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5.取引 和成と佐矢子は商店街の店を冷やかしながら人混みを避け、ゆっくりと街はずれへ移動していく。 街はずれの公園を抜け、数軒の民家の間を通る頃には人影は途絶えていた。国境の関所へと続く雑木林に差し掛かった時、和成は佐矢子に耳打ちした。 「そろそろ動きがあると思います。私が合図したら全力で逃げて下さい」 佐矢子は不安げな表情で和成を見上げる。 「和成様は?」 「私ひとりなら何とでもなります。塔矢殿ももうじき来るでしょうし。お願いですから私にかまわず逃げて下さいね」 「わかりました」 雑木林の中に踏み込んで少しした頃、和成の予想通り突然目の前に三人の男が回り込んで行く手を塞いだ。 和成たちが立ち止まって振り返ると、後ろにも二人立っている。 五人は同じように着物の上に外套を羽織り、その下に刀を隠し持っているようだった。 前方にいた、五人の内で一番年上に見える男が和成に語りかけてきた。彼が五人の統率者なのだろう。 「はじめまして、杉森の軍師殿。このような人気のない場所にやって来るなど、いささか軽率ではありませんか? あなたは自分の価値をご存じないと見える」 和成はわざとらしくため息をつく。 「何を勘違いしているのか知らないけど、せっかく二人きりでイチャイチャしようと思ったのに邪魔しないで欲しいな」 男は動じる事なく、和成を見据えた。 「ごまかしても無駄です。杉森の軍師は少年だと聞いています。我々は城に出入りする者を監視していました。あなたより若い者はおりませんでした」 それを聞いた佐矢子が、和成の隣でクスリと笑う。顔を向けた和成と目が合った佐矢子は、口を押さえて「すみません」と首を竦めた。 和成は口の端に笑みを浮かべて小声で言う。 「余裕じゃないですか。頼もしいかぎりです」 蚊帳の外に置かれた男が、苛々した口調で怒鳴った。 「こそこそ話すのはやめてもらおう!」 「だって、少年を捜してんなら俺に目を付けた事自体間違ってんだもの。俺、今年で二十七。酸いも甘いも噛み分けたりっぱなおやじ」 からかうように手を振る和成に、男は益々激昂する。 「ふざけるな小僧! つくならもっとマシな嘘をつけ!」 「嘘じゃないんだけどな」 和成が本気で肩を落とすと、隣でまた佐矢子が笑った。 「とにかく、痛い目に遭いたくなければ、おとなしくご同行願おう」 男の要求に対して、和成は諦めたようにひとつ嘆息し、 「わかった。おとなしく従う。そのかわり彼女は解放してほしい」 と言って佐矢子を視線で指し示す。男は満足げにニヤリと笑った。 「よかろう。刀を捨てろ」 腰の刀を引き抜き、和成は持った右腕を目の前にまっすぐ突き出す。そしてチラリと佐矢子に視線を送り、目で合図した。 佐矢子は小さく頷いて、ゆっくりと和成から離れる。 和成が手を開き、持った刀が地面に落ちると同時に、佐矢子はその場に背を向け後方にいた二人の横を素早くすり抜けて走り去った。 統率者の隣にいた男が、和成の落とした刀を足の先で後方へと蹴り飛ばす。そして和成を捕らえるために、手を伸ばして近付いてきた。 統率者は和成の後ろにいる男に、「追え」と命令した。 それを聞いた和成は、 「そんな事だろうと思った」 と言うと、近寄ってきた男の腹を思い切り蹴り上げた。 低くうめいて前のめりになった男の腰から刀を引き抜き、振り向きざまに後ろから取り押さえようとしていた男を斬り捨てる。 飛び散った返り血と倒れかかってきた身体を素早くよけ、佐矢子を追ってかけ出した男に追いつき、背中から斬り付けた。 地面に伏した男の背中を踏みつけて止めを刺すと、和成は道の先に視線を向ける。 佐矢子の姿はすでに見えなくなろうとしていた。 ひとまず安堵して振り返った和成は、刀を構えて残る三人と対峙する。腹を蹴られてうめいていた男は、奪われた刀の代わりに和成の刀を握っていた。 統率者は憤怒の形相で歯噛みする。 「おのれ小僧! 軍師ふぜいがナメたマネを!」 和成は呆れたように深々とため息をついた。 「だから違うって言ってるのに」 そしてニヤリと笑い、統率者を窺う。 「でも、いい事聞いたかな。そちらの軍師ふぜいはナメたマネができないんだね」 彼は答えず、残る二人に命令した。 「やれ! ただし殺すな」 命令と同時に、二人が同時に和成に向かって突進してくる。 「手加減ありがとう。でも俺は生かして帰すつもりないから」 そう言って和成は、二人の間を縫うように駆け抜け、瞬く間に切り伏せた。あまりの素早さに、統率者は和成の後ろで倒れた二人を呆然と見つめている。 その隙に和成が、彼の眼前に迫っていた。ハッとして刀に手をかけた刹那、統率者は声を上げる間もなくその場にくずおれていた。 刀を地面に突き刺して、和成はポツリとつぶやく。 「……切れ味悪っ。ちゃんと手入れしろよ」 そして周りの惨状を見渡した後、大きくため息をついた。 「なんで城下で人斬りしなきゃなんないんだか……」 倒れた男の手から自分の刀を回収し、和成は彼の外套の下を探る。捕らえるのが目的なら、何か用意しているはずだ。案の定、取り縄を発見。 捕り縄と手ぬぐいを奪って、最後に仕留めた統率者のそばに和成はしゃがんだ。 うつ伏せに倒れている彼の髪を掴んで頭を持ち上げると、口の中に手ぬぐいを詰め込みながら顔を覗き込む。 「仲間をこんなに死なせたんだ。あなたには責任を取ってもらうよ」 捕らえられた敵の間者が、どんな末路をたどるのかを和成は知らない。案外この場で命を落とした彼の仲間たちの方が幸せな気もした。 峰打ちに気付かず、未だに気を失っている男の手足を縛り、懐から無線電話を探り出して驚愕する。 「うっわ、古っ! これじゃ大した情報は得られない。ひとり生かしといてよかった」 男の持っていた電話は、杉森国では随分前に販売が終了しているくらい古い機種だった。得られる情報もせいぜい通話履歴くらいのものだ。 和成は電話を自分の懐に収めて、街道の方へ様子を見に行った。そろそろ塔矢がやって来る頃ではないだろうか。 ところが、やって来たのは逃げたはずの佐矢子だった。和成の姿を認めると歩を早めて小走りにこちらに向かってくる。 「和成様、ご無事ですか?」 心配そうな表情で駆け寄ろうとする佐矢子を、和成は大声で制した。 「来てはなりません!」 和成の険しい表情と声にビクリとして、佐矢子はその場に立ち止まる。 「そのまま、目を閉じて回れ右して下さい」 和成の後ろには佐矢子を追って行こうとした男の骸がころがったままだった。 言われた通りに目を閉じて後ろを向いた佐矢子の前に回り込み、和成は彼女の手を引いて街道脇にある木の影に誘導する。 そこなら和成の作り出した惨状が、彼女の目に入る事はない。 和成の手が離れた事を察して、佐矢子はゆっくりと目を開く。彼女の目の前には怒ったような顔をした和成がいた。 「どうして戻ってきたんですか。私にかまわず逃げて下さいと言ったでしょう」 非難するような口調に畏縮して、佐矢子は俯いて目を伏せる。 「すみません。でも、かなり引き返したのに塔矢様はいないし、和成様も来ないし、不安でしょうがなかったんです」 佐矢子のしょげかえった様子に、和成はハッと我に返った。つい、いつも紗也に注意する時の口調になっていたのだ。 もっとも紗也は、こんな風に素直に謝ったりはしないので、結局怒鳴りつけてしまうのだが。 和成は表情を緩めて、気まずそうに目を逸らす。 「こちらこそすみません。あなたをこんな危険な事に巻き込んでしまって。せっかくのお休みを台無しにしてしまいました」 ホッとしたように微笑みながら、佐矢子は顔を上げた。 「いいえ。午前中はとても楽しかったし、後を付けられてからの恋人ごっこも楽しかったです。それに私、ひとつわかったことがあります。和成様は心に想っている方がいますよね?」 探るように見つめる佐矢子を、心の動揺を押し隠して、和成は挑むように見つめ返す。 「そんな風に見えましたか?」 「ええ。その方の事を何度も話題にしましたもの。普通女の子と一緒にいる時は他の女の話はしないものですよ」 「すみませんでした。女性の扱いになれてませんので」 笑顔で躱す和成に、佐矢子は核心を突いてきた。 「あなたの想い人は紗也様ですね?」 内心焦りながらも、和成はあくまでとぼける。 「ありえません。そんな恐れ多い事。私の一番身近にいる方だから、つい話題にしてしまっただけです。それとも他に根拠はあるんですか?」 佐矢子はにっこり笑って答えた。 「恋する女の勘です」 またか、と和成はひとつため息をつく。 「では、根拠はないんですね」 「根拠はなくても噂になれば、まことしやかに囁かれるものですよ」 意地悪な笑みを浮かべる佐矢子を見つめて、和成は眉間にしわを寄せた。 「何がしたいんですか」 「取引です。あなたの心までくれとは言いません。口づけをください。口止め料としては安いものでしょう?」 佐矢子の想いに応える事はできないと、和成ははっきり告げている。今日一日一緒に過ごせるだけで満足だと言った佐矢子が、本当にそんなものを望んでいるとは思えなかった。 何が目的で追いつめようとしているのかわからず和成は憤る。 「あなたは平気なんですか? 私はあなたを愛してはいないんですよ」 「かまいません。私があなたを愛していますから」 昨日中庭で見たのと同じ冷たい表情で、佐矢子はキッパリと言い切った。 いくら自分の好きな相手とはいえ、心の伴わない口づけを受けても空しいだけではないだろうか。佐矢子の真意がわからず和成の苛立ちは募る。 図星には違いないが、根拠のない噂で紗也に迷惑をかけるわけにもいかない。 苛立つ気持ちそのままに、和成は佐矢子の両肩を荒々しく掴んだ。 「わかりました」 不機嫌そうな和成の顔を見上げて、佐矢子は少し戸惑うような表情を見せる。そして静かに目を閉じた。 和成が顔を近づける。吐息に触れて佐矢子の身体に緊張が走った。 唇が触れ合いそうになった瞬間、和成は身を引いた。佐矢子から手を離し、項垂れてつぶやく。 「……できません」 佐矢子がゆっくりと目を開いた。和成は項垂れたまま佐矢子に譲歩を促す。 「でも、紗也様にご迷惑をおかけするわけにもまいりません。何か別の事ではダメですか?」 佐矢子は相変わらず冷たい表情で和成を見据えた。 「では、結婚してください」 顔を上げた和成は悲しげな笑みを浮かべて佐矢子を見つめる。 「それは不幸にしかなれませんよ。あなたは自分に触れることのない夫と一生添い遂げるつもりなんですか?」 大きく目を見開いて、佐矢子は和成をまじまじと見つめた後、プッと吹きだした。 そして次第に、声を上げて笑い出す。和成は怪訝な表情で、彼女の笑いが収まるのを待った。ところが一向に収まる気配はない。 理由のわからない和成は、少しムッとしながら尋ねた。 「何がそんなにおかしいんですか?」 胸元を押さえて、笑いをこらえながら佐矢子は答える。 「だって、一緒にいても私に心が傾く事は一生ないと、あなたは断言したんですよ。ここまで徹底的にふられると、むしろ清々しいくらいですもの」 「すみません。また心ないことを言ってしまったみたいで」 和成は気まずそうに佐矢子から目を逸らす。 その隙をついて佐矢子は和成の胸に手を付くと、少し背伸びをしながら頬に軽く口づけた。 驚いて一歩退いた和成に、佐矢子はイタズラっぽい笑顔を向ける。 「それで勘弁してあげます。私は紗也様の事確信してるのに、和成様ったら、しらを切るんですもの。少し意地悪したくなっただけです。困らせてごめんなさい」 佐矢子の勘は確かに鋭い。けれど和成は、それを決して認める訳にはいかないのだ。 「しらを切ってるんじゃなくて、本当に違うんです」 和成が駄目押しすると、佐矢子はにっこり笑って大人の対応をした。 「じゃあ、そういう事にしておきます」 「信じてないんですね」 大きくため息をつく和成に、佐矢子は軽く頭を下げる。 「今日は一日つき合っていただいてありがとうございました。私はこれで失礼します」 「あの……」 立ち去ろうとする佐矢子を和成は呼び止めた。 「来月からの技術局の仕事なんですけど、私と一緒であなたが気まずいと思うんでしたら、私は辞退します」 「和成様が気まずいのでしたら、そうして下さい。私は気にしません。仕事の内容にも興味ありますし」 静かに微笑む佐矢子を見て、和成は安堵のため息をもらす。 「よかった。あなたならそう言うと思ってました。仕事に私情を挟んだりしないと」 途端に佐矢子は、和成から目を逸らして表情を曇らせた。 「残酷な誉め言葉ですね。私は私情より仕事優先の女ですか? 私が技術局の仕事に志願したのは、あなたが推薦されると聞いたからです。思い切り私情を挟んでるんですけど」 「すみません。私はまた……」 和成は目を伏せて俯く。 自分が何かするたび、何か言うたびに佐矢子を傷つけてしまう。どうしてこんなにも人の心を推し量る事ができないのか情けくなる。 和成がふと視線を上げると、佐矢子が目に涙を浮かべていた。目が合った佐矢子は、あわてて指先で涙を拭う。 「もう! 今日は一日、あなたの前では笑っていようと思ってたのに。家に帰ってあなたと過ごした思い出を肴にヤケ酒飲んで、泣くのはそれからって決めてたのに。あなたが何もわかってくれないから!」 そう言って佐矢子は、両の拳で和成の胸を叩いた。そのまま和成の胸に縋って嗚咽をもらす。 「抱きしめて下さい。少しくらい慰めてくれてもいいでしょう? あなたのせいなんですから」 言われた通りに、和成は黙って佐矢子の背中にゆっくりと腕をまわした。 ぬくもりや鼓動が伝わるほど、こんなに近くにいるのに、不思議なほどちっとも和成の心は動かない。それがまた心苦しかった。 少し俯くと目の前には、紗也と同じ艶やかな長い黒髪。その芳香が鼻腔をくすぐる。 途端に鼓動が跳ねた。甘い香りが和成の記憶を呼び覚ます。 それは先の戦で一緒に馬に乗った時、紗也の髪から漂った香りと同じだったのだ。 香りの記憶が和成の心を乱し、まるで紗也を抱いているかのような錯覚に囚われ次第に鼓動が早くなる。 佐矢子に気取られてはまずいと思った時、懐の電話が振動した。平静を装いつつ佐矢子から離れて電話に出る。塔矢だ。 『取り込み中すまないが、そっちに行ってもいいか?』 「え? どこにいるんですか?」 和成はあせって周りを見回す。 『おまえの五十歩ばかりうしろ』 振り返ると、街道脇にある木の影から、塔矢と数名の隊員たちがこちらを窺っていた。 「三分待って下さい!」 一方的に電話を切って、和成は佐矢子に向き直る。 「塔矢殿が到着したようです。少し待っていただければ家まで送ります」 「軍のお仕事なんでしょう? 私はひとりで大丈夫です」 佐矢子は笑って手を振り、和成に別れを告げる。そして街道脇で塔矢に会釈すると、そのまま街の方へ姿を消した。 |
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