前へ 目次へ 次へ
4.危険な逢瀬



 翌日、和成は約束通り、城下中心部にある商店街の入り口に立っていた。
 約束の十一時にはまだ少し時間がある。程なく佐矢子がやって来た。
 いつもは後ろでひとつに束ねている髪を下ろし、髪や耳に飾りを付けている。明るい色の着物を着て、赤い紅を差した佐矢子は城内にいる時よりもずっと華やかに見えた。
「お待たせしてすみません」
「いえ、それ程は待っていません。いつもと雰囲気違いますね」
 和成が見たままの感想を口にすると、佐矢子は少しはにかんだように上目遣いで見上げる。
「おかしくないですか?」
「よくお似合いですよ」
 そう言って和成は目を細めた。佐矢子も嬉しそうに目を細める。
「社交辞令だとしても、和成様にそう言ってもらえると嬉しいですね。それとも少しは私を断った事、後悔してくれました?」
「え?」
 和成が返答に窮していると、佐矢子がクスクス笑った。
「そんなあからさまに困った顔しないで下さい。今日一日和成様と一緒に過ごせるだけで私は満足ですから。一日だけ我慢して下さいね」
「我慢だなんて……。むしろ佐矢子殿の方が退屈するんじゃないかと思ってます。私は女性が楽しいと思うような事は何ひとつ知りませんし。塔矢殿に言わせれば私は”ひきこもり”だそうで」
 佐矢子は声を出して笑った後、笑顔のまま和成の右腕につかまった。
「大丈夫です。私の行きたい所について来て下さい」
 その強引とも思える態度に面食らって、和成は佐矢子のつかまった右腕を見る。
 しかし、ここで振りほどいていきなり気まずくなるのもどうかと思い、腕は預けたままにした。
 そして、以前塔矢に言われた謎々の答えを改めて納得する。
 なるほど、恋愛対象だと思っていない女だと、触られてもドキドキしない。
 客観的に見れば佐矢子は充分に魅力的な女性だ。しかし和成の目には職場の同僚としか映っていない。女として認識はしているが、女として意識はしていないのだ。
 紗也の目から見れば自分も同じようなものなのだろう。そう思うと、忘れたい想いが頭をもたげて、和成の胸の内を切なくさせる。うっかりこぼれそうになったため息を、グッとこらえた。
 そんな事を考えている和成の心を知らない佐矢子は、とにかく嬉しそうにしている。笑顔で和成を見上げながら話しかけてきた。
「和成様も今日はいつもと雰囲気違いますよ」
「え? どこが違いますか?」
 佐矢子のようにめかし込んだりもしていないし、思い当たる事がないので和成は思わず聞き返す。
 佐矢子は和成の左側を覗き込んで指差した。
「その刀です。そういうのを見ると、和成様はやっぱり軍人なんだって思い知らされます」
 彼女の口調には悲しげな嫌悪感が滲んでいる。
「塔矢殿に丸腰で出歩くなと注意を受けましたので。無粋な出で立ちで申し訳ありません。軍人はお嫌いですか?」
 和成が尋ねると、佐矢子から笑顔が消えた。少し俯いて悲しげに目を伏せる。
「嫌いです。軍人は嘘つきだから」
「嘘つき?」
「私の父は軍人でした。”この戦が終わったら”が口癖で……」
 佐矢子の父は彼女がまだ幼い頃、戦で命を落とした。彼が最後の戦に赴いたその日は、ちょうど佐矢子の誕生日で、戦が終わったら誕生日のお祝いをしようと笑って出かけたのだ。結局、佐矢子が父に誕生日を祝ってもらう事はなかった。
 当時は他国から杉森は容易く落とせると思われていたので、今より頻繁に攻められていた。軍人たちは休む間もなく戦にかり出されていく。
「戦が終わったら家族でおいしいものを食べに行こう。戦が終わったらゆっくり話をしようって、いつも言うだけで、父が約束を果たした事は一度もありませんでした。最後まで」
 佐矢子は約束を果たして欲しかったわけではない。約束を果たすために帰ってきて欲しかったのだ。
 今は軍師となって前線から遠ざかっているとはいえ、そういう嘘つきになってしまう可能性は和成にもある。
 かける言葉を失って黙り込む和成に、佐矢子は取り繕うように言う。
「でも、和成様が嫌いなわけじゃありませんから」
 その必死な様子がなんだかおかしくて、和成はクスリと笑った。
「私も嘘つきな軍人ですよ」
「わかってます。でも、それとこれとは別です」
 佐矢子はすねたようにプイッと顔を背けた。そして横目で窺うように見つめながら、恐る恐る和成に尋ねる。
「あの……。和成様は人を斬った事があるんですか?」
 和成は意地悪な笑みを湛え、低い声で静かに問い返す。
「それを本当に知りたいですか?」
 佐矢子は焦ったように、慌てて目を逸らした。
「い、いえ。やっぱりいいです。和成様がこんな意地悪な方だとは知りませんでした」
「私はおこりんぼで失礼な奴なんですよ。紗也様にいつもそう言われてます」
「そういえば、和成様は紗也様の護衛官でしたね」
 和成は一旦佐矢子の手をほどいて正面に立つ。
「本日は紗也様ではなくあなたの護衛を務めさせていただきます。どこへなりとお供つかまつります。佐矢子様」
 そう言って、恭しく頭を下げた。照れくさそうに笑いながら、佐矢子は再び和成の腕を取る。
「なんだかお姫様になったような気分ですね。では参りましょう」
 和成を促して、佐矢子は商店街の方へと歩き出した。
 午前中は佐矢子に連れられて、商店街の店をあちこち見て回る。十二時過ぎに佐矢子のお気に入りの店で昼食を摂った。
 食事を摂りながら、和成は午後の予定について佐矢子に尋ねる。特に決めていないという彼女に、歩いてばかりだと疲れるので午後から芝居でも見ますかと提案してみた。けれど佐矢子は、芝居よりも和成の顔を見て、和成と話がしたいと言う。
 昼食を終えた二人は、再び商店街を歩き始めた。



 少し前から和成の表情が固いことを、佐矢子は不安に感じていた。
 話しかけても上の空で、左手はずっと刀の柄を触っている。何度か右腕につかまろうとしたが、さりげなく躱されて、つかまるのを諦めた。
 元々和成とこうして一緒にいられる事自体、佐矢子が有無も言わさず強引に連れ出したからだ。和成にしてみればたまの休みを奪われていい迷惑に違いない。
 佐矢子ははしゃぎ過ぎた疲れも手伝って次第に口数も減ってきた。
 ふたりは並んで黙々と商店街を歩く。少しして和成が佐矢子に話しかけた。
「やはり疲れたんじゃないですか?」
「いいえ。大丈夫です」
 佐矢子が笑顔を作って答えると、和成はそれを遙かに上回る極上の笑顔で佐矢子を見つめた。
「素直じゃないなぁ」
 そう言って、少し強引に佐矢子の肩を抱き寄せる。
 普段は人を寄せ付けない雰囲気をまとった和成らしからぬ行動に、佐矢子は心臓が止まりそうなほど驚いた。間近にせまった笑顔を、声も出せずに思わず見つめる。
 和成が笑顔のまま耳元で囁いた。
「そのまま、振り向いたり騒いだりしないで聞いて下さい。後を付けられているみたいです」
 目を見開いて見つめる佐矢子に、和成は笑顔を崩す事なく目配せする。
 ようやく状況を理解した佐矢子は、和成に合わせて微笑みながら小さく頷いた。
 和成も頷いて佐矢子から手を離す。
「少し座って話をしましょう」
 そう言って店先で飲み物を買い、そのひとつを佐矢子に渡した。二人で店の外の壁際に置かれた長椅子に並んで腰掛ける。
 飲み物を飲むフリをして口元を隠しながら和成が話しかけた。
「ここなら後ろから覗かれることはないでしょう。彼らが読唇術とかできない事を祈りたいですね。先ほどは不躾にあなたに触れて申し訳ありませんでした。もう少しの間、恋人ごっこにお付き合い下さい」
 佐矢子は微笑んで頷き、まるで内緒話をするように和成の耳に手を添えて小声で尋ねる。
「”彼ら”ってことは何人かいるんですか? 目的に心当たりはありますか?」
 和成も笑顔で返す。
「三、四人はいますね」
 そして、佐矢子の影に隠れるようにして耳打ちした。端から見れば二人の様子は、恋人たちが愛を囁き合っているように見えるかもしれない。
「目的は私だと思います。私は他国の者から煙たがられているらしいので」
「お邪魔でしたら、私は帰りましょうか?」
「いえ、今あなたをひとりにすれば、あなたに危害が及ぶかもしれません。こんな人混みの中では彼らも行動を起こせないでしょう。人気のない所に誘い込んで一気に片を付けます。そのためには塔矢殿に応援を頼みましょう。無線電話はお持ちですか?」
「はい。持ってます」
 佐矢子が鞄から電話を取り出した。和成も懐から電話を取り出し、佐矢子が持った電話の横に並べて見せる。和成の電話は佐矢子のものよりひとまわり以上大きい。
「へぇ。市販のはやっぱ小さいですね。軍用はこんなに大きいんですよ」
 まるで電話番号の交換でもしているかのように、和成は時々佐矢子の電話を見ながら操作する。もちろん操作の内容は番号交換ではなく、塔矢への応援要請。
 佐矢子も同じように操作するフリをした。
「これでよし。飲み終わったら行きましょう」
 操作を終えた和成は電話を懐にしまい、飲み物を掲げて見せた。
「はい。もう少し待って下さい」
 佐矢子があわてて飲み物を口にする。
「あわてなくていいです。ゆっくり休んでいきましょう」
 そう言った後、和成は再び耳打ちした。
「塔矢殿が来るまで少し時間がかかります。ゆっくりしてください。あなたが聡明な方で助かりました。紗也様だったらきっと無駄に騒いで台無しにするところですよ」
 和成を横目で見ながら佐矢子は尋ねる。
「紗也様ってそういう方なんですか?」
「やるなと言う事をあえてやるような方です。傍若無人な程にわがままで私の言う事などちっとも聞いて下さいません」
 ため息交じりにこぼす和成に、佐矢子はおもしろそうに笑った。
「そう言えば、先日私が休みの日に会計情報を全消去したのは紗也様でしたよね」
「休みでよかったですね。復旧作業は真夜中までかかったんですよ」
 ふたりで顔を見合わせて笑った途端、和成の懐で電話が振動した。
 和成が電話を取り出し、佐矢子と共に覗き込む。塔矢からの返信だ。

”おまえの電話を追跡する。電源は切るな”

 ふたりとも飲み物は空になっている。和成は電話を懐にしまって立ち上がった。
「そろそろ行きますか」
「はい」
 佐矢子も微笑んで立ち上がり、飲み物の容器を店に返して、和成と一緒に歩き始めた。



前へ 目次へ 次へ


Copyright (c) 2013 - CurrentYear yamaokaya All rights reserved.