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2.中途半端



 昼休みが終わると同時に、和成は経理の会議室を訪れた。
 声をかけて部屋を覗くと、塔矢はすでに席について待ち構えている。
「おう、来たか。ほら」
 そう言って塔矢は、缶に入った茶を和成に差し出した。
「あ、すみません」
 礼を言って茶を受け取った和成は、塔矢の向かいの席に着く。
 塔矢は缶の茶を一口飲んで、いきなり用件を切り出した。
「技術局からおまえに応援の要請が来た。来月から始まる軍用無線電話の新規開発案件だ」
「技術局ですか? 私はそういう基盤とか、技術系の知識はほとんどありませんけど」
「基盤そのものじゃなくて、それに組み込む命令の方らしい」
「あぁ、それならなんとか。でも私は技術局の方に面識はないはずですが」
 首を傾げる和成に、塔矢は苦々しげに顔をしかめて言う。
「電算部の部長が人員をよこせと言われて推薦したらしい。ったく、自分の部下を使えっての」
 和成がクスクス笑っていると、塔矢は真顔になって問いかけた。
「で、おまえ受けるか? 受けるんだったら来月から一年間、軍事と紗也様の護衛以外の仕事は全部切る事になるぞ」
 和成は椅子の背にもたれて、茶を飲みながら天井を見上げる。
「うーん。即答しなきゃダメですか? 組み込み系には興味あるんですけどね。技術局には軍人がいないから、みんな専門に仕事してるじゃないですか。私だけ兼任だと足を引っ張る事になるかもしれませんし……」
「それは軍人の多い電算部に人員要請した時点で織り込み済みじゃないか? それに、おまえひとりじゃないぞ。軍人じゃないが、電算部からもうひとり女性が志願して行くらしい」
「女性?」
 天井から塔矢に視線を移し、和成は尋ねた。
橘佐矢子(たちばなさやこ)殿ですか?」
 塔矢は少し目を見開いて、驚いたように問い返す。
「その通りだが、おまえが女性を個体認識してるってのは珍しいな。経理の女の子に局外で会っても気付かないくせに」
「佐矢子殿は電算部の部長代理ですから、直接仕事を頼まれる事もあるんですよ。部長が信頼して留守を任せるほど仕事もできるし、後輩の面倒見もいいし。それに……」
 そこまで言うと、和成は塔矢から目を逸らしてつぶやいた。
「紗也様と名前が似てたから」
 それを聞いて、塔矢は軽くため息をつく。
「まだ、吹っ切れてないか」
 和成は黙って俯いた。紗也への想いを自覚してからの方が、変に意識してしまい吹っ切れずにいるのだ。
「俺はもうだいたい吹っ切れたもんだと思ってたんだがな。紗也様がおっしゃってたぞ。おまえに避けられてるような気がするって。女の勘だそうだ」
 俯いたまま口元に微かな笑みを浮かべ、和成は白状した。
「どうして女の人って根拠のない事を正当化するのにその言葉を使うんでしょう。しかも案外当たってるから否定もできない。避けてはいませんけど、用もないのにそばにいないようにしようとは思っていました」
 塔矢は茶を一口飲み、缶を持った手で和成を指差す。
「紗也様は案外鋭いぞ。先の戦の後、俺も度肝を抜かれた。紗也様と自然に距離を取りたいなら今回の話は渡りに舟だろう。その辺も考慮に入れて検討してみたらどうだ。返事は休み明けでいい。おまえ明日休みだったよな」
「はい。わかりました」
 話は終わったものと、缶を持って立ち上がろうとする和成を、塔矢が慌てて制した。
「待て。まだ話はある」
「あ、そうですか?」
 和成が再び腰を下ろすと、塔矢は尋ねた。
「おまえ、最近よく城下を出歩いてるらしいな」
「塔矢殿が引きこもってないで外に出ろと言ったんじゃないですか」
 もちろんそれは口実だった。特に目的があるわけではないが、仕事の時間以外はなるべく城内にいないようにしていた。城内にいれば、うっかり紗也と顔を合わせる機会が増えるからだ。
「出歩くことをとやかく言ってるんじゃない。丸腰でうろつくなと言いたいんだ」
「え? でも城下といっても城からほんの少しのあたりですし」
 苦笑する和成を、塔矢は真顔で見据えた。
「おまえは自分の価値をわかっていない。あの三面記事は他国がおまえに注目している証拠じゃないか。おまけに、面は割れていないにしてもおまえのその”かわいい”容姿が情報として流れてるってことだろう」
 和成は目を伏せて肩を落とす。
「すみません。真面目な話の腰を折って申し訳ありませんが”かわいい”って真顔で言わないで下さい」
「笑って言えばいいのか?」
「そうじゃなくて。言わないで下さい」
 大きくため息をついた後、和成は気を取り直して問いかけた。
「で、話元に戻しますけど。つまり、城内ってことは考えにくいので城下に他国の間者が潜り込んでいるってことですか?」
 塔矢は腕を組んで椅子の背にもたれる。
「可能性としては否定できない。人の出入りは規制されているとはいえ皆無という訳じゃない。情報の出所は女官たちの噂話あたりかもしれないが、用心に越したことはない」
「どうして私が用心しないといけないんですか?」
 他人事のように言う和成に、塔矢はピシャリと机を叩いた。
「だからおまえは自分の価値がわかってないと言うんだ。敵は”天才美少年軍師”のおまえがいるからうちに勝てないと思ってるんだ。ということはおまえがいなくなればうちに勝てると考えていることになる。おまえは命を狙われているかもしれないだろう」
 和成は再び脱力する。
「塔矢殿。真面目な話の間でサラッと茶化すのやめてもらえませんか。私は”天才”でも”美少年”でもありません。だいたい私が軍師になる前からうちは負けてないでしょう? なんで私のせいなんですか」
 憤りを露わにする和成を見て、塔矢は顔をしかめた。
「俺に怒るな。矛先を変えたんだろう。今までだって正面から戦を仕掛けても勝てないもんだから、搦め手(からめて)から色々仕掛けてきてたんだ。たとえば……」
 一旦言葉を切り、塔矢は探るように和成を見る。
「政略結婚の申し込みとか」
 すかさず和成が身を乗り出した。
「紗也様にですか?」
「他に誰がいる。言っとくが紗也様は十歳の頃から各国のお偉いさんの求婚が後を絶たないんだ。狭い城内の女官にモテモテなおまえとは格が違うモテモテなんだぞ」
「だから、モテモテじゃありませんし、張り合ってもいませんから。でも、今まで結婚してないってことは紗也様は全部断ったってことですか?」
「紗也様は求婚のことをご存じない」
 そして塔矢はニヤリと笑いながら拳を握る。
「俺が水際で握り潰しているからな」
 和成は呆気にとられて問いかけた。
「補佐官ってそんな権限もあるんですか?」
 涼しい顔をして、塔矢はしれっと言い放つ。
「補佐官の権限じゃない。俺の権限だ。俺は紗也様が七歳の時からお側にお仕えしている。いわばあの方の父親のようなものだ。五十や六十のおやじとのあからさまな政略結婚など許せるわけないだろう。おまえのような中途半端な虫が付くのも許さん」
 当然とばかりに主張して、塔矢は和成を指差した。それを一瞥し、和成は大きくため息をつく。
「中途半端って何ですか」
「おまえは中途半端なんだ」
「意味がわからないんですけど」
「自分で考えろ」
「また謎々ですか?」
 意味不明な指摘に、和成はうんざりしたように顔をしかめた。そんな事にはおかまいなしに塔矢は続ける。
「どちらにせよ政略結婚なんか受けたら、うちの国内は滅茶苦茶にされるだろう。紗也様は一人娘だ。養子を迎える事になる。人質を取るのは杉森の方なんだから悪い話じゃないだろうと相手は言うが、それでどこかと同盟でも結んでみろ。うちは間違いなく最前線の拠点だ。国が無傷で済むわけがない。だから紗也様に結婚話なんか聞かせるわけにはいかないんだ」
「五十や六十のおやじなら紗也様も断るんじゃないですか?」
 苦笑する和成に、塔矢は意地悪な視線を向ける。
「たまに若いのもいるんだ。おまえよりもな」
「え?」
 和成の心がうっかり騒いだのを、塔矢は見透かした。
「おまえがうろたえるな。もしも紗也様好みの男前の写真なんか送ってこられて気に入られたら困るだろう。だから全部握り潰す」
 塔矢から目を逸らし、和成は腕を組んで考え込む。
「紗也様好みの男前ってどんなんだろう」
「こら、変なとこに食いつくな。とにかく敵の標的は紗也様だけでなく、おまえにも移ったってことだ。明日、城外に出るなら刀は持って行け。おまえが間者ごときにやられるとは思わないが、用心はしろよ。話は以上だ」
「わかりました」
 二人は席を立ち、共に会議室を後にした。




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