目次へ |
12.軍師の上策、君主の決断 自室に駆け込んだ和成は、椅子に座り机の上にひじをついて頭をかかえる。 一番知られてはならない相手に知られてしまった。何も言わなかったが、おそらく紗也は和成の想いに気付いてしまっただろう。 そして、思い出すだけで身震いがする、あの心の奥底からわき上がってきた真っ黒な感情。 ――――コ・ワ・シ・テ・シ・マ・エ―――― 何を? 紗也との関係を? それとも紗也自身を? どうせ手に入らないならいっその事――――。 そんな風に心の奥底では思っていたのだろうか。 あのまま、紗也が何も言わなかったら、そして塔矢がやって来なければ、自分が何をしようとしていたのか和成にはわからない。わからないからよけいに怖かった。 和成は目を伏せ、額に手を当て そこへ塔矢が断りもなく怒鳴り込んできた。 「和成! 紗也様に何をした?!」 そのまま動かず、和成は抑揚のない声で答える。 「抱きしめてしまいました」 「それから?!」 塔矢が畳みかけるように詰問した。 意味が分からず、和成はチラリと塔矢に視線を向ける。 「……それだけですが……」 仁王立ちしていた塔矢が、腰をかがめて顔を近づけると小声で問いかけた。 「腰を抜かすほど動揺なさってたんだぞ。接吻くらいしたんじゃないのか?」 和成は思いきり顔をしかめて、塔矢を見据える。 「し・て・ま・せ・ん」 それを聞いた塔矢は、安心したように大きくため息をつくと、和成の隣に椅子を持ってきて座った。 「いったい何があったんだか説明しろ。専用回線の呼び出しは何だったんだ?」 和成はここに至るまでの経緯を説明し、懐から怪文書を取り出し塔矢に渡す。 「これの真偽についてはすぐに調べさせる。ちょっと待ってろ」 そう言って塔矢は、怪文書を持って一旦部屋を出ていった。 しばらくして戻ってきた塔矢は再び和成の隣に座る。 「で? おまえ、好きだとか何か告白めいた事を言ったのか?」 「言ってません」 塔矢は大きく安堵のため息をもらした。 「だったら、まだごまかしはきく。紗也様が落ち着いたら改めて謝罪しろ。それまでは謹慎してろ。他の部署には適当に言っといてやる」 和成の肩を軽く叩いて、塔矢は立ち上がった。そして、戸口へ向かおうとする。 背を向けた塔矢の後ろで、和成が俯いたままつぶやいた。 「無理です」 塔矢が振り返ると、和成は虚ろな目で俯いたまま、力なく笑う。 「腰を抜かすほど動揺なさってたって事は、お気付きになったって事でしょう?」 「それでも、ごまかし通せ。確証はないんだ」 和成は突然顔を上げると、塔矢に向かって叫ぶように訴えた。 「私の方が無理なんです! もう、ごまかしきれません!」 塔矢は嘆息すると、静かに問う。 「では、どうしたいんだ」 「紗也様の護衛を解任して下さい」 「それこそ無理だ。状況を見極めて何が上策かよく考えろ。私情だけで決断を下すな。策を練るのは得意だろう」 和成は眉を寄せ、片手で顔を覆った。 「そんな、戦略と同じようにはいきませんよ。私は紗也様のお側を離れるべきなんです。でないと、いつかあの方を傷つけてしまいそうで怖いんです」 塔矢が静かに尋ねる。 「おまえは、想いを捨てるんじゃなかったのか?」 「今のまま、お側にお仕えしたままで、捨てることなどできません」 和成がそう言うと、塔矢は和成の頭をクシャリとひと撫でし、黙って部屋を出て行った。 予想外の塔矢の行動に呆気にとられて、和成はしばらく塔矢の去った方向を見つめる。 (もしかして、見離された?) 和成は机の上に突っ伏して頭をかかえた。 何ひとつ考えることができなくなって思考が停止する。そして、そのまま意識が薄れ、やがて眠りに落ちていった。 和成が目覚めると夜になっていた。 先程より少し、落ち着いて考えられるようになったので、塔矢の言うように上策を練ってみることにする。 まずは状況を見極める。 和成の想いを知っているのは塔矢、紗也、そして本人。右近は今回の事件には無関係だし、和成の進退がどう転んでも何の影響も受けないし及ぼさないので除外していいだろう。 もしも、和成の護衛解任という事になったとしたら、人事が動く。人手不足の杉森国で人の補充は大事業なのだ。しかも紗也の護衛ともなるといい加減な人事は行えない。和成の解任自体、誰もが認める公明正大な理由が必要となる。紗也の不名誉となるような本当の理由を告げるわけにもいかない。 解任の理由を考えてみても、紗也が解任を望むか、和成が国務全般から退かない限り無理な気がした。それにしたって理由が必要だろう。なにしろ和成は国務に関わりすぎている。一身上の都合では納得してもらえそうにない。 三人の内だけで事を収めるなら、塔矢の言うようにごまかしてしまうのが一番の上策には違いない。 今まで通り、なかった事にしてしまう。自分にとって一番辛い選択が一番の上策とは。 和成は灯りのない暗い部屋で椅子の背にもたれ、天井を仰ぐと乾いた笑いをもらした。 「ははっ……他に思いつかない。何が天才軍師だ」 救いがあるとすれば、たとえ表面上丸く収めたとしても、紗也は一度気付いてしまった和成の想いを完全に否定したりはしないだろう。今までのように無防備に甘えてくることは無くなるはずだ。 今週一杯で電算機操作の説明も終わる。 来月になれば技術局に行ったきりになる。 紗也に接触する機会は格段に減る。 それまで、あの真っ黒い感情を押さえ込んでおけばいい。 和成は俯いてため息をついた。 「……なんで、紗也様なんだよ……」 まんじりともしないまま、夜は更け朝が来た。 朝の九時過ぎ、塔矢が執務室に顔を出すと、すでに紗也が机に向かって珍しく仕事をしていた。 塔矢が挨拶をすると、紗也も普段通りの挨拶を返す。紗也が立ち直っていることに安堵して塔矢は自分の席についた。 少しして紗也が塔矢に問いかけてきた。 「塔矢。和成は? ちゃんと仕事に出てる?」 塔矢は厳しい表情で紗也に答える。 「あいつは自室で頭を冷やしております」 紗也が椅子から立ち上がった。 「なんで?! 和成は関係ないって言ったじゃない!」 「あなたに不敬を働いたんだから当然です」 塔矢が憮然としてそう言うと、紗也は目を見開き一瞬にして赤面した。 「なんで知ってるの?」 その反応が塔矢には少しおもしろくないので、自然と眉間にしわが寄る。 「和成から聞きました」 紗也は塔矢から顔を背けると、両手で頬を押さえて椅子に座り直した。 「私、和成にはいつも迷惑かけてるし、怒られてばっかりだから、どっちかっていうと嫌われてると思ってたの。あんな風に思ってたなんて……」 「どんな風に思ってるかは、本人の頭が冷え次第直接お聞き下さい」 早々に話を切り上げて、そろばんを弾こうとした塔矢に紗也が言う。 「和成を呼んで」 塔矢は手を止め、張り付いたような作り笑顔で紗也を見た。 「もう少し時間を置いてからの方がよいかと存じます。後ほど私が様子を見てまいりましょう」 紗也は塔矢をまっすぐ見据えながら、毅然として言い放つ。 「今すぐに呼んで」 塔矢は少しの間、紗也を見つめ返す。そして立ち上がり、頭を下げた。 「御意、承りました」 執務室を出るとすぐに、塔矢は和成の部屋へ向かった。 外から声をかけたが返事がないので戸を開ける。そこには昨日別れた時と同じ椅子に座り、別れた時よりも更に項垂れて、憔悴しきった和成が、どんよりと重苦しい空気の中にぼんやりと座っていた。 塔矢は額に手を当て、目を閉じると思い切りため息をつく。 「おまえ、また昨日からそのままだろう」 和成は項垂れたまま、消え入りそうな声でつぶやいた。 「ずっと考えましたけど、塔矢殿を上回る上策を思いつきません。私は軍師も解任していただかなければならないようです」 「バカなこと言ってないで、すぐに顔を洗って身支度を整えろ。紗也様がお召しだ」 塔矢は和成の頭にひとつげんこつを落とす。そして腕を取って立ち上がらせた。 なすがままに立ち上がった和成は、塔矢から顔を背ける。 「会わせる顔がありません」 「その、かわいい顔があるじゃないか」 「茶化さないでください」 塔矢はひとつ嘆息する。 「自分の事ばかり考えるな。少しは周りを見ろ。相手のことも思いやれ。紗也様はおまえと向き合うおつもりだ。おまえの話をお聞きになりたいとおっしゃってるんだ」 突然、和成が弾かれたように顔を上げた。目を見開いて宙の一点を凝視しながらつぶやく。 「わかった。人間になる方法……」 塔矢は訝しげに和成を見つめた。 「おまえ、人間じゃなかったのか?」 和成の瞳に光が戻った。塔矢を見据えて不敵の笑みを浮かべる。 「上策を思いつきました。紗也様にお目通り願います」 塔矢は満足げに目を細めると口の端を上げた。 「よし、さっさと支度しろ」 執務室へ向かう道すがら塔矢は和成の上策を聞いた。 塔矢の策では表面上は丸く収まっても、和成も紗也も心底納得はできない。むしろわだかまりが残ってしまう。 それに対して、和成の策では二人とも納得の上で結論が出せる。 だが、それは塔矢にとってはあまりおもしろいものではなかった。 執務室にたどり着いた塔矢は眉間にしわを寄せたまま、部屋の外に留まって入室する和成を横目で見送った。 挨拶と共に頭を下げて、和成は部屋に入る。正面の執務机には紗也が座り、黙って和成を見つめていた。 和成は紗也の前まで歩み寄ると、まずは昨日の非礼を謝罪する。 顔を上げると紗也が首を振った。 「昨日のことはもういいの。塔矢から何も言うなって言われてるんでしょ? 聞かなかったことにするから、全部話して」 和成は紗也を見据えて告げる。 「いいえ。聞かなかったことになさらないで下さい。しっかりとお聞きになった上でご決断を賜りたく存じます。私はそれに従う所存です」 少しの間和成を見つめた後、紗也は黙ってゆっくりと頷いた。 和成は軽く目を閉じて少し息を吸い込み、再び目を開くと紗也をまっすぐ見つめて言う。 「私はあなたをお慕い申しております」 紗也が少し目を見開いて息を飲んだ。和成はかまわずに言葉を続ける。 「あなたが私の想いを不快にお思いになったり、私がお側にお仕えするのをよしとしないのなら、護衛の任を解いて下さい」 護衛の解任は紗也に命じられる以外に方法はない。理由も明かさず解任を求めたとしても紗也は応じないだろう。ならば、理由を明らかにして解任を求める。それに元々理由はバレているのだ。 塔矢はそれを聞いたとき、もしも紗也が和成の想いに応える気になりでもしたら、益々面倒なことになりかねないと反対をした。しかし、ごまかしたところで紗也が納得しないことはわかっている。毎日のように追求されるとしたら、それはそれで面倒には違いない。 あくまで、紗也の意志を尊重するというので渋々承諾したのだ。 和成の望みは想いを伝える事ではなく、解任を求める事だった。決めるのは紗也だ。 しかし、解任が望めなかったとしても、それはそれでかまわない気になっていた。 この策を思いついた途端、和成の心は嘘のように軽くなったのだ。それと同時にあの身震いがする真っ黒な感情も、どこへともなく雲散霧消していた。 紗也は黙って和成の話を聞き終わると、少し微笑んで和成を見つめ返した。 「最近、和成の様子がおかしかった理由がやっとわかった。ちゃんと話してくれてうれしい。私もちゃんと答えるね。私の決断は――――」 |
目次へ |
Copyright (c) 2013 - CurrentYear yamaokaya All rights reserved.