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4.国境の見回り



 翌日早朝から、塔矢隊の内、国境の見回り当番十名は正門前に集合した。
 雪よけの帽子に断熱防護機能を強化した動きやすい丈夫な防寒着。同じ素材で作られた手袋は刀を握りやすいよう更に薄く、指先までピッタリと合うように伸縮自在になっている。同じく防寒靴は新雪に足を取られにくいように、靴底が広めになっていて滑り止め加工が施されていた。
 冬仕様の軍装束に身を包んだ軍人たちは塔矢の指示で四つの組に分かれると、四方から浜崎との国境へ向かった。
 夜の内に降った雪が、昨日除雪したばかりの道路や正門横の作りかけの雪像を覆い隠している。昨日とは打って変わって、どんよりと低い空から細かい雪が絶え間なくチラチラと舞い続けていた。
 和成は先輩隊員の里志(さとし)と二人で、浜崎国との国境の西端を目指した。
 浜崎国との国境は、高さ三間(さんげん)ほどの崖となっている。崖の上が杉森、下が浜崎だ。大した高さではないが、崖の下がえぐれて上部が反り返るような形になっているので、よじ登るのは難しい。唯一の登り口には杉森国西方砦が立ちふさがっていた。
 国境に近付くに従い、次第に雪は深くなっていく。緩やかな斜面の、木々の間を縫うように、朝夕の見回り当番が踏み固めた細道が作られていた。里志を前に和成が続いてその細道をたどる。
 国境の崖にたどり着き崖に沿って歩き始めると、後ろに漠然とした気配を感じて、和成は度々振り向いた。
 その様子を訝って里志が声をかける。
「何かあるのか?」
「いえ、何もないようです」
 和成がそう答えて二人が再び歩き始めようとした時、背後でガサリと音がした。
 二人は同時に振り返り、刀に手をかけて身構える。
 路傍の灌木が再びガサガサと揺れ、積もった雪を振り落した。
「何者だ。出て来い」
 和成が牽制すると、木の陰から緊張感のない声が聞こえてきた。
「ちょっと待って。足が抜けなくなっちゃって」
 その声に和成は一気に脱力する。刀から手を離し、大きくため息をついた。そして木の陰に歩み寄り右手を差し出す。
「どうぞ、お掴まり下さい」
 木の陰で膝まで雪に埋もれた紗也が、気まずそうに笑いながら和成の手に掴まった。
 和成に手を引かれ、雪から引っこ抜かれた紗也が木の陰から姿を現す。それを見た里志が驚きの声を上げた。
「え?! 紗也様?!」
 和成は里志にかまわず紗也を睨んで怒鳴りつける。
「昨日あれほど申し上げましたのに、どうしていらしたんですか?! 私が気付いたからよかったものの、こんな人気のない山奥で雪にはまって動けないでいると凍死なさいますよ!」
 和成が紗也を怒鳴る姿を初めて目にした里志は、あわてて和成の腕を引く。
「和成! とりあえず塔矢殿に知らせよう」
 里志に言われて電話を取りだした途端、塔矢から連絡が入った。
『女官長から連絡があった。紗也様が城内から姿を消されたらしい』
 和成はため息を漏らして塔矢に告げる。
「今、連絡しようと思ってたとこです。紗也様はここにいらっしゃいます。私の後を追っていらしたようです。いかがいたしましょうか」
 塔矢が安堵のため息を漏らすのが聞こえた。
『ひとまず安心した。すぐに城までお送りしたいところだが、里志が一人になるのはまずい。一旦、合流地点の砦までお連れしろ』
「わかりました」
 和成は電話を切ると、塔矢の言葉を里志と紗也に伝える。
 里志を先頭に紗也を間に挟んで和成が続き、再び崖沿いの道を歩き始めた。しばらく歩くと道沿いの藪を指差して紗也が振り返った。
「あの赤いの何?」
 指差す先に視線を向けると、そこには雪をかぶった赤い花が咲いている。
「あぁ、椿の花ですよ」
「へぇ。こんな雪の中で咲く花もあるのね。冬は殺風景だから城の庭に植えたらどうかな?」
 笑顔で提案する紗也に、和成は苦笑した。
「かまいませんけど、軍人には不評だと思いますよ」
 和成がそう言うと、紗也は不思議そうに尋ねる。
「なんで? かわいい花なのに」
 和成は少しためらいがちに問いかけた。
「椿の別名をご存じありませんか?」
「知らない。何て言うの?」
「”首切り花”って言うんですよ」
 紗也が顔をしかめる。
「何それ。不吉」
 和成は再び苦笑した。
「普通花って、たとえば桜とか、散る時花びらが一枚ずつ落ちるじゃないですか。でも椿は花を丸ごと落とすんです。その様がまるで首を切り落とされたみたいに見えるから”首切り花”って言うんですよ。明日は我が身を思わせるので軍人には嫌われてるんです」
「ふーん。じゃあ、私の部屋に飾るだけにする」
 そう言って紗也は道を外れ、崖の縁に生えた椿の花に手を伸ばす。
「危険です、紗也様! 道から逸れないで下さい!」
 和成が慌てて連れ戻そうと手を伸ばした時、一歩踏み出した紗也の足下の雪が崖下へと崩れ落ちた。悲鳴と共に紗也が崖下へと姿を消し、伸ばした和成の手が空を切る。
「紗也様!」
 和成は叫んで崖下を覗き込んだ。
 二人の声に驚いて振り向いた里志の目に映ったのは、崖から飛び降りる和成の姿だった。
「おい! 和成!」
 和成が飛び降りた崖っぷちに走り寄り、里志は膝をついて下を覗き込んだ。





 崖下に積もった雪の中に腰まで埋もれて和成は辺りを見回す。左斜め後ろに同じく埋もれた紗也の姿を見つけた。
「紗也様。ご無事ですか?」
 和成の声に紗也が返事をする。意識がはっきりしている事に安堵して、和成は雪の中から這い出した。
 紗也の救出に向かおうとした時、頭上から里志の声が降ってきた。
「和成ーっ! 無事かーっ?!」
 和成は上を向いて叫ぶ。
「私も紗也様も無事です! 塔矢殿に知らせて砦に向かって下さい!」
「わかった!」
 里志の声が途絶えると、和成は紗也を雪の中から掘り出した。
「お怪我はございませんか?」
 雪の上に座ったままの紗也に、和成が跪いて問いかける。
 紗也は右の足首の辺りをさすった。
「足が痛い」
「失礼します」
 断りを入れて和成は紗也の右足の靴と靴下を脱がせ、足首を触って確認する。紗也が痛そうに顔をゆがめた。
「骨に異常はないようです。少し捻っただけでしょう」
 靴下と靴を元に戻し、和成は紗也に背中を向けてしゃがむ。
「どうぞ、お乗り下さい。砦までお運びいたします」
 紗也は黙って和成の背中に負ぶさった。
 ここは敵地。長居は無用だ。和成は紗也を背負って立ち上がる。そして雪を踏みしめながら、砦に向かって歩き始めた。
 少しして背中で紗也が小さくつぶやく。
「……また、みんなに迷惑かけちゃった……」
 紗也が落ち込んでいる様子なので、和成は努めて明るく返事をした。
「あなたが迷惑をかけるのは今に始まった事ではございません。みんな気にしていませんよ」
 しかし、紗也の気持ちは収まらない。
「気にしてないんじゃなくて呆れてるんでしょ? 私なんかさっさと結婚してお婿さんに君主の座を譲ればいいってみんな思ってるのよ」
「誰かがそんな事を申しましたか?」
「言わないけど。私は君主の器じゃないもの。和成みたいに頭よくないし、政治なんてちっともわかんない。具体的に何をすればいいのか見当も付かないし。父さまが急に死んで他に誰もいなかったから、たまたまなっちゃった君主だもの」
 和成は紗也が愚痴をこぼすのを初めて聞いた。普段は叱られても次の瞬間には忘れ、わがまま放題の脳天気ぶりから悩みなどないように思っていた。
 考えてみれば、まだ親の恋しい年に天涯孤独となり、いきなり国を背負わされたのだ。悩まない方がどうかしている。
 本音の見えない大人たちにかしずかれ、自由に外を出歩く事も許されない紗也は、孤独と重責に堪えながら君主の立場を捨てられない以上、それを誰にも言えずにいただけなのだろう。
 城内で唯一、自分と同じ目線でケンカをする和成になついたのも、今なら理解できる気がした。それはそれで複雑な気分ではあるが。
「お伺いしますが、誰かあなたに縁談を持ちかけた者はおりますか?」
「いない」
「さっさと結婚すればいいと思っているなら、縁談があるはずでしょう? ないという事は誰もそんな事を思っていないという事です」
 紗也は何も答えず、和成の背中に顔を埋めてしがみつく。そして小さな声でつぶやいた。
「和成、お願い。ずっとそばにいて。私を見捨てないで」
 甘くて残酷な呪縛に、和成は目を細めて静かに頷く。
「あなたが解任なさらない限り、ずっとお側にお仕えいたします。命つきるまで」
 しばらく黙って雪の上を歩き続けると、目の前に天を突くほど大きな楠が姿を現した。根元には大人が座って余裕で入れるくらい大きなうろが、ぽっかりと口を開けている。和成が肩越しに声をかけた。
「紗也様、ご覧下さい。あの木が見えたら砦はもうすぐです」
 紗也が顔を上げ、木を見上げながらその横を通り過ぎようとした時、前方から十数名の浜崎兵がこちらに向かってくるのが見えた。相手もこちらに気付いたらしく、互いに言葉を交わした後、小走りに近付いて来る。
 和成が楠のうろを背にするように、その場を移動すると、浜崎兵はそれを取り囲んで立ちはだかった。
 最悪の事態に陥ったようだ。



※三間=六メートル足らず

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