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13.幸せな魔法



 執務室の戸が開き、和成が出てきた。
 入口横の壁にもたれたまま不機嫌そうに横目で見る塔矢に和成が告げる。
「ふられました」
 塔矢は少しの間和成を見つめた後、フッと安堵の笑みをもらし、続いて声をあげて笑った。
「ひどいな。そんなに笑わなくてもいいじゃないですか」
「安心したら、つい……な。おまえを”殿”とは呼びたくないからな」
「え?」
 和成が不思議そうに塔矢を見つめる。
「紗也様に受け入れられるってことは、そういうことだろう。考えてなかったのか?」
「そんな大それた事、考えてもみませんでした」
「紗也様に惚れるのは、それほど恐れ多いという事だ。だから、惚れるなと言ったんだ」
「今更、無理ですよ。でも、紗也様に想いを返して貰おうとは思ってませんから」
 塔矢は少し微笑んで問いかけた。
「護衛の解任はどうなった?」
 それを聞いて、和成は軽くため息をつく。
「そちらも望めませんでした。紗也様がおっしゃるには、人は好きな人を守るためなら、強くなれるらしいから、私は紗也様にとって最強の護衛になれるんだそうです。最強の護衛を解任する理由がないそうで」
 塔矢はクスリと笑った。
「うまい事を言うな。それで、おまえは大丈夫なのか?」
「白黒はっきり付けたら、なんだかスッキリしました。紗也様を想う気持ちに変わりはありませんけど、もう大丈夫です。いきなり抱きついたりしません」
 そう言って笑う和成に、塔矢は顔をしかめる。
「あたりまえだ。今度やったら殴るぞ」
 そして表情を和らげ、思い出したように尋ねた。
「さっき言ってた、人間になる方法ってのは何だ?」
「あぁ、お伽噺ですよ。魔法使いに命を与えられた人形が人間になる話です。右近が言うには私が中途半端なのは、その人形と同じだからだそうです」
 塔矢が呆れたようにため息をつく。
「おまえ、わからないからって何でも右近に聞くなよ。少しは自分で考えろ」
 和成は気にした風でもなく、笑って答えた。
「右近にもこれは自分で考えなきゃ意味がないって言われました。私が人形と同じなのは人の心がわかってないからだというのはわかりました。お伽噺の人形が人間になるためには正直で勇敢で優しい子にならなきゃいけないんですけど、私にはその意味がわからなかったんです。その心を手に入れれば人間になれると言われても、私は嘘つきでも臆病でも冷酷でもないし」
 塔矢はニヤリと笑い、小刻みに何度も頷く。
「なるほどな。それがわかったのか」
「はい。全部、他人のための心ですよね」
「わかっただけじゃ、人間にはなれないぞ」
「はい。手に入れられるよう頑張ります」
 和成は笑顔で拳を握って見せた。



 今宵は半月。上弦の月。
 先程、風呂上がりに眺めた空はよく晴れていた。今頃は月が中庭から見える位置にきているだろう。
 和成は上着を羽織って、自室の戸を開けた。
 廊下に一歩踏み出した途端、ギクリとして足を止める。
 月見の指定席、中庭へと降りる石段に和成の上着を羽織った紗也が座っていたのだ。
「どうかなさったんですか?」
 和成が声をかけると、紗也は背を向けたまま独り言のように答える。
「月がきれいだったから、和成が出てくるかなぁと思って待ってたの」
「私が出てこなかったらどうなさるおつもりでしたか? 御用でしたら電話して下さればこちらから出向きましたのに」
「別に用があったわけじゃないし、和成と月見酒でもと思って」
「お酒を召し上がってるんですか?!」
 和成はあわてて紗也の横にひざをつき、手元を覗き込む。
「これ。昨日のお小遣いで買ったの。食堂の売店にあったから」
 紗也が笑って差し出したのは缶に入った甘酒だった。
 一気に気が抜けて、和成は安堵のため息をもらす。
「おどかさないでくださいよ」
 紗也は和成の心配など気にもとめず、もう一本の缶を差し出した。
「はい。和成にもあげる」
「ありがとうございます」
 礼を言って受け取ると、和成は紗也の隣に座り直す。
 缶のふたを開けて甘酒を一口飲み、気になっていたことを尋ねてみた。
「前から思ってたんですけど、こうやって夜に部屋の外を出歩かれるのを部屋付きの女官たちは何も言わないんですか?」
「眠ってるから知らないの」
「は?」
 主より先に女官が寝てしまうなど、職務怠慢ではないだろうか。それとも紗也が寝たふりでもして、女官を下がらせた後こっそり出歩いているのだろうか。和成は訝しげに片眉を上げる。
「薬で眠らせてるの」
 平然と言い放つ紗也に、和成はため息をもらした。
「分量間違えると危険ですので、今後はおやめ下さい」
「大丈夫。自分で試してみたから」
「なお悪いです」
 以前、侍医に処方された薬を、飲まずに隠し持っていたらしい。紗也が苦い粉薬を嫌っている事を和成は知っている。何度か愚痴を聞かされた事があるからだ。
 しばらく二人とも黙ったまま、月を眺めて甘酒を飲む。
 甘酒を飲み干した紗也が口を開いた。
「あの手紙、子供のイタズラだったんだってね」
「そうらしいですね」
 紗也は空になった缶を横に置き、身体を縮めて和成の上着の中に収まる。
「あの時ね、すごくびっくりしたの」
「申し訳ありません。驚かせてしまって」
 和成が謝ると、紗也は首を振った。
「違うの。和成に驚くよりも自分にびっくりしたの」
 何の事かわからず、和成は紗也の横顔を見つめる。
「和成にぎゅってだっこしてもらったら、きっとこの上着みたいにあったかくて安心して眠くなっちゃうくらい、ふわふわ気持ちいいんだろうなって勝手に思ってたんだけど、実際は全然違ってたからびっくりしたの。自分の感じた感覚の違いに」
 詳しく聞いても何の事かさっぱりわからなかった。
 紗也は和成を見つめて、淡く微笑む。
「でもね。和成の方が上着よりもずっとあったかかったよ。寒いときにまた、ぎゅってしてもらおうかな」
 少し気まずくて、和成は紗也から目を逸らす。
「お戯れを……。私は湯たんぽではありません。塔矢殿に殴られます」
 紗也は空き缶を持って笑いながら立ち上がった。和成も一緒に立ち上がる。
「近い内に、今度こそ城下に連れて行ってね。設定はやっぱりお兄ちゃんと妹で」
「いえ、設定はなくていいですから」
 うんざりした様子で目を伏せた和成を、紗也はイタズラっぽく見上げる。
「恋人同士の方がいい?」
「からかわないで下さい」
 和成がそっぽを向くと、紗也はおもしろそうに笑いながら顔を覗き込んだ。
「和成の弱み握っちゃったから、どんなわがまま聞いてもらおうかな」
 和成はそっぽを向いたまま、腕を組んで憮然と答える。
「それとこれとは別です。私は仕事に私情を挟むつもりはございません」
「だめよ。挟んでくれないと」
「は?」
 真顔で言う紗也を、和成は訝しげに見つめる。
「でないと、最強の護衛にならないじゃない」
「あぁ」
 思わず顔がほころんだ。
「全力でお守りいたします。ただし、わがままを聞くのは業務外ですから」
「もう! どうやったらわがまま聞いてくれるの?」
「それは……」
 和成は一瞬言い淀んだが、すぐにきっぱりと言い切る。
「一生、致しかねますね」
「ケチーッ! なんか弱みを握った気がしない。女官たちが目を覚ますから、もう帰る! おやすみ!」
 そう言って紗也は和成に背を向けた。
「おやすみなさいませ」
 渡り廊下の向こうに消えていく紗也の後ろ姿を見送りながら、和成は飲み込んだ言葉をつぶやく。
「俺の恋人になったら、どんなわがままでも聞きますよ」
 それは一生ありえない。
 和成は月見の指定席に座り直すと、残った甘酒を一気に飲み干し、月を見上げた。
 月には魔力があるという。人の心を狂わせる魔力が。
 これほど月に惹かれる自分は、すでにその魔力に魅入られているのかもしれない。
「だから、紗也様なのかな」
 報われない想いを捨てきれず、しかも日に日に膨らませているなど心が惑わされているからに違いない。
 あれほど辛いと思っていたのは、きっと紗也に嘘をついていたから。
 胸の内を明かしてしまった今では、想いが報われないことを悲観する気持ちはすっかり消えてしまっていた。
 紗也を想う時の心の高揚感、その心地よさだけで幸せな気分になれる。
 こんな幸せな気分になれるなら、月の魔法に惑わされるのも悪くはない。
 和成はお伽噺の人形のように、”星”ならぬ”月”にお願いしてみた。

”どうか、この幸せな魔法がずっと解けませんように”



(第二話 完)




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