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9.和成の秘密



 夕方、和成はいつものように電算機の操作を教えるために紗也のいる執務室を訪れた。
 今日は珍しく塔矢が残業をしている。和成にしてみれば、紗也と二人きりよりは塔矢がいてくれる方が気が楽なのでいつもいて欲しいくらいである。
 約束の一時間が経過し、作業を切り上げて和成が部屋を出ようとすると、紗也が不服そうな顔をして和成を呼び止めた。
「和成。そんなに私のそばにいるのがイヤなの?」
 和成は振り返る。
「朝も申しましたが、そのような事はございません」
 紗也は席を立って和成の前まで歩み寄り、一枚の紙を突き付けた。
「証拠はあるのよ! 仕事が忙しいとか言ってたけど、週の内四日は執務室を出た後すぐに城下に行ってるじゃないの!」
 既視感を覚える。和成は以前、紗也が会計情報を全消去した時、同じように証拠を突き付けて紗也にせまった。
 紗也の突き出した用紙を、和成はしげしげとながめる。それは城の正門の入退管理情報だった。
「電算機の操作方法をお教えした私がこんな事を申すのもなんですが、城の警備の安全管理情報は国家の重要機密のひとつです。御存知なかったのでしょうけど、私用で閲覧するのは犯罪行為ですよ」
 紗也は用紙を丸めて握りしめると地団駄を踏む。
「ごまかさないでよ! 私が犯罪者だって言うなら警察に突き出せば?!」
「そのような事はいたしません」
 和成の妙に落ち着き払った様子に、紗也は益々苛々して叫んだ。
「もう! ずるいーっ! 自分だけ外に遊びに行くなんてーっ!」
 和成は目を丸くして絶句し固まった。
 紗也が怒っている理由は自分が紗也を避けているからだと思っていたのだ。いつの間にか怒っている理由がすり替わっている。
 少し前からそろばんを弾く手を止めて、二人のやりとりを見ていた塔矢が思わず吹き出した。
 紗也はふくれっ面のまま和成に詰め寄る。
「遊びに行くんなら私も連れて行ってよ!」
「いたしかねます」
 気を取り直した和成は即答した。けれど紗也の不満は収まらない。
「なんでよ?! 護衛の和成が一緒なんだからいいでしょ?!」
「私の一存では決めかねます。塔矢殿にお聞き下さい」
 和成がそう言うと、紗也は眉を寄せて和成を睨んだ後、塔矢の方を向いて甘えた声を出した。
「ねぇ、塔矢。いいよね?」
 塔矢は紗也を見ながら微笑んで答える。
「かまいませんよ。少しの時間でしたら」
「やった!」
 紗也は喜んで両手を挙げた。
 塔矢が反対するものと思っていた和成は、驚いて塔矢に尋ねる。
「いいんですか?!」
 平然とした様子で、塔矢はしれっと言い放った。
「おまえが一緒なら安全面で問題はないだろう。それに俺は基本的に紗也様には甘いんだ」
 和成は目を細くして、呆れたように塔矢を見ながらイヤミを言ってみる。
「私のような中途半端な虫が、大事なお嬢様と城下の繁華街へご一緒してもよろしいんでしょうか? お父上殿」
 眉をひそめて、塔矢はきっちり釘を刺した。
「何を言ってる。紗也様はともかく、おまえは遊びに行くわけじゃないんだ」
 和成は諦めて渋々返事をする。
「わかってますよ」
 横から紗也が不思議そうに尋ねた。
「中途半端って何のこと?」
「男同士の話です」
 言葉を濁す和成に、紗也は頬を膨らませて再び不機嫌になる。
「どうして男の人って都合の悪い事はその一言でごまかすの?!」
 説明しようにも和成自身中途半端の意味がわかっていない。なによりここでいつまでも足止めを食らっている場合ではないのだ。なにしろ佐矢子から託された仕事がまだ片付いていない。
「それでは、明日午後に城下へご案内いたします。本日はこれで失礼いたします」
 紗也の不満を無視して、和成は挨拶と共に頭を下げ戸口へと向かった。
 後ろから紗也が不満げに声をあげる。
「えー? 今からじゃないの?」
 和成は戸口で立ち止まり、振り返った。
「今から出かけると日が暮れてしまいます。夜の街は危険が多いので明日までお待ち下さい」
「じゃあ、今日は和成ひとりで行くの?」
「私はこれから残業です。佐矢子殿に頼まれた仕事を今日中に仕上げないといけないので」
「佐矢子殿って噂の女の人?」
「そうです」
 紗也はからかうような笑顔を浮かべて和成に尋ねる。
「和成、噂は否定したけど本当はその人が好きなんじゃないの?」
「好きですよ」
 あまりにあっさり肯定され、紗也は面食らって少し目を見開いた。
 和成は笑って続ける。
「恋愛感情はありませんけどね」
 からかったつもりが、逆にからかわれたような気がして、紗也はムッとした。眉根を寄せて口をとがらせる。
「なんか、おもしろくなーい。和成が私の知らない人と仲良くしてるなんて」
「右近や慎平にはそんな事おっしゃらないじゃないですか」
「だって右近や慎平は男だもん」
「なぜ女性だとおもしろくないんですか?」
「なんとなく。取られちゃいそうだから」
 あまりにも子供じみた理由に、和成は肩を落とす。
「私はあなたの私物じゃありませんよ。忙しいのでこれで失礼します」
「もう! 逃げる気?!」
 尚もわめく紗也を尻目に、和成はそのまま執務室の戸を閉めて立ち去った。
 目の前で閉められた戸を睨んで紗也は腰に手をあて、鼻を鳴らす。そして塔矢に向き直った。
「塔矢。やっぱり和成おかしいわよ」
 塔矢はそろばんで首筋を叩きながら紗也を見た。
「女の勘ですか?」
「そうじゃなくて。今日このまま和成と別れちゃったら一度も怒鳴られてない事になるのよ?」
「いい事じゃないですか」
 目を細める塔矢に、紗也は両手を広げて力説する。
「おかしいじゃない。和成が城に来て以来そんな日はなかったのよ」
「あいつも大人になったって事でしょう」
 紗也は黙って腕を組むと、探るように塔矢を見据えた。
「塔矢。何か隠してるんじゃないの?」
「何を隠してると思われますか?」
 静かに問い返す塔矢に、紗也は腰を屈めて顔を覗き込みながら言う。
「和成の秘密」
 塔矢は声を出して笑った。
「また、随分と範囲が広いですね。そりゃあ、紗也様よりつき合いの長い分色々と存じておりますが、本人の承諾なしにお教えするわけにはまいりません」
「そんな昔の事じゃないのよ! だっておかしいのはここ最近なんだもの。最近何かあったんでしょ?!」
「ですから、昔でも最近でも私の口から申し上げることはできません」
 塔矢は毅然として紗也を見つめる。
 それ以上塔矢を追及するのは無理だと悟り、紗也はため息をついた。
「……わかった。今日はもう部屋に帰る」
 そう言って紗也は、机の上を片付け執務室を出る。
 戸を閉めようとした時、部屋の中から塔矢が笑いながら声をかけた。
「いくら気になって眠れなくても、真夜中に和成の部屋へ押しかけてはダメですよ」
 紗也は振り返って塔矢を睨みながら、足を踏み鳴らした。
「そんな事もうしないもん!」
 塔矢の笑い声を背に、紗也は足音も荒く自室へ向かう。
 本当は部屋に押しかけて直接問い質してみよう、と少しだけ思っていた。




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