみ」
「おやすみなさいませ」
 紗也は上機嫌のまま、満面の笑顔で手を振る。そして庭の奥へと消えていった。
 それを見送った後、和成は再び月を見上げる。
 昨日、記憶を辿った時から気付いていた。
 我慢や駆け引きと無縁の紗也は、感情も行動もいつもまっすぐだ。言葉にも裏がない。
 わがまま言われたり、言う事を聞いてくれなかったり、迷惑をかけられて苛立つことも多かったけれど、その笑顔に救われたり、ホッとしたりすることも多かった。
 なにしろ紗也の笑顔には偽りがない。紗也が笑うのは、本当に嬉しいか、楽しい時なのだ。
 だから自分のせいで一晩中泣かれた時は心が痛んだ。
 たとえ月の光でこの想いが溶けて流れてしまったとしても、紗也の笑顔が絶える事のないよう、この国と紗也の身を守り続けていこうと、和成は月に誓った。



(第一話 完)



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