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3.恋文の行方



 夕方、紗也に電算機の操作を教えた後、和成は電算室へ向かった。朝手を付けた仕事を、休み前にもう少し進めておきたかったのだ。
 電算室が見えてきた時、その入り口にこちらを向いて立っている人影があった。和成を認めて軽く会釈するその人は橘佐矢子だ。
 彼女に頼まれた仕事は、休み明けでよかったはず。まるで待ち構えていたような様子が気になり、また何か事件でもあったのかと和成は少し焦る。
「和成様。お待ちしてました」
「何か障害でも起きましたか?」
 和成の問いかけに、佐矢子は氷のように冷たい表情で和成を見つめた。
「いいえ。個人的な用件です。今、少しよろしいですか?」
「ええ、かまいませんが」
 佐矢子に促され、和成は彼女の後に続き、廊下から中庭へと降りる。気配を感じて何気なく振り返ると、電算室の入り口が少し開いていて、その隙間からこちらを伺っている慎平の顔がチラリと見えた。
 庭木の間を少し進み、池の畔で佐矢子は立ち止まる。そしてそこに置かれた長椅子の端に腰掛けた。和成もその横に腰を下ろす。
 少し待ってみたが、佐矢子は相変わらず冷たい表情で水面を見つめている。和成が視線を外そうとした時、佐矢子が池を見つめたまま口を開いた。
「どうして手紙を読んでくれなかったんですか?」
「あなただったんですか」
 佐矢子が和成の方を向いて、正面から見据える。目に非難の色が浮かんでいた。
「読まずに返すなんて失礼です」
「相手が誰だろうと断るつもりだったので、読んだ挙げ句に断る方が失礼だと思ったんです」
「では、いっそ失礼ついでに受け取った後、捨ててくれればよかったのに。あれでは私がふられた事を慎平くんに暴露しているのと同じではないですか」
「あ」
 和成は一瞬絶句して、気まずそうに視線を逸らす。
「すみません。そこまでは考えが及びませんでした」
 佐矢子もすねたようにフイッと和成から目を逸らして続けた。
「元々、玉砕覚悟の上でしたからあなたに想いを返してもらえるとは思っていません。ただ、秘めているだけでは辛いから伝えたかっただけなのに。あなたはそれすらも許してくれないんですね」
 秘めている辛さを和成は知っている。想いを伝えることを許されない辛さも。それを痛いほど知っている自分が、同じ思いを佐矢子にさせていたのを知り、和成は自分の浅はかな行為を激しく後悔した。
 おもむろに佐矢子の方へひざを向け、深々と頭を下げる。
「私の思慮のなさがあなたを傷つけていた事、本当に申し訳ありませんでした」
 驚いたように見つめる佐矢子に、和成は顔を上げて更に言う。
「今更だとは思いますが、あなたの想いに答えることはできませんけど、もしよければ、手紙だけでもきちんと読ませていただきたいと思います」
 佐矢子は胸元に手を当てて、困ったように和成を見つめた。
「ダメですか?」
 和成が尋ねると、佐矢子は気まずそうにゆっくりと懐に手を滑り込ませる。そして取り出した手紙を黙って和成に差し出した。
 和成の受け取った手紙は、封筒ごと真っ二つに裂かれていた。
 手紙を握りしめて和成は再び頭を下げる。
「本当に申し訳ありませんでした」
「本当にそう思っているなら、私にひとつお詫びの品を下さい」
 冷たい声音に和成が恐る恐る顔を上げると、佐矢子は無表情のまま和成を見つめていた。和成はおずおずと尋ねる。
「何を差し上げればいいんでしょうか」
「いつも忙しくしている和成様の、たまの休みを一日私に下さい」
 そう言って佐矢子は椅子から立ち上がった。
 和成から目を逸らし、正面を向いたまま機械的に告げる。
「明日、朝十一時に城下にある商店街の入り口でお待ちしています。必ず来て下さい」
 和成の返事を待たずに、佐矢子は足早にその場を立ち去った。和成もゆっくりと立ち上がり、佐矢子の後ろ姿を見送る。
 佐矢子の姿が見えなくなると、手許の裂かれた手紙に目を移し、ひとつため息をついた。
「和成殿ーっ!」
 声をひそめて叫びながら、佐矢子と入れ替わりに慎平が駆け寄ってきた。
「佐矢子殿怒ってませんでしたか?」
 心配そうに問いかける慎平に和成は苦笑を返す。
「怒ってたよ」
「私が手紙を返したら、何も言わずに無表情のまま目の前で破ったんですよ! もう、怖くって!」
「ごめんな。俺のせいで」
「でも意外でした。佐矢子殿は普段は優しくて親切で頼れる先輩なんですよ。あんな激しい面も持ってたなんて」
 確かに普段の佐矢子は親切で、後輩たちにも慕われていた。部長に対して臆することなく意見する強気な女性だが、感情的になったのを和成は今まで見たことがない。
「あんな気の強い人でも手紙を直接自分で渡したり、口で伝えたりするのはためらうもんなのかな」
「そりゃあ、和成殿に告白するのは勇気がいると思いますよ」
「なんで? 俺なんて誰にも相手にされてないのに。城内勤務になってから手紙もらったりするのって初めてだぞ」
 不思議そうに尋ねる和成に、慎平は呆れたようにため息をついた。
「何言ってんですか。右近殿も言ってましたけど、本当に自分の事わかってないですよね」
 和成は少しムッとして問い返す。
「じゃあ、俺ってどんな奴?」
 慎平はニッコリ笑って胸を反らすと、まるで自慢でもするかのように得意げに言う。
「和成殿は文武両道に秀でて、頭脳明晰、眉目秀麗、完全無欠の天衣無縫で近寄りがたい存在なんです」
 それを聞いて、和成は引きつったような苦笑いを浮かべた。
「慎平慎平、その四字熟語の羅列、俺、背中とか首筋が痒いんだけど。みんなそんな風に誤解してるわけ?」
「誤解じゃありません。本当にそうですよ。ただ、右近殿が言うには近寄ってみれば案外間抜けな奴だそうです」
 途端に和成はムッとして目を細める。
「あいつ……」
 その様子に慎平はクスクス笑った。
「私がこうして近寄れたのは偶然と幸運のおかげですけど、それまではやっぱり違う世界の人のような気がしてました。案外普通の人だったので安心しています」
「ものすごく普通の人だって。そんな”近寄るな光線”発してるつもりないんだけどな。まぁ、恋愛する気ないから女性に近寄りがたいって思われてるのはそれでいいけど」
 大きくため息をついて、和成は肩を落とす。慎平が不思議そうに尋ねた。
「どうして恋愛する気ないんですか? 和成殿の年齢だと親が嫁もらえってうるさくないですか? 私の兄なんか集中攻撃に合ってて家に寄りつかないくらいです」
「うるさいけどね。どうしてって言われても今はその気がないとしか答えようがない」
 まさか紗也の事が吹っ切れてないからとは言えない。
「そろそろ仕事に戻ろう」
 そう言って和成は、慎平の背中を軽く叩いた。



 風呂上がりの濡れた髪を手ぬぐいで拭きながら、和成は自室へ向かって廊下を歩く。すでに日は落ち、空には星が瞬いていた。
 和成に与えられた部屋は、基本的に寝泊まりするためだけのもので、部屋の中には小さな洗面所と給湯設備が備えられているだけだ。
 風呂、お手洗い、食堂は城に滞在する者たちが共同で使用している。
 自室に戻った和成は、まっすぐに机に向かった。そこに置かれた佐矢子の手紙に手を伸ばす。
 手ぬぐいを頭にかぶったまま椅子に座って、裂けた封筒から手紙を取り出し、机の上でつなぎ合わせた。そしてそのまま両手で押さえて読み始める。
 そこには佐矢子の目から見た和成の姿と、そんな和成をどんな風に自分が想っているのかが切々と語られていた。
 好きな相手の事はこんなにも輝いて見えるものなのかと感心するほど、とても自分とは思えない三割増し男前の和成がそこにいる。
 なんだか面映ゆい思いで二枚の便箋を最後まで読み終えた和成は、改めて佐矢子への罪悪感を覚えた。
 手紙の中には、どこにも和成の返答を求めてはいなかったのだ。本人が言った通り純粋に想いを伝えたかっただけ。
 そして最後の一文は和成への思いやりだった。

”もしも私の想いがあなたを不快にしたならごめんなさい。明日からも今まで通り職場の同僚として普通に接していただけるなら嬉しく思います”

 手紙を新しい封筒に収めて、深くため息をつく。
 首に手ぬぐいをひっかけて廊下に出ると、自室前にある中庭へと降りる石段に腰を降ろした。
 少し肌寒くなってきた晩秋の夜風が濡れた髪を撫でていく。見上げる空には沈みかけた細い月が、和成の愚行をあざ笑っているように思えた。
 ぼんやりと月を眺める。少しして自室から無線電話の着信音が聞こえた。
 急いで自室に戻り電話を手に取る。和成が寝台に腰掛けて応答すると、右近の声が聞こえてきた。
『よう。おまえ明日休みだろ? ヒマだったらつき合ってほしいんだけど』
「悪い。先約がある」
 即座に断る和成に、右近が驚いたように尋ねる。
『先約? おまえがヒマじゃないって珍しいな。慎平?』
「いや。電算部の女の子」
 それを聞いて右近が頭の天辺から声を張り上げた。
『女?! おまえが?! マジ?! なんで?! 紗也様は?!』
「うるせーよ。大げさに騒ぐな。紗也様は関係ないだろ」
 不愉快そうに顔をしかめて、和成は佐矢子につき合う羽目になった経緯を右近に話す。話を聞いた右近は、おもしろそうに笑った。
『そりゃ、自業自得だな。心ない事をするからだ。やっぱ間抜けだよな。おまえ』
 少しムッとしたものの、右近の言う事はもっともすぎて、和成は反論できずに押し黙る。少しして静かに問いかけた。
「なぁ、俺って中途半端なのかな」
『まぁ、中途半端っていやぁ中途半端なのかな』
「どのへんが?」
 少し沈黙した後、右近は声の調子を低くして言う。
『こら。それ塔矢殿に言われたんだろ。今度は教えてやんねぇ』
 和成は思わず苦笑した。
「相変わらず勘が鋭いな」
『それは自分で解明しないと意味がないからな。そのかわりひとつお伽噺を聞かせてやろう』
「はぁ?」
 和成が訝しげに眉を潜めた時、右近が歌うように語り始めた。
『昔々あるところに子供のいない老夫婦がいました。ある夜おじいさんは”子供が欲しい”とお星様にお願いをしました。すると魔法使いが現れて二人のかわいがっていた人形に命を与えたのです。魔法使いは人形に言いました。”おまえが正直で勇敢で優しい子になった時、本物の人間にしてあげましょう”』
 冒頭の部分だけで、右近は話をやめた。
「その話は俺も知ってる。何の関係があるんだよ」
『おまえが中途半端なのは、命を与えられたばかりの人形と同じだからだ。どうすれば人間になれるのか。その意味が分かれば答えは見えてくるはずだ。じゃあな。明日はしっかり償いをしてこい』
 そう言って右近は、一方的に電話を切った。手の中の電話を見つめたまま、和成はつぶやく。
「人間になる方法って……正直で勇敢で優しい子になったら……俺はそうじゃないって? ……それとも別の意味?」
 和成は腕を組んで首を傾げながら、少し考えてみる。
「さっぱりわかんね」
 結局早々に諦めた和成は、寝台にゴロンと転がってそのまま眠りについた。





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