前へ 目次へ 次へ
8.戦場での心得



 昼食を終えた後、和成が再び電算室に戻ると、慎平が声をかけてきた。
「和成殿、お願いがあります。いつでもいいんですけど、近い内に手合わせ願えませんか?」
「いいけど。同じ部隊の奴の方が時間の都合が付きやすいんじゃないか?」
「真剣でお願いしたいんです。私がへっぽこなんで、相手は腕の立つ方でないと危険ですから」
「あぁ、真剣か」
 剣は苦手だと言っていた慎平も、一応軍人として鍛錬は行っているようだ。
 和成は腕を組んで、周りを見回しながら言う。
「そう言えば、情報処理部隊って実戦で刀振るったことのある者がほとんどいないって聞いたな」
「そうなんですか?」
 他人事のように問い返す慎平に、和成は眉をひそめた。
「それってまずくないか? 本陣の防衛線を突破されたら、あっという間に陥落するって事だろう?」
「でも、司令所には和成殿がいますから」
 慎平は相変わらず呑気に笑う。それを横目に、和成はため息をついた。
「俺ひとりでどうしろってんだよ」
「でも総大将が無事なら……あれ?」
 言いかけたところで、慎平は不思議そうに首を傾げながらチラリと天井を見上げる。そして和成に向き直って尋ねた。
「総大将って前回は紗也様でしたけど、いつもは誰なんですか?」
「元々いないんだよ。だからうちは強いんだ。誰かひとりをどうしても守らなきゃならないってのがないから」
 慎平は目を丸くしてしばらく絶句した後、気を取り直して再び問いかける。
「でも、軍をまとめたり戦を仕切ったりする人は必要ですよね」
「そう言う意味じゃ、俺か塔矢殿になるのかな。前線をまとめてるのは塔矢殿だし、戦を仕切ってるのは俺だし」
 杉森国の戦は、技術力を駆使した情報処理が要となっている。事前に戦略の打ち合わせをしたら、後は中央司令所を介して情報を全部隊で共有し、戦略に沿って各部隊は自分の判断で行動する。
 司令所は斥候から随時送られてくる戦場の情報を元に、定期的に戦況情報を提供するだけだ。
 先の戦のように不測の事態でも起きない限り、軍師や中央司令所が部隊長に直接指示を出したりすることはめったにない。
「指示を出すんじゃなくって伝える事はあるけど。”ちょっと出すぎてますよ”とか」
「じゃあ、中央司令所が落ちたら大変じゃないですか」
 慎平がやっと事の重大さに気付いたらしい。
「そういうこと。うちの総大将は中央司令所の戦略主機と言ってもいいかもな。しばらく戦はないと思うけど、定例の軍議で情報処理部隊の強化について提案してみよう」
 それを聞いて、慎平がおずおずと尋ねる。
「ちなみに、その提案が承認されたら具体的にはどうなるんでしょう」
「具体策は俺の決める事じゃないからわからないけど、手っ取り早く強化するなら実戦経験を積ませる事だろうから交代で前線に出るようになるかもな」
 途端に慎平は顔をひきつらせた。
「やっぱりそれが手っ取り早いですよね。私なんかが前線に出ても足手まといにしかならないような気がしますけど」
 慎平の緊張した様子に、和成は少し笑って問いかける。
「人を斬るの、怖いか?」
「え……あの、経験がないので……でも、私も一応軍人ですし……」
 一生懸命ごまかそうとしたが、結局諦めて慎平は項垂れた。
「すみません。怖いです」
 先の戦の時、覚悟はできているつもりだと言っていたが、やはり本音はそうなのだろう。和成はクスリと笑う。
「誰だって最初は怖いさ。だから前線での心得を教えてやるよ」
 慎平は顔を上げて和成を見た。和成は淡々と語る。
「一番強く思ってなきゃならないのは、生きる事を諦めないこと。それから、これ重要。対峙した敵の後ろにあるものを見ない事」
 慎平が不思議そうに問い返した。
「後ろにあるものって何ですか?」
「相手は人間なんだ。おまえと同じように、後ろに人生だの家族だの、友人、知人、将来の夢、いろんなものを背負ってんだよ。それに目を向けたら、ためらいが生まれて隙ができる。戦場では隙を見せた方が死ぬんだ。だから見るな」
 慎平は深刻な表情で腕を組む。
「難しいですね。では、相手を人間だと思わなければいいんですか?」
「違う。相手が人間であることは認めなければならない。戦場で敵を斬ることに迷いがあってはならないけど、人が人の命を絶つのは罪なんだって事を忘れちゃいけない。これを忘れたら、おまえは人ではなくなるよ」
 和成は少し悲しそうな笑みを浮かべた。和成の表情を怪訝に思いながらも慎平はあえて聞かないことにする。
”俺はもう人間じゃない”とか言われたら怖いからだ。
「わかりました。努力します」
「えらそうに言ったけど、今の全部、俺が初陣の時、塔矢殿に言われた事なんだ」
 そう言って和成は慎平の肩を叩いた。
「和成殿は初陣が前線だったんですよね。やっぱり怖かったですか?」
「あぁ、まあ、最初はね」
 和成は曖昧な返事をする。
 実は初陣の事をほとんど覚えていないのだ。
 初めて人を斬った後、目に飛び込んだ返り血が視界を赤く染め、命を落として倒れかかってきた敵兵の顔が目の前に迫っていた。和成の記憶はそこで途絶えている。
 次に覚えているのは、頬に激しい衝撃を受け、背中から木の幹に叩きつけられてうめいた事。
 直後、塔矢に胸ぐらを掴まれ怒鳴られたので、彼に殴られたのだと察した。
 周りはやけに静かだった。敵兵の姿がない。
 何がどうなっているのかわからず、呆然としている和成の腕を乱暴に掴んで塔矢は自分の前に押し出した。
「おまえのやらかした事だ! よく見ろ!」
 突きつけられた現実に、ぼやけていた和成の意識が一気に覚醒する。目の前に広がる平原には、おびただしい数の敵兵が息絶えていた。ざっと一個小隊はあろうか。
 目を見開いたままゆっくりと視線を落とした和成の手には、血にまみれてガタガタに刃こぼれした刀が握られている。
 手も着物も刀と同じように血にまみれて赤黒く染まっていた。生臭い血の匂いに吐き気を催して、和成は口を押さえながらその場に膝をつく。
 全身が震えて、涙があふれ出した。
「う……あ……うあぁぁ――っ!」
 大声を上げて泣きわめく和成を、塔矢と先輩隊員たちは黙って見つめる。少しして幾分落ち着いた頃、和成は塔矢から件の心得を聞かされたのだ。
 後に塔矢から聞いた話では、和成は自ら敵の直中に飛び込んで次々と敵兵を斬り伏せていたらしい。その様子に恐れをなして敵が退いたという。
 和成の異変に気付いたのは塔矢だけだった。
 当時、和成は二十歳で成人していたものの、今より一層幼く見えたので杉森軍の前線には血を好む鬼神のごとき少年がいると、他国軍の間でしばらく噂になっていたらしい。
 記憶がないので自分が何を考えていたのか、和成にはわからない。ただ塔矢の見解では、初めて人を斬った事による心の衝撃に耐えきれず、自我を手放したのだろうと言う。その時の和成は相手を人だと思っていないようだったらしい。和成は一度人であることを放棄しかけたのだ。
 今になって思えば、成人男子が人目もはばからず大声で泣きわめいたなど、情けなくて誰にも語れない。
 初陣の後、和成は人を斬るのが怖くて仕方なかった。また我を忘れて鬼と化してしまうかもしれないと思うと、刀を握る事もためらって、しばらく剣の稽古も休んだ。それもまた情けないので、初陣の事はあまり語りたくないのだ。
 慎平が問いかけた。
「今でも怖いですか?」
 和成は静かに笑う。
「今はもう怖くはないよ。でも、今でも人を斬るのは嫌いだけどね」
 慎平は少し安心したように笑った。




前へ 目次へ 次へ


Copyright (c) 2013 - CurrentYear yamaokaya All rights reserved.