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7.機械人形



 電算室に入ると”気にしない”とか”かまわない”と言っていられそうもないような状況になっていた。入口に顔を出しただけで、皆が和成に注目する。
 紗也の耳にまで入っていたという事は、おそらく城内に噂は広まっているのだろう。
 素知らぬフリをして和成が自分の席に着いた途端、慎平が駆け寄って来た。
「和成殿。佐矢子殿と婚約したって本当ですか?」
「はぁ?」
 のけぞった拍子に、思わず椅子から転げ落ちそうになる。
「恋愛する気ないって言ってたのに、いつの間にそんな事になっちゃってたんですか」
「そんな事になっちゃってないよ。尾ヒレ付きすぎだろ。その噂」
 和成が呆れたようにため息をついて項垂れた時、周りでヒソヒソ声が聞こえてきた。顔を上げると、そばに佐矢子が立っている。
「あ、じゃあ私は仕事に戻ります」
 慎平がそそくさとその場を離れようとするのを、和成は着物の背中を掴んで引き止めた。
「変な気を回すな」
 それを見て佐矢子が笑う。
「すみません。経理の先輩が変な噂を流したみたいで」
 和成が詫びると、佐矢子は微笑んで見おろした。
「いいえ。元々、私が和成様に意地悪をしたからですもの。その罰のようなものでしょう? 和成様の恋人だなんて噂だけでも光栄です。それにあなたにとっても好都合なんじゃありませんか?」
「え? 何がですか?」
「だって、相手が誰だろうと断るつもりなんでしょ? だったら私が恋人だという事にしておけば、誰も言い寄って来ないと思いますけど」
「私はそれでかまいませんが、そうすると佐矢子殿に本当の恋人ができなくなりますよ」
 佐矢子は少し意地悪な笑みを浮かべる。
「ふられたばかりの傷心の身には当分恋人なんて欲しくありません。私が新しい恋をしたくなった頃には噂も落ち着いてるんじゃないですか?」
「すみません。ご期待に添えなくて」
 和成が目を伏せると、横から慎平が問いかけてきた。
「聞いていいですか? 佐矢子殿はどんな意地悪をしたんですか?」
「え? それは……」
 和成は言い淀んで佐矢子に視線を送る。それを受けて、佐矢子はイタズラっぽい笑みを浮かべながら片目を閉じて答えた。
「あら、それは恋人同士の秘密よ」
「えーっ? なんか気になるーっ」
 ぼやく慎平を見ながら、佐矢子はクスクス笑う。そして、和成に向かってしみじみと語った。
「ずっと慎平くんと和成様が楽しそうに話しているのを見ていました。こんな風に普通にお話ができるようになるとは思ってもみなかったので、嬉しいです」
 どうやら慎平の言う通り、佐矢子にも近寄りがたいと思われていたようだ。和成は苦笑して問いかける。
「あの、慎平が言ってたんですけど、私ってそんなに”近寄るな光線”が出てますか? 佐矢子殿の目に私はどんな風に見えてたんでしょうか」
 静かに微笑んで、佐矢子は胸の内を語った。
「何でもできて容姿もきれいな人ってそれだけで近寄りがたいものですよ。和成様はめったに笑わないし、個人的な人付き合いもしないみたいだし、私には機械でできたきれいな人形のように見えていました。頭の中には電算機が詰まってるんだろうって。慎平くんが案外普通の人だって言うから、思い切って手紙を書いてみたのに突っ返されて、やっぱり機械なんだって思ったもの」
「その節は本当に失礼しました」
 和成は改めて頭を下げた。
「もう、気にしないで下さい。少しつき合ってみると和成様って本当に普通の人ですよね。ちょっとズレたとこありますけど」
 慎平がおもしろそうに耳打ちする。
「右近殿と同じような事言ってますね」
 それが聞こえていたようで、佐矢子が慎平を指摘した。
「慎平くんもズレてたわよ」
「え? 私はいたって常識人だと思いますけど」
 横から和成が反論する。
「こら待て。俺が非常識みたいに言うなよ」
「二人ともそろそろ仕事に戻って下さい。慎平くんは昨日作ったって言ってた画面の、入力項目の配置がズレてたの。すぐに修正して」
「あ、そっちがズレてましたか」
 苦笑しながら頭をかく慎平を、和成が他人事のように笑っていると、佐矢子は和成にも注文を付けた。
「和成様は三日前にお願いした変更仕様書を今日中に提出して下さい」
「はい。必ず」
 素直に返事をする和成に、佐矢子は申し訳なさそうに苦笑をこぼす。
「他の部署のお仕事もあるのに急がせてすみません。今月中に手持ちの仕事をどうしても片付けないといけないので」
「あぁ、来月から技術局ですよね。私も受ける事にしたので、来月からまた一年間よろしくお願いします」
 和成が手を差し出すと佐矢子は少し目を見張った後、微笑んでその手を握り返した。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
「それじゃ私も今月中に仕事を全部片付けます」
「お願いしますね」
 そう言って佐矢子は、自分の席に帰っていった。




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